寒い〜ある老年学もしくは死生学の報告

  • 2009.12.18 Friday
  • 20:40

<一晩で隣家の屋根から向こうの山まで雪に埋まってしまった。この奥にさらに山があるのだが、まったく見えない>

段ボールの函に入っているえんどう豆ビールを冷蔵庫に移そうとして、台所の温度と冷蔵庫の中の温度と、いったいどっちが低いのか、作業を中断して考え込んでしまった。もとより南会津は寒いのだが、寒波が襲来するという渦中にやってきた。
それでも昨日の夕方は、道路に積雪がなかったので、粉雪が宙を舞うなか、湯の花温泉の共同浴場に自転車で行ってきた。それが今朝になると、一面、雪に深く埋もれている。

老母の死後、これまで老父とともに月一回程度、南会津に帰っていたが、さすがにこれだけ寒くなると、父も今回は戻りたくないと言う。横浜生まれながら、戦争で祖父の地、会津に疎開し、その後さらに奥会津で開業して、半世紀以上過ごした土地だが、80歳を過ぎた老人にはキツイ気象条件だろう。
わたしは先週、広島の「ヒロシマ平和映画祭」から帰ってきたばかりだが、これから1週間ほど南会津で過ごす。父と同行するとわたしが食事担当だが、一人なら父に合わせて三食食べなくていいのが楽だ。(なお、ヒロシマ平和映画祭は実に面白かった。次回レポートします。)

JR新宿駅から東武線直通の特急スペーシアに乗り、鬼怒川温泉で野岩鉄道に乗り継ぎ、さらに会津高原駅でバスに乗り換える。それでも4時間弱で実家に着いているのだから、南会津も近くなったものだ。
車中で須原一秀著『自死という生き方〜覚悟して逝った哲学者』(双葉新書)を読み始める。新聞の広告で見かけたのだが、著者にとっては本書の執筆と、書き終えて朗らかに死ぬことが、ワンセットになった「哲学的プロジェクト」なのだという。それを面白いと思う以前に、著者の名前に微かな記憶があった。何か読みさしにした本があったはずだ。

自室で捜してみると、『超越感覚〜人はなぜ斜にかまえるか』(新評論刊)という本が出てきた。何が書いてあったか、まったく覚えていない。それを今回携帯してきたら、新宿駅の山下書店で『自死という生き方』が平積みになっていたので購入する。売れているのか?

わたしは知らなかったが、この新書は、すでに昨年1月に単行本として出ているのだとか。須原氏が「自死」したのが2006年4月。すでに3年半経っている。頭に浅羽通明という評論家の解説がつき、巻末に「家族から」という長男の後書きがある構成は、単行本と同じだという。
どうして本文を読む前に解説を読まなければならないのか? 何か取扱注意の危険な内容であるのか? バカげた構成なので、わたしは先に本文を読んだが、ほぼ妥当かつ穏当な主張だと思った。その後、解説にも目を通したが、須原氏にとって重要な概念であるらしい「変性意識」が「変形意識」と誤記、あるいは誤植されているのは、まったく頂けない。
解説者が恐縮してみせる、須原氏に少々の疑問を呈したり、「ご冥福をお祈りします」という常套句を入れなかったことよりも、この誤植の方が死者に対して失敬であるとわたしは思った。相手は哲学者なのだから、言葉は厳密に使ってもらいたい。単行本ではどうだったのだろう。

ただ解説によって、須原氏が神社の裏山で頚動脈を「刃物で切り裂い」たうえ、樹木に吊り下がって縊死したことを知り得たのは有用だった。もともとの原稿のタイトルは『新葉隠 死の積極的受容と消極的受容』だったのだが、わたしは日本の伝統的精神文化として「葉隠」や武士道を捉える須原氏の論理構成は、この「哲学的プロジェクト」において、必ずしも必要であるとは思えなかった。
そこに至る前の論述で、わたしは充分に納得したのだが、その一方で須原氏の自死の具体的な手段が気になっていた。実際のそれは確かに、死にそびれる可能性を完璧に排除したもので、氏の考える武士道に沿っているのかもしれない。
(なお、頭に解説が入っているのは、原タイトル『新葉隠』を中扉で生かし、なおかつ売れるための書名を『自死という生き方』にするための苦肉の策だったのか? しかし、本文を読む前に「第10章から読むことをおすすめする」などと書いてあるのは邪魔だ。)

死を称揚する哲学者や思想家が長生きして、老残の姿を晒すのはありがちなことだが、須原氏はタイムリミットを65歳に設定し、自ら死に行く当事者として論述することで、それらのアジテーターたちとは訣別する。頭のなかで観念的に死を考えるのではなく、日常的な生活のなかで体感的にも自殺する自分を総点検して、どこかに無理や矛盾がないか、多くの観点から考察を深めていくのは、確かに氏が自負するとおり、歴史的にも初の「哲学的プロジェクト」だろう。

死を語るのに、三人称の死=他人の死、二人称の死=家族など縁者の死、一人称の死=自分の死、の違いがあるという指摘は、今年の3月に膵臓ガンで亡くなった老母の間近にあったわたしとしては、非常に納得できるものだった。老母の場合は、典型的な「死の受動的ないし消極的受容」であったと思われるが、しかし84歳という年齢から「充分に生きた」という実感があり、また若き日に看護婦としてガン患者の凄惨な死に様に立ち会ってきた経験から、そこに「能動的ないし積極的」な契機がまったく無かったとは言い切れない。プロの看護婦としてのプライドのようなもので、わが身を持していたように思う。

自殺を、老後の生き方のひとつの規範として確立しようとする須原氏の論理展開のなかで、わたしが充分納得したのは、「極み」という考え方と、「人生の高(たか)」「自分の高」という考え方だ。
「極み」というのは、日常的な何気ない幸福感のようなもので、人は必ずしも厭世的なウツ状態で自殺するのではなく、日頃ちょっとした自前の幸せ感を感じている人間が、晴れ晴れとした気持ちで自殺することも有り得る。わたしも、温泉の共同浴場からの帰りに、自転車を停め、しばし星空を見上げていることがあるが、あんがい自分個人なんてどうでもいいような気になるものだ。
「人生の高」「自分の高」というのは、「高が知れる」という時の「高」で、まあ、自分にとって人生はこんなものだろう、また自分の能力はこんなものだろう、といったことが、ほぼ自分で諒解できる年齢があると、須原氏は言う。この諒解と、その後にやってくるだろう老化の現実を比較計量することで、自死するのに良い時期が個別に導き出される。

現在のわたしが「一人称としての死」を語り得るとは思わないが、須原氏が再三強調する「自然死」の悲惨な現実と、それを誰も正面から考えようとしないという指摘は重要だと思った。安らかな老衰や「自然死」(実はそんなものはない)を期待するのは、宝くじに当たるのを当てにするようなものだというのには笑ってしまったが、目下のわたしが漠然と考えられるのは安楽死、尊厳死といったところだろう。しかし、その場になって慌てても遅いので、勇猛剛直な血しぶき様式の須原氏とは異なった、わたし個別の軟着陸系「哲学的プロジェクト」が必要なのだろう。

続けて、手元にある『超越感覚〜人はなぜ斜にかまえるか』を読んでみるつもりだが、須原氏の著作としては、他に『高学歴男性におくる弱腰矯正読本〜男の解放と変性意識』、『<現代の全体>をとらえる一番大きくて簡単な枠組〜体は自覚なき肯定主義の時代に突入した』(いずれも新評論刊)がある。
揃いも揃って独特のタイトルだが、最初の著作が『超越感覚』(92年)。次の『弱腰矯正読本』(2000年)では、すでに「寿命予定表=自分の寿命の予定を自ら設定して行く生きかたの推奨」が提示されていて、今回のプロジェクトはそれを「客観的に立証する」ものだという。
また、『一番大きくて簡単な枠組』(05年)では、「哲学は学問的には成立しない」という主張を展開したが、それでは「哲学者に残された仕事は何か?」を自問し、そこから生まれてきたのが「今回の哲学的事業」だと、氏は「はしがき」で綴っている。
あまりに平仄が合いすぎて、そこにいくらか無理が無かったか心配になるが、他人のそんな懸念や多少の無理は承知の、まさに一世一代の野心的な試みだったに違いない。

「感じる男」詳論、ならびに野太き首筋のオッツァンであることの哀しみ

  • 2005.09.02 Friday
  • 06:58
女「女か?」
男「男か?」
女「感じるか?」
男「感じないか?」
両人「(同時に)ああ! しかし、それ以外に、第三の道はないか!」
(花田清輝の戯曲『泥棒論語』の冒頭、泥棒と乞食の掛け合いの安易なモジリ)



 男の不感症。面白そうなテーマではないか。男の射精は「ペニスの中を精液がズルズルと通り過ぎて痙攣する局部的な快感でしかなく」その後、男たちは「虚脱感と、空虚感と、敗北感へ転落していく」と著者は言う。ちくま新書の『感じない男』(森岡正博著)が、発売当時売れているという話は聞いたが、これが「男の不感症」について、大学教授である著者が、自らのセクシュアリティをもとに、体験的に分析した本だとは知らなかった。
 西新宿困民党の一員として、よほど差し迫った(?)書籍以外は、とんと購入しないわたしだが、なぜかわたしにこの新書をくれる男がいて、たまたま読むことになった。くれたのはピンク映画の配給会社の企画担当で、わたしのピンク映画や薔薇族映画で、男たちがやたら派手に感じているのを不審に思ったのかも知れない。しかし、四十代後半の大学教授で、なおかつフェミニズムにも十二分に理解と共感を持っている著者が、自らの「不感症」のみならず、なぜ自分がミニスカートや女子高生の制服、ロリコンに惹き付けられるのか、告白的に論じているのは、これは相当の勇気が必要だったことだろう。
 著者の誠実は疑うべくもないのだが、わたしが不思議だったのは、セックスの快感を味わっているのは圧倒的に女の方で、男はそれに取り残され、「小便と同じ程度の快感しか感じない」ということが、すべての前提になっていることだ。「感情が高ぶって涙を流す」「腰が抜けたようになって立ち上がれなくなる」「頭が真っ白になる」といった現象が、女の「絶頂感」の特徴として列記され、射精によってそうした現象に陥る男など存在しないことが、「男の不感症」の証明とされる。これはしかし、女の人がみんなこうした「絶頂」を味わっていると、著者は本気で考えているのだろうか。わたし自身の性的非力のせいか、そういう女の人がどこにでも居るとは到底考えにくいのだ。



 多くのアダルトビデオは、卓絶したテクニックや暴力で女をイカセル男たちや、それに感じまくる女たちを描いているかも知れないが、たまにはピンク映画も観てもらいたい。そこには、女によって感じさせられ、悶える男たちも、結構出てくるはずだ。なにしろ、ロリコンなどまったく存在せず、SMや、かつてのピンク映画に特徴的だった土方的レイプなどもさっぱりと姿を消して、あるのは人妻や熟女のオンパレードなのだから。
 もちろん、現在のピンク映画は衰退の一途を辿るシルバー産業であり、ピンク映画館の観客はジジイばかりという特殊性があって、著者のような壮年世代が自分たちの性感を重ね合わせるには、あまりにも旧態依然の世界かも知れない。しかし、ジジイたちだって男の一員であり、彼らの好みがSMやレイプのような暴力的なものから、熟女や人妻にのしかかられる受け身の幻想に傾いているのは、性的エネルギーの枯渇が背景にあるにしろ、注目に値する変化だと思われる。
 いや、ピンク映画でなくてもいい。街に出て各種風俗の店を覗けば、男たちを感じさせる諸々の仕組みや、珍奇なアイディアに溢れかえっているではないか。もちろん著者は、それもまた一瞬の快楽である射精に引きずられた男たちの錯覚であって、彼らは放出したその瞬間から、奈落の底に沈むような「墜落感覚」を味わっているはずだと言うだろう。
 著者の論旨から言えば、現実の女たちがどのようなエクスタシーを味わっているかは問題ではなく、男たちが女の味わっているに違いない絶頂感覚を、どのように妄想し、それと比較して自らの射精の現実が、いかに味気ない「排泄」に過ぎないか、そして「女が感じるような快感を、けっして味わうことができないという、どうにもならない敗北感」を、男たちが毎度、噛みしめていることが重要なのである。



 実際に著者は、ハイト・リポートを引きながら、セックスの際に絶頂感を得ることができる女性が、現実にはそれほど多くないことを示しながらも、男たちがアダルトビデオなどのポルノを見続ける限り、「女の快感についての幻想」が消えることはないとしている。それでは「男の不感症」の元凶は、ポルノか? ということになるのだが、その一方で「射精なんて小便と同じ」というテーゼが、自明のこととして繰り返される。そして「射精後のどうしようもない空虚感などは、生まれつき生物学的に決まっている面がとても大きいと私は思う」とまで書いているが、これは果してそうか。
 「空虚感」などといった、きわめて主観的な感想が、遺伝子からもたらされるというのは、いくらなんでも眉唾だろう。なかには射精して大いに昂揚し、雄叫びのひとつも上げる男だっているに違いないと、わたしは思うのだ。しかし、あくまで「男の不感症」を強調したい著者は、「セックスとは、不感症の男と女が、互いに隣の芝は青いと誤認しながら、黙々と行なう営みになっているのかもしれない」と、はなはだ絶望的な呟きも洩らしている。
 わたしは、しかし、この著書で論じられている男のセックスが、生身の人間を相手にしているようには、どうも感じられないのだ。その相手が女でも男でも良いのだが、身体の共同作業の中でアクションしたり、リアクションしたりする感覚が薄いのは、ひとつには男の快感が射精の一点のみに集約され、そこに至るプロセスが無視されているせいだろう。
 著者によれば「射精=オーガズム=性的な絶頂感」という「公式」を作ったのは「現代性科学の父、キンゼイ」であり、それによって「射精はそれほどの快感でないかもしれない」という「男の不感症」の問題が消去されたというが、たとえ男の場合であっても射精に至るまでの快感の波はあり、それによって射精のもたらす「絶頂感」の質も異なってくるように、わたしには感じられるのだ。いわゆる女の性感帯と言われる部位は、男にとっても性感帯である確率が高いが、著者のセックス観は、男=能動、女=受動、という図式に固定されているようだ。
 射精だけが問題であるならば、単独のオナニーも、相互作用としてのセックスも、大同小異であり、察するに、本書においては、インテリのオナニーをベースに、議論の骨格が組み立てられているのではないか。著者自身が本書で何度も言及しているように、思春期のオナニー経験が、マイナスの大きな影を射しているようだ。たとえ形態的には男女のセックスであっても、男の主観としては限りなくオナニーに近いようなセックスが、本書からは浮かび上がってくる。
 ここで論じられている「男の不感症」は、セックス論ではなくて、男のオナニーと、そこにまつわるさまざまなセックス・ファンタジー論として読めば、まことに納得がいくのだった。



 男は、本当に感じないのか? 例えば夢精について語りながら、パンツを汚す辛さについてのみ言及しているのが、わたしには、どうにも訝しい。わたしの拙い経験から言えば、現実のセックスの感覚より、夢精に至る性夢のリアリティの方が、遥かに凌駕する場合が少なくないのだ。著者は、貧しい現実に直面する「感じない男」にとって、夢の中での経験など埒外だと言うかも知れないが、同じ身体において、射精という最終出口に辿り着く以上、現実と夢がスッパリ遮断されているとは考えにくい。
 わたしは、まざまざと思い出す。学生時代のことだが、連合赤軍リンチ事件の首謀者、永田洋子が悪鬼のような女として、連日、世間の糾弾を浴びていた頃、わたしは彼女とセックスする夢を見て、その夢の中で感じた以上の強烈な感覚を、その後の現実世界では味わっていないのではないだろうか。
 それは「ヒステリックなブスの極悪人」とセックスするという倒錯的な快楽ではなく、わたしは当時、彼女を悪し様に指弾するマスコミや男たちの嘲罵に、震えるような怒りを覚え、せっせと朝日新聞の投書欄に反論を送ったりしていたが、もちろん採用されるはずもなかった。そうした感情移入の果てに、いきなり出現した、あまりにも奇想天外な夢だったが、そこで経験した感覚は、純粋に器官的な快楽であった。
 余談であるが、その後わたしは、永田さんのすべての著作を読み、いわば「永田さん原理主義」の立場に立つことになる。この地点に立てば、あらゆる男たちのまやかしが見え透いてくるのだ。『光る雨』(高橋伴明監督・立松和平原作)という映画があったが、良心的と思われる男の当事者たちが、どれほど自分に甘くノスタルジーに耽っているか示した、無自覚に絶望的な映画だった。



 閑話休題。森岡教授が言うように、男の体を「感じる身体」として捉えたくない男たちが多数いることも、間違いない現実であるが、マゾヒストやフェティシストの快楽に、この著者は無縁だ。例えば、制服フェチやハイヒールフェチを例にあげながら、自分が制服に惹かれる所以は、もっと複雑な経路を辿っていると語り、制服の向こうに「学校」に対するフェティッシュな愛着(「学校」に射精したい! 少女を「洗脳」したい!)があることを分析しているのは、教育に関わる人の見事な卓説だと思われるが、しかし町場のフェチ諸君だって教授の言うほど単純なものではない。
 山のように陳列された制服やハイヒールに欲情するフェチなんて、どこにも存在しないよ。みんな、教授同様に、それらの制服やハイヒールの向こうに、自分のお好みの少女や女を幻視しているのだ。
 わたしが伝え聞いた、もっとも愉快なフェチのひとつに、「お弁当フェチ」がある。学校や公園で少女の弁当を盗み、自室に持ち帰って、持ち主であるところの少女がその弁当を食べる様子を想像しながら、オナニーする。おそらく、自分も食べながらするのではないか。彼の部屋には、きれいに洗われ、元通りハンカチに包まれた弁当箱が、ぎっしり並べられていたとか。おそらく、その一個一個に、彼は持ち主であった少女の姿を透視しているはずだ。せっかくのお弁当を盗まれた少女や、そのお弁当を作ったお母さんたちにはまことに迷惑な話であるが、そうした環境で成されるオナニーが、著者の言うような射精した途端に「敗北感」へと「墜落」する性質のものとは思われない。彼はお弁当王国の王様なのだ。
 また、あるマゾヒストがわたしに語ったところによると、彼は女王様に鞭打たれ罵られた後、射精は固辞して自宅に帰るのだという。その間、ジュクジュクとした快感が続き、自室に帰って何度も反芻しながら、ゆっくりと射精へと向かう。この持続する快感の時間が長ければ長いほど、達する絶頂の感覚も大きい。こうしたユルユルとした快感の遅延=引き延ばしについては、女装マニアもまた、化粧して一歩外に出た時から、ずっと感じているのだと語っていた。
 著者は「男の不感症」という、一般に馴染みのない新しい概念を説得的たらしめるべく、「男−女」「感じる−感じない」「女の絶頂−男の射精」「イカセル男−イク女」と、意図的に単純化した図式で論理展開しているように思われる。わたしもまた、ここで縷々不満を述べているようだが、本書で男の性感をクローズアップした意義は大きく、「男の不感症」という問題提起もまた画期的だと考える。
 その上で、二項対立の図式に収まらない、現実の男のリアルな性感について、わたしの体験や見聞の範囲で注文をつけてみたのだが、いや、正直なところ、わたしもまた「現実の男」のことなど、実はほとんど何も知らず、たまたまわたしの目に映じた、お好みの「欲望する男像」を対置したに過ぎないのかも知れない。



 一方、本書において「男の不感症」と並んで、もうひとつの柱となっている「男の体でありたくなかった」という論点には、わたしもまた大いに共鳴した。著者は言う。
 「体が大人になるにつれて、男性ホルモンがどんどん作られるようになり、筋肉がつき、体がごつごつしはじめ、毛がたくさん生え、精液で汚れ、体の中から変な臭いが立ちのぼってくる。自分がそのような体になっていくことを、私は思春期に、どうしても受け入れられなかった。いまでも私は、自分が『男の体』を持っているということを『それでよかったのだ』と心底から思うことはできない」
 心から賛同するあまり、引用が長くなってしまったが、「体の中から変な臭いが立ちのぼってくる」というあたり、思わず爆笑しながら、著者の不器用なまでの率直さに打たれた。こうした自分の身体に対する性別異和は、最近は性同一性障害やトランスセクシュアルの文脈で語られることが多いが、著者の言うように「もっと広い範囲の男たちも」こうした感情を抱いていると思われる。
 つい先日のことだが、わたしはデパートかどこか、大きな鏡が不規則な向きで存在する場所で、鏡のひとつに、中年男の野太い首筋が映っているのを、偶然目撃した。一瞬、気色悪いものを見てしまった、と不快げに目を逸らしたが、次の瞬間、それが何かの拍子に映った自分の首筋に他ならないことに、気づかされたのだった。
 五十代も半ばを過ぎた、身も蓋もないオッツァンの日焼けした首筋が、自分には日常見えない、わたしの後頭部の下あたりに存在し、人々の視線に晒されているのだ。これがわたしには、思いもよらないショックで、しばらくは「野太い首筋を持ったオッツァンであることの哀しみ」から逃れることができなかったのである。



 この著者のユニークな論点は、こうした自分の男の体に対する否定的な感情を、制服フェチやロリコンの源泉としているところだろう。男の体と女の体に分岐する、その岐路に立っている少女の脳と身体の内部に滑り込み、内側から少女の思春期を生きること、そして初潮を迎えた少女の体に「誰よりも早く精液を流し込み」、少女の姿をした「もう一人の私」に子供を産ませること、そしてその子供は自分の精子と「もう一人の私」の卵子が結合した「生まれ変わった私自身にほかならない」ことなど、ロジックのサーカスのように独走していくところは、かなりの読み応えがある。これだけの要約では、インテリの観念的な操作のように見えるかも知れないが、切羽詰った緊張感には、著者の切なる願いのようなものが込められているようだ。
 こうしたクローン的な「産みなおし」によって、何が実現されるか? 著者によれば、それは自己肯定のきっかけであり、母親との完全な切断である。どこか自家中毒にしか見えないところもあるが、どうやら著者にとって「男の不感症」の背後には、母親とのこじれた関係や、自分の体に対する嫌悪があって、むしろこちらの方が根底的なようでもある。
 教育者でもあり、社会的立場もある大学教授が、自分の中のロリコンについて告白し「私は少女の体を、内側から生きてみたかった」などと書くのは、よほどの蛮勇が必要だったに違いない。しかし、同じように自分の「男の体」に否定的感情を抱くわたしは、著者のように、十一歳から十二歳の、初潮が訪れたばかりの少女との性交や射精に焦がれたりはしない。では、わたしは何を願うのか。



 もう20年も前のことになるが、わたしは一時「男のレズビアン、それもネコ」を標榜して、周囲の顰蹙を買ったことがある。大島弓子さんをはじめとする、少女マンガにおおいに影響を受けたわたしは、ある日ふと気づいた。自分が「男のレズビアン」であると定義すれば、「男らしさ」からは遠く外れたセクシュアリティの問題が、きれいに整合されるではないか。 「感じない男」である森岡教授にとって、勃起=射精という回路は自明のことのようだが、「感じる男」であるわたしには、勃起=射精に関して、別な回路のスイッチが必要なようであった。それが何であるかは、いまだに分からないが、スイッチがわたしの頭の中の観念にあることは間違いない。
 わたしはかつて、インポテンツのギャングである『俺たちに明日はない』(アーサー・ペン監督)のクライド・バローに憧れた。その後のわたしが、女優よりも多く男優の色っぽさに惹かれるのは、ゲイ的心性の発露であるよりは、ウォーレン・ビューティ(今ではベイティと表記するようだが)への根深い憧憬の後遺症だろう。
 「男のレズビアン」に関して言えば、当時、風俗ライターやエロ劇画誌の編集をしながら、そんなことを唐突に言い出したのだから、周囲は相当不気味に思ったに違いない。わたしがそうした業界に足を踏み入れたのは、今では演歌歌手となったフーゾク取材の総本山、島本ナメダルマ親方の導きだったが、彼やその仲間たちがわたしに向かって、しきりに「女好き」と囃すのだ。体験取材なども喜んで敢行する彼らに対し、ひたすら話を聞くだけの取材しかできないわたしが、どうして「女好き」なのか、さっぱり理解できなかったが、今から思えば、男同士で飲みに行ったりすることが少なく、いつも仕事を女の人たちとしているわたしへの評言だったのだろう。わたしは大人になっても、女の人たちとペチャペチャお喋りしているのが好きなタイプの男だったのである。
 その頃、画家の宮迫千鶴さんが、エッセイストとして颯爽とデビューし、上野千鶴子さんとの対談『多型倒錯 つるつる対談』が話題になったが、確かこの本のなかで「わたしは女のホモセクシュアル」と宣言していた。まだ並みの異性愛者であることを素直に自認していた上野さんと比較しても、図抜けてカッコ良かったのだが、「男のレズビアン」を提唱していたわたしには、宮迫さんの宣言は大きな励みとなった。しかし、間もなく宮迫さんは神秘的なネイチャー志向に転じ、置いてきぼりを食った(?)わたしも、あまりの不評にいつしか「男のレズビアン」を口にすることはめっきり減って、現在に至っている。



 こんなわたしも特殊だろうが、「男の不感症」とロリコンを両手に、特異な論理を組み上げる森岡教授も特殊個人的であり、どちらも男一般に普遍化するのは無理があるのではないか。「男の不感症」も、男の中のあるタイプに限定し、男のすべてに敷衍しなければ、わたしには何の文句もないのである。
 ところで、本書でも制服に惹かれる男の一例として上げられている、手鏡で女子高生のスカートの中を覗いたとして逮捕された植草・元教授に、冤罪説がある。本人は、竹中平蔵大臣批判の急先鋒だった自分が、小泉政権に狙い撃ちにされたと言いたいようだが、釈放された直後に記者会見で開陳した「資本主義社会は、欲望の自由で成り立っている」という、変態の理論武装の方を、積極的に展開してもらいたいものだ。

<05年6月『レモンクラブ』(日本出版社)掲載の原稿を、大幅に改稿>


著者にサインを貰う

  • 2005.03.03 Thursday
  • 05:41
 浜野佐知監督の『女が映画を作るとき』(平凡社新書)の出版記念会が、2月16日に新宿住友ビルで行われ、100人前後の人が集まる盛況となったが、わたしはこの日、一冊の単行本を携行するかしないか、間際まで悩み、結局のところ断念した。この夜、わたしは司会進行を命じられていて、たとえこの本の著者が来てくれたにしろ、サインをしてもらうような余裕はないだろうし、司会が自分の役目をないがしろにしてサインをねだっている光景は、相当みっともないに違いないと考えたからだ。
 その本は、小谷真理著『女性状無意識<テクノガイネーシス>−女性SF論序説』(勁草書房・94年刊)で、小谷さんは夫君の巽孝之教授と共に出版記念会に来てくれた。わたしはお二人にスピーチをお願いする際に「94年に出された『女性状無意識』という忘れ難い書物の著者で、すぐれた尾崎翠論も執筆されている」とわたしなりに万感の思いを込めて紹介したが、会場が極度にうるさく、小谷さん本人にも聞こえていなかったことだろう。



 巽教授と小谷さんは「サイボーグ・フェミニズム」の日本への紹介者でもあり、91年に出た同名の訳書『サイボーグ・フェミニズム』(トレヴィル刊)は肩で風を切るカッコ良さだったが、しかしわたしは小谷さんのデビュー作である『女性状無意識』、中でもジェームズ・ティプトリー・ジュニアのエピソードには泣けた。
 68年にデビューしたこのSF作家は「その華麗な文体、ヘミングウェイを思わせるマッチョな作風で」一躍人気者になるが、77年になって、母の死をきっかけに、実はこの「男性作家」が60歳を越える女性のペンネームだったことが暴露され、アメリカの「SF界は大きな衝撃を受けた」という。ラクーナ・シェルドンという女性名でも、フェミニズムSFを発表していた。
「小説作法における、いわゆる男流/女流が約束事として学習されたものに過ぎなかったことーかくしてティプトリーは、自らの存在そのもによって男女の間を解体してしまったのだ。しかもかつてCIAの情報将校をつとめたことのある情報操作のプロであったという、とびきりのオマケつきで」(同書より)
 このエピソード自体、尾崎翠の「こほろぎ嬢」に登場してくる「ふぃおな・まくろおど嬢」と「ゐりあむ・しゃあぷ氏」を思わせるが、当時、直ぐにでもジェームズ・ティプトリー・ジュニアのSFを読もうと思ったくせに、いまだにまったく読んでいない。不徹底である。思うにわたしは、小谷さんのこの著書だけで充足してしまったのだろう。
 浜野監督の出版記念会では、サインを断念したわたしだったが、同じ週の土曜日にお茶の水女子大で行われた小谷さんの講演を含む研究発表会に潜り込み、その後の懇親会で、若干の面識のできた巽教授にお願いして、無事に(?)サインを頂くことができた。長年のこの本のファンとしては、著者を前にすっかり上がってしまい、ドモりながら何か意味の通らないことを口走って、慌てて帰ってきた。出版記念会の会場では普通に呼びかけたりしていたのに、ファン心理というのは可笑しなものである。
(わたしはかつて巽教授の、たしかメルヴィルをめぐる文章の一部をパクッて「薔薇族映画」−ゲイ向けピンク映画−をデッチ上げたことがあったはずだが、それについては口を閉じて、ヒミツにした。しかし、そのネタ本がなんであったか、今いくら頭をひねっても思い出せないのだ。杜撰である)

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