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この春先、多分311以降だったと思うが、不定期刊の『性の探求』(光彩書房)という老年向け実話誌に、場違いな永田洋子さん追悼を書いた。この号の特集テーマは「私の人生を変えた性快楽」というもので、編集者も永田さんも迷惑だったかもしれない。
次号の原稿を書いたので、すでにこの記事の務めは終ったと解釈し、ブログに再録する。なお、文中でいかにもシュルレアリスムに詳しいような印象を与えたとすれば、それは紛れもなく、エロ本読者に対するわたしのハッタリである。ここで取り上げた『性に関する探求』(アンドレ・ブルトン編)以外、何も知らない。

 
 いきなり奇矯なことを言い出すようだが、わたしにとって「人生を変えた性快楽」と言えば、今年の二月に獄中で病死した連合赤軍の永田洋子(ながた・ひろこ)さんと、シュルレアリスムの創始者アンドレ・ブルトンを抜きにしては考えられない。
 簡単に言ってしまえば、わたしは連合赤軍のリンチ大量殺人事件で逮捕され、世間の轟々たる非難の的となった永田さんとセックスする夢を見て、生涯に数えるほどしかない夢精をした。その時の強烈な感覚はわたしの脳裏に刻まれ、それ以前はもちろん、それ以降の現実的な性的体験で、それを越えることはない。
 じゃあ、ブルトンのほうは何だと言えば、そういうわたしの体験と感覚を的確に表現してくれたのだ。たとえば、

「夢魔は想像上のものではない。明確に定義できる、夜の事件なんだ」(『性に関する探求』アンドレ・ブルトン編・白水社刊)

 シュルレアリストたちがセックスについてあからさまにディスカッションしたこの書物については、本誌創刊号でも触れた。実際わたしにとって若き日の夢の中での永田さんとのセックスは、まぎれもない「夜の致命的な事件」だった。
 過激派のサブリーダーで、凶悪なブス女として指弾された永田さんとセックスする夢を、わたし以外の誰が見ただろう。自慢しているように聞こえたら恐縮だが、永田さんが亡くなった今、わたしは選ばれた人間として、事の次第を正確に・誠実に語る義務があるのではないだろうか。

 どこかで野坂昭如が「オナニー以上の快楽は、現実の女性相手では存在しない」というような意味のことを書いていた。性的快楽における、現実を越えた夢想の優位性。それがわたしにとって夢の中のセックスの、純然たる快感だったのかもしれない。しかし、それがなぜ殺人犯・永田洋子だったのか?
 もちろん、その後も時には性的な夢を見ることはある。しかし、射精に至ることはない。四十年近く前の、ペニスの内奥から迸り、吸引されていく感覚が、いまだにわたしの脳内で生き続け、木霊のように時に遠く、時に近く感じることができる。
 現実の世界で、一夜の夢を乗り越えられないわたしの一生は、果たして不毛で不幸だろうか。シュルレアリストたちも、次のような問答をしている。

ブルトン「ペレは夢魔によって快感を得たことが実際にあるか?」
ペレ「あるとも」
ナヴィル「その快感と、現実の快感とを比べるとどうだろう」
ペレ「現実よりずっと良かったね」
ナヴィル「それはなぜ?」
ペレ「説明するのは難しい。説明抜きでそう感じるんだ。二、三度しか経験はないけれど」
 
 夢のほうが、現実よりも快感は強い。これはわたしだけではなく、一九三十年前後のパリでも議論されていた。現実を凌駕する快感を体感できたわたしは、不幸な人生どころかラッキーだったような気さえしてくる。
 なお、ここでブルトンたちが「夢魔」と呼ぶのは、現実に存在する女性を夢に見ることだけでなく、夢の中だけに存在する悪魔のことを指していることが多い。
 睡眠中の女性を犯す男の悪魔が「アンキューブ=淫夢男精」で、睡眠中の男を誘惑する女の悪魔が「シュキューブ=淫夢女精」。当時の前衛芸術家たちも、夢魔の存在をかなり本気で信じていたようだ。

 永田さんはわたしにとってシュキューブ、つまり夢の中の悪魔だったのだろうか。確かに当時、美人同志たちを嫉妬心から次々と惨殺したブスの悪魔、というのが永田さんに貼られたレッテルだった。そしてわたしは、そうした世間のバッシングに猛反発し、擁護論をせっせと新聞社の投書欄に送ったりしていたのだ。もちろん、一度も採用されなかったけれど。
 ノンポリだったわたしが、永田さんたちの革命理論に共鳴したわけではない。学生時代から「ブス好み」と友人たちに揶揄されてきたわたしだったが、永田さんが世間の美的基準から外れるから援護したいと思ったわけでもない。はっきりと自分の考えを主張する女の人が、容貌まであげつらわれ、まるで下等な魔女みたいに集中攻撃されているのに、わたしは憤激したのだった。
 実際、永田さんは自分のことを以下のように書いている。

「私は、女の解放を願い、ひかえ目な人間ではなかった。しかし、それは表面的なことにすぎず、性関係のような人間性の内面が最もはっきりと現れるような関係においては、男の主導を越えることも、その意識性を持つこともできなかった」
「そのため、私は、女の自主性や主体性を抑圧する家父長制に反対していながら、反発の域を出なかった。私自身、党組織における家父長主義から自由でなかったどころか、それを女の側から支える役割をはたしてしまったのである」永田洋子『続 十六の墓標』

 自ら「ひかえ目な人間ではなかった」と書いている永田さんだが、指導される兵士たちから見ると「鬼ババア」(坂東国男)以外の何ものでもなかった。しかし、その永田さんの最初の性経験は、所属した組織、革命左派(京浜安保共闘)の川島豪議長による一方的なセックス=レイプだったという。
 パトリシア・スタインホフ教授の『日本赤軍派』によれば、永田さんはその経験を乗り越えるべく、自分なりの性的トレーニングをつみ、後に浅間山荘に立てこもる同志、坂口弘と事実婚の関係にあったが、自由な恋愛やセックスについては概して無理解だった。それが女性同志の糾弾につながった。

 しかし、そうしたことは後にスタインホフ教授の懇切なインタビューが明らかにしたことで、永田さんが逮捕された当時は、永田さんとセックスを結びつける要素はまったくなかったと言っていいだろう。もしあったとしても、世間から孤絶した山岳ベースで、鬼のようなサド女が、部下の兵士に奉仕的セックスを強要するようなものだったに違いない。
 そんな風潮に反発したわたしが、あろうことか、永田さんとセックスする夢を見たのだから、今から考えればそうとう可笑しい。性夢がどんなシチュエーションだったかは忘れてしまったが、永田女王さまに鞭打たれるようなものではなく、柔らかな感覚に満ちたものだったと思う。
 わたしは無意識下で、囚われの醜女、永田洋子にセックス・アピールを感じていたのだろうか。昔の青春小説なら、自分の汚らしい性欲で獄中の永田さんを汚してしまったと罪悪感を感じてしまったりする。しかし、新聞でしか永田さんを知らないわたしに、そんな反省もなかった。ただ射精に至る純粋快感だけが残ったのである。

 古代の日本では、夢に思う人が出てくるのは、相手が自分を思ってくれるからだという解釈が一般的だったらしい。フロイト以降は、夢とは抑圧された無意識の発現というのが常識となったが、性的な夢における対象の登場=キャスティングはどのように行われるのだろう。シュルレアリストたちは、以下のように討議している。

ナヴィル「夢魔の場合とオナニスムの場合と、女性のイメージという点ではどう違うだろう」
ペレ「夢と、覚醒時の想像力との違いだろう」
ブルトン「これはまた曖昧な答えだな。違いは、オナニスムの場合はあれこれと、気難しい選択の余地があるのに、夢魔の場合、選択があり得ないという点だろう」
ナヴィル「オナニスムの場合は、必ず知っている女を思い浮かべるけれど、夢魔の場合、相手は知らない女だ」

 ブルトンの「オナニスムの場合はあれこれと気難しい選択の余地がある」という発言は愉快だ。名だたるシュルレアリストも、日本のオナニストも、ずりネタ=「おかず」にかける厳密性については似たようなものなのだ。
 自分を性的に駆り立てる対象やシチュエーションを、できる限り自分の好みに変形し、集中していくのがオナニーだろう。永田さんを夢見て夢精したわたしも、さすがに永田さんを思い描いてオナニーしたことは一度もない。
 夢においては「選択があり得ない」というブルトンの言葉はまったく正しい。出会い頭の事故のように、永田さんはわたしの性夢の中に現れた。しかし、その一方で、わたしが永田さんに強い関心を注いでいたからこそ、夢の中に現れたのも間違いない事実だろう。
 現実の人間関係と夢は、どのような関係にあるのか。当時、わたしにも恋人と呼ぶべき存在はあったはずだが、

ブルトン「情熱的な恋愛の最中に、人は夢魔に襲われることがあると思うか?」
ナヴィル「よこしまな人物の場合なら、そんなこともありうるだろう」
クノー「知りあいの女性を我がものとすることを夢想することだってありうるけれど、それをどう考える?」
ブルトン「それはおよそ夢魔とはかけ離れたことだ。欲望のごくまっとうな表れだと思う」
ペレ「プレヴェールは夢魔についてどう思う?」
プレヴェール「僕は自分の好きな女のことしか夢に見たことがない」

 ナヴィルやプレヴェールの発言は、いささかシュルレアリストらしくない奇麗ごとのように聞こえる。それとは反対に、一貫して夢の独立性を主張しているのがブルトンだ。

タンギー「覚醒時に欲望を感じているならば、それに合わせて夢を操縦することができるか?」
ブルトン「不可能だ。でも、たまたま運よく、夢の中で現実には得られないものを得ることがある。概して、夢の中の方がいくらか恵まれている。一種の代償機能がはたらいているように思う」

 タンギーの「夢を操縦」という言葉は、昨年のハリウッドの秀作『インセプション』を思い起こさせるが、それはさておき、ブルトンの「代償機能」によれば、リアルな現実においては不美人と付き合っていても、夢の中では美人や映画に登場する女優を登場させるのが妥当ではないか。
 わたしはどうしてまた天下に轟いたブス女、それも殺人犯を性夢の対象としてキャスティングしたのだろう。
 このブス問題については、永田さん自身が次のように自己批判している。なぜ美人同志に、自分自身の顔を変形するほど殴らせるというような無惨なことが行われたのか?

「連赤敗北後、遠山美枝子さん、大槻節子さん、金子みちよさんたちは美人なので、『ブス』の私が嫉妬して彼女らを殺したという批判が長い間様々になされ続け、一審判決はそうした解釈を前面に掲げていた」
「ブルジョア社会では美人は実力や努力と無関係にそれだけで評価されるため、ブルジョア化しやすくなる、従って、美人であることは女性兵士になるうえで障害になる」
「女性兵士になるためには、長年培われてきている美人であるという意識や『女らしい』仕草を克服しなくてはならないという女性兵士化に対する誤った考えに基づいていた。私たちは、中国のプロレタリア文化大革命の中で『(結婚相手は)容姿によってではなく思想で選ぶ』といわれたことや、毛沢東の詩の中の『女性兵士は化粧より銃を愛す』というくだりをそのまま教条的に受け止めていたのではないだろうか」永田洋子『私生きてます』

 永田さんの「美人は実力や努力と無関係にそれだけで評価される」という美人に対する批判は、それ自体は間違っていない。ブス好みと友人たちにからかわれたわたしは、おそらく同じような批判や不満を「美人」たちに対して抱いていたと思われる。
 若松孝二監督の『連合赤軍』では、永田洋子は狐目で皆を睨む陰険極まりない女として描かれていた。世の男たちのブスへの敵視・偏見が見事に凝結していた。
 一方、高橋伴明監督の『光の雨』では裕木奈江が演じ、永田さん原理主義を標榜するわたしも、さすがに美人過ぎると思ったものだ。革命的な「ブス」であるところにこそ、永田さんの本領がある。
 そうだ、この「革命的なブス」こそ、わたしにとってキーワードではなかったか。山岳ベースにあっては、男の兵士も震え上がらせる非情な女性兵士のリーダー、囚われて後は、かつての同志や世間を向こうに回し、髪振り乱して敢然と闘う女。そんな永田洋子の姿に、わたしは意識下で非常にセクシーなものを感じていたに違いない。
 だからこそ、永田さんはわたしの夢の中に現れた。わたしだけが理解できる(と傲慢に思い込んだ若き日の)アンチ美神として。

 わたしは永田さんの著書をほとんど読んだと思うのだが、その結果浮かび上がってきた永田洋子像は、前述の二つの映画の中間ぐらいという、はなはだ平凡なものだ。
 正義感が強く、そのぶん人の感情の機微に疎い、価値観的には素朴で健康で、性や愛の方向にはあまりイマジネーションの働かない、どこか神経の粗い、しかし本当は親切な心を抱いたお姉さん、というのが、現在のわたしの永田さんイメージである。
 そんな永田さんが、わたしの夢魔=淫夢女精として、わたしの生涯に君臨しているのだから、夢とは実に不可思議なものである。
 
 永田洋子。享年六十五歳。六十六歳の誕生日を迎える直前の死だった。合掌。


 わたしがツイッターで何度か疑問を呈した、日本近代文学館での稲垣眞美氏の講演(講座「資料は語る『女性がものを書く』」のシリーズの中の「尾崎翠の再発見」10月15日)を前に、椿事が出来した。

 稲垣氏の代理人の弁護士から、浜野佐知監督とわたしへの連名で、わたしが尾崎翠の書簡流出問題でツイートし、浜野監督がリツイートした内容が、稲垣氏への名誉毀損であり、ツイッターからの削除、謝罪文、慰謝料100万円などを要求して来たのだ。
 驚くべきことに、事案こそ異なるが、文面はほとんど同じ内容証明郵便が、鳥取の尾崎翠フォーラムの土井淑平代表にも届いていた。こちらは、尾崎翠フォーラムのHPに掲載した、書簡流出問題についての綿密な調査報告が名誉毀損にあたるというのだ。

 わたしは1998年の映画『第七官界彷徨ー尾崎翠を探して』(浜野佐知監督・山邦紀脚本)のパンフレットに稲垣氏批判を書いて以来、いつ裁判になっても構わない覚悟で稲垣氏批判を行ってきた。その意味で驚きはない。
 しかし、これまで一切無視を決め込んで来た稲垣氏が、どうして、このタイミングで裁判をちらつかせながら名誉毀損を主張し、慰謝料を要求して来たのか?

 名誉毀損の趣旨は、尾崎翠の書簡流出は自分が行ったのではなく、「他のルートから当該書簡が流出したことを明確に裏付ける客観的な証拠も入手して」いるというもの。
 この際「他のルート」とやらを公表して頂きたいが、しかし、だからといって、親族から尾崎翠の手紙を預かりながら散逸させた稲垣氏の責任が、1gでも減ずるわけでないことは子供でも分かることだ。

 首を捻らざるを得ないのは、わたしや浜野監督、そして尾崎翠フォーラムに内容証明を送りつけて来た稲垣氏代理人の弁護士が所属する中村合同特許法律事務所は、日本近代文学館の名誉館長である中村稔氏が、かつて「代表パートナー」であり、現在もHPでは「パートナー」の一人として、トップに名前を連ねていることである。

 日本近代文学館は、今回の稲垣氏代理人によるわたしたちや尾崎翠フォーラムへの内容証明郵便を承知しているのだろうか。そのことと今月10月15日の稲垣氏の講演は何か関連しているのだろうか。そして日本近代文学館は、稲垣氏代理人のように稲垣氏の主張を鵜呑みにし、稲垣氏をバックアップしようとしているのだろうか。

 それにしても、尾崎翠の書簡流出問題がクローズアップされている中で、渦中の稲垣眞美氏が「資料は語る」と題した講演を、文学資料の収集・保管が生命線の日本近代文学館で行うことの社会的な意味は、決して小さくない。
 しかも、浜野監督の『第七官界彷徨ー尾崎翠を探して』の製作を潰そうとしたように、女性の表現者に対して抑圧的だった稲垣氏が「女性がものを書く」ことについて語るのは、何か皮肉な効果を狙ってのことだろうか。

 不思議なことの多い今回の稲垣氏代理人による内容証明郵便だが、書簡流出問題は稲垣眞美氏が尾崎翠研究において果たして来た功罪を、歴史的・実証的に検証する貴重な機会だとわたしは考えている。

 浜野監督とわたしは、新作『百合子、ダスヴィダーニヤ』の上映活動で東京を留守にしていたため、先方の指定して来た2週間以内には回答できなかったが、9月末日に回答書を郵送した。勝手に文書を送りつけて、期限を切るというのも迷惑な話ではある。

 尾崎翠の書簡流出問題をオープンな場で議論すべく、稲垣氏代理人の内容証明郵便と、それに対する回答書を、ここに公開する。
 今後、動きがあり次第、ツイッター、フェイスブック、mixi、このブログなどを活用し、報告したい。

 なお、先に回答書を出した尾崎翠フォーラムは、すでにHPで「回答書と請求書」をアップしている。末尾にリンクしたので、参照して頂きたい。

                                (文責:山邦紀)

 

◉要求書(内容証明郵便)
                                 平成23年9月14日
株式会社旦々社
浜野佐知殿
山崎邦紀殿
                              中村合同特許法律事務所
                                  稲垣真美代理人
                                 弁護士 富岡英次
                                  同  小林正和

拝 啓  時下益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。
 私どもは、稲垣真美氏(以下「当方依頼人」と申します。)から依頼を受け、当方依頼人を代理して、貴殿らに本書状をお送りしています。
1 貴殿らは、不特定多数の者が閲覧することができるTwitter(以下「ツィッター」と言います。)上において(http://twitter.com/#!/hamanosachi、http://twitter.com/#!/kuninori55参照)、当方依頼人に関し、平成23年6月2日付けで「尾崎翠の書簡がオークションにかけられている話は以前から聞いていたが、それが全集編者の稲垣眞美の手元から流出した=売買されたことが明らかになった。…」、「…本来の所有者と関わりなく売買されることは『盗品』扱いになる。…」、また、同月8日付けで「…創樹社と筑摩書房の二度にわたる尾崎翠全集を編纂し、親族から預かった書簡を返却せずに売り飛ばしたことが公然化した稲垣眞美が、日本近代文学館で尾崎翠について講演するのだという。…」、「稲垣眞美が私物化した尾崎翠の手紙がヤフオクに出されたり、古書店を通じて売買されていることが明らかになった今でも、日本近代文学館は知らんぷりして稲垣の講演を挙行するのだろうか。見ものである。…」等とツイート(以下「投稿」と言います。)ないしリツイート(以下「引用」と言います。)しておられます。
 当該投稿ないし引用の内容は、当方依頼人が、尾崎翠の書簡を、尾崎翠の相続人に無断で売却した旨摘示するものです。

2 しかしながら、当該摘示内容中、当方依頼人が当該書簡を流出させた旨の、あるいは、これを前提とする事実は、全く真実に反するもの、すなわち虚偽であり、当方依頼人は、他のルートから当該書簡が流出したことを明確に裏付ける客観的な証拠も入手しております。
 貴殿らは、当方依頼人の編纂者、作家、文化人あるいは文芸評論家等としての社会的評価が低下するおそれがあることを知りながら、あるいは、少なくとも充分な裏付けをとることなく漫然と、ツィッター上に上記事実を投稿ないし引用したものと言わざるを得ません。
 そして、上記投稿ないし引用を見た不特定多数のツィッターのユーザは、これが真実であると誤解するおそれが十分にあり、貴殿らの行為が、当方依頼人の社会的評価を低下させる名誉毀損行為であることは明らかです。

3 貴殿らの名誉毀損行為の結果、当方依頼人は、大きな精神的損害を被っております。
 したがいまして、当方依頼人は、貴殿らに対し、(1)上記投稿ないし引用を直ちに削除すること、(2)名誉回復の措置として、貴殿らが当方依頼人に対し書面によって謝罪すること、(3)ツィッター上のプロフィール欄ないし投稿欄に、上記摘示内容が真実に反していたこと、及び、その点について謝罪文を掲載すること、並びに、(4)不法行為に基づく精神的損害を補填するための慰謝料として100万円お支払い頂くことを要求致します。

4 つきましては、本書状の受領後2週間以内に、私ども代理人宛てに、貴殿らの今後のご対応につき、書面にて回答されるよう要求申し上げます。
 なお、当方依頼人と致しましても、徒に紛争を好むものではありませんが、上記期間内に誠意あるご回答を頂けない場合には、やむを得ず法的措置を採ることも検討せざるを得ないことを申し添えます。
 また、今後本件に関する連絡は全て、私ども代理人にされるようお願い致します。
                                 敬具




◉回答書(配達証明)
                          2011年9月30日
中村合同特許法律事務所
稲垣眞美代理人
弁護士 富岡英次さま
 同  小林正和さま

平成23年9月14日付「内容証明郵便」に対する回答

                                    浜野佐知
                                    山邦紀
拝復
 稲垣眞美氏代理人としての書面を拝見しました。たまたま浜野も山も大阪の映画祭に参加していたため、返信が遅れました。

 それにしても不可解な要求を頂いたものです。尾崎翠の書簡流出について、山がツイッターに書き込み、浜野がリツイートしたことが、稲垣氏に対する名誉毀損であるとして、ツイートの削除や謝罪文、慰謝料100万円を要求されていますが、稲垣氏が今、何よりも行うべきは、尾崎翠の甥である小林喬樹さんから全集編者として借り受けた尾崎翠の書簡を、小林さんの元に返却する努力なのではないでしょうか。

 稲垣氏は、創樹社で「尾崎翠全集」を編集するに当たり、尾崎翠の甥である小林喬樹さんから、小林さんに宛てた翠の8通の書簡を借り受けました。その後、稲垣氏の編集により創樹社および筑摩書房から「尾崎翠全集」が発刊されています。しかしながら、その後、小林さんから稲垣氏への再三にわたる書簡の返還請求にもかかわらず、返還が行われていません。

 鳥取の尾崎翠フォーラムの綿密な調査によれば、現在8通の内「1964年(昭和39年)4月18日付書簡」、「1966年(昭和41年)7月9日付書簡」の2通が古書店で販売され、現在「鳥取県立図書館」で所蔵されています。また「1966年(昭和41年)9月12日付書簡」1通が「ヤフーオークション」に出品されました。

 稲垣氏が責任を持って保管すべき8通の書簡のうち3通が既に売買されているというのが、紛れもない事実です。稲垣氏が尾崎翠の遺族から借り受けた書簡が返還されず、他人の手に渡ってしまっているという事実です。
 稲垣氏が、一時的に全集の版元である創樹社あるいは筑摩書房に預けたとしても、氏が責任を持って管理し、返還すべき書簡が流出してしまっているのですから、流出したのは今回の書面で稲垣氏言うところの「他のルート」などではなく「稲垣氏のルート」なのです。

 また、尾崎翠フォーラムの調査によれば、尾崎翠の親友であった松下文子さんに宛てて、翠が1965年に鳥取県湖山の老人ホーム「敬生寮」から出した書簡が古書店で売買されました。この書簡も稲垣氏によって尾崎翠全集に収録されたものですが、松下さんの遺族によれば、遺族が稲垣氏に貸したものではなく、恐らく、亡くなった松下さん本人が稲垣氏に貸したものと思われます。
 小林さんから借り受けた書簡だけでなく、松下さんから借り受けた書簡もまた流出し、市場で売買されている現実を前に、借り受けた当事者である稲垣氏は、どのような責任を取るつもりなのでしょうか。

 書面によれば、稲垣氏は「他のルートから当該書簡が流出したことを明確に裏付ける客観的な証拠を入手」しているそうです。初耳ですが、そうであるならば何よりも先にその事実を明らかにし、そのルートを辿って流出した小林さんと松下さんの書簡を取り戻すべきでしょう。
 それが小林さんから大事なプライベートの書簡を借り受け、創樹社と筑摩書房と二度にわたる「尾崎翠全集」で、翠の書簡として収録・発表した編者の責務ではありませんか。松下さん宛ての書簡もまた、遺族に返却すべき義務が稲垣氏には当然あります。

 稲垣氏代理人は、稲垣氏の一方的な主張を鵜呑みにして、今回に至るバックグラウンドや客観的な事実経過をリサーチされていないように思われます。
 稲垣氏と浜野・山の確執は、1998年に浜野が製作・監督した『第七官界彷徨―尾崎翠を探して』(尾崎翠原作。山は脚本を担当)の製作段階において、稲垣氏が尾崎翠の遺族の信頼と感謝をいいことに陋劣な妨害工作を行ったことから始まっています。

 全集を編纂した「恩人」である自分の言うことを、遺族がすべて鵜呑みにすると思っていた稲垣氏は、浜野には鳥取に行って著作権継承者の方(翠の姪)から映画化権のサインをもらってくるよう言いながら、その一方で著作権継承者の方には絶対サインするな、自分の知りあいの映画製作会社があるから、そこと契約しろ、と指示し、その会社の契約書まで送ったのでした。
 この時は、著作権継承者の方と実弟の方(翠の甥)が、稲垣氏と電話で長時間やり取りし、浜野と稲垣氏の2通の契約書を比較検討したうえで(実弟の方は元銀行勤務で契約書に詳しい)、私的欲得に基づかない浜野の契約書にサインしてくれました。
 それによって日本芸術文化振興基金と東京都女性財団の助成を受け、鳥取県の全面的ロケ支援を受けて、映画『第七官界彷徨―尾崎翠を探して』は無事完成することができたのです。

 全集編者による作家の「私物化」(映画化についてまで口を出し、著作権者に従わせようと権力行使するのは私物化以外の何者でもありません)に疑問を抱いた山は、出版界の編集者や作家に取材したところ、マイナー作家の場合(尾崎翠は当時知られていませんでした)決して珍しいことではないことを知り驚きました。
 しかし、映画の完成と同時期に刊行された筑摩書房の「定本尾崎翠全集」下巻に稲垣氏が書いた「解説」もまた驚くべきものでした。新しい資料が出てきたわけでもないのに、翠と「恋人」であるとされた高橋丈雄について妄想、あるいは捏造としか言えない性的関係が具体的に記述されていたのです。わたしはそれについて、映画『第七官界彷徨―尾崎翠を探して』のホームページや自分のブログで批判してきました。

 10年を越えるわたしたちの批判に対して、これまでいっさい無視を決め込んで来た稲垣氏が、今回のツイッターへの書き込み、およびリツイートを理由として、唐突に名誉毀損の主張をしてきたことは、尾崎翠の書簡流出問題がマスコミでも報道され、自身のアキレス腱になるかもしれないという危機感の表れ以外の何ものでもありません。
 稲垣氏代理人には、こうした流れ=文脈を理解して頂いたうえで、今回の書面にお答えしたいと思います。

些細なことではありますが、内容証明の宛先である旦々舎の漢字を「旦々社」と間違えて書かれています。また、山は旦々舎の所属ではありません。フリーランスの脚本家・監督として旦々舎の仕事をしています。まずは事実関係を正確に把握して頂きたい。

今回稲垣氏および代理人が問題にしているのは、ツイッター上における山の4つのツイートと浜野のリツイートですが、リツイートは誰でもできるものであり、浜野に特定してリツイートの責任を問う根拠を示して頂きたい。これこそ先に記した10年以上の軋轢を背景とした、言いがかりとしか思えません。

山のツイートの最初の2つ「尾崎翠の書簡がオークションにかけられている話は以前から聞いていたが、それが全集編者の稲垣眞美の手元から流出した=売買されたことが明らかになった。…」「…本来の所有者と関わりなく売買されることは『盗品』扱いになる。…」(6月2日)は、鳥取の尾崎翠フォーラムのホームページから引用、紹介したもので、引用元も明らかにしています。
 尾崎翠フォーラムの土井淑平代表によるホームページの記事は、流出した書簡の行方を綿密に調査し、稲垣氏に書簡を貸したもう一方の当事者である小林喬樹さんの裏付けも取った、非常に信頼できるものです。
 浜野と山はフォーラム発足当初から関ってきましたが、翠の故郷の市民が地元の作家を再評価しようと、ボランティアで11年間、毎年講演会や映画上映、翠の史跡を訪ねるバスツアーなどを行ってきました。鳥取県も第一回目から支援しています。尾崎翠の新資料の発掘に努める一方、第一線の研究者を国内外から招き、尾崎翠研究にも資するところの大きい貴重な市民運動です。
 その尾崎翠フォーラムにも、わたしたちとほぼ同文の内容証明が舞い込んでいることを知り、驚き呆れました。山が引用したホームページには、尾崎翠の書簡流出問題に関する現状が正確に調査・報告されています。あの記事のどこに、稲垣氏に対する謂れのない名誉毀損があると言うのでしょう。

残る2つのツイート「…創樹社と筑摩書房の二度にわたる尾崎翠全集を編纂し、親族から預かった書簡を返却せずに売り飛ばしたことが公然化した稲垣眞美が、日本近代文学館で尾崎翠について講演するのだという。…」「稲垣眞美が私物化した尾崎翠の手紙がヤフオクに出されたり、古書店を通じて売買されていることが明らかになった今でも、日本近代文学館は知らんぷりして稲垣の講演を挙行するのだろうか。見ものではある。…」(6月8日)については、文学資料を収集・保存することが設立目的であり、レゾンデートルである日本近代文学館で、「資料は語る」と題されたシリーズの講演を、資料を流出させたことが明らかになった稲垣氏が行うことの皮肉を指摘したものです。

稲垣氏代理人は、わたしのツイートに対し「当方依頼人が、尾崎翠の書簡を、尾崎翠の相続人に無断で売却した旨摘示するものです」としたうえで「しかしながら、当該摘示内容中、当方依頼人が当該書簡を流出させた旨の、あるいは、これを前提とする事実は、全く真実に反するもの、すなわち虚偽であり」「当方依頼人は、他のルートから当該書簡が流出したことを、明確に裏付ける客観的な証拠も入手しております」と続きます。

この論理構成を検討すると「売却」と「流出」を意図的に混用していることが分かります。「書簡を売却したのは稲垣氏ではない」=「書簡は他のルートから流出したことを裏付ける証拠がある」というのですが、重要なのは「流出」と「売却」は明らかに異なった問題だということです。
「流出」とは、稲垣氏が遺族から借り受けた書簡を保管・管理・返却する責任があるにも関わらず、外部に文字通り流出させたことを指します。これはいわば「所在不明」の状態で、それが古書店に売られたり、オークションにかけられたりして初めて「売却」となります。である以上「直接自分が売却したのではないから、流出させたわけではない」という論理は成り立ちません。
「流出」の責任が書簡を借りて全集に収録した編者稲垣氏にあることは明らかであり、誰が直接的に「売却」したかとは別の問題なのです。だからこそ小林喬樹さんは、長年にわたって稲垣氏に返還を求めているのです。

稲垣氏は「他のルートから当該書簡が流出したことを明確に裏付ける客観的な証拠を入手」したそうですが、それは具体的にどのようなルートであり、どの時点で「証拠を入手」したのでしょうか。ここでは時系列が大きな争点になってきます。
 小林喬樹さんの再三にわたる返還請求に応じなかったうえ、これまで一切「他のルート」を明示して来なかった以上、稲垣氏が売買においても関っていると目されるのは当然ではありませんか。自ら招いた事態と言わざるを得ません。

稲垣氏の言う「他のルート」が何であるか、今の段階では想像するしかありませんが、筑摩書房が「書簡はコピーでしか受け取っていない」と明言している以上、残るのは創樹社ルートです。
 稲垣氏が小林喬樹さんから尾崎翠の書簡を借り受け、それが流出と売買に至る経過を時系列で見ると、以下のようになります。
 最初の創樹社版全集が出たのが79年。版元を替えて筑摩書房から定本尾崎翠全集が刊行されたのが98年。そして創樹社が自己破産したのが02年です。尾崎翠の書簡が古書店などのカタログなどで散見されるようになったのは、創樹社が自己破産した02年以降のことでした。(研究者の証言による)

創樹社から筑摩書房に全集を移す理由となったのが、遺族に対する印税未払い問題です。創樹社は、知られざる女性作家尾崎翠の全集を出すことに踏み切った志のある出版社でしたが、経営的に難しくなることが何度かあったようです。稲垣氏は創樹社の反対を押し切り、遺族の意向を盾に筑摩書房に強引に全集を移しました。
 本来79年に全集が刊行された時点で、稲垣氏は書簡を小林喬樹さんに返却する義務がありますが、(もし売買が創樹社ルートだとすると)全集を筑摩書房に移すまでの20年近く漫然と放置したことになります。それだけでありません。全集を筑摩書房に移したのに、書簡は創樹社に置いて来たことになります。
 その間、小林さんに何度も返却を求められていたのに、それにまともに応えて来なかったのは何故でしょうか?

印税未払いが版元を移す理由だったのですから、もし書簡が創樹社に預けっ放しになっていたのだったら、全集を移す際に、経営的に危ない会社から書簡も引き上げるのが編者の絶対的な責務です。それもせず、徒に02年の創樹社の自己破産を迎えることになりました。社内の資料類も四散したことでしょう。遺族から書簡を託された編者として、あまりにも無責任です。

「他のルートから当該書簡が流出した」という稲垣氏の主張を前提とすると、まず稲垣氏が管理責任を放棄して書簡を漫然と放置した20数年があり、それによって「流出」が起こりました。ここまでは明らかに稲垣氏の責任です。その後に誰が関ったか、どういう経緯であったか「売買」という事態が起こります。
 小林喬樹さんにとって、尾崎翠は早く亡くなった実母(翠は母の姉)の代わりに可愛がり育ててくれた伯母さんです。大事な翠直筆の書簡を全集のために貸し出し、何の説明もないまま返還されず、今では売りに出されていることが明らかになりました。小林さんが貸した当事者である稲垣氏に返却を求めるのは当然であり、稲垣氏に「流出」させた責任があることは紛れもない事実です。

尾崎翠の親族や、翠の親友だった松下文子さん本人から借り受けた資料に対する稲垣氏の信じ難い杜撰さは、到底他人から預かったものという感覚ではなく、編者の自分がお礼として貰い受けた「自分の物」と考えていたとしか思えません。
 尾崎翠の実妹である早川薫さんから借り出した資料についても、薫さんが亡くなった後、著作権継承者の方とその実弟の方から再三にわたって返却を要請されたあげく、ようやく先年20数年ぶりに返しましたが、それが全部である証拠はどこにもありません。

最後にツイッターについて。ツイッターは日本語で「呟き」と言われるように、各人が主観的な感想を短く書き込み、多くの人の「呟き」がいっせいにタイムラインを流れて行きます。瞬時に現れ、瞬時に流れさって行くもので、よほど関心のある人でもない限り過去の記録を参照したりしません。
 山のツイートによって、稲垣氏がいかなる「精神的損害」が生じたか具体的に示して頂きたい。またそれを「補填するための慰謝料として100万円」の算定の根拠を、これも明確に示して頂きたい。

わたしたちは、ツイッターの削除や稲垣氏への謝罪文を書くこと、さらに慰謝料を支払うつもりは毛頭ありません。こちらも「徒に紛争を好むものでは」ありませんが、稲垣氏代理人言うところの「法的措置」が取られれば、尾崎翠研究における稲垣眞美氏の功罪を、公の場で歴史的・実証的に検証する好機と考えます。

 なお、浜野も山も新作の『百合子、ダスヴィダーニヤ』の上映で東京を不在にすることも多く、今回のように期限を切っての回答要求にはお応えできないこともあることをご承知置き下さい。

■鳥取の尾崎翠フォーラムの回答書と、同フォーラムへの請求書■



映画『百合子、ダスヴィダーニヤ』の公式ツイッターで流した「静岡キャンペーン報告』を、ここでまとめておきたい。
一人でも多くの人たちに見てもらいたいと、一緒に並走してくれた諸氏に心から感謝する。ありがとう。
なお、順はランダムです。

◉静岡キャンペーン報告(1)6月18日(土)の初日、2回の舞台挨拶の途中で菜葉菜さん、一十三十一さん、浜野監督の3人でSBSラジオの名物(?)番組「満開ラジオ樹根爛漫」に出演。なぜか「今日の縁起物」というコーナーだった。 
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静岡のさる業界で著名な樹根(じゅね)さんと塩澤香織アナウンサーのコンビの番組で、毎年凝ったポスターが作られている。昨年は二人とも花魁に扮し、今年は純白のウェディングドレス。樹根さんの軽妙な話術に女優さんも監督も笑いっ放し。
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当初15分から20分の予定だったが、笑い転げてあっという間に30分経つ。二回目の舞台挨拶に、これからなら間に合うと樹根さんが呼びかけてくれた。実際、静岡シネマ1に戻ってみると、ラジオを車の中で聞いたと言う人がいた。樹根さんと塩澤さんのお二人に感謝。 
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◉静岡キャンペーン報告(2)18日(土)の最初の上映後の舞台挨拶に、菜葉菜さん&一十三十一さんの主役コンビが登場。つめかけたお客さんを前に、浜野監督と共に長かった静岡ロケの印象などを語った。二人ともすっかり静岡贔屓。
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菜葉菜さんは、TVの連続ドラマの撮影の合間を縫って駆け付けてくれた。湯浅芳子という実在の人物を演じるのは難しかったが、撮影しながら一十三十一さんとともに演じて、芳子になり切っていったと言う。百合子と荒木の関係にも本気で嫉妬してしまったとか。
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 一十三十一さんは、シンガーソングライターらしく詩のような挨拶で始めた。早朝から深夜までの撮影で、ほとんど眠れなかった最初の1週間、ほんとうに辛かったが、掛川市と島田市の夏祭りの太鼓の音に救われたと、実感を込めて語った。
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 舞台挨拶の後は、出来上がったばかりのサイン入りパンフレットをロビーで販売。多くの人が列を作り、菜葉菜さんと一十三十一さん、浜野監督と握手して励ましてくれた。パンフを買ってくれた方には、3種の缶バッジのうちの一つを進呈。 
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◉静岡キャンペーン報告(3)18日(土)二回目の上映の前に、もう一度女優さんたちと浜野監督の舞台挨拶。司会は支援する会静岡の高木さん(一回目の司会は支援する会代表の石垣さん)。
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シンガーソングライターとして、これまで自分が世界の中心だと思っていたのに、映画に初めて出演し、苛酷なロケ現場に放り込まれて、最初はひどく混乱したと笑いながら語る、百合子を演じた一十三十一さん。
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芳子を演じた菜葉菜さんは、芳子の本を読み、芳子に関する本を読み、鎌倉にある芳子のお墓参りをして、菜葉菜さんにとっての芳子像を造っていった。この人ほど芳子の孤独なスピリットを体感している人は少ないだろう。
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日帰りの慌ただしい舞台挨拶だったが、昨年のロケで出会った人々に映画館で再会し、温かい激励を受けた菜葉菜さんと一十三十一さん。二人が並んでいると、芳子と百合子が現代に甦って来たように感じられる。
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◉静岡キャンペーン報告(4)地域FM局の番組にも浜野監督は出演した。浜松でKーMIXの「シネマスクエア」という番組の収録。静岡全県をカバーする局で、パーソナリティは河村由美さん。
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KーMIXには、一十三十一さんはシンガーソングライターとして何度かゲストで来ている。その一十三さんが映画で主演していることにビックリしたと言う河村さん。すでに『百合子、ダスヴィダーニヤ』も観ていて、映画のことをよく知っているだけに、浜野監督との話も楽しく盛り上がる。

◉静岡キャンペーン報告(5)静岡市内でFMーHIの「ゆうラジ!Radio魂」という生放送に出演。実はポスターやパンフで使われている『百合子、ダスヴィダーニヤ』の題字を書いてくれた書家の岩科蓮花さんが出演しているのだ。
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岩科さんは題字を書いただけでなく、映画の中で芳子が手紙を書くシーンの「手」としても出演。実際には手しか映らないのだが、監督の指示で和服を着込み手紙の文字を書いたことなど話してくれた。番組の相棒の鈴木克馬さんはサッカーの生放送でも知られた人で、とても明るく元気のいい番組だった。

◉静岡キャンペーン報告(6)公開前に静岡市内の常葉学園短大・日本語日本文学科の授業に、浜野監督と脚本のヤマザキが参加させて頂いた。100人ほどの学生さんを前に、予告編を上映した後、浜野監督が映画および映画人生について語る。
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常葉学園とは思わぬ縁があり、静岡ロケの間、監督助手として参加してくれた加茂桃子さんが日本語日本文学科・専攻科の卒業生だったのだ。撮影中にちょうど卒業論文を書いていたらしい。また、題字の書家、岩科蓮花さんも英文科の卒業生だった。 
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担当の上野先生、浜野監督の話を聞いて「闘う女の人生ですね、怖いですね」と言って学生を和ませる。確かに20歳前後の日本文学の学生(共学だがこの学科はほとんど女子)には刺激が強かったかも。
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◉静岡キャンペーン報告(7)静岡朝日TV「とびっきり しずおか」の録画収録で、杉本孝一さんと。
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◉静岡キャンペーン報告(8)SBSーTVで「Soleいいね」の録画。朝の情報番組で、若手女性アナと話が弾む。 
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◉静岡キャンペーン報告(9)SBSラジオ「ゆうCHAN」。夕方のワイド番組の映画情報コーナーで、浜野監督と静活の佐藤支配人が生出演。パーソナリティは「樹根爛漫」でも樹根さんとコンビの塩澤香織さん。
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◉静岡キャンペーン報告(10)浜松の地域局「FMハロー」の「PLUS your Day」録音。担当の方が出かけたため、浜野監督がマイクに向かって一人で語りかける椿事。11月の浜松映画祭で「百合子、ダスヴィダーニヤ」が上映される予定。 
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◉静岡キャンペーン報告(11)静岡第一TV「静岡◯ごとワイド」のなかの「◯ごと得ナビコーナー」の録画。取材はとても紳士的な松野さん。
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◉静岡キャンペーン報告(12)FMしみず「WEEKEND WAVE」の中の「CINE WAVE」収録。パーソナリティーの三輪祐子さんが、劇中の猪苗代湖のシーンの連想で、いきなり震災被災者へのコメント求め、思わずのけぞる浜野監督。
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◉静岡キャンペーン報告(13)静岡市のケーブルTV、ドリームウェーブ静岡の「情報BOX」の取材を受ける主演女優のお二人と浜野監督。これがTV&ラジオの最後の取材だった。他にも新聞関係の取材があった。菜葉菜さん、一十三十一さん、お疲れさまでした。
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*なお、この他、NHKの番組で『百合子、ダスヴィダーニヤ』が取り上げられ、ポスターやチラシ、パンフレットのデザインを手がけてくれた利根川初美さんたちが出演している。

◉付録〜静岡ミラノ1は、こんなレトロな映画館。浜野監督が高校時代に通った頃とまったく変っていないとか。
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1977年4月29日に、米子の旧友・坂本義男氏(当時、米子市商工会議所専務理事・同市文化財保護審議会委員)に送られた高橋丈雄の手紙。この時、高橋は松山市のある公民館に住み、入院中だった坂本氏の病室に宛てられている。
筑摩書房版『定本尾崎翠全集』下巻における稲垣眞美の解説の翠と高橋に関する記述(P503〜505)がまったくのでっち上げ、三文小説家的想像力の産物であることを証している。
なお、わたしがこの手紙を入手した経緯については、拙ブログ「尾崎翠の精神治療とセクシュアリティに関し、稲垣眞美の妄誕邪説を排す」参照。http://blog.7th-sense.sub.jp/?eid=232487
(下の写真は『改造』昭和4年4月号に発表された懸賞戯曲の当選作「死なす」に付されたもの)
010520_0141.jpg 御病気のこと知って、驚きました。御経過のいい模様で、何よりですが、どうぞ御大事に、御静養くださいますよう。僕も数年まえ胃かいようを手術して長い病院生活しましたが、今はおかげですっかり元気で、胃は徹底的に治しておくと、あとはほんとに調子よく、だから病院生活の一線を劃して人生、全く明るくなったような気がしました。そしてあの病院生活は天の与えた恵みであったような気がします。本なども、浮世はなれて愛読でき、思索も深まり、そういう機会は自分の力ではものに出来ない、与えられたチャンスであったような気がします。ーー貴兄もチャンスを得たと思って、存分有効に時間をご使用なさるよう、祈っております。 

尾崎翠の件お知らせくださって有り難う存じました。 
彼女の生涯にとって、僕との事件は、唯一つの運命的な「何か」であったような気がして心が痛みます。あの事件の真相を知るものは、僕と彼女以外誰も知らない。林芙美子と十和田操が少しは知ってくれてる筈でした。あれ(ヤマザキ注:坂本氏が送った新聞記事)には「同せいしていたことから家人が上京して、二人の仲をさき」とあります。もし「同棲」といえるようなことがあったのなら、彼女にとって、どれほど倖せでしたでしょう。 

いづれ近いうち、真相を書いておくります。その義務が僕にはあるような気がします。ほんのかいつまんで申上げると、彼女はあの頃(昭和7年の夏と思います)ミグレニンという覚醒剤の常用と暑さがたたって、殆ど発狂に近いノイローゼに陥りました。僕と十和田君のとこへ「身辺に魔手を感じる。来て下さい」というハガキが突然来て、二人で愕いて、彼女の二階の下宿(中井駅付近)に行き、変りはてた彼女を目撃しました。その時、思いがけなく、僕への恋情が訴えられたのでした。僕はあのまま精神病院へ送りこんだら完全に発狂してしまう、彼女のおちいった窮地から救い出すには、僕が受けいれて、彼女に希望を与えること以外にないと信じ、十和田君にも語り、僕は当時大岡山のはづれの森の中の一軒家にすんでいたので、そこへ彼女を連れかえり、彼女はすっかり正常に返えり、少女のようにも喜々として、甦った様子でした。しかし、翌日、十和田君が訪ねて来た時、「コワイ!」と叫んで僕の背後にかくれたりする様子を見て、病気が治ったのでないことを知り、被害妄想がなかなか、とれない、それで芙美子さんにも相談してみたり、色々、僕も、彼女を助けたい一心で、心労しました。 

僕26才、彼女36才。でも彼女の才能を滅ぼさないためにも、僕は結婚に踏み切る覚悟もしていました。しかし、彼女の疑心暗鬼はなかなか解けないし、また、その病的状況の悪化した場合の危惧もあり、鳥取のお兄さんのところへ手紙を出し、上京してもらいました。お兄さんは、前途ある青年の将来のために、おまえは身を引くべきだというような言葉で、妹をさとし、思いやりの深そうなお兄さんは、これ以上、都会で苦斗をつづけるより、郷里へ帰って、静かに休んだほうがいいという意見で、彼女もすぐそれに納得したようで、大人しく兄に従ってその日のうちに東京駅から立つことに決まり、僕一人が駅へ送ってゆきましたが、無言でじっとうつむき加減に車内の人となった彼女は、発車と同時、いきなり窓から上半身をのり出すようにして情熱をこめた瞳で、別れの手を激しく振った―ーそれが一生の別れでした。わずか数日を共にしたのにすぎなかったのです。 

帰省後。二三度手紙が来たり、愛読した本を送ってくれたりしたが、いつしか、文通もとだえてしまって、数年後芙美子さんからあちらで会って来た話をきいたぐらいで、殆ど消息を絶ってしまいました。 

彼女の生涯を思うとき、僕がまだ思慮も浅く、またいろんな事情があって、彼女に幸福らしい幸福の、せめて甘い思い出になるような楽しい日々を与えることができなかったことが、いまだに心残りがしてならないのです。 

この事件は、スキャンダラスな形で、文壇では、僕が彼女を一時的にもてあそんで捨てたために、彼女はノイローゼになって帰郷したといった風な噂が立ち、僕はアゼンとしてしまいました。そんなこんなで、僕も文壇人とつき合うことが次第にいやになり、文学からも遠退く結果になってしまいました。彼女も再起する力添えを失い、地方で、淋しく、孤独に生涯を送ってしまったのでしょう。心が痛みます。僕は彼女の傷に触れまいとして、文通も怠っていたけれど、今にして思えば、何とか、せめて、彼女を励まして、小説を書かせるべく骨を折るべきだったと、くやまれるのです。 

彼女とのいきさつについては大木惇夫と中野秀人が出していた「エクリバン」という雑誌に「月光詩篇」という題で小説に書き綴ったことがあります。大木さんが凄くほめてくれた作品で、多分昭和十一年頃の作品と思います。紛失して、今は手元にありません。 

僕は、彼女のユーモアとリリシズムに富む作品の愛読者に、右のような事件の真相を語ることが、果していいことか、悪いことか判らなくなって来ました。それで、心が決ったら、改めて、もっと精密に彼女のことを記録してみたいと思います。 

この手紙は、活字にして下さいますな。走り書きですし、誤解を招きそうなところもあるので、公にしたくありません。 とりあえず右、御返辞まで、 どうぞ御身御大切に、 
                                     
                                       丈雄    
坂本様


ライターの眞美子さんに勧められて、ファイスブックに登録してみた。だけど何をやっていいのか分からない。やっとツイッターに慣れてきたところなのだ。
取りあえず近所の話を書いてみた。知り合いも少しずつ増えている。参考になるかと思って映画「ソーシャル・ネットワーク」も観たが、ほとんど参考にならなかった。
ツイーター同様に、ブログに転載してみる。ツイッターの転載はまことに不評で、あんな読み難いもの、誰も読まないと酷評された。

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昨年10月末の猪苗代湖

●1月26日
自室の近所に『肉そば』と大書した店ができた。蕎麦は好きだが『肉そば』という語感は食欲の湧くものではない。ある夜、酔っぱらって入った。山形県寒河江市のナントカという地域の名物で、鶏肉の入った冷たい汁で日本蕎麦を食べる。冬でも冷たい肉そばを食べるらしい。しかし店には温かい肉そばや、蕎麦をラーメンの麺にしたメニューもあった。厳寒の深夜なので、最初ネギがたっぷり盛られた温かい肉そばを食べたが、山椒入りラーメンがある事に気づき、引き続き食べる。酔いのなせる業だが、これが美味かった。(続く)

わたしは山椒の匂いがたまらなく好きで、確かに香りはするのだが、どこに入ってるか分からない。店を出る時に尋ねたら、山椒の実からオイルを抽出し、それを混ぜるのだとか。分からないのは店名で「フクロウ」を「鳥」偏に「笑」と勝手に作字している。二回目行った時に尋ねたら「フクロウは縁起のいい鳥で、なおかつ、いつでも笑って仕事をしたいから」という二重のモティーフで、手書きの漢字ができ上がったらしい。はなはだ理解し難い。
*十二社通り・熊野神社交差点そば。

Mamiko Iwasaki こないだ浜松の鰻屋でこの世のものとは思えないいい香りの山椒と遭遇しました。ひつまぶし食べ終わったあとにも、お茶に山椒かけて飲んでしまいました。人は、山椒だけでトリップできるということを初めてあの時知りました。
山崎 邦紀 山椒でトリップ! 的確なご指摘です。南会津の庭に山椒の木があり、また勝手に自生してくるのですね。時々葉っぱをちぎっては、じっと匂いを嗅いでいます。

●1月27日
 やはり近所の店の話。同じく熊野神社交差点近くに、キラー・カーンの立ち飲み屋がある。そう、あの大巨人、アンドレ・ザ・ジャイアントの脚を折った伝説のプロレスラーだ(といっても誰も知らないか)。ずいぶん以前、わたしが新井薬師に住んでいた頃、中井でスナックをやっていたのは知っている。日野繭子さんがバイトしていたらしい。(続く) 

中井のスナックには入ったことはなかったが、昨年立ち食いカレーか何かの店が改装され、いきなりキラー・カーンの似顔絵が登場したのには驚いた。思わず入ってホッピーを飲む。カウンターの向こうで夫婦かも知れない男女の人が接客し、奥のレジのところに巨体、キラー・カーンその人がいた! もしかしたら調理とレジを担当してるのかな。その辺は分からないが、伝説の人を遠目に見ながら飲む酒は楽しい。(続く)

キラー・カーンは「カンちゃん」の愛称で親しまれ、それで「カンちゃんの店」と言うらしい。確か大きなシリーズの優勝決定戦でホーガンかアンドレと闘ったのが、レスラー人生のハイライトだったと思う。レジに一番遠い場所にいたので、言葉を交わす機会はなかったが、楽しく酔っぱらった。後日通りかかると、若い世代の客と一緒に店の前で写真を撮ったり、サービスに務めていた。引退したプロレスラーには幸せな生活を送ってもらいたいと、心から願う。








DSC03178.JPG <10月末の猪苗代湖畔>
 
@fujirusi 「理由あり未亡人」って何だろうって思いました。改題作品ですね。教えてくれてありがとう。素人監督でうまく行ったり失敗したりを繰り返しています。振り返れば駄作の山、うず高く。
12月30日 

 @dropoutcowboys 福田恆存の「頑丈で綺麗な正攻法の論理」。なるほど。その一方で、盛んに論争しつつ自分の主張は遂に世に容れられないといった苦い認識が背中合わせ。そんな言葉の質感が時に心地好く、時に可笑しい。貴君に倣って正字正仮名(で良かった?)勉強してみようかな。
12月30日 

 @dropoutcowboys @gay_terms 勉強の成果は? 別件だけど貴君に啓発された福田恆存『私の國語教室』読み始めたよ。面白い。ついでに思春期に読んで感嘆した覚えのある『人間・この劇的なるもの』も本日購入。この歳になると保守派、守旧派と呼ばれるのは快感かも。
12月29日 

yurikoyoshiko 映画『百合子、ダスヴィダーニヤ』 
 浜野佐知組『百合子、ダスヴィダーニヤ』静岡ロケ報告(8)旧マッケンジー住宅にて、をアップしました。中條百合子の夫、荒木茂を演じる大杉漣さんオールアップの日です。 http://d.hatena.ne.jp/hamanosachi/20101227/1293425928
12月27日 

 早乙女ルイさんが「はばかり様」なんて、わたしの年代でも馴染みのないような台詞を言うのが、とても新鮮に感じた。最後のカラミの彼女のアップも素晴らしい。荷風的偏屈は荒木的偏屈と見事に重なるが、双方共に自己批判の契機がまったくないのはどうか?とも思うが、それを求める映画ではないだろう。
12月23日 

過去と現在の往復運動のツールが8ミリカメラ。永遠の映画青年荒木太郎の面目躍如だが、劇場や映画へのオマージュはいくらか余計に感じた。主人公が書くべき小説として、妻と愛人の間に挟まり予約した結婚式場に放火する実際にあった事件が挿入されるが、荒木くんと里見さんの芝居が可笑しい。
12月23日 

 昨日上野オークラで荒木太郎監督『癒しの遊女 濡れ舌の蜜』観る。自信作だけあって、とても面白かった。永井荷風「濹東綺譚」原作というが荒木太郎的(逆)ユートピアを荷風の世界に発見した趣。かつての情緒的世界と現在のヒリヒリするような孤独世界を自由に往来する荒木マジックに感服する。
12月23日 

キムカナさんのTwitterまとめ投稿で目が覚める。なぜか無性に嬉しい。奈良県警は工事現場事務所に盗み目的で侵入したとして無職野田容疑者(34)を逮捕、地下足袋100足などを押収した。「男性が履いた地下足袋のにおいが好きで約20カ所で盗んだ」と供述。袋に入れて保存していた。
12月18日 

 @yukisada ぼくも3時になったら寝よう。8時に起きなくちゃいけないんだ。
12月18日 

エロ業界は慎太郎や猪瀬に感謝状を贈るべきではないか。彼らの分かりやすい妄言によって、アングラ的表現の古典的な商品価値は高まる。本当にエロ業界を壊滅させる気なら、すべてオープンにしてしまえば良い。短期的な混乱はあるだろうが、世の中はヌーディスト・ビーチみたいになる。(本当か?)
12月18日 

慎太郎も猪瀬も典型的な役回りを典型的に演じていて可笑しい。こういう連中に差別、抑圧されるのがエロで、当該産業の従事者としては思わず胸を張ってしまう。
12月18日 

東武鬼怒川線の特急スペーシアが1日数本JR新宿に乗り入れている。番外地みたいな端っこのホームで発着するが、個人的にはこれが非常に便利。暮れ行く景色を眺めながら、南会津の温泉や植物も好きだが、ただ単に為すところなく茫然と移動しているのも好きだということを自覚する。
12月18日 

明日は『百合子、ダスヴィダーニヤ」の音付けラッシュ。明後日から3日間は浜野組ピンク。わたしの担当は脚本+現場スチール+飯炊き。『百合子〜」の仕上げ中だが、ピンクを強行するのはポスプロ費用の捻出もあってのことだろう。ギャラは払ってもらえるのだろうか。
12月18日 

「ノルウェイの森」。知人の大学の先生が論じているので、やむなく読んだことがあったが、胸の悪くなるような小説だった。顔を見たら首を絞めたくなるような主人公だった。とても映画観る気になれない。
12月18日 

西新宿に戻る。東京、人との距離が近過ぎる。タバコの臭いや人の臭いが鼻につく。近所の24時間やってるマルエツ・プチで好きな食材買って、自室でビール飲む。南会津では一大決心し、重装備でバイク乗って遠くのコンビニに行くが、新宿では裸足で下駄はいて行く。さすがにちょっと寒かった。
12月18日 

@printempshunsei 逆です。素子が湯浅芳子。佐保子が野上弥生子。部屋のなかが混乱していて「伸子」参照していませんが、素子の湯浅芳子は間違いありません。
12月17日 

 @dropoutcowboys 部屋の窓、開けてるからだよ。福岡、雪降ったらしいじゃない?
12月17日 

一人暮らしの老人にツイッターは向いてるのではないか。独り言を言う代わりにツイートする。同じ呟きでも、自分を客観的に見る契機がありそうだ。仮想対話の可能性だって出てくるし。
12月17日 

南会津に一人でいると殆ど誰とも喋らないが、共同浴場で温泉の湯を眺めながら、これまで一人脳内ツイッターしていたことに気づく。切れ切れの思いつき。それがネットに接続されたら、ついでに脳内シャッター切った眼球写真もアップされたら面白いような気がするが…とても人に見せられたもんじゃない。
12月17日 

明日、いや今日帰京。一人で食べるのにカレー作ったのは無謀だった。まだ鍋に半分残っている。午後のバスなので、帰る前にもう一度湯ノ花温泉の共同浴場に行こうかと思ったが、寝るのがこれからだから無理。ふとバイクで帰れないかと思ったが、あまりの寒さで全身がかじかみ無理。残念なことが多い。
12月17日 

@dropoutcowboys 冬に自室の窓開け放している男。変人の部類だね。
12月17日 

@dropoutcowboys ぼくは今でも好き。といっても『マーズ・アタック』あたりが最高潮かも。絵本『オイスターボーイの憂鬱な死」も好きだったけど、撮影現場の小道具に持って行って亡くしてしまった。函だけ残ってる。悲しい。
12月17日 

yurikoyoshiko 映画『百合子、ダスヴィダーニヤ』 
 浜野組『百合子、ダスヴィダーニヤ』静岡ロケ報告(7)洞口依子さん登場、をアップ。大正時代の着物がとてもよく似合う。百合子と芳子を引き合わせる先輩作家、野上弥生子役です。 http://d.hatena.ne.jp/hamanosachi/20101216/1292517071
12月17日 

 @dropoutcowboys 内容は相当忘れてるのですが、指摘されると記憶の彼方から立ち上がってくるものが…。ピーウィーの同志がいるとは思わなかった。『ビルとテッドの大冒険」とか『(同)地獄旅行」とか、呆れるぐらいバカバカしいものが好きなんです。
12月16日 

 @dropoutcowboys 部屋の窓、開けてるの!
12月16日 

自転車で思い出すのは『ピーウィーの大冒険」。ティム・バートンの長編デビュー作で、後に映画館でオナニーしたと逮捕されるピーウィー・ハーマンが主演。おかしな声上げて自転車に乗るピーウィーが最高に気持ちよい。あんまり好きでLDまで買ったが、プレイヤーが故障してもう見られない。
12月16日 

この郵便局員は徒歩だったのか? それとも車、バイク、自転車? アメリカの郵便局員に徒歩や自転車は考えにくいが、実際どうだったのだろう。彼はどこで裸になったのか? 家の前に車を止め、裸になって配達したのなら、あまり面白くない。裸で自転車に乗って快活に走る郵便局員を見たいな。
12月16日 

米ウィスコンシン州で郵便配達員の男(52)が女性に全裸で郵便物を届け逮捕された。「女性を元気づけたかっただけ」と供述。「ストレスがたまっている」ように見えた女性を励まそうと裸での配達を約束。笑顔だけを身にまとって女性を訪れた。逮捕後「愚かな行為だった」(AP)。愉快な人物がいる。
12月16日 

玄関から出て空を見たら、一日降った雪はやんでる。星が見えて明日は晴れるのか。また自転車で湯ノ花温泉の共同浴場に行こう。目の上の軒先に、小さなツララがいくつも下がっている。まじまじとツララ見たのは、いつ以来だろう。変なものだ。
12月16日 


いつの頃からか、忘年会、新年会の類いにまったく縁のない生活を送っている。人間関係を断ってるわけでもなく、まあまあ普通に(?)仕事もしてるはずだが、誘ってくれる組織も個人も皆無。人望のない、わたしの不人気ぶりが窺われるが、昨年暮れに珍しく一回だけ忘年会に誘われた。

誘ってくれたのは「出版業界最底辺編集者」の塩山芳明。彼の編集する『獣欲』という物凄い雑誌で、わたしは「ケダモノ名画座」という1Pコラムを連載している。エロ本ライターとして最後に残ったのが、この『獣欲』だと思うと、いささか感慨深い。

不定期刊なので、シオヤマが電話してくるのも年に2〜3回だが、南陀楼綾繁氏や畠中理恵子さんと忘年会やるから来ないか、と言ってきた。シオヤマに飲み会に誘われるとは、珍しいこともあるものだと参加を表明する。

シオヤマの最初の著書は『嫌われ者の記』。これを南陀楼氏が編集し『出版業界最底辺日記〜エロ漫画編集者「嫌われ者の記」』(ちくま文庫)として再刊された。
自他ともに認める嫌われ者だけが、わたしを誘ってくれる。う〜む。

で、当日、何にも知らないで行ったら、ただの忘年会ではなかった。飲んだ後「不忍ブックストリーム」というネットTVの座談会を行うというのだ。南陀楼氏が司会で、畠中さんとシオヤマが喋るらしい。面白そうなので、わたしもついて行った。
 
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場所は、近くのマンションの一室。なるほどネットTVの収録はこんな風にやるのかと、実に興味深いものだった。今、何人がこの番組にパソコンをつないでいるか、視聴者の人数までカウントできるのだという。ピンク映画なんていう旧時代の遺物にかかずらっているわたしには、お茶の間SFといった印象。

鼎談の内容は、わたしも酔っていたのでほとんど忘れているが、シオヤマなりのサービス精神なのだろう、期待される嫌われ者を演ずるべく、顰蹙を買うような差別用語や実名批判を繰り出しているうちは、そんなに無理しないでもいいのに、と思った。

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ところが、お勧め本の話題になって、興に乗って喋ること、喋ること。愉悦の表情を浮かべて喋りまくる。で、彼のお勧め本はディケンズとゴンチャロフで、まあ世界の文豪としてディケンズの名前ぐらいは知っているが、ゴンチャロフっていったい誰だ?

現代の読者がほとんど読んでないような本を、反時代的に(?)取り上げ、ことさらに吹聴するのは、いかにもシオヤマらしいが、実際誰も読んでないのだから、ご意見拝聴だけとなる。

異議や疑問を挟まれることなく、自分しか読んでない本について、延々と楽しそうに喋り続ける男、というのも珍しいのではないか。後日談によれば、酔っ払っていて、本人は覚えていないというのだが、多分トボケているのだろう。

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毎月呆れるぐらいの量の本を読んでいるらしいが、それも一箱古本市で副収入を得ることにつながっている。たえず実利を伴うところが、これもシオヤマらしい。

しかし、彼は昔の彼ならず。わたしはこの日の午後、上野オークラで荒木太郎くんの永井荷風原作のピンク映画を見て、そこから飲み会が行われる根津に歩いて行った。小学校時代、叔母が根津に住んでいたので、うろ覚えの土地勘はある。

シオヤマは、わたしが電車賃がなくて上野から歩いてきたと思ったらしい。飲み会の会費を集める段になって、金はあるのかと心配してくれた。30年近い付き合いのはずだが、かつてこれほど厭味な人間がこの世にあるのかと驚嘆した人物も、老境が近づいてくると、時に親切な表情を見せるようになる。年を取るということは、悪いことばかりではないのだろう。

*追記
不忍ブックストリ−ム第4回「大忘年会」は、以下で見ることができます。
http://www.ustream.tv/recorded/11579616

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ツイッター始めたら、mixiもブログもさっぱり書かなくなってしまった。多くの人が似た傾向にあるようだ。時間とともに流れて行くツイッターだが、まとめて見ることもできる。
やはり多くの人がやっているように、わたしもツイッターでブツブツ呟いたことを、ブログにまとめておこう。コピーしてみたら、これを読むのは相当つらい。時系列が逆向きだ。
しかし、実際にツイッターを眺める場合も、時系列を遡って読んで行くので、まあツイッター方式ということにしておこう。
福岡の『百合祭』上映までアップしているので、12月の前半をまとめてみた。ツイッターやってる人には馴染みだろうけれど、頭に@が付いているのは、その人とのやり取りの中で書かれた、その人向けの呟きです。

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<南会津のわたしの部屋(二階)から見える街灯>

大澤本の本筋から逸れるが、窃視に関する記述は、三浦俊彦氏の大部な奇書『のぞき学原論』(三五館)を思い起こさせる。あんな変な本は見たことがない。どこかの大学教授の職を失わなかったのが不思議なくらい。『戦争論理学〜あの原爆投下を考える62問』(二見書房)も面白いのだが読みさしたまま。
12月15日 

「神が、宇宙に対する窃視者だということを意味するだろう」「窃視者の欲望は、常識とはまったく逆に、むしろ他者に見られることの内にこそあるのだ。もう少し、繊細に言い換えれば、壁の小さな穴から覗き見るということは、他者のこちらへのまなざしを挑発する行為なのだ。見られるものなら見てみよ」
12月15日 

花田を読んでると何度も量子力学の画期性について触れているが、こっちに基礎知識がないうえ、これから勉強しようという気もないので、何となく憶測するだけだった。この大澤本でアウトラインが、いくらか分かって来た気がする。もちろん量子力学が分かるわけではなく、社会的な変動の諸表現が。
12月15日 

「ケプラーが惑星の軌道として『楕円』を、つまり中心を二つ有する軌道を見出したとき、円の呪縛は、やっと解けるのだ。それは<他者>をめぐる新しい感覚の登場でもあったはずだ」(大澤真幸『量子の社会哲学〜革命は過去を救うと猫が言う』)とても面白い。花田清輝の「楕円の思想」もここから来た。
12月15日 

ミッキーさん、続いて22日と23日、名古屋でライブがあるとか。ここでも『百合祭』DVD置いてくれると。映画の撮影や落語なども多く、まったく驚異的な活躍ぶり。先日中目黒で『百合祭』の上映会があり、改めて「三好さん論」を書いてみたいと思ったばかり。ミッキーさん演じるC調爺さんだ。
12月15日 

ミッキー・カーチスさんが『百合祭』のDVDを販売コーナーに置いても良いと言ってくれた東京會舘のディナーショーは、これだった。ミッキーさんの作品への愛情に感謝。http://www.kaikan.co.jp/event/dinnershow_101220.html
12月15日 

Wi-Fiの便利さ知ったのは、この合宿の際。けっこう多くのスタッフがパソコン持って来たが、みんなでこのWi-Fiの電波を利用した。同じ宿舎内でも部屋が離れると届かない。広間でわいわい言いながらパソコン使っているのは楽しかった。体力、気力に余裕のある最初のうちだけだったけど。
12月15日 

雪が降るとドコモのWi-Fiが時々途切れるようだ。村のケーブルTVのネット契約を打ち切ったのは早計だったか。『百合子〜』ロケの時に当初ソフトバンクのWi-Fi買ったが、島田市郊外の宿舎では電波が届かないことが判明。慌ててドコモと契約した。幸いソフトバンクの解約はスムーズだった。
12月15日 

MICKEYCURTIS ミッキー•カーチス 
あぁーやっとDVD発売!?! 八年ぐらい前に撮った浜野佐知監督の 「百合祭」旦々舎からやっと発売に なった(^。^)世界中でいろんな賞をもらってるのに日本の映画館には かからなかったのは残念!早すぎた? 年寄りの性の話しだからねぇー(^。^) 是非観てぇー名女優達囲まれて最高!
12月15日 

南会津は予報通り朝から雪が降り続く。昨日バイクに乗って良かった。今日は自転車で、わたしのホームグラウンド湯ノ花温泉の共同浴場、湯端の湯に行こう。南会津に来る直前に頭を剃ったのは失敗だった。東京の冷気なら頭に染みて心地よいが、南会津の冷気は頭痛に近い。時々タオルをかぶっている。
12月15日 

@tukinomichi 山椒漬けに使うニシンはからからに乾いたもの。海から遠い山村僻地の料理です。似た会津名物に棒タラ煮があります。生っぽいニシンは「かどイワシ」と呼ばれ、秩父の古老が「かどは口に入れてビリリと来る(腐敗が近い)ものでないと食べた気がしない」と語っていました。
12月15日 

というのは一鍋料理と称し、作るのも洗うのも簡単で食材も数多く摂取できるメニューを試みていたからだ。鍋で作り食べて洗うのが一番合理的と思われた。しかし吉沢さんが指摘したように人の目をまるで意識しなくなった生活には問題があるだろう。未だにわたしは一鍋料理のバリエーションでしかないが。
12月15日 

かつて『ニュー・フェミニスト・レビュー』という雑誌があり、何冊か興味ある特集を買ったが、どんな刺激的なエッセイや論文より、料理研究家の吉沢久子さんが「どんなに年をとっても鍋から直接食べることはやめましょうね」と書いていたのが、しみじみ身に沁みて未だに脳裏に刻まれている。
12月15日 

いくらか酔ってカレー作り。東京の自室でカレー作ることなどないが、南会津に来ると定番。今回は一人だが、寒くなる前は老父が同行することが多く、カレーいっぱい作って献立考える手間を減らす。一人で食べると洗うべき食器は最小限だが、二人になると2倍ではなく、3倍4倍になるのが不思議だ。
12月15日 

魚や肉は冷凍が多く、解凍されたものが見本みたいに並んでいる。ニシンの山椒漬けがパックになって売られていたのは嬉しかった。会津地方の特産品だ。帰りはまた霧雨になって、前輪のブレーキをかけようとしても指先が強ばってしまうぐらい寒かったが、ビール飲みながら食べるニシンの味は格別。
12月15日 

「笑う納豆」ネーミンがいいでしょう? わたしの育った会津若松のメーカーだ。本日期限切れだが、わたしは納豆のプロなので2個買って40円(本来240円)。若干高級な卵も240円が120円。これも加熱すれば問題ない。東京のスーパーでは本日期限切れなんて見たことがない。
12月15日 

多少無理してバイクで出かけたのは、檜枝岐には温泉以外に農協経営のスーパーがあるため。南会津町に合併した幾つもの村に比べて、檜枝岐はダム収入や観光収入があって経済的に豊からしい。農協スーパーで期限切れに近い食品が驚異的な値段で売られているのにビックリ。「笑う納豆」120円が20円!
12月15日 

桧枝岐村の日帰り温泉「燧(ひうち)の湯」は素晴らしい。広々して深めの浴槽は、ぷんと硫黄の匂いがして、露天風呂も源泉掛け流し。洗い場もシンプルだが充実している。霧雨のなかスーパーカブで旧舘岩村からミニ・ツーリング。檜枝岐に着いたら陽が射して来た。冬の陽を受け幸せな温泉体験500円。
12月15日 

@tatsuya_okayama 吉本教祖の威光もそうとう低下してるので、花田吉本論争自体、もう忘れられているのでは? 結論のないような、あるいは最初から結論があるような話を、二転三転しながら延々と辿って行く愉しみは、今の時代に合わないのだと思います。いつまでも読んでいたい!
12月14日 

 @tatsuya_okayama わたしはtatsuyaさんと出口氏の中間の年代ですが今でも花田ファンです。ちゃんと読み始めたのは亡くなってからで、再評価の掛け声も空しく、どんどん読者は減り、地方にいくと花田読者は一県に一人という笑い話もあります(図書館の貸出票で調べた人がいる)
12月13日 

 @tatsuya_okayama 「身につまされ感」というのは絶妙ですね。わたしはロカンタンに鬱陶しがられている、野暮ったい独学者の一挙手一投足に、どうも身につまされるものが。
12月13日 

 @tatsuya_okayama 思い出したわたしでさえ「進歩的」「進歩派」という言葉が確かに実在したのか検索してしまいました。今ではギャグですが当時自分から「わたしは進歩派で」なんて言ってたんだろうか。いたんでしょうね。生まれた南会津に時々戻ってくるわたしは退歩派です。
12月13日 

 @printempshunsei やっぱりカブなのですか。「被害軽微」でよかったですね。車の事故にはあんまり同情しないのですが、バイクの事故には胸が痛みます。南会津は冷たい雨が降っていて、路肩には残雪もあり、どうもわたしのスーパーカブ110は春まで出番がなさそうです。残念!
12月13日 

 @tatsuya_okayama 二人の関係が実際どうだったか興味深いですが、わたしは何も知りません。晩年のボーヴォワールが若きフェミニストと交わした討論(インタビュー?)を読んだことがあるような気がするのですが、忘れました。今は「嘔吐」を読んでいれば、それで十分なような気が。
12月13日 

 @tatsuya_okayama 「フェミ的論難」と書いたわたしが不正確でした。仏人と結婚した女医さんでしたが、サルトル&ボーヴォワールのパートナーシップが結局男に都合がいいものだったと憤っていたので、つい「フェミ的」としたので、怒りの根拠を深く伺ったわけではありません。
12月13日 

 @tatsuya_okayama 「古風」には唸りました。今では信じられないことですが、進歩派とか進歩的知識人といった言葉が大手を振って流通した時代があり、進歩的カップルとして尊崇されたのがサルトル・ボーヴォワールだったような気がします。進歩派も今や「古風」な退歩派?
12月13日 

本日から南会津。今週いっぱいのつもりだったが、土曜に2件用事が入り、やむなく金曜帰京の予定。雪に埋もれる前にスーパーカブの500キロ点検したいが、販売店は峠を越えた向こうの町。雪が降っていたら来春になる。カブで定期点検なんて笑う人もあるだろうが、わたしはマジだ。
12月13日 

 @tatsuya_okayama 単純にサルトルの愛人問題でした。「自立的」な二人の関係が、もっとも「進歩的な」男女の関係だと思われた一時期が、日本にあったと思います。今では二人の性的なコネクションがずいぶん明らかになって、そんな一義的な批判は成立しないようですが。
12月13日 

 @tatsuya_okayama パリ在住の日本人女性がサルトルをフェミ的に論難したのは、ボーヴォワールとの関係が理想的な男女関係と思われたひとつの時代、ひとつの世代の反映、残照だろうと思われます。社会全体から言えば、むしろ少数派ではないでしょうか。
12月13日 

 @tatsuya_okayama わたしの高校時代にサルトルは最後の全盛時代だったので、かなりの年齢差がうかがわれます。近年パリ在住のインテリ女性(日本人)が口をきわめてサルトルを罵るのでビックリ。フェミ的に偽善者ということらしい。「嘔吐」は孤独な小人物たちが可笑しくて好きです。
12月11日 

 @dropoutcowboys 誰に対しても「愛してる」などと言ったことのない旧弊な自分。映画愛だとか本への愛だとか無媒介で言われるとあまりに平和すぎて、映画への憎悪、本への憎悪はないのかと言いたくなる。あ、方解石への愛だとか、イルカのリック・オバリーへの愛なら言えるかも。
12月11日 

 @dropoutcowboys 変な先入観植え付けたようで失敬しました。この手のフレーズは不意に現れてこそ。浜野監督作が主目的などといわず、荒木組の新作(地方では)を楽しんでください。文句を言ってるのは、わたしぐらいらしいので。
12月11日 

yurikoyoshiko 映画『百合子、ダスヴィダーニヤ』 
浜野組『百合子、ダスヴィダーニヤ』静岡ロケ報告(6)沼津倶楽部にて、をアップ。沼津市の高級宿泊施設+レストランです。数寄屋造りは大正時代に旧ミツワ石鹸の創業者が建てたもの。 http://d.hatena.ne.jp/hamanosachi/20101211/1292035199
12月11日 

映画を愛する、本を愛する、こういう台詞に死ぬほどむかつくのは何故だろう。普通に映画も本も好きだけど。
12月11日 

 @tatsuya_okayama えっ? ロカンタン気取り? 明らかに今どき、まったく流行らないけど、わたしの「嘔吐」好きは、そのせい?
12月11日 

@dropoutcowboys  申し訳ない。間違えた。「映画の力を信じる人へ」でした。タイトルは『義父相姦 半熟乳むさぼる」。急に思い出したけど「入り口はエロ、出口は感動」という台詞もありました。ヌケヌケとやるのが荒木監督ですが、わたしは映画の力を信じないし、出口はマンガです。
12月11日 

@o_tsuka ちょっと霧がかかったような、煙幕張ったようなレンズはありますか? あっても買わないけど。
12月10日 

眼鏡をかけて驚いた。すべてが近くに見え、みんな生々しい。会津高原駅の食堂の3種合体麺を、眼鏡をかけて食べようとした。食物の生々しさが眼前に迫って来て、人の生存はこれによって成り立っているのかと逃げ腰の気持ちになる。ちょっと距離を置きボンヤリ見えるぐらいが良いのかも。
12月10日 

2年ぶりに頭剃る。以前は冬になると剃っていた。冷気が頭に沁み入って心地よい。改めて自らの顔面と対峙し、剥き出しでゲンナリする。何かカバーするものが必要だ。そうだ、眼鏡! 最近何か読むのに眼鏡が手放せないが、遠近両用になかなか慣れない。時々メマイする。これに慣れるしかない?
12月10日 

「女哲学者テレーズ」の台詞をぱらぱら眺めたら、拙作の参考になりそうなフレーズが各所にー。まあ次回作いつのことやら分からないが、前回広げ過ぎて失敗した風呂敷すぼめ、実力応分につつましく再出発しようと、深夜飲みながらの自省。(気づけば前作は公開前。忘れて頂戴)
12月10日 

荷風作とされる「四畳半・襖の下張り」もかつて読んだが、面白いとは思わなかった。それより今日買った同じく作者不詳の好色本「女哲学者テレーズ」の方が、よほどそそられる。たった一度「嘔吐」に触れたら人文書院がフォローしてくれて、同社のツイートで知ったもの。18世紀フランスの地下小説だ。
12月10日 

やむなく荒木組「癒しの遊女 濡れ舌の蜜」上野オークラに観に行くつもりだが、どうもわたしはノスタルジックな下町情緒が苦手なのだ。わたしの場合、荒木監督作品の好悪がはっきり別れる。足立区のガソリンスタンドには感銘受けたが、映画を愛する人たちへ、では本人捕まえ何時間も苦情を言った。
12月10日 

先日荒木太郎監督から電話があり、永井荷風「墨東綺譚」を原作にした映画が17日(金)から上野オークラでかかるので観てくれと言う。「癒しの遊女 濡れ舌の蜜」という作品。よほど自信があるのか、何か変な感想をわたしに言わせたいのか。残念ながら荷風も「濹東綺譚」も読んだことがない。
12月10日 

いよいよ今回のデジタルリマスター版から抜け落ちたらしい「サンタ・サングレ」を観なければー。好きだったはずの「ホーリー・マウンテン」では拍子抜けしたが、難解風だった「エル・トポ」では大満足。何十年か前にビデオで観た記憶は、あまりに当てにならない。
12月10日 

「お前は自己発見のためにガンを撃つが、俺は自己放棄(だったかな?)のためにガンを撃つ。お前に勝てるわけがない」(非常に不正確な引用)といった迷台詞に彩られているが、自分が存在しないことを証明するために自分で自分の腹を撃って死んでしまう老師に至っては、どっからもって来たのか?
12月10日 

東洋哲学風のイカレタ問答は「ホーリー・マウンテン」と同様だが、簡潔で繰り返しがなく、えらく気持ちいい。エル・トポが対決し、騙し討ちを食わせる、彼より優れた4人のガンマン=預言者が魅力的だ。チリ生まれのロシア人であるホドロフスキー、南米にこの種の宗教的モデルはあったのか?
12月10日 

冒頭でエル・トポと馬で沙漠を旅している裸の子供の股間にモザイク。てっきり女の子だと思ったおかげで、全体を誤解してしまったじゃないか。これは配給会社が映倫相手に闘えるケースだと思われるが、どうだろうか。最後に出てくるエル・トポJr.を、わたしは若き日のエル・トポと解してしまった。
12月10日 

先日渋谷で観た「ホーリー・マウンテン」に続き新宿で「エル・トポ」観る。渋谷では3〜4人だったのが、今夜のK's cinemaは30〜40人の老若男女がつめかけビックリ。新宿のせいか「エル・トポ」のせいか? 非常に愉しい映画だった。何十年も前にビデオで見ているのだが、実に新鮮。
12月10日 

@MICKEYCURTIS ご無沙汰しています。『百合祭』DVD、浜野組『百合子、ダスヴィダーニヤ』が製作に入る前やっと出来ました。すみません。急ぎお送りします。先日中目黒で『百合祭』上映会ありました。古くならない映画ですね。改めて「三好さん」論を書いてみたいと思いました。


これだけ手間暇かけた上映会は類い稀であろうと、わたしには思われた『こほろぎ嬢』上映会が、11月23日、福岡市で開かれた。
福岡映画サークル協議会の野田春生さんから打診を受けたのは、今年の初めだったろうか。サークル協議会のイベントとしてではなく、野田さん個人と所属するクリスティ・サークルが中心となって福岡で『こほろぎ嬢』を上映したいと言うのだ。
 
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<会場の唐人町プラザ甘棠館(かんとうかん)。二階右手がshow劇場。>

実は『こほろぎ嬢』完成直後から、以前『百合祭』を上映してくれた福岡映画サークル協議会に上映会を企画してくれるよう依頼し、事務所で関係者試写なども行った。しかし、『百合祭』と違って『こほろぎ嬢』は、内容的に映画サークル協議会の上映会で取り上げるには難しそうな感触はあった。
間もなく隣県の熊本市で、熊本大学の先生方と男女共同参画センターがからんだ大掛かりな『こほろぎ嬢』上映会が行われ、野田さんを含む福岡映画サークル協議会の旧知の友人たちが、大挙して長距離バスで駆けつけてくれた。
その日の最終のバスで帰る人もあれば、一泊して帰る人もある。わたしは遅くまで一緒に飲みながら、おそらく福岡での組織的な上映は無理なんだろうなと推測した。
そんな状況下で、個人負担で熊本まで来てくれた彼らに対し、わたしには珍しく「友情」みたいなものを感じた。わたしの彼らに対する「友情」であり、彼らの浜野監督やわたしに対する「友情」でもある。
熊本の一夜はわたしに忘れ難い印象を残した。

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<上映後に行われるジャズ演奏のリハーサルの準備。右端が野田氏>

福岡映画サークル協議会の有志が、熊本まで遠征してくれたことで「もう充分」と思っていたわたしだったが、今年初めに野田さんから『こほろぎ嬢』福岡上映会のプランを打ち明けられた。
有難いことだが、費用がかかることであり、クリスティ・サークル主催といっても実質的には個人負担になるのだろう。わたしは懸念しながらも、浜野監督作品の一般映画三作のうちで、不遇な『こほろぎ嬢』をもっとも偏愛するものであり、野田さんの申し出に「義侠心」のようなものを感じて、旦々舎に話をつないだ。
そこから野田さんの超人的な活動が始まった。『こほろぎ嬢』を福岡で見せるためには、尾崎翠を理解する必要があるとして、一方で『こほろぎ嬢通信』をコピーなどで出し、もう一方で読書会、講師を迎えての勉強会などを始めたのだ。ウィリアム・シャープとフィオナ・マクロードを探してスコットランドまで行った久留米大学の狩野啓子教授にも来てもらっている。
わたしがもっともビックリしたのは『第七官界彷徨ー尾崎翠を探して』と『こほろぎ嬢』の2本の映画の台詞を、野田さんが自分ですべて書き起こしたことだ。ここまでやるかね、とわたしは思った。

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<客席は段差の付いた椅子席から平場の座布団席まで100人ぐらい入るのだろうか>

野田さんの努力は、観客を増やそうとする努力ではない。尾崎翠や『こほろぎ嬢』に対する理解を広めようとする努力だ。メールや印刷物を通じての『こほろぎ嬢通信』は、なんと第25号(!)まで行ったとか。
当日のトークで、浜野監督が「今日の客席からは、ここぞと思うところでクスクス笑いが起きて、監督としてこんなに幸せだったことはない」と語っていたが、それも1年間に近い野田さんの尾崎翠作品を掘り下げる活動があってのことだったろう。
そんな背景もあって、わたしはトークで喋り過ぎ、まとまらない、結論のない話をダラダラしてしまって、皆さんの失笑を買った。どうもわたしの感謝の念はいつも空回りし、ろくな結果にならないことが多いようだ。(そのくせ反省しないんだけど)

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(福岡映画サークル協議会・るき乃さん撮影)

野田さんがわたしのまとまらない話についてコメントしてくれたうえ、るき乃さん撮影の写真を送ってくれたので、トーク中の写真を追加。
そう、フィオナ・マクロードとウィリアム・シャープについて話している時に「ドッペルゲンガー」という言葉が出てこない。それで連想ゲームみたいに「ポーの短編にあった…」と言ったら、客席からすかさず「ウィリアム・ウィルソン」の声。そこで「実在しない、もう一人の自分は?」と尋ねたら「ドッペルゲンガー」と即答された。脱帽。
トークの後に、福岡映画サークル協議会の掲示板で、わたしのディスカッション相手だったマグリット氏から「言葉が出てこないのは、やはり年のせい?」みたいなことを言われてしまった。また、藤野さんという女性会員は、浜野監督に「(ヤマザキのトークは)お酒を飲ませないとダメかな」と評したとか。すべてご指摘の通りだが、何となく無念でもある。

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<トークの後のジャズ演奏は、映画音楽にちなんだ曲も取り上げ、喝采を博した>

餃子屋さんで行われた打上げには、マグリット氏をはじめ熊本以来の面々や、福田恆存の文体でピンク映画批評を書く異才dropout cowboys氏、それにピンク映画の注視者である駱駝夫妻や若い女性なども参加し、とても楽しい会となった。
この歳になると、どこに行っても場違いな気がして落ち着かないわたしだったが、久しぶりに親密な空気のなかで酒を飲んだ。飲み過ぎて、二次会のことをまったく覚えていない。
ようやく記憶を取り戻すのは、野田さんたちと一緒に泊まるカプセルホテル近くの喫茶店(?)で、ジュースかなにか飲んでるあたりから。
当初、わたしは野田さんのお宅に泊めて頂くことになっていたのだが、どうせなら寝る直前まで飲んでいようと、中州のカプセルでみんなで泊まることになった。みんなといっても、最終的には野田さん、宮崎さん、わたしの3人だったが。

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<これはおそらく二次会の後の写真と思われるが、わたしの記憶がアヤシイ>

何十年か前、カプセルホテルが東京に出現した頃、興味半分で一度泊まっただけだったが、中州のカプセルホテルにはすっかり感服した。大浴場にはタイプの異なる大きな浴槽が二つと水風呂、これもタイプの異なる広めのサウナが2種あって、解放感があふれている。
また、カプセルがずらりと並んだカプセルルームは、まるで宇宙船の内部みたい。カプセル内も清潔で機能的だ。わたしは心地よく寝入った。
酔ったおかげで、わたしは朝早めに目が覚め、もう一度大浴場でサウナと浴槽を行き来し、その後レストランで朝食を食べた。納豆の大きめを頼んだら、どんぶり一杯の納豆が出て来たのには仰天したが、大いに満足して朝食を終える。
そんなことを一人でやってるうちに、野田さんたちはチェックアウトしたので、ご挨拶できなかった。改めてここで言おう。
野田さんをはじめとする福岡の皆さん、どうもありがとうございました。次は『百合子、ダスヴィダーニヤ』が控えています。よろしくお願いします。
わたしはすっかりカプセルファンになって、福岡・中州の午前の街に歩き出した。


 「病膏肓に入る」は、てっきり「やまい、こうもうにいる」だと思っていたら「やまい、こうこうにいる」の誤読だという。そういえば、ずいぶん以前、そんな指摘を読んだことがあったが、すっかり忘れていた。
「膏肓」というのは、体の奥深いところ、という意味があるらしい。それならわたしの南会津・地元温泉めぐりにはピッタリではないか。

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鄙びた、というか寂れたというか、橋の正面にあるのがわたしのホームグラウンド、湯ノ花温泉の共同浴場「湯端の湯」。この温泉には四つの共同浴場があり、200円の入浴券を買えば、何カ所でもハシゴOKという大盤振る舞いだ。
といっても、最近増えている日帰り温泉を期待してもらっては困る。4カ所の中には、熱い湯はあっても、水道がぽたぽた垂れるだけの「天神の湯」などもあり、いずれもそれほど大きな湯船ではない。

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「湯端の湯」の裏山右手にあるのが温泉神社。この共同浴場は男女の別以外に、地元部落のための浴槽がもう一つある。男湯の場合、上がり湯(温泉)と水(沢の水)の蛇口が一つずつしかないが、この源泉を引いている「弘法の湯」はお湯と水(水道)の出る蛇口が二つある。ロッカーもあって、一般的には使いやすい。
わたしは普段、民宿のお客などが入りにくる夕方過ぎの時間帯を避け、4時頃からのんびり湯に浸かっているのだが、先週の土曜日だけ植物の雪囲いをしていて遅れてしまった。すると「湯端の湯」は着替えして帰ろうとしている人が3人、浴槽に4人いて、もう満杯状態。
そこで、あまり外部の人が来ない、湯ノ岐川の渓流に降りたところにある「石湯」に向かった。ここは狭い混浴で、大きな岩の間から熱い温泉が湧き出す。上がり湯はないが、水道はある。しかし、どういうことだろう、すでに3人の男性客が入っていて、もういっぱい。
こんな日がなければ、わが湯ノ花温泉の未来もないだろうと自らを慰め、今度は橋のたもとを降りたところにある小さな「天神の湯」に向かった。ここも混浴だが、鍵がかかるようになっていて、地元の老婦人が入っていることが多い。わたしが行ったら、ちょうど老婦が出るところだった。
不審がられて、どこから来たのか聞かれる。実はここで生まれたのだというと、目を丸くされたが、名乗ったらわたしの父母を知っていて、和やかな会話となった。
「天神の湯」もまた、そうとう熱い温泉だが、いつからか水が出ないままになっていて、蛇口から滴り落ちるのを洗面器に溜めている。上がり湯も水もない原初的な温泉だが、わたしは一工夫してパイプから流れ出るお湯を二つの洗面器に入れ、それを自然に冷ますことにした。それでも熱いので、水の洗面器からちょっと加えて、頭と顔を洗った。
そのうち民宿の客らしき男性3人が入って来たら、もう湯船に入りきれない。わざわざこのお湯に入りにくる通のお客もいるのだと感心する。彼らは体を流さず、温まったら帰って行った。引き続き一人で入っていたら、やはり地元の老婦人がやってきて、後どれぐらい入っているか、詰問調で聞かれる。ちょうど出ようとしているところだったので、ちょっと待ってもらったが、入れ替わりの時に、やはりどこから来たのか尋ねられる。ここでも父母の話をして、和やかな別れとなった。

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湯ノ花温泉より、さらに秘境の温泉として知られるのが、山を越えたところにある木賊(とくさ)温泉。ここには2カ所の共同浴場があり、上のバラックみたいな「岩風呂」が千年ぐらいの歴史があるらしい。
つげ義春の漫画に出て来た、というウロ覚えの紹介を受け売りして来た。が、今回検索してみたら、昭和の頃の、茅葺き屋根の木賊温泉風景が一枚スケッチされているだけ。マンガ「会津の釣り宿」には最後に「これから木賊温泉に向かう」とのみ記されているとか。有名な「二岐渓谷」は、同じ福島県でも天栄村だ。
しかし、この硫黄の匂いがぷんぷんする「岩風呂」は、いかにもつげさん好みという佇まい。渓流の河原につながった岩風呂と、浴槽に面した着替え棚があるだけで、内からも外からも丸見え。一応混浴だが、女の人は入りにくいだろう。
水も上がり湯もない。何度も大水に流され、その度に再建されて来たとか。頭を洗うには上がり湯の欲しいわたしだが、ここのお客たちは湯治客みたいに何度もお湯に浸かるだけで、あまり体を洗ったりしないようだ。
木賊温泉には、もう一つ共同浴場「広瀬の湯」があり、こちらは男女別で上がり湯もある。わたしはまず硫黄の匂いがぷんぷんする「岩風呂」に入り、熱くなった体を渓流に面した岩のうえに出て冷ますことを何度か繰り返した後、「広瀬の湯」にハシゴして体を洗う作戦を立てた。岩風呂200円、広瀬の湯300円。よくある日帰り温泉500円と見合うではないか。
浴場から河原に出たところにある大きな岩の上に裸で座っていると、空気は冷たいが火照った体に気持ちいい。向こうの旅館から丸見えだが、こういう状況ではまるで気にならない。

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これが共同浴場「広瀬の湯」。男女別で、水は出ないが硫黄臭い温泉のお湯が蛇口から出てくる。浴槽は広く、お湯は「岩風呂」よりぬるめだが、とても穏やかで気持ちがよい。熱い温泉が好きなわたしには珍しく、心地よく思われた。

これから一眠りした後、帰京するが、10日間の滞在中、9日温泉に行った。メインの「湯端の湯」以外に、同じ湯ノ花温泉の「天神の湯」、木賊温泉の「岩風呂」と「広瀬の湯」、そして時間が遅くなったので写真が撮れなかった桧枝岐村の「燧(ひうち)の湯」。
ここは立派な日帰り温泉の施設ながら、源泉掛け流しの室内風呂と露天風呂がある。お湯も水も出て500円。高台にあり、露天風呂の目の前には会津駒ヶ岳(多分)が聳えるという絶好のロケーションだ。
今回は入れなかったが、桧枝岐村にはもう一つ「駒の湯」(500円)という共同浴場、さらに「アルザ尾瀬の郷」という温水プールも備えた総合温泉施設(入浴だけなら割引値段の500円)もあるが、源泉掛け流しは「燧の湯」だけのようだ。
しかし「アルザ尾瀬の郷」の、白樺の林に続く広い露天風呂は非常に気持ちがよい。どうもわが旧舘岩村より、桧枝岐村はそうとうリッチなようだ。農協のスーパーもあって、わたしは今回、老父と自分の二人分の食事を作るため、肉や卵を仕入れて来た。バイクの荷台のボックスに卵を入れたら、2個ほど殻が小さく割れていたのは失敗だったが。