2017/05

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 ドライ・オルガスムス、あるいはエネマグラという言葉をご存知でしょうか。ドライ・オルガスムスというのは、男性にとって、射精なき絶頂、つまり女性のような持続的なオルガスムスのことを指し、それをもたらすのがエネマグラという不思議な器具なのです。
 なんだか怪しげな通販広告みたいなことを言い出したぞ、と思われた方もあるでしょう。わたしもまったく知りませんでしたが、先日撮影し、目下仕上げを行っている薔薇族映画(専門館で上映されるピンク・ゲイムービー)に協力してくれた大阪の薬局が日本で発売している、アメリカで開発された医療製品なのです。
 わたしは今回の作品で、コンドームを大量に使いたいと思い、メーカーのホームページに打診してみました。まあ、大量といってもたかが知れていますが、わたしたちの予算では10箱買うのも結構キツイのです。また、封切に合わせた舞台挨拶で、入場者にコンドームをプレゼントしたいと思い、それでコンドームメーカーに百箱程度提供してもらえないか掛け合いました。
 無視されたメーカー、ゲイのHIV対策に万全という保証はないので、映画の中でエイズを防ぐという使われ方をするのは困るが、舞台挨拶に製品を提供するのは構わないというメーカーなど、反応はまちまちでしたが、中に自社では協力できないが、大阪の取引先の薬局がゲイ向けに積極的に取り組んでいる、といって紹介してくれたのが、枚方市の光漢堂・三牧ファミリー薬局でした。
 これが実にユニークな薬局で、インターネットでも手広く薬品を販売しているのですが、その一方でメーカーとタイアップし、HIV対策を施したコンドームの新製品を開発しているというのです。当初はアナルセックス用のコンドームを目指したというのですから、すごい着眼ですが、最終的にHIVをはじめとする性感染症防止に有効なコンドームに落ち着き、まもなく発売されます。
 従来コンドームの内側に塗られていた薬剤を、日本で初めて外側に塗って性感染を防止し、またアナルセックスも想定して、潤滑剤をたっぷり使用しているとか。アナルに挿入するのはゲイだけとは限りませんから、かなりの需要が見込めるのではないでしょうか。目的に応じてコンドームを選択する時代になってきました。
 そんなやり取りをメールでしている時、余談としてこの薬局がアメリカ製の「前立腺快愉器」の発売元であることを知りました。そしてそのホームページ(光漢堂のHPとは独立している)を読んで、わたしは実に興味津々となってしまったのです。何だ、この器具は?



 ドライ・オルガスムスを探求する「前立腺快愉器」エネマグラ。どこかアヤシゲなところが、いっそう好奇心を刺激しますが、形は手のひらに乗る大きさで、指をかける部分と、アナルの内側に挿入され、三段ぐらいの段差のある小さなイルカのような部分からできています。
 アダルト・グッズのようなケバケバシサはなく、すっきりしたデザインで、値段はこの薬局特価で5800円と7800円(定価は1万2000円)。安いか高いかと言われれば、難しいところですが、定価でなければ買いやすい金額でしょう。
 HPの充実した解説によれば、本来アメリカの泌尿器科の医師が、前立腺マッサージを前立腺肥大症の患者が自分でできるように開発したのだそうです。ところが実際に使ってみると、治療目的とは別の思わぬ効果が発見されました。前立腺や会陰部を内側から刺激することで、強い快感が襲い、しかしそれが射精には直接結びつかず、絶頂感覚が持続するというのです。
 この射精なき快感をドライ・オルガスムスと呼ぶのですが、これは従来女性の快感と思われてきました。だから、よく男は一瞬だが、女の快感に終わりはない、立場をチェンジしてみたいものだ、なんてジョークが半ば本気で言われてきましたが、これが現実となったのです。
 解剖学的に見ると、男性のアナルの内側にある、3ヶ所の独立した神経を刺激し、そのうちひとつは女性のヴァギナや陰唇に分布する神経に相当するのだそうですが、これに加えて乳首を自分で(あるいは他の人によって)刺激することで、女性のオルガスムスによく似た絶頂感覚を体感できるのです。
 バイブが付いているわけではないのですが、アナルに異物が挿入された時に、それを排出しようとする力や、自分の意思で括約筋を締め付ける力などを利用して、動的な作用を起こすようです。ホームページには、愛用者による使用リポートも乗っているので、それを読むとかなりのもの。最初は違和感もあるようですが、どこかムズムズし、何度か試すうちに激烈な感覚が襲ってきます。
「エネマグラを挿入し、肛門を収縮。快感とともに反射的に不随意筋が締まるのを感じ、出来るだけ無駄な力を抜いて、前立腺のツボに当たったときの感じを意識してみました。すると、あのイッタ時の快感がきました。しかも普段よりも快感が強く、しばらく持続しました」
 この人の場合は、この繰り返しによって「最後の方はもう余りの快感のドツボにハマッて必死でよがってしまいました。もうどうにかなりそう」。そして最後に射精したら、これが今まで味わったことのないスゴイ快感だったとか。
 わたしは、薬局にコンドームだけでなく,エネマグラも撮影用に提供してくれるようお願いしました。快諾してくれたことは言うまでもありません。



 さて、急きょエネマグラを追加したわたしの薔薇族映画は、『月下の獣宴』(OP映画配給)という作品です。埼玉県の某豪邸風スタジオで、二泊三日の合宿をして撮影しました。
 普段のピンク映画なら、合宿なんて考えたこともないのですが、スタッフも役者も男だけ、という薔薇族になると、わたしはどうも泊り込みで撮影したくなり、昨年までは3年連続で奥多摩に行ってました。さすがに今年は、奥多摩では撮るべきロケーションを思いつかず、郊外のスタジオにしたのですが、女優に比べて男優のギャラが安いという事情も合宿を可能にしています。
 さてエネマグラですが、男同士の結婚披露パーティに参加した一人が、プレゼントのテーブルの上にエネマグラを発見し、その場で試してみる、という、いささかピンク映画風に安直というか、速戦即決の展開としました。しかし、ただアナルに挿入し、エクスタシーを味わうだけでは面白みがありませんので、それまで一人で勝手に踊っていた彼が、エネマグラを入れたまま、内側からの突き上げる快感に動かされ、ひどく奇怪なダンスを踊る、という設定にしました。
 これを演じるのは吉岡睦雄クンという、いささか風変わりな役者ですが、出演日の前夜にスタジオに入ってもらい、光漢堂のHPからプリントアウトしたエネマグラの分厚な資料を渡し、読ませました。
 彼がどれぐらい理解したか分かりませんが、翌日のエネマグラ快感ダンスは、なかなか見事なものだったと思います。光漢堂側に事前にシナリオもチェックしてもらったのですが、大体は横になって挿入するエネマグラも、立ったままのポジションで挿入し、味わう場合もあるようです。
 しかし、なんと言っても実際のケースとは違って、かなり誇張した表現になっていることは間違いありません。エネマグラの愛用者に失礼がなければいいが、といった心配もあるのですが、公開前であるにも関わらず、光漢堂のHP上でリアクションがありました。
 薬局側が「談話室」に「エネマグラが、薔薇族映画に登場」と告知したところ、「使用者=ホモ野郎」と見られるので歓迎したくない、とか、あまり広く知られると、秘密に楽しむ良さがなくなる、といった否定的なものです。残念ですが、こうした心狭い(?)マニアの方々にも観てもらいたいと思っています。



 薔薇族映画の二泊三日の合宿から帰ったわたしに、本誌編集長の塩チンから電話がかかってきました。この「エロチカ最前線」をもう一回で連載打ち切りにする、という冷酷な宣言です。
 思わず小さく吹き出してしまったのですが、来るべきものが来た、というのが実感でした。わたしがかつて風俗ライターだった頃に始まった連載ですので、10数年は続いてきたことでしょう。以前は「最前線」だったのが、今では「最後衛」となり、一体誰が読んでいるのか? といった疑問をしばしば呈される状況が続いてきました。
 わたしなりに内心忸怩たるものがあったのですが、かつてエロ本編集者として同業者だったわたしに対する、オマケ(?)のような気持ちが塩チンにあったとすれば、辣腕編集者として似合わないことでした。
 今ではピンク映画や薔薇族映画で細々食いつないでいるわたしの、昔は風俗情報誌の編集長兼ライターだった過去と結ぶ唯一の糸が、この連載だったと言ってもいいでしょう。塩チンに感謝すると同時に、面白くもなんともない活字ページを見せられてきた読者の皆さんにお詫びしなければいけません。
 わたしが初めて性風俗の世界に触れた20年ほど前は、遊郭の伝統を引き継ぐトルコ(現ソープ)がメインで、SMの世界などは闇に隠れた秘密ショーといった趣がありました。それがノーパン喫茶あたりを進軍ラッパとして、マントル(マンション・トルコ)、ホテトル(ホテル・トルコ)、SMクラブと次々に日常の世界に進出してきます。
 性交を伴わない射精=ヘルス、は画期的な発明でした。こうしたセックス産業の隆盛は、もちろん素人の若い女性たちの大挙した進入があってのことで、フーゾク・ギャルは大いにもてはやされました。わたしもまた、「○○ちゃんは好奇心旺盛なピチピチギャル」式の記事を山ほど書きましたが、まことに恥ずかしい過去です。
 フーゾクでお金を貯めて留学、なんて言う女の子たちも少なくありませんでしたが、実際に実現したのはどれほどあったでしょう。それほど甘い世界ではなかった。ライターも情報誌の編集も、風俗商売のバックのヤーサンと同じ穴のムジナでした。
 そんな中でわたしが惹かれたのは、ストリップやSM、ソープなどで、個人的に磨いた職人技を発揮する人たちです。次回はそうした記憶をたどって、最終回にしたいと思います。

<03年7月『漫画バンプ』(東京三世社)掲載>

*このコンドームは発売され、東京・上野の世界傑作劇場(不忍池のほとり)で行われた舞台挨拶でも、入場者全員にプレゼントされた。また、ここで「誰が読んでいるのか分からない」コラムと悲観したら「俺が読んでいる!」という一通の葉書があったこと、また予告した最終回の記事内容を変更したことは、前回の 複儀12日)で記した通り。


 知人の殺人評論家が、新著を送ってくれました。蜂巣敦(はちす・あつし)という、名前からして禍々しいのですが、本名なのだそうです。殺人評論家になるべく生まれてきたような名前ですが、新著は『殺人現場を歩く』(ミリオン出版)。表紙には「かつて・ここで・人が・殺された」とあり、写真家と組んで18の殺人現場を訪れたドキュメントです。
 古いところでは、80年の新宿西口バス放火事件、88年から89年にかけての宮崎勤事件、新しいところでは今年3月の板橋スナック4人密室殺人事件などが取り上げられています。そこで人が殺されたことなど、近所に住んでいる人たちは忘れたいに違いありませんし、凶行現場となった家やマンションの一室に、それと知ってか知らずか、無関係の人が現在住んでいるケースもあって、殺人評論家がカメラマンを引き連れて訪ねて来るのは大いに迷惑なことだったでしょう。
 当たり前のことですが、殺人があったからといって、そこに特別な景色が展開しているわけではありません。わたしたちの近所と変わりない風景が写されていますが、逆に言えば、わたしたちの近所が明日、殺人の現場となっても何の不思議もないということです。実際、この本で取り上げられている新宿タバコ店経営者連続殺人事件の犯人が逮捕されるきっかけとなった、西新宿の会社役員夫妻が殺されたマンションは、わたしのすぐ近所です。一昨年のことですが、毎朝お風呂代わりに通っている年金センターのサウナからの帰り、コンビニで買い物して帰ろうとすると、目の前のマンションが封鎖され、警察官やら報道陣が詰め掛けているではありませんか。一体何事が起こったのかと思って、自室に帰りTVをつけると、ワイドショーでそのマンションが映し出されていました。
 戸山公園のホームレスが、被害者の運転手をしていて、逮捕してみたら99年と、この事件の直前に起こったタバコ屋2店の強盗殺人の犯人でもあったという、なんだか脈絡のあるような無いような変な事件です。今ではそのマンションも、当然のことですが、何事もなかったかのように人が出入りし、わたしもその前を通って事件を思い出すこともありません。
 この本には事件直後のタバコ屋の写真と、昨年の取材時の写真が載っています。自販機は撤去されているものの、古い民家は不動産屋の事務所として使われているそうですが、こうして写されると何か妙なオーラが漂っているような気がします。もっとも、わたしがそうであるように、日常接する近所の人たちは、今やほとんど思い出しもしないことでしょう。



 わたしの近所で起きた殺人事件だけでなく、わたしの知人が被害者として巻き込まれた殺人事件も、この『殺人現場を歩く』には登場します。92年の市川市一家4人殺害事件です。殺された父親は、事件当時は編集プロダクションを経営していましたが、結婚する前はわたしたちのライター仲間でした。結婚した相手、つまり殺された母親もライターで、わたしも何度か会って一緒に飲んだりしています。事件の第一報は、父親やわたしが原稿を書いていたスポーツ新聞のデスクからもたらされ、その時点では生き残った長女が共犯として疑われていました。母親の連れ子だったせいもあるでしょう。
 しかし、事件の概要はすぐ明らかとなり、この長女こそ酷い体験を強いられた最大の被害者であったことが明らかとなります。この事件については、すでに『19歳の結末・一家4人惨殺事件』(祝康成/新潮社)というノンフィクションが公刊されていますが、お通夜で並んだ4つのお棺、その一人は4歳なのでとても小さく、それを見ながらわたしは殺人に対する感覚が大きく変わるのを覚えました。
 ワイドショーで接する事件ではなく、生身の人が殺されたことを肌身で実感した時に、誰もが経験することでしょう。最近、被害者の遺族が声を上げていますが、わたしのように特に親しかったわけでもない知人が殺人の被害者となった場合でも「死刑制度撤廃」とは絶対言いたくない。特にこの事件では犯人が19歳で、本人も十数年後に出所した時、人生を生き直すために、教科書や参考書を差し入れてもらい、獄中で資格でも取ろうとしていたそうです。
 これまでの修羅のような人生とは別の人生を、という願いは分からないではありませんが、一昨年、最高裁で死刑が確定しました。死刑撤廃は世界の大勢のようですが、わたしはあの並んだお棺を思い浮かべる時に、殺す人間は自らが殺されることを承認しなければならない、死刑は国家による殺人というが、人間は等しく人間でなく、人間以外のケダモノたちも多数含まれているので、国の権力が人間以外のケダモノを殺したって「殺人」には当たらない、とわたしはあくまで主張し続けます。
 もっともこの本で、蜂巣氏は犯人や被害者の感情や内面に深入りすることなく、事件の起きた現場の風景を眺め、年月が経って風化していても、その痕跡がどこかに残っていないか、景色を読もうとしています。市川市の現場マンションは運河に面し、高圧線に囲まれていますが、その静かな写真からは日常生活の根本的な危うさが、気持ち悪いくらい伝わってきます。
 しかし、世の中にはわけの分からない殺人事件が一杯あるのですね。わたしも記憶にある井の頭公園バラバラ殺人事件では、ほとんど同じ大きさに揃えて捨てられた肉塊からは、血がきれいに抜き取られていたことを初めて知りました。10年近く経って、いまだに未解決です。
●蜂巣敦著『殺人現場を歩く』ミリオン出版刊1700円。



 光彩書房の多田編集長から『Hのある風景』という雑誌が送られて来ました。だいぶ以前に、飲み会でもらって瞠目し、この欄でも紹介した『知的色情』が3号雑誌で終わり、それを引き継ぐものだそうです。何でもこのシリーズ、最初の『激しくて変』が4号、続く『暗黒抒情』が2号、そして『知的色情』が3号と「敗北戦を戦ってきた」(編集長メッセージ)のだそうですが、相変わらず戦闘意欲満々で、カッコいい多田編集長です。タイトルとしては、やはり最初のものが、激しく変で良かったのではないでしょうか。今回の改題で「土俵際」に立ったそうですが「最後には本土決戦って手もあるしナァ」といきまく多田編集長の、揺るぎない自信の根拠はどこにあるのでしょうか。
 考えてみれば、わたしが知り合った20年前から、このスタイルは変わっていません。現状と先行きを猛烈な勢いで分析し、自信満々で新しい試みに挑戦しては、毎回「敗北戦」を戦いつつ、一方で奇妙な戦果を上げる。この号で描いてる作家たちも、そうした戦果の表われだと思われますが、中でわたしがもっとも愛着が深いのは、やはり早見純氏です。
 今回は「ワタシと早見純の20年近いつきあいの中で、一番のエロ漫」と編集長は絶賛していますが、確かに少女と父親の性交を細密な描線で、緻密に描いています。中でも抜き差しされる陰茎と陰唇の連続クローズアップ8コマには目を見張りましたが、その前に首を吊った母親の大きなコマがあって、悲痛なリリシズムを醸し出します。まさに「暗黒抒情」といった趣ですが、多田編集長はこの手の造語やキャッチフレーズ作りが大好きなのでした。編集長自身「早見ファンが喜ぶかどうかは別」としながらも、土俵際での「エロ増量」に大いなる自信を見せています。
 わたしは早見作品の、逆転した世界観の提示に感銘を受けた者で、今回のよくある話には惹かれませんが、描線のただならぬ気配には息を呑み、言葉を失いました。果たしてこれが「エロ増量」に結びつくのか、わたしは判断保留ですが、皆さんはどう思われるか。他の作品では、町田ひらくが達者な語り口で面白く読ませますし、巻末の華麗王女は相変わらず度肝を抜く描写です。さて、今回は何号まで?
●『Hのある風景』光彩書房刊920円。



 連載最終の今回、前号で予告したように、わたしが見てきた風俗シーンの回想を記して終わろうと考えていたのですが、そして八百屋の店頭での野菜との出会いによって、中年ストリッパーとしての新境地を切り開いた水沢さんや、ソープを引退した後、壁越しの一本抜きで歌舞伎町のゴッドハンドの異名をとった千景さんなど、心に残る人たちも少なくないのですが、あくまで個人的なノスタルジーに過ぎず、だから何だ? という気がしないでもありません。そんな時に、たまたま知友の殺人評論家や多田編集長が新刊を送ってくれたので、さっそく方針を切り替えた次第です。
 また、前号でこの連載コラムが「一体誰が読んでいるのか?」というテイタラク、と書いたところ、「私が読んでいる!」という読者の力強い葉書が一通、先ほど塩チン編集長の漫画屋からファックスされてきました。26歳の男性ですが、世の中広い、このコラムを読んでいるとわたしに告げてくれたのは、彼で史上二人目です。
 多田編集長の光彩書房で、かつてわたしが編集し、記録的な返品を招いた2号雑誌『クロス・ドレッシング』(女装マニア誌)をはじめ、わたしが編集したり書いたりするものは、そうしたごく少数の人たちとのコミュニケーションしか成立しないものだったのでしょう。そんなアマチュアでも生息できた古き良き(?)時代がエロ本業界にはありました。(もっとも、わたしがエロ本編集長を名乗っていたのは、白夜書房に改名する前の、末井編集長率いるセルフ出版の頃で、当時の何でもありのアナーキーな社風は、末井さんという特殊事情なしには語れません)
 現在わたしがピンク映画の監督として、多少なりとも成立しているのは(この業界でも、わたしの映画に対して「誰が観てるの?」式の批判は多いのですが)エロ業界でつちかったエロ表現への執着が、大いに身を助けているようです。といっても、せいぜい股間のドアップの多用ぐらいのことなのですが、映画青年風の監督たちには、なかなか抵抗があるようです。
 エロ本業界からピンク映画、さらには薔薇族映画と、いよいよ隘路にハマッテいくわたしですが、今回の読者からの葉書には励まされました。世に一人でもシンパシーを感じてくれる人のある限り、力を尽くしたいと思いますが、わたしの地味な性格上、多田編集長のような景気のいい進軍ラッパが吹き鳴らせないのが残念でたまりません。



<03年8月『漫画バンプ』(東京三世社)掲載>