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これだけ手間暇かけた上映会は類い稀であろうと、わたしには思われた『こほろぎ嬢』上映会が、11月23日、福岡市で開かれた。
福岡映画サークル協議会の野田春生さんから打診を受けたのは、今年の初めだったろうか。サークル協議会のイベントとしてではなく、野田さん個人と所属するクリスティ・サークルが中心となって福岡で『こほろぎ嬢』を上映したいと言うのだ。
 
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<会場の唐人町プラザ甘棠館(かんとうかん)。二階右手がshow劇場。>

実は『こほろぎ嬢』完成直後から、以前『百合祭』を上映してくれた福岡映画サークル協議会に上映会を企画してくれるよう依頼し、事務所で関係者試写なども行った。しかし、『百合祭』と違って『こほろぎ嬢』は、内容的に映画サークル協議会の上映会で取り上げるには難しそうな感触はあった。
間もなく隣県の熊本市で、熊本大学の先生方と男女共同参画センターがからんだ大掛かりな『こほろぎ嬢』上映会が行われ、野田さんを含む福岡映画サークル協議会の旧知の友人たちが、大挙して長距離バスで駆けつけてくれた。
その日の最終のバスで帰る人もあれば、一泊して帰る人もある。わたしは遅くまで一緒に飲みながら、おそらく福岡での組織的な上映は無理なんだろうなと推測した。
そんな状況下で、個人負担で熊本まで来てくれた彼らに対し、わたしには珍しく「友情」みたいなものを感じた。わたしの彼らに対する「友情」であり、彼らの浜野監督やわたしに対する「友情」でもある。
熊本の一夜はわたしに忘れ難い印象を残した。

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<上映後に行われるジャズ演奏のリハーサルの準備。右端が野田氏>

福岡映画サークル協議会の有志が、熊本まで遠征してくれたことで「もう充分」と思っていたわたしだったが、今年初めに野田さんから『こほろぎ嬢』福岡上映会のプランを打ち明けられた。
有難いことだが、費用がかかることであり、クリスティ・サークル主催といっても実質的には個人負担になるのだろう。わたしは懸念しながらも、浜野監督作品の一般映画三作のうちで、不遇な『こほろぎ嬢』をもっとも偏愛するものであり、野田さんの申し出に「義侠心」のようなものを感じて、旦々舎に話をつないだ。
そこから野田さんの超人的な活動が始まった。『こほろぎ嬢』を福岡で見せるためには、尾崎翠を理解する必要があるとして、一方で『こほろぎ嬢通信』をコピーなどで出し、もう一方で読書会、講師を迎えての勉強会などを始めたのだ。ウィリアム・シャープとフィオナ・マクロードを探してスコットランドまで行った久留米大学の狩野啓子教授にも来てもらっている。
わたしがもっともビックリしたのは『第七官界彷徨ー尾崎翠を探して』と『こほろぎ嬢』の2本の映画の台詞を、野田さんが自分ですべて書き起こしたことだ。ここまでやるかね、とわたしは思った。

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<客席は段差の付いた椅子席から平場の座布団席まで100人ぐらい入るのだろうか>

野田さんの努力は、観客を増やそうとする努力ではない。尾崎翠や『こほろぎ嬢』に対する理解を広めようとする努力だ。メールや印刷物を通じての『こほろぎ嬢通信』は、なんと第25号(!)まで行ったとか。
当日のトークで、浜野監督が「今日の客席からは、ここぞと思うところでクスクス笑いが起きて、監督としてこんなに幸せだったことはない」と語っていたが、それも1年間に近い野田さんの尾崎翠作品を掘り下げる活動があってのことだったろう。
そんな背景もあって、わたしはトークで喋り過ぎ、まとまらない、結論のない話をダラダラしてしまって、皆さんの失笑を買った。どうもわたしの感謝の念はいつも空回りし、ろくな結果にならないことが多いようだ。(そのくせ反省しないんだけど)

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(福岡映画サークル協議会・るき乃さん撮影)

野田さんがわたしのまとまらない話についてコメントしてくれたうえ、るき乃さん撮影の写真を送ってくれたので、トーク中の写真を追加。
そう、フィオナ・マクロードとウィリアム・シャープについて話している時に「ドッペルゲンガー」という言葉が出てこない。それで連想ゲームみたいに「ポーの短編にあった…」と言ったら、客席からすかさず「ウィリアム・ウィルソン」の声。そこで「実在しない、もう一人の自分は?」と尋ねたら「ドッペルゲンガー」と即答された。脱帽。
トークの後に、福岡映画サークル協議会の掲示板で、わたしのディスカッション相手だったマグリット氏から「言葉が出てこないのは、やはり年のせい?」みたいなことを言われてしまった。また、藤野さんという女性会員は、浜野監督に「(ヤマザキのトークは)お酒を飲ませないとダメかな」と評したとか。すべてご指摘の通りだが、何となく無念でもある。

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<トークの後のジャズ演奏は、映画音楽にちなんだ曲も取り上げ、喝采を博した>

餃子屋さんで行われた打上げには、マグリット氏をはじめ熊本以来の面々や、福田恆存の文体でピンク映画批評を書く異才dropout cowboys氏、それにピンク映画の注視者である駱駝夫妻や若い女性なども参加し、とても楽しい会となった。
この歳になると、どこに行っても場違いな気がして落ち着かないわたしだったが、久しぶりに親密な空気のなかで酒を飲んだ。飲み過ぎて、二次会のことをまったく覚えていない。
ようやく記憶を取り戻すのは、野田さんたちと一緒に泊まるカプセルホテル近くの喫茶店(?)で、ジュースかなにか飲んでるあたりから。
当初、わたしは野田さんのお宅に泊めて頂くことになっていたのだが、どうせなら寝る直前まで飲んでいようと、中州のカプセルでみんなで泊まることになった。みんなといっても、最終的には野田さん、宮崎さん、わたしの3人だったが。

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<これはおそらく二次会の後の写真と思われるが、わたしの記憶がアヤシイ>

何十年か前、カプセルホテルが東京に出現した頃、興味半分で一度泊まっただけだったが、中州のカプセルホテルにはすっかり感服した。大浴場にはタイプの異なる大きな浴槽が二つと水風呂、これもタイプの異なる広めのサウナが2種あって、解放感があふれている。
また、カプセルがずらりと並んだカプセルルームは、まるで宇宙船の内部みたい。カプセル内も清潔で機能的だ。わたしは心地よく寝入った。
酔ったおかげで、わたしは朝早めに目が覚め、もう一度大浴場でサウナと浴槽を行き来し、その後レストランで朝食を食べた。納豆の大きめを頼んだら、どんぶり一杯の納豆が出て来たのには仰天したが、大いに満足して朝食を終える。
そんなことを一人でやってるうちに、野田さんたちはチェックアウトしたので、ご挨拶できなかった。改めてここで言おう。
野田さんをはじめとする福岡の皆さん、どうもありがとうございました。次は『百合子、ダスヴィダーニヤ』が控えています。よろしくお願いします。
わたしはすっかりカプセルファンになって、福岡・中州の午前の街に歩き出した。




 盟友同士の高笑いである。12月14日『こほろぎ嬢』上映+吉岡しげ美コンサートが、徳島市で実現した。吉岡さんは、言うまでもなくこの映画の音楽監督を務めただけでなく、これまでの浜野佐知監督の自主制作映画3本すべての音楽監督だ。物事をかなり誇張して感じ取る点において「第七官界彷徨」の佐田三五郎に引けをとらない浜野監督によれば「世界初のジョイント」ということになる。
 徳島は、鳴門生まれの浜野監督が育った故郷だ。その縁で、これまでの『第七官界彷徨〜尾崎翠を探して』も『百合祭』も上映されてきたが、今回は徳島県立文学書道館と徳島県郷土文化会館の主催だ。



 直前の9日(日)夜にNHK教育TVでETV特集「愛と生を撮る〜女性監督は今〜」が放映された。あのNHKがピンク映画の現場にまで取材に来て、短いカットにしろ、撮影風景を紹介したのにはビックリした人も多かったようだ。1時間半の番組は、女性監督のバックグラウンドを掘り下げ、キャリアも個性も向かう方向性も違う各監督の精彩を生き生きと伝えていた。なかでもベテランの浜野監督は面目躍如といった印象で、視聴者にかなりのインパクトを与えたらしい。
 というのは、徳島上映の日、上映会場でフィルムのテストをした後、眉山の近くを歩いていたら、犬を散歩させていた年配の女性が驚いたような声を上げたのだ。「監督さんじゃないですか? TVで見ました」というのである。番組の中では徳島出身であることにも触れていなかったし、この日に上映会があることも知らなかったので、突然目の前に浜野監督が現れ、ビックリしたらしい。
 営業熱心な浜野監督は、この日の夜に上映が行われることを話し、ぜひ来てくださいと誘っている。いくらなんでも数時間後のことなので無理だろうと思っていたら、この女性、ちゃんと現れたのだ。TVで紹介していた『百合祭』ではないので、面食らったかもしれないが、パンフまで買ってくれて、浜野監督と記念撮影して帰っていった。
 また、地元DJの梅津龍太郎さんと喫茶店でお茶を飲んでいたら、その店の奥さんがやはり驚いた表情で「もしかして映画の監督さん?」。サングラスをしているので、覚えやすい顔ではあるのだろうが、それにしてもNHKの番組ってどれぐらいの人が見ているのだろう。遅い時間帯なのに、その波及力に目を瞠る。



 番組放映後、mixiの「浜野佐知コミュ」で、興味深い応答があった。まず、マニアックな映画愛好家が次のようなコメントを書き込んだ。
「浜野さんのところで流用されたフィルムに山本晋也さんが出てたと思います。70年前後の状況のところで…。あのシーンは、ずいぶん昔にNHKでピンク映画のドキュメントを作って、批判がでたため、再放送ができないといわれた番組のものなんでしょうか?」
 これに対して、次のような書き込みがあったのだ。
「1981〜2年頃だったと思いますが、NHKがピンク映画のドキュメントを作り放映しましたが、圧力がかかり再放送はされませんでした。これは前代未聞の事でした。そして、その番組を担当したディレクターは3ヶ月後に北海道のNHKに飛ばされました。4〜6人のピンク映画監督に現場密着取材が行われ、その中の3人の監督映画の主演をやっておりましたので、渡辺護監督・山本晋也監督の取材はとても良く記憶しております。あれは、山本晋也監督の「女子高生下宿」の現場です。約28年経った今、浜野監督のリベンジ(?)を含めたお話とても面白かったです。あの時の……封印されたフィルムを使ったETVのスタッフにも拍手です。」
 この人が伝説的な女優、日野繭子さんなんですね。その後ノイズアーティストを経て、現在女性向け鍼灸師という不思議な遍歴を重ねている。「封印されたフィルム」をNHKの膨大なライブラリーの中から発掘してきたのは森信潤子ディレクターで、さりげないワンカットにも秘められた歴史があることを、mixiの応答は明らかにしてくれた。



 笑ったのは、番組を見た何人かの人たちから「ビンボーだと言いながら、あんな豪邸に住んでいるのか?」という声が、浜野監督の元に届いたという。豪邸? 確かに門扉の向こうに樹木の茂った庭があり、インタビューされる部屋の外にも池のある庭が広がっている。実はこの家、ピンク映画ファンなら間取りまで知っている旦々舎のスタジオでもあり、おそらく築50〜60年は過ぎているボロ家なのだ。庭の木々もプロの植木屋が入っていないので、小奇麗な住宅街で異彩を放っている。ピンク映画ではボロさ加減が丸見えなのだが、さすがNHKのカメラマンはキレイに切り取ってくれた。
 一方、かなり過激な番組評を書いてくれたのはジェンダー論のイダヒロユキ氏で、面識はまったくないのだが、浜野監督と番組製作者を絶賛し、インタビュー役の李鳳宇さんをコキ下ろしている。これはしかし、李さんに気の毒ではないかと思った。というのは、李さんは女性監督たちを際立たせる役割に徹していると思ったし、監督たちもイダさんのような理解者ではなく、これまでの日本映画のプロデューサーとはまったく異なって、押し付けがましさのない李さんだからこそ、心を開いて話したのではないだろうか。
 ま、それはともかく、イダさんのブログは以下。
http://blog.zaq.ne.jp/spisin/article/404/



 徳島は雲の見事な地だと、毎度思う。正面に見える建物が会場の徳島県郷土文化会館だが、手前のだだっ広い広場、コンクリートで固められていて、変な公園と思ったら、浜野監督によれば阿波踊りの練習やリハーサルで使うのだという。これぐらいの広さがないとダメらしい。徳島の人は結婚式も阿波踊りで締めるらしいが、東北生まれのわたしには想像を絶する光景だ。



 吉岡さんは、今回生まれて初めて徳島の地を踏んだとか。そんな吉岡さんを観客の皆さんは温かく迎えた。「わたしが一番きれいだったとき」を初めとする代表的な曲のピアノの弾き語りに、大きな拍手が送られる。最初にミニコンサートがあり、それから『こほろぎ嬢』上映という構成だったが、美しい旋律に馴染んだ耳に、映画の音楽が心地よく沁み込んで来るという新しい発見があった。
 吉岡さんと浜野監督のトークは、映画上映後に行われたが「オバサンになってからできた親友」という浜野監督の言葉に場内が沸いた。二人のトークは息の合った漫談に近い。



 吉岡さんのCDが飛ぶように売れる。当初、主催者に「徳島は日本一モノの売れないところ」と言われた吉岡さんだが、サインする右手が疲れたと、こぼすほどの反響だった。武蔵野音大を卒業した吉岡さんだが、その後日本女子大に学士入学している。日本女子大の地元同窓会の方々も駆けつけてくれた。ちなみに尾崎翠が中退したのも日本女子大だ。



 生まれ故郷に帰ってくると、浜野監督の表情も喋りもノリがいい。大いに気勢を上げたが、後に地元の徳島新聞が一面のコラムで次のように紹介してくれた。フルサトは温かいね。
http://www.topics.or.jp/index.html?m1=11&m2=
34&mid=news_119785207852&vm=1




 花束を贈られる両巨頭。今では浜野監督の親戚の方々も一安心だが、ピンク映画専門の頃は地元のピンク映画館も盛況で、看板にデカデカと「浜野佐知」という本名が書き出され、その前を通るときは皆さん、冷や冷やモノだったらしい。



 最初に『第七官界彷徨−尾崎翠を探して』をいち早く呼んでくれた「徳島で見れない映画を見る会」の篠原会長。その際には、「こんな赤字必至の映画はやりたくなかった」と言う女性事務局長と浜野監督の間でオバサンウォーズが勃発し、周囲を大いに困惑させた。上映が成功裡に終わったのも、篠原会長の映画鑑賞眼と人徳のおかげがあったと思う。



 CDや映画パンフのサイン会を行ったロビーは大いに賑わった。二人に話しかける人も多く、撤収時間を越えそうになったが、この郷土文化会館自体が一方の主催だったので助けられたのだろう。



 文学館主催らしい文学性あふれるポスターの隣が、今回の企画者である徳島県立文学書道館の竹内さん。文学館と書道が合体しているのは、全国でもここぐらいだと思われるが、徳島は昔から著名な書家を輩出しているのだとか。なお、館内には館長の瀬戸内寂聴さんの京都の庵が再現されている。



 最後に関係者で記念撮影。前列左のジャンパー姿は、下の「ふるさと応援、言論マガジン」を名乗る『徳島時代 空は、青…。』の発行人、大石征也氏。



 地元ミニコミと言えばタウン誌、情報誌が主流だが、これは珍しいオピニオン誌だ。第3号の今回は表紙に「表現魂」ときたが、けっしてダテじゃない。「爆裂提言〜徳島の映画環境はこれでいいのか」という長文の記事では、地元の誰もが喜んでいるご当地映画『眉山』(犬童一心監督)を真正面から正攻法で批判し、それに対置しているのが『パッチギ! LOVE&PEACE』(井筒和幸監督)なのだ。この文章のサブタイトルは「在日日本人の視点から」というもので、地元に暮らしながらこれをやるというのは猛勇と度胸が必要だろう。まさに「爆裂」している。このほか、地元劇団の芝居にも長々と論理的に苦言を呈しているが、これでは嫌われる一方ではないか。さすが徳島でただ一人の花田清輝の愛読者ではある。



 イベントの翌日、鳴門の渦潮を見たいと言う吉岡さんを、日本女子大同窓会の椎野さんが案内してくれた。浜野監督とわたしも同乗させてもらったが、鳴門の鯛には度肝を抜かれた。



 大鳴門橋遊歩道「渦の道」から見下ろした渦潮らしきもの。渦潮って、いつでも渦巻いてるものではなかったのですね。季節や時間帯によって現れ、現れてはさっと消えるものであるらしい。大型のものになると轟音を発し、それで「鳴門」と呼ばれたとか。渦潮発生の原理的な説明を読んだが、いまいちよく分からなかった。



 海峡の向こうの美しい夕景。徳島初体験の吉岡さんも堪能していた。今回の『こほろぎ嬢』上映+吉岡しげ美コンサートに関わってくれた皆さんに、心から感謝!


 目下、雪の仙台にいる。岡山から帰って、一日おいて移動してきた。浜野組の次回作のプロジェクトが動き出しかけている。具体化したら、仙台市、宮城県、さらには広く東北の皆さんのご協力をお願いしたい。
 さて、妙なタイトルをつけてしまったが、けっして岡山映画祭が怪しい人物たちの祝祭であるなどと言いたい訳ではない。浜野佐知監督とわたしが参加したのは、11月3日から始まって週末ごとに上映し、12月2日に終わるこの映画祭の、中盤の2日に過ぎない。しかし、わたしの脳裏には飲んだり喋ったりしたオカヤマの怪人、変人たちの影がちらついて離れないのだ。



 写真は岡山市デジタルミュージアム。この映画祭は、県立美術館ホールや市オリエント美術館などいくつもの会場で上映されるが『こほろぎ嬢』『百合祭』はデジタルミュージアムのホールで上映された。岡山駅前に数年前にできたばかりの新しい施設で、ホールはこじんまりしているが、階段式になっていて観やすい。
 今回はデジタルミュージアムに16ミリ映写機を持ち込み、フィルムでの上映となった。映写は岡山映画鑑賞会の真田明彦代表が担当したが、わたしはこの上映が、鑑賞会の例会も兼ねていることを当日知った。一人でも多くの観客を集めようと尽力してくれたのだ。また、岡山市職員労働組合女性部が、浜野監督と『百合祭』の招聘に積極的に動いてくれた。岡山映画祭のプログラムのなかでは、かなり異色の浜野監督作品2作品上映は、こうした団体の垣根を越えた協力によって実現したのである。



 岡山映画祭の小川孝雄代表。この映画祭の特色は、わたしの個人的な印象だが、若手を中心とした作家主義とオカヤマ発信にあるのではないか。映画祭メンバーが毎月貯金して映画の製作費を捻出した『夢幻琉球・つるヘンリー』(高嶺剛監督。98年)の「市民プロデューサーシステム」は、世に馴染まない芸術家をバックアップするこの映画祭の金字塔といえる。
 地元の若い映像作家の発掘にも積極的に取り組み、いっけん温厚な小川代表の周囲には、青き映画青年や映画少女がキラ星のごとく集まっている。しかし、温厚なだけで映画祭を長年率いていくことはできないだろう。学生時代にはドキュメンタリーの制作集団に属し、就職に際してどちらの方向に行くか大いに迷ったと聞いたことがあるが、飲むにつれ、映画制作者特有の、世界をぶち壊してやろうというような不敵な面構えが浮上してくる。



 浜野監督は芸術派でもなければ、岡山とも直接的な縁はない。しかし、99年に福岡で開かれた映画大学で真田さんとお会いし、2000年の岡山市芸術祭の「地域映像祭」で小川さんにお会いした。『第七官界彷徨−尾崎翠を探して』の上映を介して、この岡山の自主上映界の両巨頭と出会ったことが、01年の『百合祭』岡山自主ロードショーにつながっている。
 真田さんと小川さんは、第一回の「尾崎翠フォーラムin鳥取」にも参加してくれた。昨年の『こほろぎ嬢』鳥取ロードショーでは映写機に問題が勃発し、わたしは中国山脈を越えた向こうの真田さんに電話で泣きついた。結局、岩美町と鳥取市の上映会に、真田さんが映写機を車に積んで来てくれた。窮地に陥ったときに助けの手を差し伸べてくれる人こそ、真に友人と呼べると思った。(この「窮地」にはプライベートな問題は含まない。私生活で助けてもらったら、友人でなくなるのでは?)



『百合祭』の自主ロードショーの時には、岡山と縁の深い吉行和子さんに来てもらい、浜野監督とトークして頂いた。吉行家のルーツが岡山にある。その時の司会の右遠さん(岡山映画鑑賞会)が、今回の『こほろぎ嬢』上映の前に浜野監督の紹介をしてくれた。かつて右遠さんや三上さんなど鑑賞会の女性スタッフと、夏の暑い日に車で地元マスコミを回ったりしたのも、今となっては懐かしい思い出だ。
 


 この映画祭のもう一つの特色に、製作側と観客との積極的な交流がある。1日3回上映した『こほろぎ嬢』でも、毎回30分近くの浜野監督トークが行われたが、それでも物足りない人はロビーで積極的に話しかけていた。映画のパンフや自著『女が映画を作るとき』(平凡社新書)を買ってくれた人にサインしながら、談笑する浜野監督。



『百合祭』上映前に、岡山映画鑑賞会と共に共催の岡山市職員労働組合女性部の方が挨拶してくれた。全国的に退潮が伝えられる労組の、それも女性部が、今回『百合祭』と浜野監督を支援してくれたことには心から感激した。これこそ草の根のシスターフッドだと思った。夜には、浜野監督を囲む会も開いて頂き、監督のピンク映画を観る会も開きたいという声もあがった。
 わたしは『百合祭』ロードショーの時の打ち上げで、市職労の女性から生活保護受給世帯の様子をチェックに行かなければならない仕事が、どれほどツライかという話を聞き、記憶に刻印されている。そういう厳しい仕事に従事している方々が『百合祭』を支持してくれるところにこそ、この映画の名誉がある。



『百合祭』上映の後には、1時間ほどの浜野監督講演があったが、そうした経緯もあってか、監督さん絶好調。延々と楽しそうに喋り続け、わたしも何か話せと水を向けられた時には、もう制限時間ぎりぎり。気が気でないわたしは、何かまとまりのないことを呟いて終わってしまった。質疑応答も予定されていたが、それは結局ロビーで。
 こちらから出品したり宣伝したりしないのに、ひとりで世界へ旅立っていった『百合祭』は偉大な映画だった。時に『こほろぎ嬢』を語る浜野監督の口調が苦しげになるのは、なかなか理解されない現状を反映しているのだろう。



 時に小川代表も、こういう表情を見せることがある。といっても、協力プロデューサーを務めた『また、ゆく、みち』が四国のハンセン氏病患者をドキュメントした作品なので、その舞台挨拶でのこの表情も、当然といえば当然かも。



 事務局長の大西一光くんは、この日はビデオで記録撮り。それ以外にもDVDの映写を担当するなど大忙しだが、今回出品作の『映画の記憶 第2部』の監督であり、カメラマンでもある。映画祭の期間中、機材を車に積んで車中泊することもあり「あらゆる映画祭で、車で寝泊りする事務局長はウチぐらい」と豪語、いや悲しんでいるように見えた。
 なお、『映画の記憶』のインタビュアー中原省五氏は、東京上映でアップリンクで会った時には、生真面目に見えたが、今回、真に「怪人」と呼ぶべき人物であることを知った。酒を飲むごとに、眼に変態的な輝きが増し、気色悪いことこの上ないのだが、悪いことに変態や奇人変人に会うと、わたしはすっかり嬉しくなってしまうのだ。



 17日に観ることができた岡山作品『海より上 屋上より下』の安井祥二監督(左)と出演者のおふたり。安井監督はまだ二十代の若さだが、それだけに家族に痛めつけられる孤独な高校生男女の、ひりひりするような魂の痛みを描くことができたのだろう。
 この日の打ち上げでは、映画祭のプレ企画として上映されたアニメ作品『ぼくのまち』の中村智道監督にも会った。17分の作品に2年間精魂傾け、精神的にも変になったと語る彼も二十代。モノローグの多い怪人物と思ったが、翌日、小さな再生機で作品を見せてもらったら、これが素晴らしい! 生まれたばかりの赤ん坊の見る、これから生きていくだろう世界を予見した生々流転の夢といった趣きだ。イメージフォーラムで賞を受け、バンクーバー映画祭に招待されたのも頷ける。



 撤収直前に、岡山映画祭、岡山映画鑑賞会、市職労女性部の皆さんと記念撮影。どうも有り難う!




 デジタルミュージアムの夜景。NHKと同居している。



 ここからはわたしの時間だ。行きつけの(?)70年代バー「コマンド」は、路面電車&バス停「城下(しろした)」下車、表町商店街という通りの二階にある。この電飾看板はいつから使われているのだろう。 
 この日の上映会には、岡山山中深くからマイミクの「はなみ」さんが来てくれたが、自宅に木工施設や畑を持つこの怪女が、かつて「コマンド」に通ったことがあると聞き、ここでもビックリ。顔をあわせるなり、当初「コンバット」と表記したのは「コマンド」の間違いでないかと指摘されたが、怪人たちの集まる場所は、どこかでつながっているものだ。



 LPレコードの山をバックに怪人マスター。小川さんと高校で同学年で、バンドをやっていたらしい。『百合祭』を観に来てくれたのは、どうやらミッキーさん目当てだったようだ。今回は上映会場に現れなかったが、「その代わり」といってミッキーさんの77年のLPのコピーをくれた。ほかにビートルズ、エディット・ピアフ、そしてなぜか藤岡藤巻という知らないバンドのコピーも入っていた。実に嬉しい。さっそくiPodに入れた。



 これがミッキーさん77年発表のLP。「ミッキーカーチス&ポーカーフェイス」とクレジットされている。


 久しぶりに劇場で観た映画『バイオハザード掘戮蓮⊆造北しかった。すでにシリーズの『供戮膿祐屬糧疇をはみ出したミラ・ジョボビッチのアクションは痛快だし、鋭い眼光には悲しみが満ちて、ゾンビどもをぶった切る。そして何より、監督のラッセル・マルケイの呆れるまでのスケール感。とにかく広大な空間を見せないではいられないらしい。スペース・フェチ。
『ハイランダー』シリーズでも、いったいどこまでズームバックしていくのだ! と叫びたくなるようなカットがあったが、今回も地上の人間からズームバックして、遂には宇宙の衛星の真上にまでカメラは引いていく。ドラマとは無関係の、まあ美意識といったらいいのか。さすがにかつてのようなブルーの逆光は影を潜めているが、いっけん無駄なことに費やすエネルギーに敬服する。


<池袋の消防車。車を所有したいと思ったことはないが、消防車を一台、小ぶりなのでいいから所有し、ピカピカに磨いたり、時に乗り回したりできたら、どれほど幸せだろう>

 プールに浮かびながら、ふと考えた。mixiの日記を、ブログとリンクしたらどうか。それほど日記を書いているわけではないが、直接的な応答のあるmixiにかまけて、このブログがほったらかしだ。当初は、日常のメモみたいなものはmixi、何か多少まとまった感想はブログで、などと考えていたが、そう器用に書き分けられるものではない。パソコンの前に座ったきり専念すれば可能だろうが、引退生活には早すぎる。(いったいそんな生活が、わたしに来るのだろうか?)
 mixiの日記を、外部のブログにつないでいる知人も数人ある。わたしもその方式にしよう。来年に向けて、浜野組のビッグ・プロジェクト(!)が複数動き出す可能性があり、実現するかどうかは微妙なところだが、外部への窓口を開いておきたい。同時に、更新が止まっている尾崎翠の参考文献目録も、早急に拡充する。このブログでも、フェティシズム考とか趣味的なものはやめて、現実的な動きと連動させよう。わたしにしては、かつてなく意欲的ではないか。

 明日から岡山映画祭に参加する。1年おきに開催されるこの映画祭は、すでに11月3日からスタートし、週末毎に上映して12月2日まで続く。18日(日)には『こほろぎ嬢』『百合祭』と2本の浜野佐知監督作品が、岡山市デジタルミュージアムで上映されるのだ。午前に始まり『こほろぎ嬢』3回上映+『百合祭』1回上映+さらに浜野監督講演会という、ギュウギュウ詰めのスケジュール。なんだかスゴイことになっている。

10.30〜 こほろぎ嬢  各上映後監督のミニトークあり
12.50〜 こほろぎ嬢
15.10〜 百合祭
17.00〜 浜野佐知監督 講演会
18.10〜 こほろぎ嬢 

 本来は、新作の『こほろぎ嬢』だけのはずだった。ところが岡山映画鑑賞会と岡山市職員労働組合女性部という2グループが共催となって、『百合祭』と浜野監督講演会を招致してくれた。2001年に『百合祭』が完成したとき、全国3箇所で1週間以上の自主ロードショーをやったが、そのうちの一つが岡山。その時に共に苦労したのが岡山市映画鑑賞会・岡山映画祭・市職組女性部の3団体だ。今回は、なかでも市職組女性部の皆さんが、浜野監督講演会を強力に推してくれたらしい。久しぶりにお会いするのが楽しみだ。
●岡山映画祭
http://ww1.tiki.ne.jp/~boken/fes.html


<こちらはパリ郊外の消防車。わたしが消防車を見るたびに胸騒ぎするようになったのは、狛江に住んでいる頃だ。出会い頭に新車の消防車を目撃し、震撼させられた。以来、消防車に出会うと、いつまでもじっと見送る癖がついた>

 楽しみといえば、実はわたしには行きつけの酒場が岡山にある。行きつけといっても、数年に1回ぐらいしか行くチャンスはないが、岡山に泊まれば必ず寄る。そして必ず泥酔する。『百合祭』ロードショーのときも、朝の開始に遅れて物すごく酒臭いと、今は岡山映画祭の事務局長の大西くん(今回の出品作『映画の記憶』の監督&キャメラマンでもある)にさんざん顔を顰められた。店の名は「コマンド」で、店内は大量のLPレコードに埋め尽くされ、わたしは勝手に70年代バーと呼んでいる。
『百合祭』の最終日、いかつい顔のマスターが、およそ似合わないおばあさんたちの性愛のドラマを観に来てくれた。来てくれたことには感謝したが、周囲とのあまりのギャップというか、不似合いぶりに、わたしは思わず笑い出してしまった。
 

<わたしが南会津に帰る途中の鬼怒川温泉の駅前に立つ「鬼怒太」。どうやら鬼らしいが、わたしは何も「コマンド」のマスターがこんな顔をしていると言いたいわけではない>

*岡山の70年代バーの名前を、当初「コンバット」と記しましたが、先ほど行ってみたところ「コマンド」でした。謹んで訂正しました。店ではバーボンを飲みながら、ミッキーカーチスさんが70年代に出したLPをかけてもらい、非常に幸せです。