鳥取の晩の「通な」過ごし方、若しくは単なる金欠
- 2005.07.16 Saturday
- 03:25
7月8日・金曜の夕方、わたしは鳥取市内の街頭に佇んでいた。このブログの冒頭、3月1日付けで書いたように、わたしは尾崎翠フォーラムの実行委員会に罵詈雑言を浴びせ、離脱したのだったが、今年のフォーラムの川崎賢子さんと佐々木孝文さんの2講演、および澤登翠さんの活弁による『椿姫』の上映に対する好奇心を抑え難く、一観客として参加しようと、直前に決めたのだ。
鳥取行き自体は、翠の生地、岩美町で『第七官界彷徨・尾崎翠を探して』のロケをした際、えらい困難を共にした同志である同町役場のカワカミ課長のお宅を、浜野監督と年に一度訪問し、酒を酌み交わして一泊することが、年中行事になっている。フォーラムに参加しない以上、その間、大山の宿坊にでも泊まろうかなどと考えたが、変に意地を張るよりも、興味の趣くまま隅っこからでも見学した方が素直だろうと判断した。
それで、市内の安いビジネスホテル「α−1」に宿を取ったのだが、昨年までのような打ち合わせも公式行事も、今回は関係ない。わたしは一人で、いかに鳥取の晩を過ごすべきか。初めて訪れた97年以来、ロケハン、撮影、上映、その後のフォーラムなど、数限りなくこの地を踏んできた。地方都市の例に洩れず、鳥取もまた夜の繁華街の異様に賑わっているところだが、いまさら行きたい店があるわけでもない。幸い、ホテルの「αー1」は、インターネットのLAN接続が無料で、使い放題だ。わたしは、食べ物を買ってきて、ビールでも飲みながら、携帯してきたパソコンで、のんびりブログの更新でもしようかと考えたのである。
<一階が日乃丸温泉。二階のネオンがライブハウス>
そう決めたら、まず最初にやりたいのは、近所の「日乃丸温泉」で汗を流すことだ。この温泉は、入浴料金310円の銭湯だが、純然たる温泉でもあって、早朝から夜遅くまで営業している。だいぶ以前、飛行機の料金が高いので、深夜バスで鳥取に入ったことが二度ほどあったが、その時も朝の6時頃に鳥取駅に着いた後、日乃丸温泉に浸かって長バスの疲れを癒した。座席で凝った背中の辺りを、伸び伸びと解放してくれる。駅前に温泉が出る日本で唯一の県庁所在地、というような話も聞いたが、実際のところは分からない。
日乃丸温泉は、尾崎翠ファンにとって馴染みの「鳥取生協病院」の、すぐ近くにある。翠はこの病院で亡くなったのだが、建物は建て替えられ、当時の面影はない。撮影直前のロケハンで、副院長さんにお話を伺ったことがあったが、いくらか不満げに、「翠に関する文章で、生協病院が低所得者を対象にする病院であり、充分な医療を受けることもできず、哀れに亡くなった、というようなニュアンスのものを読んだことがあるが、それはまったく実態を知らない者の言い分である」というようなことを仰られた。稲垣真美式の「生ける屍のような後半生」が主流だった頃のことで、わたしはまったく副院長さんに同意した。
日乃丸温泉は小さなビルで、浴場の上はライブハウスだ。二代目の息子さんか娘さんが音楽好きなのか、温泉に浸かった後、ライブを聞くというのも、一種の鳥取スタイルかもしれない。わたしは番台で310円を払い、昔ながらの脱衣場で服を脱ぎ、透明な温泉に身を沈める。そんなに広くない浴槽だが、温泉の感触が心地よい。わたしが初めて鳥取の地を訪れたのは、撮影の前年、97年の初秋だったが、着いた翌日の朝早く目覚め、散歩に出て、旧袋川の土手を歩いていたら、自然と「歩行」の有名なフレーズが甦ってきて、不意に涙がほろほろと流れた。
おもかげをわすれかねつつ こころかなしきときは ひとりあゆみて おもひを野に捨てよ
おもかげをわすれかねつつ こころくるしきときは 風とともにあゆみて おもかげを風にあたへよ
唐突な涙は、我ながら意外だったが、今、わたしが受けているこの風は、尾崎翠が、かつて「おもかげを風にあたへた」それとまったく同じ風に違いない! と直覚したのだ。言うまでもなく、空気や風は翠のメイン・モティーフだが、鳥取の空気の組成が他の地と異なるのは、海の近くまで山が迫っている独特の地勢によるものだというお話を、鳥取大学の教授に伺ったことがあるが、この貴重なお話を聞いた席で、酔ったわたしは自分が撮った「薔薇族映画」(ピンク・ゲイ映画)の話を延々と始めて、座をすっかりシラケさせてしまったのだった。バカである。
さすがに、鳥取を訪問する回数が増えるにつれ、この地の空気や風に対する感覚は普通になってしまったが、最初のうちは、鳥取空港から小雨の中をバスに乗りながら、小林喬樹さん宛ての書簡などを読みつつ、鳥取の空気を吸って、ひとり涙ぐんでいたものだ。わたしは、尾崎翠ファンの一少女だったのである。あれからすでに8年近く経つ。
<境港・小倉屋の焼き鯖寿司>
わたしは日乃丸温泉からホテルに戻ると、今度は買出しに出た。実は、鳥取に入る前に、空港からバスで鳥取県中央部の倉吉市に行って、画家で翠研究家でもある渡辺法子さんと会い、貴重な私家版『GOETHE und MIDORI−ゲーテ閣下とフロライン翠−』を頂いてきた。この本については、別に紹介するが、その帰りにJR鳥取駅の改札を出たところの売店で「焼き鯖寿司」を目撃し、しっかりと目を付けていたのだ。
意外と流行に敏い浜野監督が、昨年あたりだったか、羽田空港で「これが今、人気の空弁、○○おばあちゃんの焼き鯖寿司だよ」といって得々と見せびらかしたことがある。すでにご存知と思うが、「空弁」とは「駅弁」に対して空港でのみ売っている弁当のことで、中でも焼き鯖寿司が人気を集めているらしい。
わたしはホテルの近所のJR鳥取駅に行き、売店で「山陰・境港 小倉屋の焼き鯖寿司」950円を買った。境港は、米子近くの、水木しげる御大の故郷で、わたしは水木しげるロードや水木しげる美術館(だったかな? 妖怪「一反木綿」の小さな置き物を買った)にも行ったことがある。帰京後、鳥取県の広報が出しているメルマガで、この「小倉屋の焼き鯖寿司」も、実は米子空港や鳥取空港で販売する空弁だったことを知ったが、空にこだわらず、陸の土産物売り場にも出しているらしい。しかし、これだけでは、ビールのつまみにならない。わたしは同じ売り場で、八頭郡河原町の「鳥取名産 あごちくわ」560円と、岩美町の隣村、福部村の「砂丘らっきょう」530円も買った。「あご」とは飛び魚のことである。これに、コンビニで、大豆原料の第三のビール3本や、醤油の小瓶、紙の皿、割り箸など1020円を買ったら、なんだ、なんだ、結構の金額になっているではないか。1年ぶりだから、鳥取の名物で攻めてみよう、などと思いつつ、実は倹約を心がけたつもりだったが、それほどの節倹にはならなかったようだ。少し気落ちして、ホテルに戻る。
<八頭郡河原町の鳥取名産「あごちくわ」。芯に竹が付いている>
部屋に落ち着いてみると、傍らにLAN接続のパソコン、テーブルにはビールと鳥取名産の豪華3種、わたしに、これ以上の何が必要だろうか、という気になってくる。男なら夜の街に繰り出そうという気にもなるだろうが、97年に初めて訪れた際、鳥取文学の研究者の竹内道夫氏に、浜野監督と共に、鳥取のバーや飲み屋を次々と案内して頂いた。創樹社版でも筑摩版でも、稲垣氏の全集後書きで謝辞を捧げられている竹内氏だが、てっきり年配の郷土史家を予想していたら、現われたのは壮年バリバリの、役者風の二枚目で驚いた。
この人のお酒が、腰を落ち着ける間もなく、2〜3杯飲んだらすぐ次の店に移っていく、チェーン・ドランカー(?)で、話し振りも早口なのだが、飲んでは歩き、飲んでは歩きで、浜野監督などは終りの頃にはすっかりグロッキーになっていた。行きつけの店が限りなくあることに驚嘆したが、全てご馳走になり、翌日はゆかりの地を車で案内して頂いた。現在は残っているかどうか知らないが、その頃、第三者が住んでいた立川町の翠終焉の家まで連れて行ってくれたのには、今でも感謝している。
また、日本海新聞にわたしたちを連れて行って、映画化の企画を紹介してくれたのも竹内氏だったが、その直後に鳥取でも映画製作を支援する会が結成され、群れを嫌う虎狼の気配がある竹内氏とは、自然と疎遠になった。お元気だろうか。先日も岩美町に榎本武利町長をお訪ねしたら、竹内氏に「橋浦泰雄をもっと紹介すべきだ」と飲みながらハッパをかけられたと、笑いながら仰っていた。あいかわらず意気軒高なのであろう。わたしもフォーラムを離脱し、ハグレ犬の身になったので、虎狼の竹内氏とお会いしてみたいものだ。
<福部村(ふくべそん)の「砂丘ラッキョウ」。小袋のほうだ>
下の写真が、わたしの夕食の一切である。一堂に並べてみると、いささか侘しい気がしないでもない。予算的に嵩んだのは、土産物売り場で買ったせいだと気づいたが、これら名産品はまさかスーパーでは売ってはいないだろう。ビール代を入れて、三千円超で気に病むわたしもわたしだが、いずれも旨かった。
境港の焼き鯖寿司は、羽田空港で食べたやたらと脂の多いものと比べて、新鮮で、ぎゅっと締まった味がした。「あごちくわ」は最初モサモサしているが、奥深い味わいがある。福部村でラッキョウも作る、鳥取のバー「イエロー・モンキー」のママさんは、砂丘ラッキョウの一面に花咲く光景が、いかに美しいか語ってくれた。しかし、これらを全て食べた後、一食における3品の分量のバランスがおかしい、例えばラッキョウは一度に一袋食べるものかどうか気になったが、まあ旅先の酒のつまみである。
これが果して「鳥取の晩の通な過ごし方」と言えるか? 言えないだろうね。
■『とっとり雑学本舗』第428号より(鳥取県総務部広報課発行)
「米子空港などで販売されている小倉屋の「焼き鯖寿司」は全日空のホームページ「空弁紀行」で紹介されるなど、空弁として人気急上昇中です。境港で水揚げされた鮮度の良い真さばだけを焼いて、シャリの上にのせた押し寿司で、米は鳥取県産コシヒカリの氷温熟成米を使用、焼き鯖を食べてるんだと実感できるどっしりした味です。以前に空港で購入した時は、冷蔵ケースの中から取り出してすぐ食したのですが、しばらく放置かレンジで少し暖めてからのほうが美味しさが増すような感じがしました。」
http://www.pref.tottori.jp/kouhou/mlmg
鳥取行き自体は、翠の生地、岩美町で『第七官界彷徨・尾崎翠を探して』のロケをした際、えらい困難を共にした同志である同町役場のカワカミ課長のお宅を、浜野監督と年に一度訪問し、酒を酌み交わして一泊することが、年中行事になっている。フォーラムに参加しない以上、その間、大山の宿坊にでも泊まろうかなどと考えたが、変に意地を張るよりも、興味の趣くまま隅っこからでも見学した方が素直だろうと判断した。
それで、市内の安いビジネスホテル「α−1」に宿を取ったのだが、昨年までのような打ち合わせも公式行事も、今回は関係ない。わたしは一人で、いかに鳥取の晩を過ごすべきか。初めて訪れた97年以来、ロケハン、撮影、上映、その後のフォーラムなど、数限りなくこの地を踏んできた。地方都市の例に洩れず、鳥取もまた夜の繁華街の異様に賑わっているところだが、いまさら行きたい店があるわけでもない。幸い、ホテルの「αー1」は、インターネットのLAN接続が無料で、使い放題だ。わたしは、食べ物を買ってきて、ビールでも飲みながら、携帯してきたパソコンで、のんびりブログの更新でもしようかと考えたのである。
<一階が日乃丸温泉。二階のネオンがライブハウス>
そう決めたら、まず最初にやりたいのは、近所の「日乃丸温泉」で汗を流すことだ。この温泉は、入浴料金310円の銭湯だが、純然たる温泉でもあって、早朝から夜遅くまで営業している。だいぶ以前、飛行機の料金が高いので、深夜バスで鳥取に入ったことが二度ほどあったが、その時も朝の6時頃に鳥取駅に着いた後、日乃丸温泉に浸かって長バスの疲れを癒した。座席で凝った背中の辺りを、伸び伸びと解放してくれる。駅前に温泉が出る日本で唯一の県庁所在地、というような話も聞いたが、実際のところは分からない。
日乃丸温泉は、尾崎翠ファンにとって馴染みの「鳥取生協病院」の、すぐ近くにある。翠はこの病院で亡くなったのだが、建物は建て替えられ、当時の面影はない。撮影直前のロケハンで、副院長さんにお話を伺ったことがあったが、いくらか不満げに、「翠に関する文章で、生協病院が低所得者を対象にする病院であり、充分な医療を受けることもできず、哀れに亡くなった、というようなニュアンスのものを読んだことがあるが、それはまったく実態を知らない者の言い分である」というようなことを仰られた。稲垣真美式の「生ける屍のような後半生」が主流だった頃のことで、わたしはまったく副院長さんに同意した。
日乃丸温泉は小さなビルで、浴場の上はライブハウスだ。二代目の息子さんか娘さんが音楽好きなのか、温泉に浸かった後、ライブを聞くというのも、一種の鳥取スタイルかもしれない。わたしは番台で310円を払い、昔ながらの脱衣場で服を脱ぎ、透明な温泉に身を沈める。そんなに広くない浴槽だが、温泉の感触が心地よい。わたしが初めて鳥取の地を訪れたのは、撮影の前年、97年の初秋だったが、着いた翌日の朝早く目覚め、散歩に出て、旧袋川の土手を歩いていたら、自然と「歩行」の有名なフレーズが甦ってきて、不意に涙がほろほろと流れた。
おもかげをわすれかねつつ こころかなしきときは ひとりあゆみて おもひを野に捨てよ
おもかげをわすれかねつつ こころくるしきときは 風とともにあゆみて おもかげを風にあたへよ
唐突な涙は、我ながら意外だったが、今、わたしが受けているこの風は、尾崎翠が、かつて「おもかげを風にあたへた」それとまったく同じ風に違いない! と直覚したのだ。言うまでもなく、空気や風は翠のメイン・モティーフだが、鳥取の空気の組成が他の地と異なるのは、海の近くまで山が迫っている独特の地勢によるものだというお話を、鳥取大学の教授に伺ったことがあるが、この貴重なお話を聞いた席で、酔ったわたしは自分が撮った「薔薇族映画」(ピンク・ゲイ映画)の話を延々と始めて、座をすっかりシラケさせてしまったのだった。バカである。
さすがに、鳥取を訪問する回数が増えるにつれ、この地の空気や風に対する感覚は普通になってしまったが、最初のうちは、鳥取空港から小雨の中をバスに乗りながら、小林喬樹さん宛ての書簡などを読みつつ、鳥取の空気を吸って、ひとり涙ぐんでいたものだ。わたしは、尾崎翠ファンの一少女だったのである。あれからすでに8年近く経つ。
<境港・小倉屋の焼き鯖寿司>
わたしは日乃丸温泉からホテルに戻ると、今度は買出しに出た。実は、鳥取に入る前に、空港からバスで鳥取県中央部の倉吉市に行って、画家で翠研究家でもある渡辺法子さんと会い、貴重な私家版『GOETHE und MIDORI−ゲーテ閣下とフロライン翠−』を頂いてきた。この本については、別に紹介するが、その帰りにJR鳥取駅の改札を出たところの売店で「焼き鯖寿司」を目撃し、しっかりと目を付けていたのだ。
意外と流行に敏い浜野監督が、昨年あたりだったか、羽田空港で「これが今、人気の空弁、○○おばあちゃんの焼き鯖寿司だよ」といって得々と見せびらかしたことがある。すでにご存知と思うが、「空弁」とは「駅弁」に対して空港でのみ売っている弁当のことで、中でも焼き鯖寿司が人気を集めているらしい。
わたしはホテルの近所のJR鳥取駅に行き、売店で「山陰・境港 小倉屋の焼き鯖寿司」950円を買った。境港は、米子近くの、水木しげる御大の故郷で、わたしは水木しげるロードや水木しげる美術館(だったかな? 妖怪「一反木綿」の小さな置き物を買った)にも行ったことがある。帰京後、鳥取県の広報が出しているメルマガで、この「小倉屋の焼き鯖寿司」も、実は米子空港や鳥取空港で販売する空弁だったことを知ったが、空にこだわらず、陸の土産物売り場にも出しているらしい。しかし、これだけでは、ビールのつまみにならない。わたしは同じ売り場で、八頭郡河原町の「鳥取名産 あごちくわ」560円と、岩美町の隣村、福部村の「砂丘らっきょう」530円も買った。「あご」とは飛び魚のことである。これに、コンビニで、大豆原料の第三のビール3本や、醤油の小瓶、紙の皿、割り箸など1020円を買ったら、なんだ、なんだ、結構の金額になっているではないか。1年ぶりだから、鳥取の名物で攻めてみよう、などと思いつつ、実は倹約を心がけたつもりだったが、それほどの節倹にはならなかったようだ。少し気落ちして、ホテルに戻る。
<八頭郡河原町の鳥取名産「あごちくわ」。芯に竹が付いている>
部屋に落ち着いてみると、傍らにLAN接続のパソコン、テーブルにはビールと鳥取名産の豪華3種、わたしに、これ以上の何が必要だろうか、という気になってくる。男なら夜の街に繰り出そうという気にもなるだろうが、97年に初めて訪れた際、鳥取文学の研究者の竹内道夫氏に、浜野監督と共に、鳥取のバーや飲み屋を次々と案内して頂いた。創樹社版でも筑摩版でも、稲垣氏の全集後書きで謝辞を捧げられている竹内氏だが、てっきり年配の郷土史家を予想していたら、現われたのは壮年バリバリの、役者風の二枚目で驚いた。
この人のお酒が、腰を落ち着ける間もなく、2〜3杯飲んだらすぐ次の店に移っていく、チェーン・ドランカー(?)で、話し振りも早口なのだが、飲んでは歩き、飲んでは歩きで、浜野監督などは終りの頃にはすっかりグロッキーになっていた。行きつけの店が限りなくあることに驚嘆したが、全てご馳走になり、翌日はゆかりの地を車で案内して頂いた。現在は残っているかどうか知らないが、その頃、第三者が住んでいた立川町の翠終焉の家まで連れて行ってくれたのには、今でも感謝している。
また、日本海新聞にわたしたちを連れて行って、映画化の企画を紹介してくれたのも竹内氏だったが、その直後に鳥取でも映画製作を支援する会が結成され、群れを嫌う虎狼の気配がある竹内氏とは、自然と疎遠になった。お元気だろうか。先日も岩美町に榎本武利町長をお訪ねしたら、竹内氏に「橋浦泰雄をもっと紹介すべきだ」と飲みながらハッパをかけられたと、笑いながら仰っていた。あいかわらず意気軒高なのであろう。わたしもフォーラムを離脱し、ハグレ犬の身になったので、虎狼の竹内氏とお会いしてみたいものだ。
<福部村(ふくべそん)の「砂丘ラッキョウ」。小袋のほうだ>
下の写真が、わたしの夕食の一切である。一堂に並べてみると、いささか侘しい気がしないでもない。予算的に嵩んだのは、土産物売り場で買ったせいだと気づいたが、これら名産品はまさかスーパーでは売ってはいないだろう。ビール代を入れて、三千円超で気に病むわたしもわたしだが、いずれも旨かった。
境港の焼き鯖寿司は、羽田空港で食べたやたらと脂の多いものと比べて、新鮮で、ぎゅっと締まった味がした。「あごちくわ」は最初モサモサしているが、奥深い味わいがある。福部村でラッキョウも作る、鳥取のバー「イエロー・モンキー」のママさんは、砂丘ラッキョウの一面に花咲く光景が、いかに美しいか語ってくれた。しかし、これらを全て食べた後、一食における3品の分量のバランスがおかしい、例えばラッキョウは一度に一袋食べるものかどうか気になったが、まあ旅先の酒のつまみである。
これが果して「鳥取の晩の通な過ごし方」と言えるか? 言えないだろうね。
■『とっとり雑学本舗』第428号より(鳥取県総務部広報課発行)
「米子空港などで販売されている小倉屋の「焼き鯖寿司」は全日空のホームページ「空弁紀行」で紹介されるなど、空弁として人気急上昇中です。境港で水揚げされた鮮度の良い真さばだけを焼いて、シャリの上にのせた押し寿司で、米は鳥取県産コシヒカリの氷温熟成米を使用、焼き鯖を食べてるんだと実感できるどっしりした味です。以前に空港で購入した時は、冷蔵ケースの中から取り出してすぐ食したのですが、しばらく放置かレンジで少し暖めてからのほうが美味しさが増すような感じがしました。」
http://www.pref.tottori.jp/kouhou/mlmg
あのあと、岡山の新見の友人宅へ行きました。その途中で寄ったのでした。
鳥取といえば、今では私の店へ突然現れる鳥取の高校の国語の先生です。とても美人で雰囲気もあって、好きな人です。ダイビングに来るようです。レキオスのカウンターでのんびりと食事して泡盛を飲んで、タバコを吸います。このタバコが彼女の旅の麻薬らしいです。家では吸わないと、…ふぅん、です。眼一杯非日常しているぞ、という楽しそうな彼女です。
「金欠」って「豊か」かもね、と思ってしまったのでした。これが楽しいよ!!!
鳥取を心豊かに過ごされたみたいですね。
わたしも先週の10日(日曜日)、長岡の歓楽街のど真ん中にある同じ系列の「α-1」に泊まりました。
まわりはカラオケと居酒屋だらけでした。こちらは純粋な営業出講でしたので、ホテルそばのスーパーの地下で酒と食材を安く仕入れてゆっくり咀嚼^^;しました。
家にいるときと同じような時間が流れていました。
旅先にはノートPCを持っていかないようにしていますので、夜の仕事もなく、12時頃までバレーボールの試合を観てから熟睡しました。
<やみぃさんは、カニグズバーグの訳文をめぐって、岩波書店に徒手空拳で喧嘩を売った人です。下のコメントみたいな優しい言葉で、肺腑を突くようなことを言う怖い人です。HPは、リンクの「児童文学に優しい爆弾HP」>
いつも素敵なブログを、ほんとうにありがとう♪