2017/04

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 アジアの女性監督10人のヨーロッパ・ツアーは、パリ、インスブルック、ベルリンと転戦した。他にも、ストックホルムなど名乗りを上げた都市はあったが、予算の関係で断念されたとか。ベルリンで受け入れ先になったのが、新都心ポツダム・プラッツ(広場)にある映画館「アルゼナル」だ。屋上が富士山を象ったソニー・センターの地下にあり、半ば公共的な上映施設で、採算を度外視して実験的な作品を取り上げたりする。実は、03年のベルリン・レズビアン映画祭のフィナーレで『百合祭』が上映され、圧倒的な盛り上がりを見せた記憶も新しい映画館だ。今回「アルゼナル」は、アジアの女性監督作品を、毎夜連続上映した。



 ベルリンには、海外浜野組(これまで映画祭などでお世話になった女性たちを、勝手にこう呼んでいる)の重鎮である松山文子さんがいるが、4月14日の『百合祭』上映で、浜野監督の通訳を務めてくれたのがフンボルト大学の日本学科専任講師の足立ラーベ加代さんだ。松山さんは、ベルリン在住のジャーナリスト&ビデオ・アーティストだが『第七官界彷徨・尾崎翠を探して』を海外でいち早く評価し、99年のドルトムント国際女性映画祭にコーディネートしてくれた。これが浜野監督にとって、初の海外映画祭への参加だったのである。
 同年にベルリンの大学で開催された「エスノ映画祭」にも招かれたが、その際のディスカッションの通訳者として松山さんが紹介してくれたのが、足立ラーベ加代さんだった。わたしたちとは、今回6年ぶりの再会である。この時の上映では、フィルムに傷が付けられ、あまり良い思い出はないのだが、翌日、主催者の教授と揉めている時に、違うテーブルに座っていた法学部の男子学生が、こちら側に立って仲介してくれた。何の縁もゆかりもない学生だったが、去り際に「昨日映画を観た、映画は専門でないので、よく分からないが、想像力を刺激された、私には好きな映画だ」と告げてくれた。こうした場面に、もし自分が出くわしたら、はたしてわたしにこれが可能か? と、いつまでも自問させるシーンでもあった。
 今回のアルゼナルでの上映は、ベルリンの大学関係者が月に一回行っている「日本映画を見る会」も協賛し、観客には日本人や東洋人も多く見かけられた。いきおい、上映後のディスカッションも熱のこもったものとなったが、わたしが驚いたのは映画館のホールでその後に開かれたワイン・パーティで、大方斐紗子さん演じる90歳の北川よしサンの口癖である「旦那さま!」を見事に口真似して見せる日本人女性がいたことだ。あまりの出来栄えに、わたしは浜野監督を引っ張って行って、監督の前で発声してもらったほどである。
 劇中で、北川よしサンが、ミッキーカーチスさん演じる三好輝次郎さんの股間をムンズ! とつかむシーンがあるが、あそこで笑い声の上がらない国はない。キリスト教国であろうと、イスラム教国であろうと、仏教国であろうと、一瞬ハッとした後、どよめき笑う声が盛り上がる。原作の桃谷方子さんの卓抜したキャラクター造形に、大方さんの突き詰めた役作り、そして不思議なスローモーションで見せた浜野監督の演出と編集が有機的に結びついた、傑出したシーンだろう。



 ベルリン、特にポツダム・プラッツ周辺や、ブランデンブルグ門界隈はものすごい勢いで、やたらデカイ建造物が建ち、一昨年に訪れた時からも大きく変貌していた。難を言えば、デカさだけが目立ち、パリなどに比べると小技やディテールの味わいに欠けるところがあるが、その建築ラッシュの一方で「ベルリンの壁」の一部を保存し、そこで戦争による破壊と犯罪の写真展を常設している。「トポログラフィー・オブ・テロル」と題されたその展示では、ナチスへの国民の熱狂や、ナチスによって人々が処刑される瞬間などを写真で示し、教師が引率して子供たちや高校生に解説していた。その真率な明快さを目の当たりにすると、コイズミの靖国参拝への執念や、それを支持する言説の昏さ、蒙昧は救い難い。





 まあ、これはしかし、公式見解というべきものだろう。わたしが思わず感歎したのは、シンガポールのタニア監督や、パリからわたしたちをエスコートして来たクレティーユ国際女性映画祭のメイン・スタッフであるロジェ氏などと散歩している時に出会った、ひとつの「モニュメント」だ。そこはかつてユダヤ人が多く住んでいた通りらしいのだが、わたしたちはカフェのテラスでお茶やビールを飲んでいる時に、不自然に中央部分が切断されたアパートの壁に、人の名前と生年〜没年が記された札が、何枚も貼り付けられているのを見た。
 没年はいずれも1945年で、死者には子供たちが多い。ロジェ氏が、カフェの実に立派な顔をした老主人に謂れを尋ねると、以前はつながっていたアパートに爆弾が落ち、そこで死んだ人たちの名前を、破壊された後の切断面に掲げている、という風に聞いた。なるほど、ハイヤーで乗り付け、レクチャーを受けている人たちもいて、ここでも戦争の記憶を風化させないように地道な努力が重ねられているのだ、と思ったら、これが飛んだ大間違い。このアパートが爆撃されたことなどなく、墓標らしきものは芸術家のたくらみで、壁面もそれらしく仕立て上げられたらしい。芸術にいっぱい喰わされた。
 実際、よく見てみると、爆撃されたような痕跡がなく、壁の切断面もあまりにも奇麗だ。しかし、誰もが戦争の残酷や、ユダヤ人への迫害、虐殺を連想する場所で、そのステレオタイプを笑う偽モニュメントが捏造され、堂々公開されていることが愉快だ。まったく、いい度胸ではないか。すぐ目の前の公園には、悲しげなユダヤ人の群像の彫像も置かれていて、もちろん、こちらは本物だ。
 一方で、戦争犯罪の記憶を保存し、語り継ぎながら、もう一方で固定化し、パターン化した想像力を揉みほぐし、笑い飛ばす冗談が同居しているところに、ベルリンの人々の力強い健全を感じた。





*なお、この捏造モニュメントに関しては、言語不自由な中でのわたしの思い込み的な解釈であり、もっと別の解があれば、ぜひご教示ください。いつでもわたしは撤回します。


comment

松井さんという女性監督の作品に『折り梅』があって、『百合祭』と同じく吉行和子さんが主演しているのですが、ボケ老人によって壊れそうになった家庭が、ボケ老人の芸術的才能の開花によって、全てうまく行くというトボケタ映画です。わたしはこれを観ながら、あまりの予定調和ぶり、なかでも加藤登紀子の説教くささに叫び出したくなりましたが、周りでは介護に疲れ果てた主婦や、ボケ老人に近づいた人たちが盛大に泣いていました。世の中には、映画に似て非なるものでも、ガス抜きとなるような社会教育映画は必要なのだろうと、自分を納得させましたが、松井さんはこの映画で数億円儲けたそうです。こんな風に書くと、自分が僻んでいるみたいでイヤですが。

最後の「す」を忘れてしまいました。似非関西みたいで、訂正。

  • 河合民子
  • 2005/05/30 12:17 AM

戦争を笑い飛ばす冗談という角度は鋭いですね。沖縄では逆の方向で語り部の人たちの過剰さというのを感じます。これはむずかしい問題です。語り部に涙する人たちが多数いるという現実がある。ここにあるのは絶対被害者である自己という視線です。無知であったがために加害者でもあった自己というのも考えなければいけないと痛烈に思います。でなければ、多分、また、同じことをくり返すでしょう。常に時代に対して感受性を研ぐ…ということでしょうね。そういう意味で涙垂れ流しはおかしい。

今、私がはまっているCDがvanessa maeというアメリカの中国系の若い美人のヴァイオリニストですが、これがベルリン製でソニー・クラシカルとあって不思議だったんですが、ヤマザキさんのブログを読んでいきながら画像を見ていたら、ああ、これなんだと感激でした。maeはとてもいい女ですよ。いつもいい画像にぞっこんしていま。

  • 河合民子
  • 2005/05/30 12:15 AM









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