エキストラに参加してくれた諸姉諸兄へ
- 2010.09.23 Thursday
- 04:43
ヤマザキ組ピンクの、13日のエキストラ撮影に参加して頂いた諸氏。9月28日(火)にお約束した試写があります。
*場所=東映ラボテック・3F試写室(京王線柴崎駅下車徒歩15分弱)
*時間=午後4時より1時間。
*上映作品=「奴隷飼育 変態しゃぶり牝」(60分)。
*集合=道順が分からない人は、3時半に柴崎駅改札に集合。
それにしてもハードな撮影だった。もっとも過酷だった薔薇族映画「仮面の宿命」に並ぶものではなかったろうか。
上野オークラ劇場旧館でのエキストラ撮影は、3日間のうちの初日だったが、この日撮影を一時中断したのが翌日の朝方4時半ごろ。スタッフ、役者ともに帰れず、映画館やカプセルで仮眠をとる。わたしは映画館の座席で1時間半ほど眠った。
営業してない映画館を丸ごと使える、またとないチャンス! と考えたわたしだったが、ピンク映画とわたしの力量と、両面で身の丈に合わない無謀な挑戦でもあったようだ。
撮影スケジュールを見た浜野監督は「これでは徹夜の連続になる、やめた方がいい」と警告を発したが、その通りになった。わたしのような素人監督でないとやらない、無謀な試み。
スタッフ、役者の中には、ヤマザキ組と関わりをもったことを呪った人もいたに違いない。
2日目の午後、不忍池の撮影場所に向かいながら、わたしは大江カメラマンに「今回はテーマやロケーションの設定が、根本から間違っていたかも知れんね」と洩らす。
撮影も半ばになって、監督からそんなことを言われたカメラマンは何と答えるか?
何にも云わず、ただ目を丸くしていた。
上野オークラ劇場旧館を撤収したのは、2日目の23時頃で、その後、経堂に向かって駅前で撮影し、旦々舎で里見瑤子さんと平川直大君のカラミ。
終わったのは朝方3時半ごろだったか、送りの車で自室に戻り、2時間ほど眠って、また旦々舎集合。
3日目は、主演の浅井千尋さんと牧村耕次氏のカラミが中心。浅井さんと話し合いながら撮影を進めたが、意表を突く発見があり、新鮮なシーンが撮れたと思う。
しかし、一日ずっとカラミの撮影となると、最後にはネタも尽きる。深夜になって、フィルムは残っているのに、やることがないという状況におちいった。
こうなったら、もう趣味の世界に突入するしかないと腹を決め、自分でカメラを覗きこんで、浅井さんの臍の穴や腋の下、お尻など、フェティッシュ・カットを撮る。
映画館では全身パンストの、ほとんど裸のような格好で闊歩していた浅井さん、腋の下を撮られることに羞恥心を表明する。意外でもあり、可笑しくもあった。
臍のカット、わたしは好きだったが、尺の関係で(60分30秒以内におさめなければならない)アフレコ段階で割愛。残念だが、臍カットよりは腋の下カットの方がまだ一般性があるだろうと判断した。間違っていたかも。
映画館ではほとんどカラミらしいものがなかったのに、最終日はカラミの連続で、浅井さん「これで一本の映画として、まとまるんですか?」。率直な意見だ。
「今撮ってるのは材料。編集は得意だから任せて」と答えたが、果たして出来上がったものを見て、彼女は何と言うか。
浅井さんと同じくヤマザキ組は初めての園部貴一君、初日の上野オークラでの撮影が真夜中を過ぎたころ「こんな段取りだけでは、芝居した気になれない!」と憤懣を爆発させる。
いつ終わるか分からない撮影に、わたしも役者の芝居をじっくり見ることなく、先に先に進めようと焦っていた。
大いに反省し、その後、彼に謝ったが、ヤマザキ組というのは、そうとう特殊なのかもしれないと思う。演出の勉強をしたわけでも、現場で経験を積んだわけでもない素人監督。
わたしの片寄った世界を映像化するうえで、初日に野菜ストリッパー役で出演してくれた佐々木基子さんや、頭の中は「アナイス・ニンの日記」だけというブッキッシュ(?)な役を演じてくれた里見瑤子さんなど、馴染みの女優さんたちが支えてくれる構図。
園部君のような正統的な役者を、場違いな現場に呼んでしまったかと反省したが、今回のイカレタ植物学者にはピッタリだった。彼も真剣に取り組んでくれて、魅力的な表情が生き生きと映っている。
浅井さんも初めてだったが、現場でディスカッションするなかで彼女の内部に多くの引き出しがあり、今回その片鱗を覘かせることができたが、まだまだ未知のものがありそう。次回も浅井さんで行きたいものだ。
支えてくれるという意味では、もちろん撮影の大江泰介氏、照明のガッツ氏というプロの力量がベースになってのことである。毎回思うことだが、映画にかかわる彼ら技術者の驚異的な粘り強さ、終わるまではどんなに苛刻でも手を抜こうとしないプロ意識には頭が下がる。
オールラッシュで、大江カメラマンに「今回は悪かった」と謝ったら「いい映画が出来れば、それでいいんじゃないですか」と大真面目に答えた。
わたしが今回経験した、困惑から焦燥、混乱、暗い予感、そこから新たな発見、自分の世界への回帰と至るプロセスは、むしろそれ自体を映画にしたほうが面白いのではないか、とも思ったが、そういう映画はすでにあるような気もする。ピンク映画という特殊性に徹したら面白いかも。
一昨日の、まるで格闘技のようだったダビング(それがわたしの実感)を経て、あるバカげた世界を提示できたように思うが、これだけは観客の皆さんに判断してもらうしかない。
*場所=東映ラボテック・3F試写室(京王線柴崎駅下車徒歩15分弱)
*時間=午後4時より1時間。
*上映作品=「奴隷飼育 変態しゃぶり牝」(60分)。
*集合=道順が分からない人は、3時半に柴崎駅改札に集合。
それにしてもハードな撮影だった。もっとも過酷だった薔薇族映画「仮面の宿命」に並ぶものではなかったろうか。
上野オークラ劇場旧館でのエキストラ撮影は、3日間のうちの初日だったが、この日撮影を一時中断したのが翌日の朝方4時半ごろ。スタッフ、役者ともに帰れず、映画館やカプセルで仮眠をとる。わたしは映画館の座席で1時間半ほど眠った。
営業してない映画館を丸ごと使える、またとないチャンス! と考えたわたしだったが、ピンク映画とわたしの力量と、両面で身の丈に合わない無謀な挑戦でもあったようだ。
撮影スケジュールを見た浜野監督は「これでは徹夜の連続になる、やめた方がいい」と警告を発したが、その通りになった。わたしのような素人監督でないとやらない、無謀な試み。
スタッフ、役者の中には、ヤマザキ組と関わりをもったことを呪った人もいたに違いない。
2日目の午後、不忍池の撮影場所に向かいながら、わたしは大江カメラマンに「今回はテーマやロケーションの設定が、根本から間違っていたかも知れんね」と洩らす。
撮影も半ばになって、監督からそんなことを言われたカメラマンは何と答えるか?
何にも云わず、ただ目を丸くしていた。
上野オークラ劇場旧館を撤収したのは、2日目の23時頃で、その後、経堂に向かって駅前で撮影し、旦々舎で里見瑤子さんと平川直大君のカラミ。
終わったのは朝方3時半ごろだったか、送りの車で自室に戻り、2時間ほど眠って、また旦々舎集合。
3日目は、主演の浅井千尋さんと牧村耕次氏のカラミが中心。浅井さんと話し合いながら撮影を進めたが、意表を突く発見があり、新鮮なシーンが撮れたと思う。
しかし、一日ずっとカラミの撮影となると、最後にはネタも尽きる。深夜になって、フィルムは残っているのに、やることがないという状況におちいった。
こうなったら、もう趣味の世界に突入するしかないと腹を決め、自分でカメラを覗きこんで、浅井さんの臍の穴や腋の下、お尻など、フェティッシュ・カットを撮る。
映画館では全身パンストの、ほとんど裸のような格好で闊歩していた浅井さん、腋の下を撮られることに羞恥心を表明する。意外でもあり、可笑しくもあった。
臍のカット、わたしは好きだったが、尺の関係で(60分30秒以内におさめなければならない)アフレコ段階で割愛。残念だが、臍カットよりは腋の下カットの方がまだ一般性があるだろうと判断した。間違っていたかも。
映画館ではほとんどカラミらしいものがなかったのに、最終日はカラミの連続で、浅井さん「これで一本の映画として、まとまるんですか?」。率直な意見だ。
「今撮ってるのは材料。編集は得意だから任せて」と答えたが、果たして出来上がったものを見て、彼女は何と言うか。
浅井さんと同じくヤマザキ組は初めての園部貴一君、初日の上野オークラでの撮影が真夜中を過ぎたころ「こんな段取りだけでは、芝居した気になれない!」と憤懣を爆発させる。
いつ終わるか分からない撮影に、わたしも役者の芝居をじっくり見ることなく、先に先に進めようと焦っていた。
大いに反省し、その後、彼に謝ったが、ヤマザキ組というのは、そうとう特殊なのかもしれないと思う。演出の勉強をしたわけでも、現場で経験を積んだわけでもない素人監督。
わたしの片寄った世界を映像化するうえで、初日に野菜ストリッパー役で出演してくれた佐々木基子さんや、頭の中は「アナイス・ニンの日記」だけというブッキッシュ(?)な役を演じてくれた里見瑤子さんなど、馴染みの女優さんたちが支えてくれる構図。
園部君のような正統的な役者を、場違いな現場に呼んでしまったかと反省したが、今回のイカレタ植物学者にはピッタリだった。彼も真剣に取り組んでくれて、魅力的な表情が生き生きと映っている。
浅井さんも初めてだったが、現場でディスカッションするなかで彼女の内部に多くの引き出しがあり、今回その片鱗を覘かせることができたが、まだまだ未知のものがありそう。次回も浅井さんで行きたいものだ。
支えてくれるという意味では、もちろん撮影の大江泰介氏、照明のガッツ氏というプロの力量がベースになってのことである。毎回思うことだが、映画にかかわる彼ら技術者の驚異的な粘り強さ、終わるまではどんなに苛刻でも手を抜こうとしないプロ意識には頭が下がる。
オールラッシュで、大江カメラマンに「今回は悪かった」と謝ったら「いい映画が出来れば、それでいいんじゃないですか」と大真面目に答えた。
わたしが今回経験した、困惑から焦燥、混乱、暗い予感、そこから新たな発見、自分の世界への回帰と至るプロセスは、むしろそれ自体を映画にしたほうが面白いのではないか、とも思ったが、そういう映画はすでにあるような気もする。ピンク映画という特殊性に徹したら面白いかも。
一昨日の、まるで格闘技のようだったダビング(それがわたしの実感)を経て、あるバカげた世界を提示できたように思うが、これだけは観客の皆さんに判断してもらうしかない。