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 わたしがツイッターで何度か疑問を呈した、日本近代文学館での稲垣眞美氏の講演(講座「資料は語る『女性がものを書く』」のシリーズの中の「尾崎翠の再発見」10月15日)を前に、椿事が出来した。

 稲垣氏の代理人の弁護士から、浜野佐知監督とわたしへの連名で、わたしが尾崎翠の書簡流出問題でツイートし、浜野監督がリツイートした内容が、稲垣氏への名誉毀損であり、ツイッターからの削除、謝罪文、慰謝料100万円などを要求して来たのだ。
 驚くべきことに、事案こそ異なるが、文面はほとんど同じ内容証明郵便が、鳥取の尾崎翠フォーラムの土井淑平代表にも届いていた。こちらは、尾崎翠フォーラムのHPに掲載した、書簡流出問題についての綿密な調査報告が名誉毀損にあたるというのだ。

 わたしは1998年の映画『第七官界彷徨ー尾崎翠を探して』(浜野佐知監督・山邦紀脚本)のパンフレットに稲垣氏批判を書いて以来、いつ裁判になっても構わない覚悟で稲垣氏批判を行ってきた。その意味で驚きはない。
 しかし、これまで一切無視を決め込んで来た稲垣氏が、どうして、このタイミングで裁判をちらつかせながら名誉毀損を主張し、慰謝料を要求して来たのか?

 名誉毀損の趣旨は、尾崎翠の書簡流出は自分が行ったのではなく、「他のルートから当該書簡が流出したことを明確に裏付ける客観的な証拠も入手して」いるというもの。
 この際「他のルート」とやらを公表して頂きたいが、しかし、だからといって、親族から尾崎翠の手紙を預かりながら散逸させた稲垣氏の責任が、1gでも減ずるわけでないことは子供でも分かることだ。

 首を捻らざるを得ないのは、わたしや浜野監督、そして尾崎翠フォーラムに内容証明を送りつけて来た稲垣氏代理人の弁護士が所属する中村合同特許法律事務所は、日本近代文学館の名誉館長である中村稔氏が、かつて「代表パートナー」であり、現在もHPでは「パートナー」の一人として、トップに名前を連ねていることである。

 日本近代文学館は、今回の稲垣氏代理人によるわたしたちや尾崎翠フォーラムへの内容証明郵便を承知しているのだろうか。そのことと今月10月15日の稲垣氏の講演は何か関連しているのだろうか。そして日本近代文学館は、稲垣氏代理人のように稲垣氏の主張を鵜呑みにし、稲垣氏をバックアップしようとしているのだろうか。

 それにしても、尾崎翠の書簡流出問題がクローズアップされている中で、渦中の稲垣眞美氏が「資料は語る」と題した講演を、文学資料の収集・保管が生命線の日本近代文学館で行うことの社会的な意味は、決して小さくない。
 しかも、浜野監督の『第七官界彷徨ー尾崎翠を探して』の製作を潰そうとしたように、女性の表現者に対して抑圧的だった稲垣氏が「女性がものを書く」ことについて語るのは、何か皮肉な効果を狙ってのことだろうか。

 不思議なことの多い今回の稲垣氏代理人による内容証明郵便だが、書簡流出問題は稲垣眞美氏が尾崎翠研究において果たして来た功罪を、歴史的・実証的に検証する貴重な機会だとわたしは考えている。

 浜野監督とわたしは、新作『百合子、ダスヴィダーニヤ』の上映活動で東京を留守にしていたため、先方の指定して来た2週間以内には回答できなかったが、9月末日に回答書を郵送した。勝手に文書を送りつけて、期限を切るというのも迷惑な話ではある。

 尾崎翠の書簡流出問題をオープンな場で議論すべく、稲垣氏代理人の内容証明郵便と、それに対する回答書を、ここに公開する。
 今後、動きがあり次第、ツイッター、フェイスブック、mixi、このブログなどを活用し、報告したい。

 なお、先に回答書を出した尾崎翠フォーラムは、すでにHPで「回答書と請求書」をアップしている。末尾にリンクしたので、参照して頂きたい。

                                (文責:山邦紀)

 

◉要求書(内容証明郵便)
                                 平成23年9月14日
株式会社旦々社
浜野佐知殿
山崎邦紀殿
                              中村合同特許法律事務所
                                  稲垣真美代理人
                                 弁護士 富岡英次
                                  同  小林正和

拝 啓  時下益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。
 私どもは、稲垣真美氏(以下「当方依頼人」と申します。)から依頼を受け、当方依頼人を代理して、貴殿らに本書状をお送りしています。
1 貴殿らは、不特定多数の者が閲覧することができるTwitter(以下「ツィッター」と言います。)上において(http://twitter.com/#!/hamanosachi、http://twitter.com/#!/kuninori55参照)、当方依頼人に関し、平成23年6月2日付けで「尾崎翠の書簡がオークションにかけられている話は以前から聞いていたが、それが全集編者の稲垣眞美の手元から流出した=売買されたことが明らかになった。…」、「…本来の所有者と関わりなく売買されることは『盗品』扱いになる。…」、また、同月8日付けで「…創樹社と筑摩書房の二度にわたる尾崎翠全集を編纂し、親族から預かった書簡を返却せずに売り飛ばしたことが公然化した稲垣眞美が、日本近代文学館で尾崎翠について講演するのだという。…」、「稲垣眞美が私物化した尾崎翠の手紙がヤフオクに出されたり、古書店を通じて売買されていることが明らかになった今でも、日本近代文学館は知らんぷりして稲垣の講演を挙行するのだろうか。見ものである。…」等とツイート(以下「投稿」と言います。)ないしリツイート(以下「引用」と言います。)しておられます。
 当該投稿ないし引用の内容は、当方依頼人が、尾崎翠の書簡を、尾崎翠の相続人に無断で売却した旨摘示するものです。

2 しかしながら、当該摘示内容中、当方依頼人が当該書簡を流出させた旨の、あるいは、これを前提とする事実は、全く真実に反するもの、すなわち虚偽であり、当方依頼人は、他のルートから当該書簡が流出したことを明確に裏付ける客観的な証拠も入手しております。
 貴殿らは、当方依頼人の編纂者、作家、文化人あるいは文芸評論家等としての社会的評価が低下するおそれがあることを知りながら、あるいは、少なくとも充分な裏付けをとることなく漫然と、ツィッター上に上記事実を投稿ないし引用したものと言わざるを得ません。
 そして、上記投稿ないし引用を見た不特定多数のツィッターのユーザは、これが真実であると誤解するおそれが十分にあり、貴殿らの行為が、当方依頼人の社会的評価を低下させる名誉毀損行為であることは明らかです。

3 貴殿らの名誉毀損行為の結果、当方依頼人は、大きな精神的損害を被っております。
 したがいまして、当方依頼人は、貴殿らに対し、(1)上記投稿ないし引用を直ちに削除すること、(2)名誉回復の措置として、貴殿らが当方依頼人に対し書面によって謝罪すること、(3)ツィッター上のプロフィール欄ないし投稿欄に、上記摘示内容が真実に反していたこと、及び、その点について謝罪文を掲載すること、並びに、(4)不法行為に基づく精神的損害を補填するための慰謝料として100万円お支払い頂くことを要求致します。

4 つきましては、本書状の受領後2週間以内に、私ども代理人宛てに、貴殿らの今後のご対応につき、書面にて回答されるよう要求申し上げます。
 なお、当方依頼人と致しましても、徒に紛争を好むものではありませんが、上記期間内に誠意あるご回答を頂けない場合には、やむを得ず法的措置を採ることも検討せざるを得ないことを申し添えます。
 また、今後本件に関する連絡は全て、私ども代理人にされるようお願い致します。
                                 敬具




◉回答書(配達証明)
                          2011年9月30日
中村合同特許法律事務所
稲垣眞美代理人
弁護士 富岡英次さま
 同  小林正和さま

平成23年9月14日付「内容証明郵便」に対する回答

                                    浜野佐知
                                    山邦紀
拝復
 稲垣眞美氏代理人としての書面を拝見しました。たまたま浜野も山も大阪の映画祭に参加していたため、返信が遅れました。

 それにしても不可解な要求を頂いたものです。尾崎翠の書簡流出について、山がツイッターに書き込み、浜野がリツイートしたことが、稲垣氏に対する名誉毀損であるとして、ツイートの削除や謝罪文、慰謝料100万円を要求されていますが、稲垣氏が今、何よりも行うべきは、尾崎翠の甥である小林喬樹さんから全集編者として借り受けた尾崎翠の書簡を、小林さんの元に返却する努力なのではないでしょうか。

 稲垣氏は、創樹社で「尾崎翠全集」を編集するに当たり、尾崎翠の甥である小林喬樹さんから、小林さんに宛てた翠の8通の書簡を借り受けました。その後、稲垣氏の編集により創樹社および筑摩書房から「尾崎翠全集」が発刊されています。しかしながら、その後、小林さんから稲垣氏への再三にわたる書簡の返還請求にもかかわらず、返還が行われていません。

 鳥取の尾崎翠フォーラムの綿密な調査によれば、現在8通の内「1964年(昭和39年)4月18日付書簡」、「1966年(昭和41年)7月9日付書簡」の2通が古書店で販売され、現在「鳥取県立図書館」で所蔵されています。また「1966年(昭和41年)9月12日付書簡」1通が「ヤフーオークション」に出品されました。

 稲垣氏が責任を持って保管すべき8通の書簡のうち3通が既に売買されているというのが、紛れもない事実です。稲垣氏が尾崎翠の遺族から借り受けた書簡が返還されず、他人の手に渡ってしまっているという事実です。
 稲垣氏が、一時的に全集の版元である創樹社あるいは筑摩書房に預けたとしても、氏が責任を持って管理し、返還すべき書簡が流出してしまっているのですから、流出したのは今回の書面で稲垣氏言うところの「他のルート」などではなく「稲垣氏のルート」なのです。

 また、尾崎翠フォーラムの調査によれば、尾崎翠の親友であった松下文子さんに宛てて、翠が1965年に鳥取県湖山の老人ホーム「敬生寮」から出した書簡が古書店で売買されました。この書簡も稲垣氏によって尾崎翠全集に収録されたものですが、松下さんの遺族によれば、遺族が稲垣氏に貸したものではなく、恐らく、亡くなった松下さん本人が稲垣氏に貸したものと思われます。
 小林さんから借り受けた書簡だけでなく、松下さんから借り受けた書簡もまた流出し、市場で売買されている現実を前に、借り受けた当事者である稲垣氏は、どのような責任を取るつもりなのでしょうか。

 書面によれば、稲垣氏は「他のルートから当該書簡が流出したことを明確に裏付ける客観的な証拠を入手」しているそうです。初耳ですが、そうであるならば何よりも先にその事実を明らかにし、そのルートを辿って流出した小林さんと松下さんの書簡を取り戻すべきでしょう。
 それが小林さんから大事なプライベートの書簡を借り受け、創樹社と筑摩書房と二度にわたる「尾崎翠全集」で、翠の書簡として収録・発表した編者の責務ではありませんか。松下さん宛ての書簡もまた、遺族に返却すべき義務が稲垣氏には当然あります。

 稲垣氏代理人は、稲垣氏の一方的な主張を鵜呑みにして、今回に至るバックグラウンドや客観的な事実経過をリサーチされていないように思われます。
 稲垣氏と浜野・山の確執は、1998年に浜野が製作・監督した『第七官界彷徨―尾崎翠を探して』(尾崎翠原作。山は脚本を担当)の製作段階において、稲垣氏が尾崎翠の遺族の信頼と感謝をいいことに陋劣な妨害工作を行ったことから始まっています。

 全集を編纂した「恩人」である自分の言うことを、遺族がすべて鵜呑みにすると思っていた稲垣氏は、浜野には鳥取に行って著作権継承者の方(翠の姪)から映画化権のサインをもらってくるよう言いながら、その一方で著作権継承者の方には絶対サインするな、自分の知りあいの映画製作会社があるから、そこと契約しろ、と指示し、その会社の契約書まで送ったのでした。
 この時は、著作権継承者の方と実弟の方(翠の甥)が、稲垣氏と電話で長時間やり取りし、浜野と稲垣氏の2通の契約書を比較検討したうえで(実弟の方は元銀行勤務で契約書に詳しい)、私的欲得に基づかない浜野の契約書にサインしてくれました。
 それによって日本芸術文化振興基金と東京都女性財団の助成を受け、鳥取県の全面的ロケ支援を受けて、映画『第七官界彷徨―尾崎翠を探して』は無事完成することができたのです。

 全集編者による作家の「私物化」(映画化についてまで口を出し、著作権者に従わせようと権力行使するのは私物化以外の何者でもありません)に疑問を抱いた山は、出版界の編集者や作家に取材したところ、マイナー作家の場合(尾崎翠は当時知られていませんでした)決して珍しいことではないことを知り驚きました。
 しかし、映画の完成と同時期に刊行された筑摩書房の「定本尾崎翠全集」下巻に稲垣氏が書いた「解説」もまた驚くべきものでした。新しい資料が出てきたわけでもないのに、翠と「恋人」であるとされた高橋丈雄について妄想、あるいは捏造としか言えない性的関係が具体的に記述されていたのです。わたしはそれについて、映画『第七官界彷徨―尾崎翠を探して』のホームページや自分のブログで批判してきました。

 10年を越えるわたしたちの批判に対して、これまでいっさい無視を決め込んで来た稲垣氏が、今回のツイッターへの書き込み、およびリツイートを理由として、唐突に名誉毀損の主張をしてきたことは、尾崎翠の書簡流出問題がマスコミでも報道され、自身のアキレス腱になるかもしれないという危機感の表れ以外の何ものでもありません。
 稲垣氏代理人には、こうした流れ=文脈を理解して頂いたうえで、今回の書面にお答えしたいと思います。

些細なことではありますが、内容証明の宛先である旦々舎の漢字を「旦々社」と間違えて書かれています。また、山は旦々舎の所属ではありません。フリーランスの脚本家・監督として旦々舎の仕事をしています。まずは事実関係を正確に把握して頂きたい。

今回稲垣氏および代理人が問題にしているのは、ツイッター上における山の4つのツイートと浜野のリツイートですが、リツイートは誰でもできるものであり、浜野に特定してリツイートの責任を問う根拠を示して頂きたい。これこそ先に記した10年以上の軋轢を背景とした、言いがかりとしか思えません。

山のツイートの最初の2つ「尾崎翠の書簡がオークションにかけられている話は以前から聞いていたが、それが全集編者の稲垣眞美の手元から流出した=売買されたことが明らかになった。…」「…本来の所有者と関わりなく売買されることは『盗品』扱いになる。…」(6月2日)は、鳥取の尾崎翠フォーラムのホームページから引用、紹介したもので、引用元も明らかにしています。
 尾崎翠フォーラムの土井淑平代表によるホームページの記事は、流出した書簡の行方を綿密に調査し、稲垣氏に書簡を貸したもう一方の当事者である小林喬樹さんの裏付けも取った、非常に信頼できるものです。
 浜野と山はフォーラム発足当初から関ってきましたが、翠の故郷の市民が地元の作家を再評価しようと、ボランティアで11年間、毎年講演会や映画上映、翠の史跡を訪ねるバスツアーなどを行ってきました。鳥取県も第一回目から支援しています。尾崎翠の新資料の発掘に努める一方、第一線の研究者を国内外から招き、尾崎翠研究にも資するところの大きい貴重な市民運動です。
 その尾崎翠フォーラムにも、わたしたちとほぼ同文の内容証明が舞い込んでいることを知り、驚き呆れました。山が引用したホームページには、尾崎翠の書簡流出問題に関する現状が正確に調査・報告されています。あの記事のどこに、稲垣氏に対する謂れのない名誉毀損があると言うのでしょう。

残る2つのツイート「…創樹社と筑摩書房の二度にわたる尾崎翠全集を編纂し、親族から預かった書簡を返却せずに売り飛ばしたことが公然化した稲垣眞美が、日本近代文学館で尾崎翠について講演するのだという。…」「稲垣眞美が私物化した尾崎翠の手紙がヤフオクに出されたり、古書店を通じて売買されていることが明らかになった今でも、日本近代文学館は知らんぷりして稲垣の講演を挙行するのだろうか。見ものではある。…」(6月8日)については、文学資料を収集・保存することが設立目的であり、レゾンデートルである日本近代文学館で、「資料は語る」と題されたシリーズの講演を、資料を流出させたことが明らかになった稲垣氏が行うことの皮肉を指摘したものです。

稲垣氏代理人は、わたしのツイートに対し「当方依頼人が、尾崎翠の書簡を、尾崎翠の相続人に無断で売却した旨摘示するものです」としたうえで「しかしながら、当該摘示内容中、当方依頼人が当該書簡を流出させた旨の、あるいは、これを前提とする事実は、全く真実に反するもの、すなわち虚偽であり」「当方依頼人は、他のルートから当該書簡が流出したことを、明確に裏付ける客観的な証拠も入手しております」と続きます。

この論理構成を検討すると「売却」と「流出」を意図的に混用していることが分かります。「書簡を売却したのは稲垣氏ではない」=「書簡は他のルートから流出したことを裏付ける証拠がある」というのですが、重要なのは「流出」と「売却」は明らかに異なった問題だということです。
「流出」とは、稲垣氏が遺族から借り受けた書簡を保管・管理・返却する責任があるにも関わらず、外部に文字通り流出させたことを指します。これはいわば「所在不明」の状態で、それが古書店に売られたり、オークションにかけられたりして初めて「売却」となります。である以上「直接自分が売却したのではないから、流出させたわけではない」という論理は成り立ちません。
「流出」の責任が書簡を借りて全集に収録した編者稲垣氏にあることは明らかであり、誰が直接的に「売却」したかとは別の問題なのです。だからこそ小林喬樹さんは、長年にわたって稲垣氏に返還を求めているのです。

稲垣氏は「他のルートから当該書簡が流出したことを明確に裏付ける客観的な証拠を入手」したそうですが、それは具体的にどのようなルートであり、どの時点で「証拠を入手」したのでしょうか。ここでは時系列が大きな争点になってきます。
 小林喬樹さんの再三にわたる返還請求に応じなかったうえ、これまで一切「他のルート」を明示して来なかった以上、稲垣氏が売買においても関っていると目されるのは当然ではありませんか。自ら招いた事態と言わざるを得ません。

稲垣氏の言う「他のルート」が何であるか、今の段階では想像するしかありませんが、筑摩書房が「書簡はコピーでしか受け取っていない」と明言している以上、残るのは創樹社ルートです。
 稲垣氏が小林喬樹さんから尾崎翠の書簡を借り受け、それが流出と売買に至る経過を時系列で見ると、以下のようになります。
 最初の創樹社版全集が出たのが79年。版元を替えて筑摩書房から定本尾崎翠全集が刊行されたのが98年。そして創樹社が自己破産したのが02年です。尾崎翠の書簡が古書店などのカタログなどで散見されるようになったのは、創樹社が自己破産した02年以降のことでした。(研究者の証言による)

創樹社から筑摩書房に全集を移す理由となったのが、遺族に対する印税未払い問題です。創樹社は、知られざる女性作家尾崎翠の全集を出すことに踏み切った志のある出版社でしたが、経営的に難しくなることが何度かあったようです。稲垣氏は創樹社の反対を押し切り、遺族の意向を盾に筑摩書房に強引に全集を移しました。
 本来79年に全集が刊行された時点で、稲垣氏は書簡を小林喬樹さんに返却する義務がありますが、(もし売買が創樹社ルートだとすると)全集を筑摩書房に移すまでの20年近く漫然と放置したことになります。それだけでありません。全集を筑摩書房に移したのに、書簡は創樹社に置いて来たことになります。
 その間、小林さんに何度も返却を求められていたのに、それにまともに応えて来なかったのは何故でしょうか?

印税未払いが版元を移す理由だったのですから、もし書簡が創樹社に預けっ放しになっていたのだったら、全集を移す際に、経営的に危ない会社から書簡も引き上げるのが編者の絶対的な責務です。それもせず、徒に02年の創樹社の自己破産を迎えることになりました。社内の資料類も四散したことでしょう。遺族から書簡を託された編者として、あまりにも無責任です。

「他のルートから当該書簡が流出した」という稲垣氏の主張を前提とすると、まず稲垣氏が管理責任を放棄して書簡を漫然と放置した20数年があり、それによって「流出」が起こりました。ここまでは明らかに稲垣氏の責任です。その後に誰が関ったか、どういう経緯であったか「売買」という事態が起こります。
 小林喬樹さんにとって、尾崎翠は早く亡くなった実母(翠は母の姉)の代わりに可愛がり育ててくれた伯母さんです。大事な翠直筆の書簡を全集のために貸し出し、何の説明もないまま返還されず、今では売りに出されていることが明らかになりました。小林さんが貸した当事者である稲垣氏に返却を求めるのは当然であり、稲垣氏に「流出」させた責任があることは紛れもない事実です。

尾崎翠の親族や、翠の親友だった松下文子さん本人から借り受けた資料に対する稲垣氏の信じ難い杜撰さは、到底他人から預かったものという感覚ではなく、編者の自分がお礼として貰い受けた「自分の物」と考えていたとしか思えません。
 尾崎翠の実妹である早川薫さんから借り出した資料についても、薫さんが亡くなった後、著作権継承者の方とその実弟の方から再三にわたって返却を要請されたあげく、ようやく先年20数年ぶりに返しましたが、それが全部である証拠はどこにもありません。

最後にツイッターについて。ツイッターは日本語で「呟き」と言われるように、各人が主観的な感想を短く書き込み、多くの人の「呟き」がいっせいにタイムラインを流れて行きます。瞬時に現れ、瞬時に流れさって行くもので、よほど関心のある人でもない限り過去の記録を参照したりしません。
 山のツイートによって、稲垣氏がいかなる「精神的損害」が生じたか具体的に示して頂きたい。またそれを「補填するための慰謝料として100万円」の算定の根拠を、これも明確に示して頂きたい。

わたしたちは、ツイッターの削除や稲垣氏への謝罪文を書くこと、さらに慰謝料を支払うつもりは毛頭ありません。こちらも「徒に紛争を好むものでは」ありませんが、稲垣氏代理人言うところの「法的措置」が取られれば、尾崎翠研究における稲垣眞美氏の功罪を、公の場で歴史的・実証的に検証する好機と考えます。

 なお、浜野も山も新作の『百合子、ダスヴィダーニヤ』の上映で東京を不在にすることも多く、今回のように期限を切っての回答要求にはお応えできないこともあることをご承知置き下さい。

■鳥取の尾崎翠フォーラムの回答書と、同フォーラムへの請求書■



1977年4月29日に、米子の旧友・坂本義男氏(当時、米子市商工会議所専務理事・同市文化財保護審議会委員)に送られた高橋丈雄の手紙。この時、高橋は松山市のある公民館に住み、入院中だった坂本氏の病室に宛てられている。
筑摩書房版『定本尾崎翠全集』下巻における稲垣眞美の解説の翠と高橋に関する記述(P503〜505)がまったくのでっち上げ、三文小説家的想像力の産物であることを証している。
なお、わたしがこの手紙を入手した経緯については、拙ブログ「尾崎翠の精神治療とセクシュアリティに関し、稲垣眞美の妄誕邪説を排す」参照。http://blog.7th-sense.sub.jp/?eid=232487
(下の写真は『改造』昭和4年4月号に発表された懸賞戯曲の当選作「死なす」に付されたもの)
010520_0141.jpg 御病気のこと知って、驚きました。御経過のいい模様で、何よりですが、どうぞ御大事に、御静養くださいますよう。僕も数年まえ胃かいようを手術して長い病院生活しましたが、今はおかげですっかり元気で、胃は徹底的に治しておくと、あとはほんとに調子よく、だから病院生活の一線を劃して人生、全く明るくなったような気がしました。そしてあの病院生活は天の与えた恵みであったような気がします。本なども、浮世はなれて愛読でき、思索も深まり、そういう機会は自分の力ではものに出来ない、与えられたチャンスであったような気がします。ーー貴兄もチャンスを得たと思って、存分有効に時間をご使用なさるよう、祈っております。 

尾崎翠の件お知らせくださって有り難う存じました。 
彼女の生涯にとって、僕との事件は、唯一つの運命的な「何か」であったような気がして心が痛みます。あの事件の真相を知るものは、僕と彼女以外誰も知らない。林芙美子と十和田操が少しは知ってくれてる筈でした。あれ(ヤマザキ注:坂本氏が送った新聞記事)には「同せいしていたことから家人が上京して、二人の仲をさき」とあります。もし「同棲」といえるようなことがあったのなら、彼女にとって、どれほど倖せでしたでしょう。 

いづれ近いうち、真相を書いておくります。その義務が僕にはあるような気がします。ほんのかいつまんで申上げると、彼女はあの頃(昭和7年の夏と思います)ミグレニンという覚醒剤の常用と暑さがたたって、殆ど発狂に近いノイローゼに陥りました。僕と十和田君のとこへ「身辺に魔手を感じる。来て下さい」というハガキが突然来て、二人で愕いて、彼女の二階の下宿(中井駅付近)に行き、変りはてた彼女を目撃しました。その時、思いがけなく、僕への恋情が訴えられたのでした。僕はあのまま精神病院へ送りこんだら完全に発狂してしまう、彼女のおちいった窮地から救い出すには、僕が受けいれて、彼女に希望を与えること以外にないと信じ、十和田君にも語り、僕は当時大岡山のはづれの森の中の一軒家にすんでいたので、そこへ彼女を連れかえり、彼女はすっかり正常に返えり、少女のようにも喜々として、甦った様子でした。しかし、翌日、十和田君が訪ねて来た時、「コワイ!」と叫んで僕の背後にかくれたりする様子を見て、病気が治ったのでないことを知り、被害妄想がなかなか、とれない、それで芙美子さんにも相談してみたり、色々、僕も、彼女を助けたい一心で、心労しました。 

僕26才、彼女36才。でも彼女の才能を滅ぼさないためにも、僕は結婚に踏み切る覚悟もしていました。しかし、彼女の疑心暗鬼はなかなか解けないし、また、その病的状況の悪化した場合の危惧もあり、鳥取のお兄さんのところへ手紙を出し、上京してもらいました。お兄さんは、前途ある青年の将来のために、おまえは身を引くべきだというような言葉で、妹をさとし、思いやりの深そうなお兄さんは、これ以上、都会で苦斗をつづけるより、郷里へ帰って、静かに休んだほうがいいという意見で、彼女もすぐそれに納得したようで、大人しく兄に従ってその日のうちに東京駅から立つことに決まり、僕一人が駅へ送ってゆきましたが、無言でじっとうつむき加減に車内の人となった彼女は、発車と同時、いきなり窓から上半身をのり出すようにして情熱をこめた瞳で、別れの手を激しく振った―ーそれが一生の別れでした。わずか数日を共にしたのにすぎなかったのです。 

帰省後。二三度手紙が来たり、愛読した本を送ってくれたりしたが、いつしか、文通もとだえてしまって、数年後芙美子さんからあちらで会って来た話をきいたぐらいで、殆ど消息を絶ってしまいました。 

彼女の生涯を思うとき、僕がまだ思慮も浅く、またいろんな事情があって、彼女に幸福らしい幸福の、せめて甘い思い出になるような楽しい日々を与えることができなかったことが、いまだに心残りがしてならないのです。 

この事件は、スキャンダラスな形で、文壇では、僕が彼女を一時的にもてあそんで捨てたために、彼女はノイローゼになって帰郷したといった風な噂が立ち、僕はアゼンとしてしまいました。そんなこんなで、僕も文壇人とつき合うことが次第にいやになり、文学からも遠退く結果になってしまいました。彼女も再起する力添えを失い、地方で、淋しく、孤独に生涯を送ってしまったのでしょう。心が痛みます。僕は彼女の傷に触れまいとして、文通も怠っていたけれど、今にして思えば、何とか、せめて、彼女を励まして、小説を書かせるべく骨を折るべきだったと、くやまれるのです。 

彼女とのいきさつについては大木惇夫と中野秀人が出していた「エクリバン」という雑誌に「月光詩篇」という題で小説に書き綴ったことがあります。大木さんが凄くほめてくれた作品で、多分昭和十一年頃の作品と思います。紛失して、今は手元にありません。 

僕は、彼女のユーモアとリリシズムに富む作品の愛読者に、右のような事件の真相を語ることが、果していいことか、悪いことか判らなくなって来ました。それで、心が決ったら、改めて、もっと精密に彼女のことを記録してみたいと思います。 

この手紙は、活字にして下さいますな。走り書きですし、誤解を招きそうなところもあるので、公にしたくありません。 とりあえず右、御返辞まで、 どうぞ御身御大切に、 
                                     
                                       丈雄    
坂本様



<「鳥の劇場」の目の前に広がる、のどかな田園風景>

 チェーホフが「かもめ」に、わざわざ喜劇と冠したのは、こういうわけだったのか! 大いに笑った。鳥取市と合併した鹿野町(しかのちょう)に拠点を構える「鳥の劇場」の公開ゲネプロ(本番さながらの通し稽古)を見せてもらった。今日7月6日から8日までの公演だが、鳥取市での今年の尾崎翠フォーラムとまったくバッティングしている。せっかくの機会なので、公開ゲネプロに合わせ、鳥取入りを1日早めた。

 前身の「ジンジャントロプスボイセイ」の頃に、わたしは東京で「かもめ」を見ている。出身地で「鳥の劇場」に再組織した主宰者の中島諒人氏が、鳥取の観客を相手に、どのように改変するのか興味があった。
 まるで別物になっていた。かつて抽象的で簡潔な美しい舞台であったものが、具体的で生々しく、皮肉な笑いに満ちている。ちょうど尾崎翠が生まれた頃、今から百年以上も前に書かれた戯曲だが、世代間の斗争は、今も変わらないのではないか。つくづく人間は進歩しない。

 目の前にある現実に依拠し、そのなかで勢力を張ろうとする旧世代と、今は目に見えないけれど、来たるべき新しい世界を築こうとする新世代の確執。よくあるパターンだが、チェーホフによって描かれた、両世代の作家&女優コンビの対比が、実に面白い。
 有名女優と売れっ子作家の旧世代は、人間を信じ、人間を描くことにこそ価値を置く。一方、女優の息子で、劣等感に苛まれながら、後に作家となる新世代は、人間はもちろん、その他のあらゆる生物も滅び去った後の、集合的な精神と物質の最後の戦いを描こうとする。その間で引き裂かれたのが、息子の恋人だ。売れっ子作家に憧れ、家出して愛人となり、さっさと捨てられて、売れない女優になる。


<廃校になった小学校と幼稚園の校舎および体育館が「鳥の劇場」の拠点だ>

 わたしは今回、バカげた観念論として嘲笑されている息子のプランは、ものすごく正しいのではないかと思った。才能豊かで、世に持てはやされているはずの旧世代もまた、時代の変転とともに、すでに凋落が始まり、恐怖におののきながら、懸命に自分の世界を守ろうと足掻いている。
 せっかく作家として認められ始めた息子は息子で、原稿が売れるためには、かつて自分が思い描いた世界から遠ざかっていく現実に絶望し、自殺する。どう見ても、あんまり女優の才能がなさそうな娘だけが、よろよろとヨロメキながら未来へ出発していくのだ。

 まるで希望のない世界だが、ほとんど噛み合わない両世代のコミュニケーション・ギャップが可笑しい。それだけではない。落魄していく富裕な地主階級に対し、息子に恋しながら、まるで相手にされないブスの娘と、彼女を愛し、ヤケクソになった彼女と結婚できて幸せな極貧の教師という、貧乏人コンビが愉快だ。今風の富裕層VS下層というギャップも導入されている。
 地主やインテリは、自分が本来あるべきところや、本当の生活から遠く隔たっているという自意識に悩まされているが(なんて感じやすい人たち!)貧乏人はテーマが明確だ。金がない、愛されない、無名で、尊敬もされず、社会的地位もない。

 そんなろくなことのない人生に、いつも喪服を常用してウォッカを呷っているブス女を演じる、村上里美さんという女優さんが、まことにケッ作だ。わたしはひそかに大笑いしながら、炸裂するヤケクソ魂に眼をみはった。「鳥の劇場」になってから、新しく加わった女優さんらしい。
 そんな彼女を愛する極貧教師と、領地の冷徹な管理人の二役を演じる西堀慶くんは、東京バージョンでは女優の息子を演じていたが、無駄なところが削げ落ちて、役柄の理念が剥き出しになっているようなところが素晴らしい。また、ジンジャントロプス時代から主要キャストを務め、今回有名作家を演じた齊藤頼陽氏は、相変わらずセクシーだ。初期のアントニオ・バンデラスを彷彿とさせる。


<「鳥の劇場」の入り口>

 東京では、抽象化を推し進めた美的演出の冴えが際立っていた中島諒人氏だが、地方に拠点を構え、多くの人に理解されやすい具体の世界に軸足を移すことで、人間の感情や肉体の喜劇性が、前面に浮かび上がっているように見える。もっとも、今回の公演は「『我々をもてあそぶ見えない力』を巡って』と題された3作品連続上映の最後であり、前の2作品にはおそらく別趣向の演出もあったことだろう。
 国際的にも活躍している中島氏だが、こうした舞台に日常的に触れることのできる幸せを、より多くの鳥取の皆さんに味わってほしいものだ。ついでに、尾崎翠の作品と、それを映画化した『こほろぎ嬢』と『第七官界彷徨−尾崎翠を探して』も、よろしくね。あんまり「ワケ分からん」とか「シチ面倒くさい」とか言わないで頂戴。

●鳥の劇場
http://www.birdtheatre.org/



<古木と並んだ、かつての校門には「大正十三年」と刻まれている>


 右上半身が、きしむように痛い。大きく呼吸するだけで、肩甲骨、鎖骨、肋骨が痛む。自転車で転んだのだ。深夜、酔っぱらって雨中走行し、気がついたら歩道にしたたか打ち付けられていた。短い時間、気を失っていたかもしれない。女性に「大丈夫ですか?」と声をかけられ、やっとの思いで立ち上がったが、なんとか自転車にまたがると、今度はチェーンが外れて、ペダルが空回りする。雨の中、自転車を引っ張って帰ってきた。
 しかし、酔っていたので、確かな記憶がない。特に、転倒する以前のことが五里霧中で、酔った頬に冷たい雨が気持ちよく、調子に乗ってスピードを上げたことだけは覚えている。転んだ後の記憶も、すべてフラッシュバックで、早朝気がついたら、自室の床に倒れ、下着姿で寝ていた。
 部屋に温かいモヤが籠っていると思ったら、ミニキッチンの電気コンロに鍋がかかったまま、水分がすべて蒸発して空焚きになっている。蕎麦でも茹でようとしたらしい。われながらマメであるが、鍋底は真っ赤で、とても持てない熱さだし、蓋は変色していた。コンロの周囲も過熱して、下手をすると火事を起こすところだった。
 全身の痛みと二日酔いで、丸一日寝込んだが、その翌日、きしむ身体を引きずりながら現場検証(?)に、歩いて出かけた。中野から新宿・十二社に向かう、おそらくは中野坂上付近だろう。ところが、フラッシュバックする転倒箇所の状景と、合致する場所がない。濡れた路面から見上げた、街道沿いの歩道の工事現場のような景色は、どこに行ったのだ?
 身体の打撲が、右半身に集中しているところから、何かと衝突したのではなく、急ブレーキをかけて、雨でスリップし、自転車ごと、右肩あたりから路面に叩きつけられたのだろう。ついでに後頭部もぶつけた。それにしても、いくら探しても該当する場所がないのが不思議だ。わたしは深夜の雨中走行で、いかなる陥穽にはまり込んだのだろう。


<5月4日は、映画『こほろぎ嬢』のパンフレットに、尾崎翠全集の書評(1980年)を収録させていただいた、吉行理恵さんの一周忌だ。追悼する『吉行理恵レクイエム「青い部屋」』(吉行あぐり編。文園社刊。1700円+税)が刊行された。発行日は5月4日。詩人としての出発点である自費出版の詩集「青い部屋」、自伝小説「記憶の中に」、芥川賞受賞作品「小さな貴婦人」、女流文学賞受賞作品「黄色い猫」、最後の作品「靖国通り」、それにエッセイ数編が収められている。巻頭に、母あぐりさんの理恵さんへの手紙、巻末に担当編集者だった小島千加子さんと、姉和子さんの追悼文があるが、異色は詩集「青い部屋」の、兄淳之介氏による「付記」。1963年に書かれたものだ。母、兄、姉の語る理恵さん像が、立体的に浮かび上がってくる。ほとんどマスコミに顔を出さなかった理恵さんの貴重な写真も、多数収録されている。尾崎翠と、とても魂の位置の近いところにいた詩人・作家と思われる>
●文園社
http://www.bunensha.co.jp/sinkan.html

 吉行理恵さんの一周忌に符節を合わせたように、5月5日(土)から、東京・下北沢の映画館「シネマアートン下北沢」で『こほろぎ嬢』のアンコール上映が始まった。「アンコール」というのは、1月の同劇場でのお正月ロードショーで、まずまずの観客が入ったため、GWで再上映ということになったのだ。1日1回、午前11時からのモーニング上映で、期間は5月18日(金)までの2週間である。
 わたしは連休のハザマの1日・深夜に転倒したので、TVが日本全国の行楽の模様を伝えるなか、ひとり痛む身体を抱え、唸っていた。実はこの間に、アンコール上映の件をこのブログでアップしようと思っていたのだが、とても書く気力が浮んでこない。頭がまとまらないのだ。妙な頭痛もする。
 それに、このところ『こほろぎ嬢』の上映に関しては<mixi>の「尾崎翠『こほろぎ嬢』製作上映」コミュや「浜野佐知」コミュを中心に、せっせと広報してきた。お正月ロードショーでは、これらのコミュの方々に本当にお世話になった。
 しかし、その時のロードショーで、知人・友人から<mixi>に至るまで、フルに声をかけた感があり、はたしてこれ以上『こほろぎ嬢』を観てくれる人はいるのか? という弱気に襲われないでもなかった。お金を使った宣伝を打てない以上、今回は<mixi>という親密な閉じられた仮想空間から出て、ブログという開かれた地平に出てみよう、と考えたのだが、バカげた大転倒のおかげでポシャッてしまった。


<シネマアートン下北沢が入っている鈴なり横丁。下北沢の再開発計画によって、存亡の危機に立っている。戦後風の木造二階建てで、二階が小劇場演劇のメッカ「ザ・スズナリ」と、映画館のシネマアートン。一階は飲み屋が連なっているが、一軒だけ角に古本屋「古書ビビビ」がある。再開発計画は区の審議会で承認され、都も道路の事業認可を下ろしているが(この道路によって、鈴なり横丁は消滅する)、下北沢商業者協議会が先頭に立って、計画の見直しを求めている。シネマアートンの岩本支配人も、その有力なメンバーだ。生活者の街として雑多なエネルギーに満ちている下北沢駅周辺(物価も安い)が、役人の机上のプランによって、日本全国どこにでもある小奇麗なだけの駅前に変貌させられて良いわけがない!>
●シネマアートン下北沢
 http://www.cinekita.co.jp/

 5日(土)のアンコール上映初日には、浜野監督の舞台挨拶があり、そこそこの人は入った。お正月には連日劇場に通った監督だけに、今回も意欲満々なのだが、問題は6日(日)から浜野組のピンクの撮影があること。浜野監督は、その後の仕上げ作業も含め、自分の都合の悪い日は、わたしに挨拶の代打ちを務めろと言う。人前で話すのは、まことに苦手なわたしだが、映画『こほろぎ嬢』や尾崎翠についてなら、何とかなるのではないか、と身の程知らずに考えたのが間違いだった。
 浜野組の現場では、わたしは脚本以外に、飯炊きと現場スチールを担当しているので、朝11時に映画館で挨拶をしてから、現場に向かうことになった。その一回目が、6日の日曜日で、わたしはそれなりにプランを考えていったのだが、初日以上に入ったお客さんを前に喋り始めたら、次第にわたしの脳から言葉が蒸発していく!
 自転車の転倒で、頭を打ったせいか。いや、前から喋っているうちに混乱していくのが、わたしのパターンなのだ。どうも、わたしの挨拶のプランが「第七官界彷徨」の蘚の恋愛から、人間中心主義の脱却を見出し、宇宙から見た地上の動物、植物、鉱物の関係を前段として、本論の「こほろぎ嬢」へ入る…などと大風呂敷を広げたのが失敗だったようだ。
 壇上で喋りながら、目の前の、つまらなそうにわたしを見つめている顔や、そっぽを向いている顔に出くわすたびに、しどろもどろになり、ついには本論として想定していた「こほろぎ嬢」の登場人物たちの、現代における存在意義について語ることなど忘れ、早々に舞台を降りてしまった。わたしはせっかく映画を観に来てくれたお客さんたちの気持ちに、水をさしてしまったのではないか。
 この日は、シャープ氏の友人役で出演している怪優、リカヤ・スプナーさんも、彼女連れで来てくれていたのだが、上映後に声をかけられ、初めて気づいた。それぐらい、わたしの視野は狭まっていたのだろう。その後、撮影現場に行って、浜野監督にリカヤさんが来てくれたことを報告すると、自分だったら彼を舞台に上げたのになあ、と残念がっている。アングラなイベントの仕掛け人でもあるリカヤさんなら、見事に観客の皆さんを惹きつけてくれたことだろう。わたしの落ち込みが、さらに深まったことは、いうまでもない。


<映画『こほろぎ嬢』のクランクインは、昨年の5月15日だった。去年の今頃、わたしは浜野監督や技師さんたちと鳥取県倉吉市に先乗りし、準備に努めていたのだ。<mixi>で、あの疾風怒涛の日々を、製作<失格>日誌として、昨年書き始めたのだが、撮影3日目ぐらいでストップしたままだ。スタッフの内紛を含む最大のヤマ場は、あの後、訪れるのだが…。それにしても、吉行和子さんは、妹・理恵さんを亡くして2週間後には、倉吉のロケに参加してくださったのだ。感謝の他ない>
●製作日記に関しては、mixi「尾崎翠『こほろぎ嬢』製作上映>コミュ参照。

 リカヤさん以外に、もうひとり劇場で声をかけてくれた女性がいて、「エンテツさんの友だちです」と自己紹介された。そして、彼女の携帯に入った、エンテツ大兄からのメールを見せてもらった。そこには『こほろぎ嬢』が、また映画館で上映されているとは知らなかった、ヤマザキたちはあまりに宣伝が下手すぎる、自分のブログにも書いてないじゃないか、奴を見かけたら発破をかけてくれ、というような、彼女宛てのメッセージが入っていた。
 これからエンテツさんと落ち合うことになっていると、彼女は去っていったが、「大衆食堂の詩人」と称される大兄は、お正月ロードショーの時に、この劇場に来てくれた。わたしが例によって、シネマアートン下北沢の前で、行き交う人たちを茫然と眺めていると、若者の多い下北沢には珍しく、建設工事の現場監督みたいなジャンパー姿のオヤジが、劇場の前に立った。そして、おもむろに館内に向かう階段を上がっていく。珍しいお客さんだなと思ったわたしはわたしで、母親からもらった「舘岩村婦人消防隊」のハッピを羽織っていたので、他人のファッションについて、とやかく言えたものではない。
 開始時間が近づき、わたしも劇場に入っていくと、そこには遠藤哲夫著『汁かけめし快食學』(ちくま文庫)の元になった奇書、『ぶっかけめしの悦楽』(四谷ラウンド)を編集した堀内恭さんと、エンテツさんご本人が立ち話しているではないか。現場監督風が大兄その人だったのだ。彼もまた「どうして田舎の消防団が、こんなところにいるんだ?」と訝しく思ったとか。
 なお、堀内恭さんは、現在独力で「入谷コピー文庫」を発行し、エンテツ大兄も「野菜炒めの研究」を書き下ろしている。入谷コピー文庫の、わたしが知る近刊は、桂浜吉著『そ・し・て…未亡人読本〜寒椿篇〜』という、かなり怪しげなやつ。亡くなった著名人の奥さんの、回想本の世界を探求している。<向日葵篇><曼珠沙華篇>に続く「未亡人読本」三部作の完結篇だとか。


<シャープ氏とマクロード嬢のエピソードは、鳥取市の仁風閣で撮影された。棺おけに向かって立つ左手の役者が、リカヤ・スプナーさん。国指定重要文化財で、不埒な撮影隊は深夜まで撮影を行った>

 なぜ、すぐにエンテツさんと気づかなかったのか? 大兄とは飲み会で何度か同席したぐらいで、後はネット上の付き合いだが、映画館のような場所では、まったくコンテクストの異なった方々が、交錯して来訪する。普段あまり人と会わない生活を続けているわたしは、どこかで出会った顔に出くわすたびに、記憶をフル動員するのだが、その速度が手動の紙芝居ぐらいに極度に遅い。
 それで、つい失礼してしまうことが少なくないのだが、映画館の前で、エンテツ大兄とお互いに、おかしなオヤジだなと、不審のまなざしを向けていたのだから笑える。
 酔っぱらいで知られる大兄だが、一方で食をめぐるマーケティングやプランニングの冷徹な専門家でもあって、『こほろぎ嬢』上映をめぐるわたしたちのやり方が歯がゆくて仕方がないのだろう。わたしへの檄が、女性の携帯経由、というのがエンテツ大兄らしいのか、らしくないのか分からないが、わたしは深夜の雨中転倒で一度は断念したブログを書くことで、舞台挨拶で落ち込んだ気持ちを立て直そうと決意した。舞台挨拶で、わたしは何を喋ろうとし、何を喋れなかったのか? 
 しかし、浜野組の現場中は無理なので、10日(木)に主演女優・石井あす香さんの地元の松戸市で開かれる上映会の前の、9日にアップしようと予定していた。ところが、撮影の最終日の深夜に帰って、翌朝、わたしは右半身の、うずうずする痛みで目が覚めた。転倒の後遺症が、1週間経って発症したのか? いや、違う。撮影現場のハヤシライスの呪いなのだ。


<転ぶ前に、こんな写真を撮っていたのが、不幸を招き入れたのか。近所の熊野神社の境内の奥には、不気味な狐が4体鎮座している>

 撮影現場で、わたしは監督の作っておいたメニューにしたがって、スタッフと役者の食事を作るのだが、これは日ごろ自分の部屋でやっていることの拡大版なので、特に問題はない。大変なのは、食べた後の食器洗いなのだ。ひとり当たり、ご飯・味噌汁・サラダなどの野菜・メインの肉や魚の皿・それにお茶のコップと、5つのプラスチック食器を使い、それが十人分以上ある。
 なかでも、旦々舎名物のカレー(監督がイン前に作っておく)の粘着したプラスチック容器をきれいにするのが、至難の業。今回は2日目にカレーで、3日目にハヤシライスが登場してきた。そして、わたしが前夜、監督のレシピにしたがって作ったハヤシが、とんでもない難物だったのである。カレー以上に、食器にこびりついて離れない。いきおい洗剤を大量に使うが、この洗剤というのがわたしの大の苦手なのだ。自室では、ほとんど油を使わないので、基本的にタワシで汚れを洗い流しているのだが、洗剤によって見る見るうちに、わたしの指の指紋が消えていく。
 ともかく、ハヤシときたら、いくら洗剤を使っても、相当のチカラを込めてこすり落とさないことには、きれいに落ちないのだ。ガラスや金属だと落ちやすいようだが、あいにく現場の食器はみな安物のプラスチックで、これに見事にこびりつく。スプーンもまた同じ素材で、これがまた窪みにひっついて、離れない。
 タダでさえ右半身の痛むわたしだったが、やむを得ず思い切りチカラを入れることになり、洗い終わったときには眩暈がしたほどだった。そのせいで、だいぶ収まってきた転倒時の痛みが、再びぶり返し、そこでまた1日寝てしまった。にっくきはハヤシライスである。
 しかし、わたしが味噌汁の大根を包丁で切ったりしている後ろで、裸の撮影が行われ、わたしがこびりついたハヤシを削ぎ落とそうと格闘している横に、バスローブ姿の女優さんがお菓子を食べにきたりする光景は、ピンク映画の撮影現場のファミリーな雰囲気を表すものだろう。


<これまた、事後の眼で見ると、不吉を感じさせないでもない。新宿中央公園の外周の蔓の植物。熊野神社は、この公園の一角にある。中央公園は最近、再びブルーシートを張ったキャンプ村の様相を呈してきた>

 そんなこんなで、あっという間に、2週間のアンコール上映のうちの1週目が終わってしまった。今日から、後半の1週間が始まるというのに、わたしのブログはまだ更新できていない。エンテツ大兄の檄がさっぱり効いていないではないか。
 大兄は、<mixi>を一種の仲良しクラブと断じ、強風やら雷やらが渦巻くネットの荒野に、一人立つ気概で、ブログ「ザ大衆食つまみぐい」を連夜執筆されている。どうやら、書いているときは、ほとんど酔っ払っているらしい。最近の「小諸の揚げ羽屋オヤジ追悼」は、島崎藤村の作品にも登場する歴史ある食堂の、昨年亡くなった主人を偲んで、胸を打つものがある。
 しかし、あまりに亡き人への愛情にあふれ、わたしにはいくらか物足りない。時代のブームや、カッコつけたグルメ文化、食をめぐるありきたりの思考方法などに対する、エンテツ大兄の、寸鉄人を刺す批判の、わたしはファンなのだ。酔っぱらうことと、生活や人生について考えること、それを言葉にしていくことのリズムが、八方破れの文体のなかで見事に連動している。
 以前読んだ日記だが、女房に逃げられ、旧知の大兄に仲裁を依頼してきた団塊男に対する辛辣な批判には、大笑いしながらもシミジミとしてしまった。結婚離婚を繰り返し、子供に死なれたこともあるらしい大兄自身の、浮沈の人生が、短い言葉で裏打ちされていた。
 お正月にシネマアートン下北沢に来てくれたときには、限られた時間だったが、初めて大兄と二人で飲んだ。その際にも出た話題だが、花田清輝が1974年に亡くなった後、遺稿集として刊行された『箱の話』(潮出版社)で、最後に花田が取り上げていたのが、江原恵著『包丁文化論』(エナジー叢書)だった。
 あの難しい花田が「大いに親近感をおぼえた」と賞賛している江原恵という人と、エンテツ大兄は一方ならぬ関係にあり、快著『汁かけめし快食學』(ちくま文庫)の第5章でも、かなり詳しく触れているが、これが大兄とわたしの、もうひとつの接点だろうか。花田は、わたしのもっとも敬愛する批評家である。
 飲み屋では、江原恵の晩年の、とても興味深いエピソードをうかがったが、大兄には、ぜひ一冊の本になるぐらい、この江原恵という不思議な人物像と、その成し遂げた仕事について書いてもらいたいと願う。そうとう破天荒な人生を送った人のようだ。


<エンテツ大兄の快著『汁かけめし快食學』(ちくま文庫)。カバーの東洋片岡氏のイラストと、なかの各章の扉絵が笑わせる。大兄の著者は、他に『大衆食堂の研究〜東京ジャンクライフ』(三一書房)など>
●大兄のブログ「ザ大衆食つまみ食い」

http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/

 さて肝心の、シネマアートン下北沢での舞台挨拶だが、わたしは人前で話すことは、すっぱり断念し、このブログで、<何を言いたくて、何を言えなかったか>書くつもりだったが、実はその後、松戸の上映会に出向いた10日を除いて、連日、上映前に挨拶をしているのだ。ただし、方針を変更して、独りよがりな尾崎翠論のようなことはアキラメ、舞台の袖から、上映前に知っておいて悪くない、いささかの情報の提供と、パンフレット(400円)および漫画「こほろぎ嬢」(千円)の紹介に努めている。
 やはり平日のモーニングのお客さんは少なく、パンフなどを買ってもらうことで、少しでもアンコール上映を決めてくれた劇場の売り上げを増やしたい。しかし、それ以上に、わたしはどうやら、人前で喋るコツを、いくらか会得したような気がしないでもないのだ。転機はすぐに訪れ、大失敗の翌月曜日、観客は二人の高齢男性のみで、そのうちのお一人は、わたしの話などにまったく関心を示さず、うるさそうにしている。
 しかし、わたしは、残るたった一人のおじいさんを相手に話しながら、そうだ! いくら多数のお客さんの前でも、こんな風に一人の相手に話すように話せば、頭が散らからないで済むのではないか! 妙にレトリックのようなことは考えず、素直に一人の相手に向かって、伝えたいことを伝える、という方針に切り替え、何とか聞いてもらえる水準に向かいつつある(ように思うのだ)。
 もっとも、そう思っているのは自分だけで、浜野監督のようにハッタリは効かないし、聴く人を意気昂揚させることもないのだが、少なくともこれから映画を観ようとする人たちを、意気阻喪させるようなことは少なくなっていると、わたしは自己診断する。
 これから一週間、浜野監督の登板する13日(日)、14日(月)、最終日の18日(金)を除いて、わたしが舞台の袖から挨拶することになっている。モノは試しで、一度聴きに来てもらいたいものである。


<ああ、懐かしい倉吉の豚クン。昨年10月、この大豚クンはすでに出荷されていて、動物学実験室の子豚クンは未だだった。今頃どうしていることだろう>




 大阪の十三(じゅうそう)という街と尾崎翠。ミスマッチのようでありながら、常識を凌駕すること、第七官の世界で彷徨するかのようだ。阪急線十三駅西口から歩いて5分もかからない映画館「第七藝術劇場」で『こほろぎ嬢』の大阪ロードショーが、4月21日(土)からスタートした。尾崎翠作品としては前作の『第七官界彷徨−尾崎翠を探して』も、最初の1週間だけは併映される。しかし、その前に、十三駅前で見つけた上のシンボルは、一体なんだろう?



「鉄わん波平」。すでに、そうとう有名らしいが、大阪もろくに知らないわたしは、十三の地で度肝を抜かれること、しばしばだった。この街は、風俗営業のメッカでもあるらしいが、朝から昼サロみたいな店が営業していて、スケスケの衣装でお客を送り出している。風俗店の無料案内所がやたら多く「ルパン13世」だとか「名案内コナン」だとか駄洒落が氾濫しているのだが、マンガの絵柄もそのまま使用。著作権の心配をしてしまうが、まあ風俗関係なら有り得るだろう。しかし、れっきとした駅前の商店街、といっても一本の路地なのだが、これを「波平通り」と呼び、シンボルが「鉄わん波平」、すなわち、姿かたちは鉄腕アトム、顔だけ「サザエさん」のお父さん=波平氏の顔なのだ。



 これは、しかし…すごいね。合体させられた両方とも、著作権にシビアなことで知られているが、ここまで堂々とやっているのは、何らかの形で諒解を得ているのか。検索してみると、この看板の「鉄わん波平」の文字とその上のキャラクターに覆いをかぶせ、遮蔽していた一時期があったようだ。おそらく問題になったのだろう。その後、了承されて覆いを外したのか?
 この通りのことを「mixi」に書いたら、「サザエボン」みたいだという指摘があった。こちらは、髪型や顔の輪郭はサザエさんで、顔はバカボンのパパなんだそうだ。Tシャツなどにプリントして、関西では売られているという。初耳で笑ってしまったが、検索すると「サザエボン」の発祥もどうやら十三らしいのだ。恐るべき街である。



 あるいは、十三とサザエさんは、何か深い因縁があるのだろうか。散歩していたら、キャバクラの看板に、サザエさん一家が描かれていた。確かに有名なキャラクターではあるが、戦後のマンガの古典であり、全盛時代は何十年も昔の話だろう。サザエさんに引かれてキャバクラに入ってしまう男が、この街にはいるのか? どうやら局地的に、磯野家のファミリーは今でも現役であるらしい。
 そういう目で「第七藝術劇場」というネーミングに触れると、なんだか怪しく見えてくるが、松村支配人によれば、フランスで映画が「第七芸術」と呼ばれたことに由来する、由緒正しい名前だという。ビルの6階、エレベーターを降りて、目の前の劇場の看板の右手にはボーリング場が広がり、左手が映画館の入り口だ。



 十三の駅のホームからも見える、ビル屋上の黄色いボーリングのピンが、「第七藝術劇場」の入っているサンポードビルの目印だ。十三駅西口を出て直進し、大きな横断歩道から見える「十三サカエマチ商店街」にある。ビルの入り口や、ビルの中ほどの壁面にも、でかいボーリングのピンが据えられているので一目瞭然。



 サンポードビルの向かいにある「ねぎ焼き やまもと」は、大阪でも有名な人気店らしい。最初、どうしてネギだけ焼いて食べるのか不可解だったが、お好み焼きのキャベツをネギに代えているのだとか。実際に食べてみたが、絶品だった。軽い食感で、いくらでも食べれそうだ。また、ならびの「がんこ寿司」のお昼定食は、安くて旨い。うどんにウルサイ浜野監督は、セットで付いてくるうどんに唸っていた。



 いや、呑気に食い物の話をしている場合じゃなかった。『こほろぎ嬢』や『第七官界彷徨−尾崎翠を探して』の世界は、果たして大阪で受け入れられるのかという大問題があったのだ。3月にマスコミや関係者を招いて『こほろぎ嬢』の試写をおこなったのだが、映画が終わった後、不気味な沈黙が支配する。なかには顔を紅潮させ、憤然として帰る男性もいた。大阪ロードショーに向けて、暗雲が漂った瞬間だった。



 わたしはすっかり悲観してしまったのだが、ここで動き出したのが、鳥取県の大阪事務所だった。4月中旬に浜野監督が大阪に行き、鳥取県事務所のスタッフとともにマスコミ行脚。わたしもポスターやチラシをかかえて同行したのだが、いきなり依頼されて面食らっている記者氏もいて、なんだか「超売れない演歌歌手のキャンペ−ンの付き人」にでもなったかのような気分だった。ところが、公開間近になって続々新聞記事が出始め、いずれも大きなスペースを割いている。予想したようなパブ記事ではなく、どれも映画と尾崎翠、浜野監督を真面目に紹介してくれている。『こほろぎ嬢』の製作が、鳥取県支援事業とはいえ、わたしは改めて鳥取県大阪事務所の日ごろの活動に敬意をはらった。



 上映は各1日1回。『こほろぎ嬢』は最初の1週間(27日まで)がお昼の12時35分から、『第七官界彷徨−尾崎翠を探して』がその前の朝10時30分から。(『こほろぎ嬢』は4月28日(土)から朝の10時20分からのモーニングに移り、5月11日(金)まで、計3週間の公開となる)。けっして恵まれた時間帯ではないが、劇場側にもメインで売りたい作品があるのであろう(小野町子風に言えば)。
 しかし、新聞記事がほとんど新作の『こほろぎ嬢』に集中し、朝10時半からの『第七官界彷徨−尾崎翠を探して』はキビシイと予想されたが、浜野監督が舞台挨拶した21日・22日・23日の3日間、思いのほかのお客さんが来てくれた。鳥取に縁のある方はもちろんだが、大阪、そして関西で尾崎翠の読者が増えているのも、確かな事実のようだ。



 浜野監督のトークも自ずとテンションが上がる。なかには、昨年10月の鳥取先行ロードショーで『こほろぎ嬢』を観たが、もういちどぜひ観たいと、わざわざ鳥取から観に来てくれた二十代の女性もいた。



 右側でパンフレットを持っているのが『第七藝術劇場』の松村支配人。



 唐突ながら、上は付録写真。ぶらぶら十三駅付近を散歩していたら、神社の境内で妙な掲示を見つけた。[手水]と書いて「ちょうず」と読むのかと思ったら「てみず」なのだという。手を洗うだけでなく、口をすすぐのが面白いと思って、ホテルに帰って検索したら、神社の古式ゆたかな作法だった。絵が何となく戦前風なだけで、神社に参る前の作法としては正統的なもの。





 「第七藝術劇場」とは逆側の、十三駅東口から3分ぐらいの神津神社。かつてはこの辺は神津村だったらしい。手水を使うこの建物を「手水舎」(てみずや)というのだそうだ。そういえば、どこの神社でも手を洗うところがあるが、口まですすぐのが正式(?)なのだ。わが身の無知を知る。思わぬ勉強をした。これから神社を訪問したら、上の素敵な絵を思い起こそう。



 もひとつ付録。波平通りのお店のシャッターに描かれていたものだが、鉄腕アトムなみの使命を果し、十三の飲み屋で疲れを癒すサザエさんパパの波平。カツラなのかヘルメットなのか、アトムの頭を外して、ほっとくつろいでいる。3杯目の大ジョッキを飲む後ろ姿に、シブイ哀愁が漂っているような…。



 まあ、ここまでくれば、著作権云々はどうでもいいような気がしてくるから不思議だ。サザエさんファミリーと十三商店街の、変わらぬ繁栄を祈りたい。

●第七藝術劇場=電話06・6302・2073。大阪市淀川区十三本町1−7−27 サンポードシティビル6F
http://www.nanagei.com/


<神津神社より>


 目下『こほろぎ嬢』のお正月ロードショーを行なっている下北沢の映画館「シネマアートン下北沢」の前で、途方にくれたような視線を通行人に投げかけている初老の男を見かけたら、それは間違いなくわたしだ。下北沢の駅前は人で溢れかえっているのに、この鈴なり横町界隈はどうしてこんなに閑散としているのだろう、あの駅前の騒然たる群衆が、この映画館に怒涛のごとく押し寄せてこないのは何故なのか?
 いや『こほろぎ嬢』にお客さんが来ていないわけではないのだ。ゲストのトークがある日は、けっこう込み合い、特に吉行和子さん(松木夫人役)と大方斐紗子さん(祖母役)の夜(7日)は超満員で、補助席までほとんど埋まってしまった。また、音楽監督の吉岡しげ美さんの夜(8日)には、なんとあの歌舞伎町でタイガーマスク(多分)の仮面をつけ、自転車に乗って新聞配達をしている(一部での)有名人が現われ、浜野監督と吉岡さんの掛け合い漫才のようなトークに花を添えた。
 4日と6日の石井あす香さん(小野町子役)の舞台挨拶&トークでもそうだったが、こういう日は観客と、ゲストや浜野監督との間に親密な空気が流れ、質疑応答も活発に行なわれることが多い。脚本のわたしも記録用のデジカメを撮りながら、しみじみ幸せな気分に浸ることになる。
 ところが問題は、トークイベントの無い平日なのだ。午後1時半の回、3時半の回、そして5時半の回と、回を追うごとに観客が漸減し、特に最後の5時半の回など、時には2人、さらには1人というドラスティックな事態が目の前で現出し、わたしは目を見開いたまま、頭がクラクラとなった。



 全国的に、夜、映画を観るひとが激減しているらしいが、実はまさに平日の夜である1月11日(木)の5時半の回に、わたしの企画したトークイベントがあるのだ。79年に刊行された最初の創樹社版「尾崎翠全集」の玉井五一編集長と、故・藤田省三氏とともに全集発刊を提案した元・岩波書店校閲部の田中禎孝氏をお呼びしている。野中ユリ装釘のこの美しい全集は、わたしにとって一種特別な書籍であり、玉井氏は伝説的な編集者といっていいだろう。
 しかし、追加のイベントなので、劇場が配っているトークショー案内には載っていないうえ、「mixi」で告知したところ、5時半の上映開始という、仕事を持つ社会人には絶対無理な時間設定が問題だという指摘を受けた。確かに中途半端な時間であるが、劇場側も映画上映後の深夜に貸し館を行なっているという止むを得ない事情があり、お互いに厳しい環境のなかで悪戦苦闘していることが分かっているので、無理も言えないのだ。
 一昨日、ピンク映画の監督仲間である国沢☆実くんが観に来てくれ、雑談をした。彼によれば、知り合いの監督の舞台挨拶に行ったら、壇上に並んでいるゲストの数が、客席の観客の数より多かったという。わたしは戦々恐々とならざるを得なかった。幸い『こほろぎ嬢』の場合、土・日曜の役者さんや吉岡さんがゲストの日は大いに賑わっているが、わたしの企画した、ある意味では渋い、それもただでさえ観客の少ない平日の5時半の回は、果して大丈夫なのか? 玉井さんと田中さんとわたしと3人で、映画を観るような羽目に陥るようなことは、まさかあるまいと思いたいが、しかし絶対ないと言えるか?
 しかも、期日は明日と迫っている。こうなったら、このブログを読んでくれる方がどれぐらい存在するか知らないが、その方々の義侠心に訴える他はない。なんとか時間を按配して、1月11日木曜日、午後5時半、小田急線・井の頭線の下北沢駅下車、鈴なり横町のシネマアートン下北沢にご来館ください。
 と言っても、前売り券1500円(わたしに連絡頂ければ販売します)当日券1800円を出してもらう以上、何かセールスポイントが必要だろう。



★ポイント1
 いまや尾崎翠全集と言えば、筑摩書房の『定本尾崎翠全集』上下巻(98年刊)が当たり前になったが、これの前身が創樹社版『尾崎翠全集』(79年刊)だ。編者が同じ稲垣眞美氏で、創樹社版をベースに、さらに充実させたのが筑摩書房版となっているかといえば、まったくそうではない。これは稲垣氏による尾崎翠の私物化の現われ以外の何ものでもなく、確かに筑摩版には未収録作品を多く加えているのだが、尾崎翠の作品かどうか怪しいものが混じり込んでいる。また、長たらしい稲垣氏の解説には捏造があり、なかでも「恋びとなるもの」高橋丈雄とのくだりなど、妄想としか言いようがない。第一、初出の雑誌との異同などを記した「校異・解題」が、最初の創樹社版のほうが詳しく、筑摩版ではほとんど手を付けられていないのは「定本全集」としては致命的な欠陥ではないか。
 というようなことは、これまでにも繰り返し書いてきたので、もう飽きたと言う人もあるだろう。しかし、今や稲垣ストーカーと化した(南陀楼綾繁氏評)らしいわたしは置いといて、最初の全集の発刊に踏み切った玉井五一編集長と、岩波書店の校閲に在籍しながら翠全集の「校異・解題」を担当しただけでなく、作品の発掘収集にも努められた田中禎孝氏のお話を伺うことには、歴史的な意味があるのではないだろうか。
 当時、未知の天才であった尾崎翠の最初の全集が、どのように立ち上がってきたのか、それはどのような波紋を読書界に投げかけたのか、その後どのような変遷を辿ったのか。
 貸し館の関係で、多少時間を早めに切り上げざるを得ないので、その後、場所を居酒屋に移してお話しするつもり。玉井編集長は、新日本文学会で花田清輝など戦後文学の巨星たちと親しく仕事をし、文芸出版社創樹社を起こしてからは深沢七郎、富士正晴、そして花田清輝の名著『冒険と日和見』などを次々に送り出した。
 つい先日も、玉井氏の関係している「本郷クラブ」で、作家、小沢信男氏の「わたしの点鬼簿『通り過ぎた人々』」という「講話」を聴いたばかり。玉井氏と小沢氏は新日本文学会の僚友だが、小沢氏が講談社文芸文庫の花田清輝シリーズに書いた解説の、融通無碍な名文にシビレテいるわたしには、至福の時間であった。なお居酒屋の飲み代は割り勘です。



★ポイント2
 言うまでも無く、今回の眼目である映画『こほろぎ嬢』を観ること。見どころを、脚本のわたしがキャッチフレーズ風に言えば、次のようになるのではないか。
 百年早かった天才、尾崎翠が、筆を折る直前に到達した、孤独で可笑しな文学世界のエッセンス「歩行」「こほろぎ嬢」「地下室アントンの一夜」の、3本の短編を映像化した。そこでは風変わりな変人たちが、ひとりぼっちでモノローグを呟いたり、永遠に実ることのない「片恋」に熱を上げたり、オタマジャクシや豚と心を通わせたり、時には妙チクリンな議論を熱っぽく戦わせたりしている。
 いずれも現代の引きこもりに似た人物どもで、まったく世の中の役に立つ気配はないが、これらの徹底して実用性に欠けた連中の愛おしさ、掛け替えのなさはどうだろう。親の家に火をつけたり、妹の身体を分断したりする前に、尾崎翠の反・現実=愉快で爽やかな「地下室アントン」への訪問を、ぜひともお奨めしたい。精神分析をもじった翠の「分裂心理学」によれば、人間も動物も植物もさまざまに分裂し、二つの心の間を行ったり来たりしている。それが当たり前の、懐かしい常態なのだ。
 また、鳥取の景観の美しさ、ロケセットに使った古建築の存在感、吉岡しげ美の音楽の透徹したリリシズムなど、見どころ聴きどころには事欠かない。人によっては取っ付きにくい尾崎翠の文学世界だが、映像化することによって、変な論理に裏打ちされた独特の可笑しさが際立ったように思われる。



★ポイント3
 シネマアートン下北沢を評して「カルチェラタンの映画館みたいね」と言ったのは、日仏女性研究学会の伊吹弘子さんだったが、まさに言い得て妙。席数41のミニシアターだが、木の階段を上がり、民家の廊下風な処を通って、映写会場に入る。狭い廊下の先には沢山の映画のチラシが並び、今回は『こほろぎ嬢』のパンフや関連書籍、それに鳥取関係の観光資料なども揃っている。さらにその先にはカフェ・スペースがあり、コーヒーやビール、それに軽食なども頼める。トイレは女性スタッフの手によって、常に清潔に保たれている。
 浜野監督の口癖ではないが、このような映画館を持つことは、映画ファンの永遠の夢なのではないだろうか。まだこの映画館を未体験の方には、ぜひこの機会に訪れて頂きたい。番組もはなはだ個性的で、癖になります。
 とまあ、いろんなことを書き連ねたが、これも明日の夕方5時半に、少しでも多くの方に参集して頂きたい一心でのこと。後は観念して、天命を待つことにしよう。


 降っていた小雨が、ふっと雪に変わったりするなかを、山あいの温泉の共同浴場から歩いて帰ってくる。片道30分弱の距離だ。途中で、道路に面した山側に、猿の群れがいるのを目撃して唖然とする。枝の先の何かをムシって食べているが、わたしの子供時代(何十年前のことだ?)には見たこともない情景だ。老親に聞くと、近年、里に降りてきて野菜を食い荒らし、相当の被害が出ているとか。

映画『こほろぎ嬢』お正月ロードショー。
東京・下北沢のミニシアター「シネマアートン下北沢」で、1月4日(木)〜19日(金)まで、1日3回上映。午後1時30分/3時30分/5時30分。
初日1月4日の一回目の入場者には、舞台挨拶をする石井あす香さんより、鳥取県東京事務所提供の「二十世紀梨キャラメル」や岩美町製作の「尾崎翠ゆかりの地絵図」などがプレゼントされる。



 夕方、窓を開けたら、あたり一面の雪景色で、瞬時の変わりように驚く。雪国ではこんな速度で雪が降り積もっていくのだ。猿の群れも楽ではないだろう。昨年の記録的な大雪では、正月に帰省した際、雪に埋まった実家の雪かたしに往生したが、今年、数日前にバスから降りたらまったく雪が無く、雨が降っているのには拍子抜けした。これは楽な正月になりそうだと思ったのだが、正月中はともかく、1月には屋根の雪降ろしや、家の周囲に落ちてうず高く堆積する雪の片付けにやってくることになるだろう。

映画『こほろぎ嬢』のチケット。
●前売り券=1,500円
インターネットの申し込みは旦々舎。
http://www.h3.dion.ne.jp/~tantan-s/
劇場での購入はシネマアートン下北沢。
http://www.cinekita.co.jp/
●当日券(劇場のみの取り扱い)
一般=1,800円/学生1,500円/小・中・シニア=1,000円



 南会津の実家に帰っている。わたしが生まれたのは、現在実家のある村役場(今年から合併して支所となった)のそばではなく、山あいの温泉の方なのだ。温泉が産湯だったというが、憶えているわけではない。しかし、尾崎翠の「無風帯から」に何がなし親近性を覚えるのは、そんなところに理由があるのかもしれない。共同浴場は、建物は変わったが、わたしが生まれる以前から同じ場所にあるという。老親の手伝いに帰ってくることが増えたが、案外、産湯をつかった温泉に入ることが、わたしを動かしているに違いない。

すべての役者が下北沢にやってくる。
 劇場での舞台挨拶&トークに、倉吉から出演の平岡典子さん(売店の女の子)をのぞく、すべての役者が、日替わりでシネマアートン下北沢に集結する。1月4日、初日の石井あす香さんだけが1回目の上映(13:30〜)前に舞台挨拶を行い、それ以降のトークは、すべて3回目の上映(17:30〜)の後に行なう。(浜野監督は毎回登場)。
●スケジュール
4日(木・初日)石井あす香(町子)
6日(土)石井あす香(町子)
7日(日)吉行和子(松木夫人)+大方斐紗子(祖母)
13日(土)鳥居しのぶ(こほろぎ嬢)+宝井誠明(九作)+外波山文明(松木氏)+野依康生(当八)
14日(日)イアン・ムーア(シャープ氏)+デルチャ・M・ガブリエラ(マクロード嬢)+リカヤ・スプナー(友人)+ジョナサン・ヘッド(友人)
19日(金・楽日)片桐夕子(産婆学の暗記者)+鳥居しのぶ(こほろぎ嬢)



 共同浴場に浸かりながら、『こほろぎ嬢』のお正月ロードショーについて「mixi」では盛んに書き込みながら、このブログではさっぱり触れていないことに気づく。どうもわたしは、サウナやプールのなかでないと沈思黙考できない習慣がついているようだ。机に向かって本を読むこともできず、電車内などもっぱら移動中に読む。貧しい読書だ。人気のない共同浴場で、改めて「mixi」とブログの(自分にとって)悩ましい関係について考える。

音楽監督の吉岡しげ美さんも来館しトーク。
 茨木のり子、与謝野晶子、金子みすゞなど女性詩人の詩に歌をつけて歌ってきた吉岡しげ美さん。浜野監督とのコンビも『第七官界彷徨−尾崎翠を探して』『百合祭』そして『こほろぎ嬢』と3作目となるが、今回もっとも大きな手応えを感じているとか。
●スケジュール
1月8日(月・祝)3回目の上映後。



 ブログは、なんとなくテーマがある場合、日常生活に近いものは「mixi」というつもりでいたのだが、実際には知人友人、同好の方々のダイレクトな応答のある「mixi」に気を取られがち。以前、Yummyさんが、外部の検索に引っかからない「mixi」の閉鎖性を指摘し、エンテツ氏はエンテツ氏で、囲われた仲良しクラブには入らないぞ! 風の吹きすさぶ荒野に、俺は独り立つ(意訳)と咆哮していた。わたしはそのへん中途半端。「mixi」内での、親しみを伴なった意見交換や情報の伝播に、貴重なものを感じているのは確かだ。

創樹社版『尾崎翠全集』(1979年)の編集長と校閲者が来館。
 今は無き文芸出版社の創樹社。その玉井五一編集長といえば、わたしにとって伝説的編集者だ。尾崎翠再評価のはるかな狼煙を1960年にあげた花田清輝とともに、新日本文学会で活動し、創樹社を樹立後は深沢七郎、富士正晴、そして花田清輝の名著『冒険と日和見』などを、斬新な装丁で世に送り出した。安倍公房など戦後派の文学者と親交が深い。
 尾崎翠全集は「責任編集=稲垣眞美」となっているが、思想史家の藤田省三氏と、当時岩波書店の校閲部に在籍した田中禎孝氏が、玉井氏に全集出版の企画を持ち込み、玉井氏の決断で実現したもの。田中氏は「校異・解題」を担当したのみならず、作品発掘でも協力した。「こほろぎ嬢」など重要作品を発掘した日出山陽子さんも「年譜」の製作に従事している。
 こうした協力者を振り捨て、稲垣氏のワンマン体制になった筑摩書房版『定本全集』が、全集として致命的な欠陥を抱えていることは、これまで繰り返し指摘してきた。
 最初の全集発刊時、未知なる天才だった尾崎翠の全集が、どのように成立して行ったか、その初心を玉井五一氏と田中禎孝氏にお伺いしたいと思う。
●スケジュール
1月11日(木)3回目の上映後。



 南会津の雪は、一晩で膝より高く積もり、翌日の午前には除雪のブルドーザーが出陣してくる手際のよさ。さすが慣れている。しかし、雪は降り止まず、2日目の夜になると、屋根に積もった雪が轟音とともに滑り落ちるのが聞えてくる。正月中は大丈夫と思ったわたしが、素人だった。これは大晦日や元旦にも雪かたしをしなければならないだろう。
 弟がやってくる。お互い、いい年になった兄弟だが、わたしは子供時代と変わらず兄貴風の口の利き方をしている。それが自然と思っているが、いつまで経っても年が逆転することのない兄を持った弟というのは、結構うっとうしく感じるものではないだろうか。彼がどう考えているかは分からない。わたしほど温泉や共同浴場が好きでないらしいのは、生まれて間もなく今の地に引っ越してきたせいか。
 来年はこのブログの再建に取り組もう。


 目下『こほろぎ嬢』の鳥取県4市町・先行ロードショーで鳥取にいます。今日10月14日と明日15日は鳥取市、その後、尾崎翠の生地である岩美町、ロケのメインだった倉吉市、そこから大山の米子市を経て、再び鳥取市に戻ってくる、連続9日間のツアーです。
 『こほろぎ嬢』製作からすっかり拙ブログの更新が滞ってしまいましたが、mixiの個人的な感想とは異なって、ここではまとまったことを考えてみたいと思っています。まだその余裕はありませんが、今回の連続上映のパブリシティで、山陰中央新報に記事を寄稿させて頂きました。その全文をここで再録します。なお、同紙の見出しは「映画『こほろぎ嬢』完成 静かで成就せぬ恋描く 尾崎翠原作 鳥取県内各地で撮影」というものでした。
 なお、この鳥取連続上映の直後、10月26日(木)に、東京国際女性映画祭で『こほろぎ嬢』が上映されます。会場は表参道の東京ウィメンズプラザ、午後3時からで、吉行和子さんをはじめ役者さんたちの舞台挨拶がありますので、ぜひお出でください。実を言うと、直前まで鳥取上映に来ているため、東京でチケットを販売することが出来ないと浜野監督が悲観していますので、以下に申し込んで頂ければ幸いです。
http://www.h3.dion.ne.jp/~tantan-s/


*鳥取砂丘の「馬の背」で撮影中。

<以下は『山陰中央新報』掲載記事より>

 今年の五月、私たちは「漂流する撮影隊」でした。映画『こほろぎ嬢』は鳥取県の中部・倉吉市でクランクインし、西部・米子市を経由しながら、東部・若桜町に移動。そこから八年前に『第七官界彷徨‐尾崎翠を探して』で合宿した岩美町に帰還(?)し、鳥取市内や浦富海岸の撮影に、せっせと通ったのです。
 脚本の私は、現場では制作を担当したのですが、経費を切り詰めるため、機材車などの運転をボランティアに頼りました。そのため、数台のトラックを明日どうやって動かすか、次のロケ地にスタッフをどう運ぶか、綱渡りの毎日でした。鳥取県の支援事業として一千万円の助成を受けましたが、映画製作には莫大な資金が必要で、フィルム代や現像費だけでも、それぐらいはかかります。
 私たちが漂流したあげく難破しないですんだのは、県や各市・町の優秀な職員の方々の強力なバックアップと、現地ボランティアのおかげです。その意味では一千万に数倍する支援を、鳥取の皆さんから受けました。


*駱駝屋さんのご好意で、悩める駱駝のイメージシーンをビデオ撮影。

 個人的にも念願だった尾崎翠の「こほろぎ嬢」映画化ですが、いよいよ鳥取での先行上映を目前に、それでも私は「翠は本当に一八九六年、明治二十九年生まれの作家なのだろうか? 本当は現代作家で、鳥取のどこかで暮らしながら、騒然した世情を遠く眺め、微笑しているのではないか」という疑問を抑えることができません。
 劇中の恋のセリフを朗読することで、恋心が生じ、目の前に存在しない相手を思いながら山野を歩行する少女、現実に恋愛してしまっては恋の詩が書けないと、優しい気持で少女を遠ざける引きこもり詩人、自分の心の中に男女二人の詩人が同居し、二人が愛し合ってラブレターまで交換するイギリスの神秘派作家など、この映画に登場する人物たちは、みんな世間離れしています。彼らの恋は、とても静かで、成就することがありません。
 現今の日本では、泣いたり笑ったり、大声で叫んだりする恋愛映画が大流行ですが、そんな騒々しい恋を、みんな望んでいるのでしょうか。翠の登場人物たちは、心に沁みる思いの純粋さを大切にする一方で、ビンの中のおたまじゃくしと心を通わせたり、可愛らしい豚の目で人間世界を眺めたりします。翠の世界では、おたまじゃくしもまた片恋(翠のキーワードのひとつ)しているのでした。


*国指定重要文化財の仁風閣での撮影は深夜にわたった。

 実は今回の映画は、ファンに人気の高い「こほろぎ嬢」だけでなく「歩行」「地下室アントンの一夜」の三つの短編をつないでいます。いずれも代表作『第七官界彷徨』を書き上げた直後、筆を絶つまでの二年間に書かれた、翠の創造的な到達点といって良いでしょう。
 そこには感情移入しやすい起承転結のドラマがあるわけではありません。しかし、登場人物たちは、突飛でユーモラスな感想を交わしながら、次のような思想を体現していると思われます。人間は決して宇宙の中心ではない、動物も植物も無機物も、みんな同等に存在している、人間は必然的に孤独だが、孤独な人間同士が心を通わせることはできる、その場所は、目の前の現実だけでなく、人間の心の中のもうひとつの現実でも可能だ。
 これはまさしく現代のテーマではないでしょうか。恋が叶わないからといってストーカーになったりせず、ユーモアを持って動物や宇宙の視点から自分の心を眺めている彼らを見ると、すぐにせっぱ詰まって暴力に走ったり、親の家に放火したりする現代の青少年にこそ、尾崎翠の小説を読んでもらいたい、映画『こほろぎ嬢』を観てもらいたい、と心から念じるものです。

<『山陰中央新報』10月12日掲載>


『こほろぎ嬢』の映画化をめぐって、今、映画化するなら、尾崎翠がシノプシス(梗概)として書いた「瑠璃玉の耳輪」ではないか、という関係者の強い意見もあったのだが、わたしは鳥取県から軽い打診のあった当初から、紆余曲折を経て実現にいたるまで、「歩行」「こほろぎ嬢」「地下室アントンの一夜」という3本の短編をまとめ、1本の映画にする、というプランに、いささかの揺らぎもなかった。
 もっとも、そのくせ、プランが実現した晴れの記者会見では「映画のストーリーを一言で説明できないシナリオライター」として、記者諸氏のヒンシュクを買っただけでなく、我ながら、そうとう自分に失望したことは、このブログでも長々と書いたとおりだ。さらに、5月の鳥取ロケの現場では「制作主任」という役割を与えられながら、さっぱり役に立たず、撮影チームの中で「もっとも無能なもの」として過ごさざるを得なかったことは、目下「mixi」の「こほろぎ嬢」コミュで綴り始めた「制作日誌」に詳しい。


<お萩を片手に浜辺を歩く町子=石井あす香さん>

 このように書くと、わたしがよほど意気消沈しているに違いないと思うだろうが、お生憎さま、撮影直後はさすがに凹んだが、わたしが現実的にまるで役に立たないことは、上映会の会場でパンフレットの販売をした際に、たびたびお釣りを間違え、収支が合ったことがないことからも実証されている。
 今回の撮影でも、毎日二度の弁当を注文するため、スタッフ、ボランティア、関係者の人数を数えようとするだけで、頭がひどく混乱し、何回も数え直しているうちに、脳の内部が泥土の塊のように固まってしまうのだから、手に負えない。さらに機材車やスタッフ車、それに何台ものトラックの、日毎の配車計画を求められ、ものごとが複線で動くことに、わたしの脳の回路はまったくついていけず、嫌な臭いのする噴煙とともに、ショートしてしまうのだった。
 じゃあ、現実的な局面以外の、いったい何の役に立っているのだね、という皮肉な声が聞えてきそうだが、そう、わたしは今回の短編3本を加えて映画化するというプランに関してだけは、多少の自信があったのだ。そして、目下でき上がりつつある作品もまた、そうとうに面白い!「これの、どこが面白いの?」と首をひねる関係者も出現しつつあるが、それと反比例するように、わたしは断然、自信を深めている。
 もっとも、尾崎翠の最後の小説3本をつなぐことに関し、わたしに確固たる理屈があったわけではない。言ってみれば、ヤマカンですね。「第七官界彷徨」を映画化した以上、それに続くこの3本を映画化せざるべからず、というだけではなく、「こほろぎ嬢」が、小野町子の成長した後、詩人あるいは小説家になった姿であることに、ほぼ間違いはないと思われた。時系列をたどれば、「歩行」→「地下室アントンの一夜」→「第七官界彷徨」→「こほろぎ嬢」ということになる。しかし、メインの作品である「第七官界彷徨」を抜かして、その前後、つまり少女時代と、成人後を描くことに、どのような意味があるのか?


<松木氏の動物学実験室で子豚を抱く九作=宝井誠明くん>

 尾崎翠が「第七官界彷徨」という、まぎれもない傑作を完成させた後の、技法的にも、煮詰めてきた思考の上でも、ピークにある時期に書かれた「連作」。これを一本の映画とする必然性について、ぼんやり考えながら、わたしは昨年の10月頃、鳥取を訪れた際の習慣で、鳥取県立図書館の数冊の尾崎翠ファイルを開いていた。そして、そこでわたしは、衝撃的な指摘に出会い、思わず声をあげたのである。
 といっても、1976年、最初の創樹社版尾崎翠全集が出る3年前に書かれ、「尾崎翠に関する幾つかの資料について」という控えめなタイトルが付けられた、日出山陽子さんのそのエッセイを、わたしは8年前の映画化の際に、すでに読んでいたはずだった。わたしがいかに、自分の必要に迫られて資料を読み、それ以外の箇所をどれほど読み落としているか、まざまざと痛感せざるを得なかったが、まさに今回、そうした自分の必要において再読して、日出山さんの先見的な指摘に唸ってしまったのだった。
 日出山さんは、そこで、みずから発掘した尾崎翠の『「第七官界彷徨」の構図その他』について触れているのだが、翠は自分の方法論を開陳したこのエッセイの最後のところで、次のような謎めいた言葉を書き残している。

「この作は全編の約七分の四をすでに雑誌『文学党員』に発表したものですが、全編を通して『新興芸術研究』に発表して頂くに際して、すでに発表した部分の数ヶ所に短い加筆を行ひ、また劈頭の二行を削除しました。この加筆はただ部分部分の言葉不足を補ふための短い加筆で、全編の構図に全然関係を持ってゐませんが、劈頭の二行を削除したことは、最初の構図の形状をまったく変形させる結果を招きました。最初の意図では、劈頭の二行は最後の場面を仄示する役割を持った二行で、したがって当然最後にこの二行を受けた一場面があり、そして私の配列地図は円形を描いてぐるっと一廻りするプランだったのです。それが、最初の二行を削除し最後の場面を省いたために、結果として私の配列地図は直線に延びてしまひました。
 この直線を私に行はせた原因は第一に時間不足、第二にこの作の最後を理におとさないため。
 しかし私はやはり、もともと円形を描いて製作された私の配列地図に多くの未練を抱いてゐます。今後適当な時間を得てこの物語りをふたたび円形に戻す加筆を行なふかも知れません。」
(『新興芸術研究』昭和六年六月号)


<おたまじゃくしを覗き込む町子と九作>

 この「削除された劈頭の二行」をめぐって、その後、多くの人が論及することになるが、問題の二行とは、以下の通りである。

「私の生涯には、ひとつの模倣が偉きい力となってはたらいてゐはしないであらうか。」

 模倣? 一筋縄ではいかないフレーズだが、ここから、現在の冒頭である「よほど遠い過去のこと、秋から冬にかけての短い期間を、私は、変な家庭の一員としてすごした。」に続く。しかし、いったい「ひとつの模倣」とは何を指しているのか? また「この二行を受けた一場面」とは、どんなラストシーンなのだろう? 日出山さんは、尾崎翠が意図した構図について、次のように書いている。

「『第七官界彷徨』は、何年か後の犹筬瓩ら始まり、一人の女詩人を知った過去の犹筬瓩能るはずであった。劈頭の犹筬瓩蓮過去の犹筬瓩鳳洞舛鰺燭┐寝燭を暗示するはずであったし、過去の犹筬瓩蓮何年か後の犹筬瓩砲弔覆るはずであった。そういう意味で、これは出発点に戻る円形の地図だったのである。
 だが、加筆はされなかった。昭和八年七月一日、啓松堂から出版された『第七官界彷徨』においても、その劈頭は削除されたままだったのである。ところで、ここまで書いてきて私はふと気づいた。
  「第七官界彷徨」(昭和六年二月『文学党員』)
  「歩行」(昭和六年九月『家庭』)
  「こほろぎ嬢」(昭和七年七月『火の鳥』)
  「地下室アントンの一夜」(昭和七年八月『新科学的』)
 これらの作品も又、円形の地図を成すのではないかと。「第七官界彷徨」も「歩行」も「こほろぎ嬢」も「地下室アントンの一夜」もまるい鉄道地図の一駅にすぎなくて、それらはどこから読み始めても、もとの出発点にもどるという風に。
 つまり尾崎翠は、「第七官界彷徨」で円形にしようとした地図を、加筆することによって補うのではなく、他の作品を新たに書くことによってそれらをつなぎ、一つの大きな円形地図をつくろうとしたのではないか。」

(『イデイン』1976年春季号)

 わたしが、遅ればせながら、衝撃を受けたのは、言うまでもなく「他の作品を新たに書くことによってそれらをつなぎ、一つの大きな円形地図をつくろうとしたのではないか。」というご指摘だった。まさにこれこそ、わたしが無意識のうちに探しあぐねていた観点であり、今、わたしたちが映画化しようとしている三本の短編は、一方で「第七官界彷徨」の外伝であり、その一方で尾崎翠が構想した円環構造を完成させるためのものであった。


<季節外れのおたまじゃくしは活発に動かない>

 実際には、この三作品と「第七官界彷徨」の間には、わたしも好きな「途上にて」(『作品』昭和六年四月号)があるのだが、おそらく日出山さんがエッセイを書かれた時点では、まだ発見されていなかったのだろう。しかし、「途上にて」は、尾崎翠と松下文子の関係を下敷きに、遠い異国のエピソードを挟んで「こほろぎ嬢」と似た構造を備えた、いわば「こほろぎ嬢」のバリエーション、あるいは先行作品と見ることができる。もし、日出山さんが指摘されたように、尾崎翠が自分の「円形地図」を、他の作品を書くことによって作ろうとしたのなら、それが明確に意識されたのはおそらく「歩行」からだったろうと思われる。
 まず、「第七官界彷徨」以前の、そもそもの出発点である少女時代の町子を「歩行」で描き、次に「第七官界彷徨」以降の、成人して、いささかくたびれた町子を「こほろぎ嬢」で描く。そして最後に「円形地図」の「ゴール」でありながら、同時に、時空を越えた「出発点」でもある、いわば円環の結節点、ジョイント部分として描かれたのが「地下室アントンの一夜」なのだったのではないだろうか。
 この「一人の詩人の心によって築かれた部屋」は、一見、土田九作の希求によって生じた部屋のようでもあるが、もう一方で、この部屋に不在の小野町子=こほろぎ嬢の、心の内部の部屋でもあるようだ。そして、さらには作者、尾崎翠の心の内部のようでもあって、まるで本人がこの地下室に降りてしまったかのように、この後、小説が書かれることはなかった、というのは、あまりにもセンチメンタルな、そう、あまりにも尾崎翠の人生を重ね合わせた図式だろうか。


<野原で大豚の鼻の伸びる実験をする松木氏=外波山文明氏と、それを見守る松木夫人=吉行和子さん>

 この円環構造論に立てば、「第七官界彷徨」の謎めいた「削除された劈頭の二行」も、あんがいアッサリ解釈できるので、これを語っている、現在の「私」とは、すなわち「こほろぎ嬢」に他ならない。「模倣」とは、直接的には、柳浩六氏によって示唆された「異国の女詩人」から触発されたものであり、おそらく予定されたラストのエピソードは、女詩人として成立している「現在」へのブリッジだったろう。気になるのは「私の生涯には」という、まるで「生涯」が終る地点から書かれたような、冒頭のフレーズだが、「よほど遠い過去のこと」と同様に、具体的なリアリティを排する、尾崎翠特有の朦朧化した語法と、シンプルに考えたい。
 そして、今回のわたしたちの映画『こほろぎ嬢』こそ、尾崎翠のいわゆる「もともと円形を描いて製作された私の配列地図」を映像化する試みであった。8年前に「第七官界彷徨」を映画化したところから始まったわたしたちの旅は、この円環構造をつなぐこと無しには終らなかったのである…などとエラソウなことを言っているが、これはすべて日出山さんのかつてのエッセイを再読することによって明示化された観点であり、引用することを許可して頂いた日出山陽子さんに感謝する。
 なお、日出山さんは「こほろぎ嬢」の発掘者でもあり、尾崎翠研究のスタート地点においてなされた指摘が、30年後の「こほろぎ嬢」映画化にあたって、脚本担当のわたしに大いなる指針を与えてくれた。この奇遇には、しかし何らかの導きの糸があったのだと、わたしは考えたい。それにしても、最初の創樹社版尾崎翠全集に、日出山さんの功績がどれほどあったか、改めて思う。
 最後に、例の「模倣」についてだが、みずからの人生が「模倣」によって成立していると宣言する、どこか挑発的な言葉は、翠が批判してやまなかった自然主義文学の、自分の人生がオリジナルであり、ひとつの実体であるとする、ナイーヴな信仰を、根底からくつがえす。ここでもまたわたしは、尾崎翠と花田清輝の反響関係をみるのだが、「第七官界彷徨」と同じ昭和六年に、小説「七」を書いた花田は、10年後に、やはり小説「悲劇について」のなかで「模倣」をめぐって、悲・喜劇的な考察を快活に展開している。これについては、また稿を改めたいが、「模倣」の概念ひとつをとっても、尾崎翠が百年早すぎた作家であると、わたしには確信されるのだ。




 まったく久しぶりの書き込みとなりました。目下、鳥取県倉吉市関金温泉の国民宿舎「グリーンスコーレせきがね」と自炊宿泊施設「湯楽里」(ゆらり)に、スタッフが分宿しています。明日がいよいよクランクインで、これまでこのブログに向かう余裕など、毛ほどもありませんでした。昨夜、機材を積んだ2台のトラックと1台のロングバンが到着し、これから残りのスタッフが乗り込んでくるところです。
 昨日は「地下室アントンの一夜」に登場する、松木氏の実験用の豚を、養豚場に選びに行きました。これで二度目の訪問ですが、施設内に立ち込める臭気に圧倒されながらも、生まれたての赤ん坊は可愛い。映画の中では、野外で大豚、動物学実験室で子豚を登場させますが、大豚の迫力に度肝を抜かれ、また専門家でも扱いが難しいということで、中ぐらいの大きさの豚にすることにしました。いささか残念ですが、イメージと撮影する現実との間には、おきな開きがありますね。
 わたしは今回、現場で制作を担当していますが、昨日は弁当屋さんに発注する弁当の数を出そうとして、頭の中が極度の混乱状態になりました。役者を入れて20数名の規模ですが、それでもパートによって動きが違うので、いささか面倒なのです。
 これからほとんど戦争状態となりますが、はたしてもう一度このブログに戻ることができるかどうか。下の写真は、大山の牧場の牛ですが、土田九作言うところの「識閾下動物心理学」における、実らぬ恋に煩悶する牛となれるでしょうか。