愉快なフェティシズム研究(4)「愛友」乱歩と岩田準一
- 2005.06.03 Friday
- 00:38
男の体臭の原因物質を、ライオンの研究所が特定したという記事を読んだ。主に腋から分泌されるアンドロステノンという物質で、ほとんどの女はその臭いを嫌がるのに対し、男はこの臭いを嗅ぐとリラックスしたり、リフレッシュしたりするというのだが、これはしかし本当か? 男の臭いで性的興奮をかきたてられる女はいそうだし、男の臭いでリフレッシュする男が、そういるとは思われない。しかし、ライオンだって大金かけて研究開発しているのだから、統計的には合っているのだろう。男のリラックスやリフレッシュは、自分の体臭に限定すれば当てはまるかも知れない。自分の臭いを嗅いでみることは、わたしもしばしばある。
この記事に興味を惹かれたのは、かつて薔薇族映画(ゲイ向け専門のピンク映画)を撮り始めた頃、最終日に集団乱交シーンを徹夜で撮影し、朝方ようやくアップしたのだが、ふと気づいてみるとスタジオの空気が異様なにおいに充満していたのを思い出したからだ。裸の役者たちはもちろん、着衣のスタッフもみな男で、十数人の男たちが徹夜で悪戦苦闘しながら体内から分泌した、それは紛れもない男の匂い=臭いだった。
わたしはすっかり明るくなったベランダに出て、朝の新鮮な空気を思い切り吸いながら、あのスタジオに満ち溢れていた尋常ならざる動物の精気のような生温かいニオイは何だろうと考えた。決して厭な臭いではなかったが、仲間たちの集団的な匂いであり、間違いなく自分もその発生源のひとつだから嫌悪感を持たないので、例えば電車の中で見知らぬオヤジに嗅がされたら、相当不快なものだろうと思った。あれが、今回特定されたアンドロステノンだったのだ。
わたしはピンク映画以上に薔薇族の撮影が好きで、一年に一本ぐらい廻ってくるのを楽しみにしているのだが、ネタ本のひとつに『本朝男色考 男色文献書誌(合本)』(原書房)がある。帯に「日本男色史の名著」とあるが『日本書紀』から始まる記述は相当専門的で、古文に弱いわたしが通読するにはいささかハードルが高い。しかし、光源氏と美少年の「情交」や、平安時代の法皇、室町時代の足利将軍の「男色生活」を拾い読みするのは結構楽しいものだ。
俗説として、日本の男色は空海によって平安初期に唐からもたらされ、僧侶の間で流行したものが民間にも広がったと言われていたが、本書によれば「本朝男色の起源」は「日本書紀」に遡るという。皇后が昼間でも夜のように暗い土地を通りかかり、何故なのか古老に尋ねたところ、かつて「うるはしき友」である二人の神官(男同士)がいて、その一方が病気で死んだ。それを悲しんだ残された方が、死体に寄り添って心中し、二人の遺体は同じ墓穴に葬られたが、以来その付近は陽がささず、夜のように暗い。「男色の罪が神の忌むところとなった」せいだという。
嘆き悲しむ男の「何ぞ死して穴を同じくすること無からんや」という述懐が「穴=アナル」を連想させて、現代人には愉快だが、著者が「旧約聖書にあるソドムの贖罪」と比較しているように、日本の古代においても男色は神の摂理に反逆する行為だったようだ。
『本朝男色考』はここから始まって、室町時代で終わっているが、しおりの江戸川乱歩の解説によれば、著者の岩田準一は孫引きを一切せず、すべて原典に当たっているので、時代を下るにつれて急増する資料は膨大であり、日本敗戦の年に四十代半ばで病死した著者に時間がなかったこと、連載していた雑誌『犯罪科学』が廃刊になったことなどが、中断の原因だという。
しかし、本書に収録された「かげま奇談」「稚児伝説」「男色心中論」といったエッセイには、著者の悠々たる男色の教養があふれ、わたしは芭蕉にゲイ説があることを初めて知った。少年時代に主君に「稚児小姓」として愛されたことは多くの人が知るところだそうだが、それに対し岩田は芭蕉が俳人として一家を成した後、中年の頃に一緒に吉野旅行などした若い友人、坪井杜国が「同性の愛友」だったと指摘し、句や日記から丁寧に引用して、説得力がある。
いったい岩田準一という人はどういう人だったのか検索してみたら、孫娘が小説家になって、祖父と乱歩の「同性の愛友」関係を妖しい作品に仕立ているのだとか。『二青年図‐乱歩と岩田準一』(岩田準子著・新潮社・02年刊)がそれで、アマゾンのレビューを読むと、読者の多くが乱歩ファンのせいか、いずれも半信半疑、胡乱なまなざしを投げかけている。岩田が男色家なら、何故孫娘がいるのだという指摘もあったが、「オカマの東郷健」(選挙のキャッチフレーズ)にだって娘はいるのだ。
しかし、しおりに収録された乱歩の、えらく熱意あふれる回想や、岩田の著作を何とか世に出したい持続的な努力などは、二人の「愛友関係」を背景にすれば諒解しやすい。わたしは経済困窮の折りながら、思わず孫娘の小説(ノンフィクションではない)をアマゾンで注文してしまった。
<04年11月。『レモンクラブ』(日本出版社)掲載>
*その後読了した岩田準子さんの『二青年図‐乱歩と岩田準一』は、孫娘による祖父をモデルにした大胆な耽美小説で、わたしはいささか茫然としてしまいました。故郷の岩田準一記念館の館長さんも務められているようです。
この記事に興味を惹かれたのは、かつて薔薇族映画(ゲイ向け専門のピンク映画)を撮り始めた頃、最終日に集団乱交シーンを徹夜で撮影し、朝方ようやくアップしたのだが、ふと気づいてみるとスタジオの空気が異様なにおいに充満していたのを思い出したからだ。裸の役者たちはもちろん、着衣のスタッフもみな男で、十数人の男たちが徹夜で悪戦苦闘しながら体内から分泌した、それは紛れもない男の匂い=臭いだった。
わたしはすっかり明るくなったベランダに出て、朝の新鮮な空気を思い切り吸いながら、あのスタジオに満ち溢れていた尋常ならざる動物の精気のような生温かいニオイは何だろうと考えた。決して厭な臭いではなかったが、仲間たちの集団的な匂いであり、間違いなく自分もその発生源のひとつだから嫌悪感を持たないので、例えば電車の中で見知らぬオヤジに嗅がされたら、相当不快なものだろうと思った。あれが、今回特定されたアンドロステノンだったのだ。
わたしはピンク映画以上に薔薇族の撮影が好きで、一年に一本ぐらい廻ってくるのを楽しみにしているのだが、ネタ本のひとつに『本朝男色考 男色文献書誌(合本)』(原書房)がある。帯に「日本男色史の名著」とあるが『日本書紀』から始まる記述は相当専門的で、古文に弱いわたしが通読するにはいささかハードルが高い。しかし、光源氏と美少年の「情交」や、平安時代の法皇、室町時代の足利将軍の「男色生活」を拾い読みするのは結構楽しいものだ。
俗説として、日本の男色は空海によって平安初期に唐からもたらされ、僧侶の間で流行したものが民間にも広がったと言われていたが、本書によれば「本朝男色の起源」は「日本書紀」に遡るという。皇后が昼間でも夜のように暗い土地を通りかかり、何故なのか古老に尋ねたところ、かつて「うるはしき友」である二人の神官(男同士)がいて、その一方が病気で死んだ。それを悲しんだ残された方が、死体に寄り添って心中し、二人の遺体は同じ墓穴に葬られたが、以来その付近は陽がささず、夜のように暗い。「男色の罪が神の忌むところとなった」せいだという。
嘆き悲しむ男の「何ぞ死して穴を同じくすること無からんや」という述懐が「穴=アナル」を連想させて、現代人には愉快だが、著者が「旧約聖書にあるソドムの贖罪」と比較しているように、日本の古代においても男色は神の摂理に反逆する行為だったようだ。
『本朝男色考』はここから始まって、室町時代で終わっているが、しおりの江戸川乱歩の解説によれば、著者の岩田準一は孫引きを一切せず、すべて原典に当たっているので、時代を下るにつれて急増する資料は膨大であり、日本敗戦の年に四十代半ばで病死した著者に時間がなかったこと、連載していた雑誌『犯罪科学』が廃刊になったことなどが、中断の原因だという。
しかし、本書に収録された「かげま奇談」「稚児伝説」「男色心中論」といったエッセイには、著者の悠々たる男色の教養があふれ、わたしは芭蕉にゲイ説があることを初めて知った。少年時代に主君に「稚児小姓」として愛されたことは多くの人が知るところだそうだが、それに対し岩田は芭蕉が俳人として一家を成した後、中年の頃に一緒に吉野旅行などした若い友人、坪井杜国が「同性の愛友」だったと指摘し、句や日記から丁寧に引用して、説得力がある。
いったい岩田準一という人はどういう人だったのか検索してみたら、孫娘が小説家になって、祖父と乱歩の「同性の愛友」関係を妖しい作品に仕立ているのだとか。『二青年図‐乱歩と岩田準一』(岩田準子著・新潮社・02年刊)がそれで、アマゾンのレビューを読むと、読者の多くが乱歩ファンのせいか、いずれも半信半疑、胡乱なまなざしを投げかけている。岩田が男色家なら、何故孫娘がいるのだという指摘もあったが、「オカマの東郷健」(選挙のキャッチフレーズ)にだって娘はいるのだ。
しかし、しおりに収録された乱歩の、えらく熱意あふれる回想や、岩田の著作を何とか世に出したい持続的な努力などは、二人の「愛友関係」を背景にすれば諒解しやすい。わたしは経済困窮の折りながら、思わず孫娘の小説(ノンフィクションではない)をアマゾンで注文してしまった。
<04年11月。『レモンクラブ』(日本出版社)掲載>
*その後読了した岩田準子さんの『二青年図‐乱歩と岩田準一』は、孫娘による祖父をモデルにした大胆な耽美小説で、わたしはいささか茫然としてしまいました。故郷の岩田準一記念館の館長さんも務められているようです。
Queer っていうんですね。最近は。
レズビアンの強烈な印象は、「シェルタリング・スカイ」を書いたアメリカのポウル・ボウルズの妻、富裕なユダヤ人の娘だったジェインのことです。モロッコ人(?)の彼らの召使の女にジェインは夢中だったらしい。ボウルズもホモだったらしく、ふたりの信頼関係は強力だけれど、決して一緒にベッドをしなかったと読みました。
このあたりのアメリカの文学に傾倒しているらしい翻訳者の旦敬介って人がいて、私の好きなワトソンとかマルケスとか訳しているのですが、HPがおもしろかった。未完ですが。主にバロウズを書いています。お暇なときに。彼もジャンキーのよう。…噂によると…。
http://www.inscript.co.jp/dan/wsb1.htm
「レズビアン&ゲイ」といわなきゃいけない不健全さってあると思いますね、限界というのを感じます。ホントは何にも声高々にいう必要はないと私は思いますね。
ややこしいけど、と思います。言わない方が強いというときもあるのではないのか。難しいよね、三島ばっかり読んでいたときもあって、しかし、「禁色」を読んでとても疲れて、違う世界だとそれから三島読書を諦めたという私の体験もあります。これだけはどうしようもない世界と思います。
河合さん、ソウルの女性で「もし自分がレズビアンであることが親に知れたら、精神病院に入れられる」と真面目に語る人がありました。性的少数者にはキツイ社会だろうと思いますが、それだけにパレードなどのイベントではエネルギーが爆発するようです。
スロウハンドさん、異性愛のヘテロ・セクシュアルに対して、ホモ・セクシュアルは本来、男女の同性愛を意味する言葉ですが、なぜか日本では「ホモ」という略称が、男性同性愛者に対して侮蔑的に使われてきました。また、ゲイも男女の同性愛双方が含まれているはずですが、映画祭などの場合は世界的に「レズビアン&ゲイ映画祭」と名乗って、ゲイを男性同性愛に振り当てているようです。理由は、わたしには解りません。
「男色」という言葉には、奥ゆかしい(?)歴史性が感じられ、わたしは現代において使われても、まったく差別性を感じませんが、当事者は果してどうでしょうか?
戦前までは衡平社運動という白丁(韓国の被差別民)解放運動というのがあったんだけど、それが日帝の植民地支配、朝鮮戦争と逃げまわっているうちに「白丁部落」というもの自体がなくなったと言います。差別語も平気でまだ使っているらしく、川村は日本に比べて差別がゆるいという感想を述べています。差別語というものに敏感ということは厳しい差別社会ということのようですね。
沖縄も「那覇と那覇以外のシマ」という強烈な差別構造でしたが、これを沖縄戦が一挙に取っ払ったという印象がしています。今の沖縄は差別のない沖縄だと思っています。那覇の町の垣根が尚真王時代(15世紀)以来、やっと取れたんだと思います。
二人の話は南北朝という時代を軸に、性意識とポルノグラフィー、天皇と豊かに語られています。…スロウさんの縄張りっぽい!!!
『薔薇族』の発行者・伊藤文学さんは、3度目(実質は2度目)の大学の同じ文学部の先輩だったのを思い出しました^^;
早速、私のブログを直しておきますね。
ヤマザキさんはまだ韓国なんだ。いいなー、韓定食、食べた?
パレードの写真、楽しみです。
河合さん、一昨日に行われたソウルのゲイ・パレードの現地速報を、写真でやろうと思ったのですが、海外ローミングサービスの料金が嵩みそうなので、明日帰国してからやろうと思います。ゲイと「ホモ」は、後者が「ホモ・セクシュアル」の短縮形で、差別的な歴史があります。レズビアンを「レズ」というのも同様です。わたしは敬愛する複数の知人から指摘され、襟を正しました。しかし、当事者が自分たちを笑って「ホモ」ということはあります。「オカマの東郷健」と自らを語る東郷さんにインタビューした『週刊金曜日』が、タイトルで「オカマ」という言葉を(引用の表示なしに)使い、騒動になったのと同じです。
匂いの話はたくさん面白くありすぎて、更にそれを加速するようにヤマザキサンの話で、参っちゃう。
ところで、「ゲイ」と「ホモ」と何かちがうのですか。最近、悩んでいます。教えてください。