2017/05

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 パラリンピックの選手と競技を紹介するNHKの番組を見ていたら、昔読んだ『ドクター・アダー』というSFを思い出した。病気や怪我でもないのに、任意の手足を切断する手術を施す、闇の外科医が主人公。手術を受けるのは娼婦たちで、近未来のその社会では、肢体を切断した女性が性交の対象として、高級かつ大モテなのだった。
 熱に浮かされたような毒々しい小説だったが、ストーリーはあらかた忘れた。検索してみると、作者はK・W・ジーター(黒丸尚訳・ハヤカワ文庫)。90年に刊行され、現在は「出版社品切れ、重版未定」になっている。訳者も、すでに亡くなっていた。原作の執筆は72年だが、さすが米でもヤバすぎてか、出版されたのが84年だった。



 すっかり失念していたが、女性器の内側に生えた鋭い歯で、挿入した陰茎が食いちぎられるエピソードもあるとか。わたしは、これをテーマにピンク映画を撮ったことがあるが、元ネタはこの小説にあったのだ。自分では『現代セクソロジー辞典』(R・M・ゴールデンソン&K・N・アンダーソン著・大修館書店)から仕入れた知識のつもりでいたのだが。
 外科手術による人工フリークスの創造という設定は、意表を突くものだが、この辞典によれば(恐るべきことに)発想それ自体は奇抜なものではない。「肢切断嗜好」「肢切断フェチシズム」「肢切断志向」「単脚マニア・単脚愛好症」といった項目が、随所にある。この中で「肢切断志向」だけが「自分を肢(手足)切断された者と空想することによる性的満足」で、他は「一つあるいは幾つかの肢が切断されているパートナーからの刺激によって性的満足が得られるタイプのフェチシズム」だ。
 特に男女の別はないが、「単脚マニア」だけ「一本足のパートナー(通常は女性)と性交することに満足を求める性的変種の一つ」と、主に男の欲望であると指定している。これには何か意味があるのか、どうか? 従来、欲望の主体は男だったので、おそらく四肢切断フェチの担い手は男だったろう。悪夢のような未来の、ドクター・アダーの世界でも、それは変わらない。しかし、自分がそうであることを空想する「肢切断志向」だけは、どこか女性的マゾヒズムを感じさせるが、しかし、いまや男女を問わず、この手の「痛い」フェチが登場しておかしくない時代になった。



「単脚マニア」の項では「この種のフェチシズムは広く一般的であり、またわれわれの時代に限られてもいない」という。その例として紹介されているのが、400年前にモンテーニュが書いたという次の一文だ。
「イタリアのよく知られている諺に、びっこの女性と寝なかった者はヴィーナスの完璧な快楽を知らない、というのがある」(『随想録』、掘■i)(原文のまま)
 もっとも「イタリアの諺」というのがクセ者。この辞典でも「イタリアン・カルチャー」は「肛門性交」のことで、シェークスピアは「イタリアン・ハビット」と婉曲表現したとか。また「イタリアン・レター」は俗語でコンドームを指すなど、イタリアが冠されると(ことセックス方面に関する限り)信憑性に問題がある。
 また、四肢の切断と跛行女性とのセックスの問題は、多少ズレルのではないか。わたしもかつてエロ本で、跛行女性の筋肉が「こなれている」という、かなり下劣な好色表現を読んだことがあった。イタリアの諺は、これのヨーロッパ・バージョンだろう。確かに男の卑しい欲望は、洋の東西を問わない。
 こうした歴史的差別に基づく欲情の暗さに比べれば、ドクター・アダーの四肢切断は、サイバーパンクの身体の改変=サイボーグ化につながるもので、未来的な晴朗さを備えていないでもない。



 女性器の中に鋭い歯が生えているという「ヴァギナ・デンタータ」は、精神分析の用語で、原語がラテン語の「歯のある膣」だという。歴史的かつ学術的な概念らしい。四肢切断の酷薄な攻撃性に比べれば、歴史の彼方から男たちの悲鳴が聞こえてくるようだ。この辞典によれば「意識的よりも無意識的な空想」「男性では去勢不安に基づいていると信じられ、女性では男根羨望と、復讐行為としてその男を去勢したいという欲求に発すると信じられている」。
 いちいち「信じられ」と付け加えているのは、著者が精神分析に距離を置く表明かも知れない。確かに男の優位性がペニスにあり、それを脅かすのが去勢不安という通俗精神分析には飽き飽きした。わたしのピンク映画では、剣道少女が自分の内部には歯が生えているという幻想を抱き、邪な欲望を抱く師匠の陰茎を食いちぎって、もう一人の別な幻想を持つ女とレズビアン関係になる。例によって例のごとき展開だが、もう一方の女の幻想が何であったか忘れてしまった。思いつきでシナリオを作るので、撮るそばから忘れていく。
 この撮影の際に「歯のある膣」の内部を、当時助監督だった加藤義一クン(現在は大蔵映画の人気監督)が作ったが、チープきわまる工作の中で、彼が子供時代に海で親に買ってもらった、サメの子の歯の標本が使用されていたのが笑えた。この映画の最大の見どころだったかも知れない。



<04年9月。『レモンクラブ』(日本出版社)掲載>


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