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ヤマザキ組ピンクの、13日のエキストラ撮影に参加して頂いた諸氏。9月28日(火)にお約束した試写があります。

*場所=東映ラボテック・3F試写室(京王線柴崎駅下車徒歩15分弱)
*時間=午後4時より1時間。
*上映作品=「奴隷飼育 変態しゃぶり牝」(60分)。
*集合=道順が分からない人は、3時半に柴崎駅改札に集合。

それにしてもハードな撮影だった。もっとも過酷だった薔薇族映画「仮面の宿命」に並ぶものではなかったろうか。
上野オークラ劇場旧館でのエキストラ撮影は、3日間のうちの初日だったが、この日撮影を一時中断したのが翌日の朝方4時半ごろ。スタッフ、役者ともに帰れず、映画館やカプセルで仮眠をとる。わたしは映画館の座席で1時間半ほど眠った。

営業してない映画館を丸ごと使える、またとないチャンス! と考えたわたしだったが、ピンク映画とわたしの力量と、両面で身の丈に合わない無謀な挑戦でもあったようだ。
撮影スケジュールを見た浜野監督は「これでは徹夜の連続になる、やめた方がいい」と警告を発したが、その通りになった。わたしのような素人監督でないとやらない、無謀な試み。
スタッフ、役者の中には、ヤマザキ組と関わりをもったことを呪った人もいたに違いない。

2日目の午後、不忍池の撮影場所に向かいながら、わたしは大江カメラマンに「今回はテーマやロケーションの設定が、根本から間違っていたかも知れんね」と洩らす。
撮影も半ばになって、監督からそんなことを言われたカメラマンは何と答えるか?
何にも云わず、ただ目を丸くしていた。

上野オークラ劇場旧館を撤収したのは、2日目の23時頃で、その後、経堂に向かって駅前で撮影し、旦々舎で里見瑤子さんと平川直大君のカラミ。
終わったのは朝方3時半ごろだったか、送りの車で自室に戻り、2時間ほど眠って、また旦々舎集合。

3日目は、主演の浅井千尋さんと牧村耕次氏のカラミが中心。浅井さんと話し合いながら撮影を進めたが、意表を突く発見があり、新鮮なシーンが撮れたと思う。
しかし、一日ずっとカラミの撮影となると、最後にはネタも尽きる。深夜になって、フィルムは残っているのに、やることがないという状況におちいった。
こうなったら、もう趣味の世界に突入するしかないと腹を決め、自分でカメラを覗きこんで、浅井さんの臍の穴や腋の下、お尻など、フェティッシュ・カットを撮る。

映画館では全身パンストの、ほとんど裸のような格好で闊歩していた浅井さん、腋の下を撮られることに羞恥心を表明する。意外でもあり、可笑しくもあった。
臍のカット、わたしは好きだったが、尺の関係で(60分30秒以内におさめなければならない)アフレコ段階で割愛。残念だが、臍カットよりは腋の下カットの方がまだ一般性があるだろうと判断した。間違っていたかも。

映画館ではほとんどカラミらしいものがなかったのに、最終日はカラミの連続で、浅井さん「これで一本の映画として、まとまるんですか?」。率直な意見だ。
「今撮ってるのは材料。編集は得意だから任せて」と答えたが、果たして出来上がったものを見て、彼女は何と言うか。

浅井さんと同じくヤマザキ組は初めての園部貴一君、初日の上野オークラでの撮影が真夜中を過ぎたころ「こんな段取りだけでは、芝居した気になれない!」と憤懣を爆発させる。
いつ終わるか分からない撮影に、わたしも役者の芝居をじっくり見ることなく、先に先に進めようと焦っていた。

大いに反省し、その後、彼に謝ったが、ヤマザキ組というのは、そうとう特殊なのかもしれないと思う。演出の勉強をしたわけでも、現場で経験を積んだわけでもない素人監督。
わたしの片寄った世界を映像化するうえで、初日に野菜ストリッパー役で出演してくれた佐々木基子さんや、頭の中は「アナイス・ニンの日記」だけというブッキッシュ(?)な役を演じてくれた里見瑤子さんなど、馴染みの女優さんたちが支えてくれる構図。

園部君のような正統的な役者を、場違いな現場に呼んでしまったかと反省したが、今回のイカレタ植物学者にはピッタリだった。彼も真剣に取り組んでくれて、魅力的な表情が生き生きと映っている。
浅井さんも初めてだったが、現場でディスカッションするなかで彼女の内部に多くの引き出しがあり、今回その片鱗を覘かせることができたが、まだまだ未知のものがありそう。次回も浅井さんで行きたいものだ。

支えてくれるという意味では、もちろん撮影の大江泰介氏、照明のガッツ氏というプロの力量がベースになってのことである。毎回思うことだが、映画にかかわる彼ら技術者の驚異的な粘り強さ、終わるまではどんなに苛刻でも手を抜こうとしないプロ意識には頭が下がる。
オールラッシュで、大江カメラマンに「今回は悪かった」と謝ったら「いい映画が出来れば、それでいいんじゃないですか」と大真面目に答えた。

わたしが今回経験した、困惑から焦燥、混乱、暗い予感、そこから新たな発見、自分の世界への回帰と至るプロセスは、むしろそれ自体を映画にしたほうが面白いのではないか、とも思ったが、そういう映画はすでにあるような気もする。ピンク映画という特殊性に徹したら面白いかも。

一昨日の、まるで格闘技のようだったダビング(それがわたしの実感)を経て、あるバカげた世界を提示できたように思うが、これだけは観客の皆さんに判断してもらうしかない。


 

ヤマザキ組ピンクを来週撮影するが、つい先日、新館のオープンとともに閉館した上野オークラ劇場旧館を、ロケセットとして使うことになった。
ついては、映画を観ている観客のエキストラを募集することになった。撮影するのは、椅子に座って映画を観ているシーン、終わって場内が明るくなり、「つまんない映画だ!」「金返せ!」とか呟きながら立ち上がると、主人公がドアから入ってくるシーンなど。
若干の芝居はあるが、ふだん映画館で行っている動作をして頂ければ良い。


上野公園の西郷さんの銅像はご存じだろうか。その下に交番があるが、その先、不忍池に通じる路地の角に上野オークラ劇場旧館はある。路地の向かい側に新館ができているが(燦然と、今は輝かない)「ADULT MOVIES」「オークラ劇場」の看板を目指して頂きたい。
★9月13日(月)午後1時、上野オークラ劇場旧館集合。
★ギャランティ、交通費など一切なし。
★申し込み先=以下にメールをください。
sense-7@f3.dion.ne.jp
★調布での試写にご招待。


このエキストラ募集を、上野オークラ劇場のブログが紹介してくれたのだが、思いのほか申し込みがあった。
9月5日の記事だが、支配人やスタッフのみなさんの、同劇場の雄姿をフィルムに残したいという情熱には心打たれるものがある。映画館で仕事をしている人たちは、映画館そのものを愛しているのだというシンプルな原則を、改めて実感した。


しかし、今風の細かく仕切られたシネコンと違って、どーんと二階席まであり、三階に映写室のある構造は、いざ撮影するとなるとデカイなあ。
照明技師さんは「う〜ん」と唸り、撮影当日では間に合わないので、事前にセッティングを準備することになった。監督のわたしは楽しくて仕方がないが、撮影部、照明部の技師さんは唸りっぱなしだ。
数百円高い二階席に、今回初めて足を踏み入れたが、椅子の前が広くて、往時はここで何が行われていたか、想像を掻き立てられる。


旧館の裏には、猫が一匹住み着いていた。映画館の中に入ることはできないが、この広い敷地内に住む、たった一人の者。贅沢な話ではないか。達者でありたまえ。


ふだんは火の消えた旧館だが、今回は撮影時に一度だけ点灯してもらう。写真は、ロケハンの際にテストでネオンを点けたもの。昭和の香りがするね。
なお、今回の作品の公開タイトルは『奴隷飼育 変態しゃぶり牝』。内容を推測するには仮題の方が便利だが『ユニバーサル・マンゴー 男が女になる病気』では、やっぱり雲をつかむようなもの?


明日8月14日の東京プライドパレードでは「浜野佐知監督を支援する会」のブースで、チラシをまき、映画『百合子、ダスヴィダーニヤ』へのカンパ活動を、強力に展開する、と言いたいところだが、弱気なわたしに、有効な営業活動がどれほどできるか、まったく心もとない。

事務局担当として、缶バッジを2種作ったが、これも本当は手作りするはずのものを、根性がないため、製作会社に発注した。映画のタイトル文字が入った方が良い、というアドバイスがあったのに、写真と文字を組み合わせたデザインできないため、湯浅芳子と中條百合子の写真をそのまま使った。

 

これは角型の2ショットで、丸型の2倍の原価だが、写真のデザイン上、止むを得なかった。二人でソビエト留学した時に、ウィーンで撮った写真だが、なかなか良い雰囲気で仕上がっている。四隅の角が引っかかりそうなのが、ちょっと気になるけれど、アピールする印象は強い。



こちらは丸型で、円の中が実質のバッジとなる。やはりソビエト留学の際に、モスクワで資料を調べる湯浅芳子。丸いカーブが美しく、手触りもいい。缶バッジというのは、本来、丸型が王道なのかもしれない。事務局担当の判断で、角型も発注したが、もしかしたらわたしの責任が問われる事態になるかも。

これらのバッジや、『百合祭』などのDVDを販売しながら、チラシをまいてカンパを募るが、他人の映画に幾ばくかのお金を出そうという人が、果たしてどれぐらいいるものか。支援する会の女性たちが頼りだ。

明日のことだけれど、もしこの心細いカンパニア活動を手伝ってやろうという奇特な人がいたら、代々木公園イベント広場の「浜野監督を支援する会」のブースに、ヤマザキを訪ねてください。午前10時半頃から夕方6時ぐらいまでやってます。


7月23日から京都・本町館でスタートした浜野佐知監督特集、翌24日から京都シネマでも開始され、もの凄い酷暑の続くなか、それぞれ1週間の上映を終えた。本町館では2日、京都シネマでは連日の日替わりトークショーが行なわれ、多くの皆さんとお会いすることができた。

頭のジリジリ焦げるような陽射しのなか、映画を観に来てくれた皆さん、トークショーのゲストで来てくれた皆さん、飲み会に参加してくれた皆さん、ありがとうございました!
そして、大変なご苦労をおかけした2館の劇場関係者の皆さん、併走してくれた企画発案者の『関西ぴんくりんく』発行人の太田耕耘キ氏に、心からの感謝を捧げます。 


<毎日通って、自宅応接間のように、すっかり馴染んでしまった京都シネマのロビー>

7月30日の最終日は、午後1時55分から『こほろぎ嬢』の上映、そして宝塚市から詩人の寺田操さんを迎えての浜野監督トークショー。これには、わたしも参加した。そしてオーラスが4時15分からの『百合祭』上映。

わたしは久しぶりに35ミリフィルムで『こほろぎ嬢』を観た。このところ、同映画のDVD製作などで、デジタル画面を見ることが多かったのだが、フィルムはやはり素晴らしい。
わたしは脚本を担当しただけでなく、撮影現場で慣れない制作を担当し、実務的な無能力をさらけ出したのだが、それだけに1シーン、1シーンが身に沁みる。

大豚、子豚、2匹の豚の撮影は大変だったが、やっぱり素晴らしい存在感だなあ、などと個人的な感慨にも耽ってしまったが、客観的に見て、わたしたちのチームは悪くない仕事をしたのではないかと、妙に自信を深めた。

初日の、森澤夕子さん(尾崎翠研究者)を迎えてのトークショーでは、こちらを見つめるお客さんのマジマジ顔に、すっかり落ち込んでしまったわたしだが、あの時もその前に、『こほろぎ嬢』を観ておけばよかった。そうすれば自信を持ってトークに臨めたに違いない。

もっとも、自信たっぷりに豚について語る脚本家など、たいがいのお客さんは訝しい思いで見つめていたに違いない。
その点、『都市文学と少女たち―尾崎翠・金子みすゞ・林芙美子を歩く』(04年)『金子みすゞと尾崎翠―1920・30年代の詩人たち』(00年。いずれも京都・白地社刊)という著書を持つ寺田操さんのお話は、尾崎翠の言葉のユニークさを語って、説得力がある。翠におけるフロイトの受容の特異性というご指摘は、とても興味深いものだった。
 


<京都シネマのロビーで、寺田操さんと浜野監督>

とても残念だったのは、掉尾を飾るはずの『百合祭』上映のお客さんが少なかったことで、京都シネマの神谷代表と顔を見合わせ、深く嘆息してしまった。浜野監督特集の最後の番組なのに、なぜ?

映画の興行はつくづく難しいですね。それでも救われたのは、最終日に観に来てくれた『こほろぎ嬢』と『百合祭』の観客の皆さんの多くが、実にニコニコしていたこと。
特に『百合祭』を観た中高年のお客さんの、明るい活気付いた表情を見るのは、製作に関わった人間として幸せを感じる一瞬だ。

期間中に、岡山映画鑑賞会の右遠さんが、差し入れを持って『第七官界彷徨−尾崎翠を探して』の新編集版を観に来てくれたのには、ビックリした。右遠さんは、京都シネマの会員でもあって、岡山ではかからない映画を片道2時間半かけて観にくるのだという。京都シネマは、関西以西の映画ファンにとって、大切な拠点となっているようだ。

岡山では、浜野監督作品は岡山映画鑑賞会と岡山映画祭の協力で、何度も上映して頂いている。吉行和子さんの生地でもあり、『百合祭』は吉行さんをゲストに迎え、一週間の完成ロードショーを行なったほどだ。

右遠さんは、7月17日から19日まで開かれた「第39回 映画大学in 松山」で、映画『百合子、ダスヴィダーニヤ』の赤い「求む、応援」チラシや、今回の京都での浜野監督特集のチラシを、多くの人が手にとって興味深そうに読んでいたと報告してくれた。

これらのチラシは、福岡映画サークルの野田さんが持ち込んでくれたもの。野田さんは、11月23日(火・祝日)に福岡の「甘棠館(かんとうかん)」というところで、『こほろぎ嬢』の上映会を行なってくれることになっている。そのために今から尾崎翠の読書会をするなど、超人的な努力をしてくれているが、こうした人たちのバックアップに、わたし達は支えられている。

バックアップという点では、大阪・箕面市から大挙して、京都シネマ、本町館の両方に駆けつけ、二度にわたって飲み会に参加してくれた「TEAM ヤミナベ」の諸君にも、衷心から感謝したい。マジな人権問題に取り組みながら、アウトサイダー的なものに熱烈な関心を示す諸君の、若々しいパワーと、旺盛な食欲に、どれほど勇気づけられたか分からない。

こうして幕を下ろした京都の極夏の浜野監督特集だったが、浜野監督やわたしが帰京した昨夕、京都新聞の夕刊に、映画『百合子、ダスヴィダーニヤ』の大きな記事が載った。しかもカラー写真入り! 

特集上映中に掲載された同新聞「大正の着物展 湯浅芳子の時代」(主催:NPO法人京都古布保存会)の記事を書いてくれた森山敦子記者によるもの。

森山記者によれば、京都新聞の記事を検索したところ、湯浅芳子に関する記事は、めぼしいものがほとんどなかったという。今回の記事は、わたしたちにとって浜野監督特集の、これこそ掉尾を飾った嬉しい記事だったが、しかし映画撮影の範疇を越えて、京都における湯浅芳子の再評価のきっかけとなるべきものではないだろうか。

実にさまざまな出会いに恵まれた、京都2館・浜野佐知監督特集だった。


 

昨日のトークは、『ブラジルから来たおじいちゃん』(08年)『ルッキング・フォー・フミコ〜女たちの自分探し』(94年)の栗原奈名子監督が登場。

『第七官界彷徨−尾崎翠を探して』が初めて海外に招待されたドルトムント国際女性映画祭でお会いしたのが栗原監督だった。その後、大学で舞踊の研究などにいそしんでいたが、08年に自らカメラを回した『ブラジルから来たおじいちゃん』を発表、映像の世界に復帰した。

アメリカで13年暮らした経験から、日本における配給制度や、映画制作への社会的なバックアップの貧困などを語った。次回作として、日本のブラジル人コミュニティをテーマにしたドキュメンタリーを構想しているという。著書に『ニューヨーク自分さがし物語 怒る女は美しい』(WAVE出版)など。

トークの後、栗原監督とご一緒してわたしも楽しく酒を飲んだが、3軒目ですっかり記憶を無くした。どうやら眠り込んでいたらしい。
今日はまたしても二日酔いの憂き目にあっているが、京都シネマの浜野佐知監督特集も、いよいよ最終日だ。

午後1時55分から『こほろぎ嬢』の上映、その後3時40分頃から詩人の寺田操さんを迎えて尾崎翠をテーマにしたトーク。これにはわたしも参加する。そして最後の上映が4時15分からの『百合祭』だ。

お客さんの入りに一喜一憂した一週間だったが、多くの皆さんのご協力、バックアップを受けた。心から感謝します。
アート系単館の京都シネマと、ピンク映画の本町館がコラボレートするという、浜野監督作品の上映のみならず、地域映画館の存在を考えるうえで、画期的な試みだったのではないだろうか。関係者の皆さん、ありがとう!



昨日は、京都シネマで続映中の『ザ・コーヴ』について書いたが、同じ錦市場で、もっとスプラッターな鯛の頭を発見。実はわたしはこの手の料理が好きで、自分で買って来て煮込んだりする。
ピンク映画が一本仕上がった時には、稀なるご馳走として鯨肉を買い込んできて、一人で祝杯をあげたりするのだが、『ザ・コーヴ』の主人公、リック・オバリーなら何と言うだろうか。


<買い物客や外人観光客で賑わう錦市場のアーケード>




昨夜の京都本町館ツアーは、最終的に思わぬ賑わいとなった。
といっても、7時20分に拙作が始まった時には、昼の京都シネマから一緒に移動してきた東映の土橋亨監督や神戸新聞の平松正子記者が、浜野組作品2本を観た後、浜野監督とともに呑みに行ってしまい、残されたのは、わたしと『関西ピンクリンク』の太田耕耘キ氏、それにチラホラ数人の観客という寂しいありさまだった。

さすがにピンク2本、それもエグイ浜野映画を立て続けに観ると、頭の奥に疼痛を覚える。それに加えて閑散とした場内。
わたしは、この侘しさこそピンク映画の本領であると感じ入りながら、太田君にスクリーンのピントを直してもらったりしていたら、途中から箕面市のTEAMヤミナベの若者諸君がドヤドヤ入ってきたり、関西クィア映画祭のひびの怪人が現れたりして、急に賑やかになった。

拙作が終わった時に、ヤミナベの諸君が拍手してくれたのは、思いがけない光栄だったが、彼らは引き続き浜野監督作品を観て、終映後に飲み会に参加。
一方わたしは、『ピンクリンク』の関係で来てくれた人たちや、飲み会に合わせて来てくれた尾崎翠研究者の森澤夕子さん、それに京都シネマの3本をすべて観たユーゴ人女性芸術家とともに、浜野監督たちが飲んでいる飲み屋に向った。

飲み会に参加したのは、けっきょく二十人近くになったのではないだろうか。五月雨式に参加し、五月雨式に帰っていったので、集合写真を撮れなかったのが残念。

わたしは、拙作についてmixiに書き込んでくれた前川氏や、自主映画を撮っている乾氏、唐津氏と、隅の方でもっぱら喋っていたのだが、前川氏とJ・カーペンターの『ダークスター』について、特にコンピュータと論争し、言い勝ってしまったおかげで自爆されるシーンの素晴らしさを語り合えたのは愉しかった。
怪優クリスピン・グローヴァーの奇怪な監督作品について教えてもらうなど、初めて会った前川氏だったが、どこかに知己はいるものだ。乾氏は乾氏で、拙作で見事なテンションの高さを披露した里見瑤子さん主演で、自主映画を撮る企画を進めているらしい。(当初、里見さん主演の自主映画を企画しているのは唐津氏と書いたが、太田君の指摘で乾氏と訂正します)

つい、夜の本町館ツアーの報告が先になったが、昼の京都シネマの『百合祭』上映には、前日より多くの皆さんが来てくれた。今回の浜野監督特集、次第に盛り上がってきているように感じるのは、わたしの願望が混じってのことだろうか。
この日は、2館コラボの発案者、太田耕耘キ氏を迎えてのトークだったが、土橋監督の声援などもあって、浜野監督もノリノリ。ぶっちゃけ話が炸裂する。



残り2日となった本日は、午後1時55分から『第七官界彷徨−尾崎翠を探して』(新編集版)の上映、3時40分頃から『ブラジルから来たおじいちゃん』『ルッキング・フォー・フミコ』の栗原奈名子監督を迎えてのトーク、そして4時15分から『百合祭』の上映と続く。

なお、本町館は今日が最終日だが、次週も引き続き浜野監督作品は上映され、まるで浜野特集が続いているかのようだ。

ところで、話は変わるが、京都シネマで浜野佐知監督特集の前後に、同じスクリーンでやっているのが、一時期騒然たる話題になった『ザ・コーヴ』。
わたしは7月はじめに鳥取の尾崎翠フォーラムに参加した後、打ち合わせで京都に回ってきたとき、この映画を同劇場で観たのだが、血わき肉おどるアクション映画、あるいは笑えるドキュメンタリーもどき、として大いに楽しんだ。

今回、わたしたちが静岡のロケハンを経て京都に入る前日に、京都シネマでこの映画をめぐるディスカッションが行われたことを知り、参加できなかったことを、実に残念に思ったものだ。

まず、この映画の主人公のキャラクターが、図抜けて面白い。かつて『フリッパー』というTVシリーズでイルカの調教師を務め、役者としても出演。イルカ人気を高め、水族館などで行っているイルカショーのブームを作った張本人なのだ。当時、彼はこれで大もうけした。

ところが、自分の飼っていた愛するイルカが、「自らの意志で呼吸を止め、自殺」したことをきっかけに、人間に囚われたイルカの解放運動に、ひたすら邁進していく。
イルカの自殺? 普通に考えれば、首を捻るような話だが、彼にとっては厳然たる事実であり、自分の手の中から水中に沈んでいった愛するイルカの思い出を、涙を浮かべながら語る。

以来、イルカを解放するために戦い続け、各国の警察に逮捕された経験は数限りない。どう考えても奇矯な思想に捉われた奇人であり、その彼がイルカ漁の本場、日本の太地町に乗り込んできたのだから、ドラマが盛り上がらないわけがない。

今回の撮影以前にも、彼は何度も太地町にやってきて、騒動を起こしているので、地元警察や猟師は警戒を強めるが、彼はマスクや帽子で扮装し、時には女装してイルカ虐殺の現場を撮影しようとする。
当初、監督を初めとする撮影隊も、彼の行動の不審さに面食らうが、次第にイルカの虐殺を隠蔽しようとしている町の警察や漁師、町民たちの実態を暴くことに全力を挙げるようになる。

主人公や撮影隊に接触してくる警察や漁師の顔には、日本での配給に先立ってボカシがかかっているが、おそらくそこには怪しげな東洋人の、黄色くて卑しい表情が映っているに違いない。そうだ、わたしたち日本人の典型的な顔である。

確かナレーションでも言っていたと思うが、この映画は太地町をあたかもスティーブン・キングの小説にでも出てくるような、古来伝わる土地の伝統に縛られた、呪術的な場所として描き出す。おどろおどろしい音楽も、実に効果的だ。
ドキュメンタリーという体裁をとっているので、わたしたちにとって、これほど差別的なことはない。傲慢な西洋人の高飛車なカメラ=視線が、わたしたちを頭上から見下ろしている。

しかし、その一方で、この映画の主人公や撮影隊、インタビューされる反捕鯨の活動家たちも、そうとうイカレテいることが如実に現れている。その対比が、実に面白いのだ。
地球上のイルカ解放に使命感を燃やすドン・キホーテのような主人公を見ながら、わたしは名作『ゆきゆきて神軍』の奥崎謙三を想起した。自らの妄想に向かって、あふれる行動力を駆使する主人公。このような人物のターゲットになった太地町にとっては、まったく迷惑千万な話である。

また、インタビューを受けている人たちも、かなり可笑しい。「日本付近は、イルカや鯨にとってデンジャラスなゾーンだ」という意見には笑った。イルカや鯨には知性があると力説しているのだから、日本近海には絶対近づくなと、しっかり伝言してほしい。

また、「イルカショーなどで、調教師が手話でコミュニケーションしているのは間違っている。なぜならイルカには手がない」という意見には、わたしもうっかり感心しそうになった。イルカにふさわしいコミュニケーション手段は、いかにあるべきか?
しかし、考えてみれば、あれは手話というべきものではなく、人間の間の手旗信号や、サーカスで動物を調教する時と同じ、信号の一種と考えるべきだろう。それを手話と受け止めるのは、あまりに人間中心主義で、そこにもイルカを擬人化した発想の欠陥が現れている。

それでは、この映画や、この映画の主人公のレーゾンデートル=存在理由はないかといえば、そうは考えない。どんな奇矯な偏光レンズにも、真実の一片が写り込むことはあって、わたしたちの食卓が、イルカや鯨に限らず、スプラッター的血みどろに溢れていることもまた間違いのない事実なのだ。

切れば血の出る動物や魚だけでなく、血の出ないように見える植物だって、成長の途上で人間によって無残に屠られている。ネギや大根が、わたしたちに喜んで喰われているわけではないだろう。


<錦市場で。これもまた人間による殺戮の禍々しい証明であろう>

この刺激的な、笑えるアクション映画(=フィクション)は、わたしたちに多くの考える材料を与えてくれる。太地町のイルカ追い込み漁について、本当のことを知りたければ、篤実な研究者が書いた『イルカを食べちゃダメですか? 科学者の追い込み漁体験記』(関口雄祐著。光文社新書)などを読めばいい。

この著書で、関口氏は、映画の中の入り江がイルカの鮮血で真っ赤に染まる、もっとも売りになっているシーンについて、疑問を呈している。捕殺する現場の浅い海では、イルカと漁師が入り乱れ、海底の砂が巻き上げられて海水は混濁し、大量の出血があっても濁った赤さになるというのだ。

氏は、撮影後のデジタル処理によって色が変えられている可能性を指摘するが、これはおそらく事実だろう。どんなドキュメンタリーであっても、編集され、作品として提供されたものは、すべてフィクションと捉えるべきである。

ラストシーン、主人公が胸にモニターを括りつけ、国際会議に乱入したり、東京の街頭に長時間佇むシーンは、彼のイカレタ突撃精神を見事にシンボライズして、わたしの胸を打った。奇人は、はなはだ迷惑な存在ではあるが、わたしたちの精神の偏執や歪みを、ある種の痛みを伴って体現している。

 


 

なかなか不敵な面構えの牛ではないか。額から角、鼻のあたりがピカピカ輝いているのは、信心深い京都人が長年、さんざん撫で回したせいだろう。
わたしが通っているネットカフェの近くにある錦天満宮の牛である。京都シネマと本町館のコラボで行なわれてきた浜野監督特集も、本町館は残り2日、京都シネマは残り3日となった。
せっかく企画して頂いた両館に赤字が残るようでは申し訳ない。神仏に頼る心持ちになって、何の不思議もない。



上の写真の奥に見えるピンクの上着の若い女性が、下着が覗くぐらい腰を屈めて礼をしたのにはビックリした。神さまでも仏さまでもいいが、人が人智を超えたものに祈る姿には、何か深く感動させるものがある。わたしもまた現世利益期待ではあるが、錦天満宮の牛に京都シネマと本町館の盛況を祈ろうではないか。



一方、上のとぼけた鬼瓦は、本町館の直ぐ裏にある専称寺の門の上の四隅に陣取っている。三十三間堂の手前で、創設慶長16年、本堂は元禄12年の再建という由緒あるお寺だ。
頬杖をついて倒立しているように見えるが、まあ、こんなユーモラスな鬼瓦でも、このお寺には馬頭観音の威力があるらしく、本町館の盛況を祈ることにする。



昨日・27日は午後1時55分から『百合祭』だったが、これが大入りとまでは言えないものの、かなり盛り上がった上映となり、イダヒロユキさん(立命館大学講師)を迎えての浜野監督トークも、大いに盛り上がった。
つくづく映画館と観客の関係って不思議なものだが、天気や気圧、風、その日のニュースや社会情勢などによって、気質や好みに共通項を持ったお客さんが集まったり、集まらなかったりするのではないだろうか。

わたしは昨日『百合祭がピンチ!」と騒ぎたてたが、これはもしかしたら午後1時55分の回と、4時15分の回を比較すると、後者の分が悪いということかもしれない。昨日は、そんなことを考えた。要するにわたしは、日々、日和見的に一喜一憂しているのである。

いよいよ今日は、本町館ツアーの日だ。
京都シネマで、午後1時55分から『百合祭』、3時40分から『ピンクリンク』編集人太田耕耘キ氏と浜野監督のトークがあり、4時15分から『こほろぎ嬢』の上映がある。
その後、本町館に回って、午後7時20分からの拙作を観て、太田君やピンクの常連客と、ささやかに飲み会…という当初の計画だったが、浜野ピンクも観たいという女子が複数現れた。
その結果、早ければ5時20分、もしくは6時20分からの浜野組を観て、7時20分からの拙作上映に合流する人や、逆に仕事の関係で7時20分までに本町館に駆けつけて、拙作と、その後の8時20分からの浜野組最終回も観るという人など、いろんなパターンに別れそう。

どうも予想ができない展開になってきた。しかし、果たして、女子も参戦しての真夏熱帯夜の京都ピンク映画館ツアーなんて現実になるのだろうか?

*本町館のアクセスは、以下のHP参照。
http://homepage3.nifty.com/a-sp/sub1.htm



<赤いチラシをかざして、映画『百合子、ダスヴィダーニヤ』の宣伝とカンパ要請に励む浜野監督>


「人間の複雑さについて考えたことはあるか?」。解凍されたばかりの初期型ユニバーサル・ソルジャー、ドルフ・ラングレンは答える。「Yes」。うろたえる博士は「まさか! そんなことはありえない」。
静岡ロケハンに出発する前夜に、シネマート新宿で観た『ユニバーサル・ソルジャー・リジェネレーション』の1シーンだ。ユニソルなら、この猛暑にもめげず、闘い続けるだろう。

炎暑のなかの2日間の静岡ロケハンに引き続き、京都での1週間にわたる浜野監督特集。これは死のロードか? といったら、明らかに大袈裟だが、景色も揺らいで見える炎天下の京都では、街中を行く人々の数も、めっきり減ったようだ。
そのせいか、今回の興行の柱として期待した『百合祭』のお客さんが少ない。この蒸し器にでもすっぽり浸かったような、異様な蒸し暑さの中では、「老年の性愛」をめぐる映画を観ようなんて気が起こらないのかも知れない。
わたしは『百合祭』は、爽やかなシルバーの風が吹く映画だと思っているので、関西の皆さん、暑気ばらいに四条烏丸の京都シネマに足を運びませんか。  


<京都シネマは、地下鉄四条駅、阪急烏丸駅の上の「COCON KARASUMA」の3階にある>


<京都シネマには3スクリーンあり、浜野監督特集は一番キャパの多いシネマ1の、午後の時間帯に上映中>

昨日の監督トークでは、怪人ひびのまこと氏(関西クィア映画祭代表)が、クィア的な観点から『百合祭』の面白さについて熱っぽく語ってくれた。お客さんが少なかったのが、なんとも残念。
今日は、午後1時55分から、再び『百合祭』を上映し、午後3時30分からイダヒロユキ氏立命館大学非常勤講師・ジェンダー論)を迎えての浜野監督トーク。
そして、午後4時15分から『第七官界彷徨−尾崎翠を探して』の上映となる。何度も書いているように、『尾崎翠を探して』の観客の方もトークショーに参加できますので、早めにお出かけください。


<本町館の入り口付近。右端の殿山泰司風が社長さんで、帽子をかぶっているのが『ピンクリンク』編集人の太田耕耘キ氏。その隣の可愛らしい人は同紙製作映画の主演女優だ>

『百合祭』で老年の性と愛について考えるのも億劫な暑さなら、おそらく性の妄想を逞しくするのも妨げられる暑さでもあるだろう。本町館のほうのお客さんも少ないようだ。
館内のクーラーもフル稼働しているので、その騒音が響いて時にセリフが聞き取りにくいことがある。社長さんに聞くと、これ以上映画のボリュームを上げると、今度は近隣への騒音になるのだという。
館内ではスクリーンに向って右側にクーラーが付いているので、左側の前の方が映画の音声は聞きやすいのではないだろうか。
元気いっぱいなのは箕面市のTEAMヤミナベだけで、明日の夜の本町館ツアーにも複数人で参加してくるようだ。

年を喰ったドルフ・ラングレンとジャン=クロード・ヴァン・ダムの両雄の表情は、実に色っぽいが、冷凍されている間にもユニソルは年をとるのか? 冷凍保存されたら、体内の時間は止まるのではないか? わたしが目下気になってならないのは、ヴァン・ダムに頭を吹き飛ばされる直前に、ドルフ・ラングレンが言いたかった一言だ。時空を隔てて再会した宿敵に、ラングレンはいったい何を言いたかったのだろう。


<二日酔いで、酷暑の京都の町に放り出されるのはキビシイ体験だ。部屋を掃除してもらうために、慌てて日記をアップし、ホテルを出てきたので、やっと見つけたネットカフェで、若干の手直し>

昨夜は、鳥取からゲストとして駆けつけてくれた翠フォーラムの土井淑平代表と深夜まで飲んで、目下わたしは絵に描いたような二日酔い。
しかし、昨日の京都シネマの尾崎翠映画2本の上映は、次の写真が如実に物語っている。



居酒屋の前で気勢を上げているのは、大阪府箕面市から大挙してやってきてくれたTEAMヤミナベの諸君と、土井代表および浜野監督。今年の1月31日に、箕面市で『百合祭』の上映会をやってくれたのだが、その時のタイトルが「Yesアドレナリン!GoGoドーパミン!」だった。意味分かります?

●TEAMヤミナベのブログ
http://kitashiba-seminar.seesaa.net/
●『百合祭』上映会の模様
http://kitashiba-seminar.seesaa.net/article/139965149.html

昨日の一回目の上映は『第七官界彷徨−尾崎翠を探して』(新編集版)だったが、映画館と観客の関係って不思議なものですね。一昨日は不審そうなマジマジ顔で迎えられたゲスト・トークだったが、それ以上に入った昨日のお客さんたちの眼差しの、なんと温かく柔らかいこと!

冒頭、浜野監督が、これまでに尾崎翠の作品を読んだことがあるかどうか尋ねると、三分の二以上の人が読んでいた。今回の上映を楽しみにして来てくれたことが、よく分かる皆さんの表情。うーん、原作を読んでいないと、理解しにくい映画というのも困ったものだ。

わたしの一昨日の悪戦苦闘が嘘のような会場の雰囲気に包まれ、土井代表も確信を持って尾崎翠の魅力と、映画化の意義を語ってくれた。『尾崎翠と花田清輝』という著作もあるこの人は、人形峠のウラン残土問題や反原発に取り組んで来た、筋金入りの活動家でもある。アジテーターの風格があるね。 



ゲスト・トークの後の『こほろぎ嬢』の上映になったら、観客の数がグッと減ったしまったのは残念だが、どうやらトークは一回目の上映に付いていると思われているようだ。実際には、早く来てくれれば、二回目の上映の観客の方も入れるので、これから来てくださる方はご留意ください。

TEAMヤミナベは、硬派の社会問題に快活な切り口で取り組んでいるグループだが、『こほろぎ嬢』を観たチエちゃんが「不思議の国のアリスみたいで、とても面白かった」と言ってくれたのは、わが意を得た思いだった。
町子や九作、こほろぎ嬢にとって、目の前の現実こそ「不思議の国」である。そこで彼らは、屋根裏の自室や図書館、映画館などに引きこもり、時に歩行しながら、頭の中でモノローグをつぶやくのだ。

TEAMヤミナベの諸君は、28日(水)夜の本町館ピンク映画ツアーにも参戦してきそうな勢いだが、果たしてどうなることだろう。



その本町館では、昨日書いたような広告代理店のミスで、昨日も太田耕耘キ氏司会で、浜野監督とわたしの舞台挨拶を行なった。アフターフォローなので、当然お客も少ない。質疑応答の際には、常連のお客さんから、いつ来ても観客が少ないが、ピンク映画監督は生活していけるのか? という質問まで出た。

ピンク映画の観客のなかには、こういう温かい心持ちの人も多く、一昨日の本町館での舞台挨拶を聞いたと、京都シネマで声をかけてくれた男性客が、昨日は二人もいた。また、京都シネマで尾崎翠の映画を観た後、本町館に回ってくれた女性の(!)お客さんもいたらしい。
まったく性格の異なる映画館2館のこうした交流こそ、今回の企画の真骨頂だろう。



さて、今日はこれから『百合祭』の上映、ひびのまこと氏(関西クィア映画祭代表)を迎えてのゲスト・トーク、そして『第七官界彷徨−尾崎翠を探して』の上映と続く。
今日は果たして…

<追加の本町館での舞台挨拶で、わたしはつい、人がエロを感ずるのは股間やオッパイだけでないはずだ、これからやる拙作では卵や目玉のエロを展開している、文句があったら、水曜日の飲み会に来て、わたしに直接言ってほしい、などと、意図せずに、いささか挑発的なことを言ってしまった。あんなもの、まったく感じなかったぞ、とか言われたら、どうしよう。
実は昨日、ゲスト・トークの後、土井さんを案内して本町館に行き、並んで拙作を観たのだが、短く「笑いました」とだけ言って、後は何も語ろうとしなかった。おそらく時間の無駄をさせてしまったに違いない。嗚呼!>


 昨日は午後1時過ぎから本町館で、太田耕耘キ氏司会の舞台挨拶に参加した後、京都シネマに回って、午後3時30分から尾崎翠研究者・森澤夕子さんを迎えてのトークという慌しい一日だった。

ところが、本町館が京都新聞に出している広告に、浜野監督の舞台挨拶は明日という告知が載る代理店のミスが発生し、再度今日、同じ時間に舞台挨拶をやることになった。
劇場への電話の問い合わせには、昨日だけという返事をしているため、今日どれほどの人が集まるか分からない。しかし、昨日の広告を信じた人のために、急きょ連日のピンク映画トークとなった。

また、今回の拙作『美尻エクスタシー 白昼の穴快楽』を、わたしも劇場で観てみたい。そこで来週28日(水)午後7時からの回に、大田氏といっしょに観た後、希望者を募って本町館周辺で酒でも飲むことになった。数寄者のご参加を望みます。

京都シネマでは、昨日は『こほろぎ嬢』上映の後にトーク、そして『百合祭』上映と続いた。今日は『第七官界彷徨−尾崎翠を探して』(新編集版)の後に、鳥取の翠フォーラムの土井淑平代表がゲストで登場する。そして、その後『こほろぎ嬢』上映と続くが、2本目の作品を観るお客さんも、その前のゲスト・トークに参加することが出来ますので、早めにお出でください。

昨日の森澤夕子さんを迎えてのトークには、わたしも参加したが、半数以上は尾崎翠を読んでいない(おそらくは京都シネマの常連の)お客さんたちで、今観せられた映画は、いったい何だったのだ? というマジマジ顔で迎えられ、参った。
尾崎翠の面白さを言葉で説明しようとすると、いまだに舌が空転するような思いに捕らわれる。だんだんお客さんの眼差しがキツク、非難しているように思われてきて、明日からの動員のために奮戦する浜野監督や、女性研究者の多い現状などを誠実に話してくれた森澤さんの横で、わたしは何となくひとり落ち込んだ。

夜は、10月にクランクインする『百合子、ダスヴィダーニヤ』の主人公、湯浅芳子が育った京都のお茶屋さんの世界が、如何なるものであるのかレクチャーしてくれようと、東京から某教授が駆けつけてくれた。先生は京都に赴任していた時代があって、祇園に慣れ親しんだらしい。
たしかに浜野監督もわたしも、京都の粋な世界にはまったく無縁で、芳子が洋風好みの百合子に対して、自分の生まれ育った和風の世界を対置しても、そこで語られる「お茶屋遊び」を具体的にイメージすることはできなかった。



案内されたお茶屋の女将さんが「ダスヴィダーニヤ」という言葉を聞いて、さっそく別のロシア語で返してきたのにはビックリ。ロシアで数年間、お茶屋とは別の堅い仕事をしたことがあるのだという。
舞妓さんに興味深いお話を聞かせてもらった後、踊りを見せてもらう。こういう世界が確かにあるのだという実感に浸ることができた。

踊りを披露して頂いた座敷に、わたしの敬愛する作家、富士正晴直筆の額がかかっていたのにも驚いた。富士さんがこのお茶屋で遊んだ後、先代の女将さんに所望され、その場で描いたものだという。文人らしい闊達な書画だ。
冨士さん主宰の著名な同人誌『バイキング』には、久坂葉子や高橋和巳も所属していたが、高橋和巳もまたこのお茶屋さんに通い、借金の弁明の手紙なども残っていたらしい。



このお茶屋さんを辞した後、元・芸妓(芸子)の80数歳の方が50年近く経営しているバーに案内される。かつての祇園の世界について多くのことを聞き、心から驚倒する。

時に辛く、時に愉快な出会いの多い一日だった。