2018/06

01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30

<< >>




 福岡県糟屋郡新宮町の空だ。別に「風雲急を告げる」と言いたいわけではない。この日の朝、猛烈なスコールが福岡市一帯を襲ったが、映画祭が始まる時間には晴れ上がった。人口2万3千人強の、福岡市に隣接したこの町で「地域発!映画」をキャッチフレーズに「しんぐうシネマサミット」という、個性際立った映画祭が、昨年から開かれている。中上健次ゆかりの和歌山県新宮市ではない。福岡県の新宮町だ。
 第2回目の今回は、7月29日から31日まで、全国7作品(プラス特別上映2作品)を集めて開催された。なかなか癖の強いラインナップだが、04年制作の新作が並ぶなか、地域発のハシリと認められたのか、98年制作の『第七官界彷徨−尾崎翠を探して』も招待され、浜野佐知監督とわたしが参加した。
●しんぐうシネマサミット
http://www.shingu.info/~scs/



 会場となった新宮町のコミュニティセンター「そぴあしんぐう」。実は昨年、新宮町文化振興財団が中心になり、町民総がかりで『千年火』(瀬木直貴監督)という映画を制作した。この町に、重要文化財の千年家と呼ばれる家があって、なんと1200年間、絶やさずに火を燃やし続けているのだとか。地元のシンボル的存在らしいが、この家の人は、旅行などで家を空けることもできないそうだ。この神聖なる火をモチーフに作ったのが『千年火』で、それをきっかけに、昨年「しんぐうシネマサミット」が開催された。この映画には、浜野組でもお馴染みの吉行和子さんが出演。予算のない映画でも、意気に感じて出てくれる女優さんなのだ。
●映画『千年火』オフィシャルサイト
http://www.sen-nen-bi.com/



 今年のラインナップは、北海道=『銀のエンゼル』(鈴井貴之監督)、山形=『スウィングガールズ』(矢口史靖監督)、静岡=『バーバー吉野』(荻上直子監督)、愛知=『1リットルの涙』(岡村力監督)、京都=『ニワトリはハダシだ』(森崎東監督)、鳥取=『第七官界彷徨−尾崎翠を探して』(浜野佐知監督)、沖縄=『風音』(東陽一監督)。
 初日のオープニング・ナイトに『スウィングガールズ』という人気作品を持ってきて、その後に異色作、問題作をさりげなく並べているところが、企画プロデューサー増永研一氏の腕の色っぽいところだろう。氏は『千年火』のプロデューサーの一人でもあり、かつて北九州市の黒埼東宝が、02年から03年にかけて行った「イノヴェーション」シリーズの企画者でもあった。
 浜野監督とわたしは、その後「シネマセラピー」を掲げるデイケアセンターに転進せざるを得なかった黒崎東宝で、地方在住の映画&音楽のプロデューサーという異色の存在に出会った。戦後から続いてきた名門映画館が、シネコンに押され、破れかぶれで打って出た実験的な企画と、その後の展開については、改めて論じたい。 



 沖縄で撮った『風音』の舞台挨拶。右が東陽一監督で、左がドメスティック・バイオレンス男を非情に演じた光石研さん。ナマで見る男優さんは、色っぽいね。東監督が、沖縄戦を背景にした骨のあるトークを展開する一方で、パンフレットや特製Tシャツを買ってくれるよう観客にアピールしているのが可笑しかった。さすがは独立プロ魂! 浜野監督と共通のものがある。
 ただ、この日、徹夜のまま朝方、羽田から飛行機に乗ったわたしは、『風音』上映中に、ほとんど爆睡してしまったのが、なんとも残念かつ申し訳ない。普段、朝になってから眠る生活なので、朝発って、その日に行事があるとキビシイ。おじいさん役の、海風にシワが刻み込まれた顔が素晴らしいと思ったら、芝居にはまったく素人の、沖縄の区長さんだった。この人の表情も、実に色っぽい。眺めているだけで、惚れ惚れする。
●『風音』
http://www.cine.co.jp/fuon/index.htm

 その後に上映された『ニワトリはハダシだ』は無事に観ることができた。森崎東監督の、舞鶴港を舞台にしたユートピア映画。といっても、現代ニッポンとは対極にある、下層生活者の反ユートピアだ。主人公の知的障害を持つ少年は、戦後の北朝鮮への帰還事業で船が爆発沈没し(実話である)奇跡的に助かった祖母の孫という、今、目の前にあるタブーに挑戦する、勇敢きわまりない設定。
 いわく付きの盗難車のナンバープレートを、たまたま目撃した少年が、検察+警察+ヤクザの連合軍に追い掛け回される。陽気にスピーディに進行するのは、誰も立ち止まって考え込んだりしないせいだろう。少年は、数字の記憶に天才的な才能を発揮するが、言葉のコミュニケーションは難しい。父親役の原田芳雄、別れた母親役の倍賞美津子も、反射的に行動した後に、肉体で考えるタイプだ。日本映画の良き伝統を感じたが、時に「も少し、行動する前に考えてみたら?」と登場人物たちにアドバイスしたくもなった。しかし、多分「それじゃ映画じゃない」のだろう。
 感動的なシーンも多いが、ここで展開される美しい家族観、女性観、共同体観に、わたしは、やや馴染めない。こっちがヒネクレテいるのだ。主人公の少年役、浜上竜也は、ディカプリオの『ギルバート・グレイプ』を思わせて、初々しい。
 森崎監督と原田芳雄、肘井美佳さん(養護学校の先生役)の舞台挨拶もあったが、写真撮影禁止で撮れなかった。女優さんがいたせいか。原田は、何を演じても同じに見えて、好きな役者ではなかったが、この映画の自由闊達を観ると、もしかしたら演出する側が同じ「原田芳雄」を求めているのかも…と思った。ナマ原田も、しみじみ色っぽかったな。
●『ニワトリはハダシだ』
http://hadasi.jp/



 最終日の『第七官界彷徨−尾崎翠を探して』の上映&トークの後、浜野監督の著書『女が映画を作るとき』(平凡社新書)を買って、サインに並ぶ人たち。東監督も、パンフやTシャツを買ってくれというだけでなく、サイン会をやれば良かったのではないか。男の監督は、この「もう一押し」に照れてしまうのかも知れない。
 上映後のトークで、浜野監督が語り始めて間もなく「分からなかった!」という男性の大声が場内から飛んだのは、珍しい光景だった。一瞬、緊張が走ったが、この映画に関して「分からない」と評されるのには慣れている浜野監督、慌てず騒がず、この映画ができるまでの苦闘を語った。
 その後、登壇したわたしが、尾崎翠の小説自体が「分かる人」と「分からない人」にはっきり二分されること、「分からない!」という声はむしろ健全であることなどを話したが、果して伝わったかどうか。『ニワトリはハダシだ』のような堂々たる日本映画を観た後で『第七官界彷徨・尾崎翠を探して』を観ると、観客に喧嘩を売っているとしか思えないのも事実だった。
 実は、この前の夜にゲストを交えた交流パーティーが福岡市内で行われ、そこで増永プロデューサーは「地域発」ということは、単なる中央に対する地方ではなく、中央と地方、中心と周縁、自然と人間、文明と野蛮といった、近代的な二項対立の境界、マージナルな領域から発信することではないか、とパーティーにはいくらか場違いな、しかし色っぽい発言を行った。さすが永遠の映画青年だ。わたしは『尾崎翠を探して』もまた、植物と人間、女と男、現実と夢の狭間の、マージナルな境界から立ち上がって来た映画であることを語ったのだ。
 事実、このパーティーにも参加していた、ボランティアスタッフの中年女性が、みんなが『尾崎翠を探して』に背を向けるなか、尾崎翠を読んだこともなければ、この映画のことも何も知らなかったのに、スタッフでビデオを見終わった後、涙が流れて止まらなかったと言う。そして彼女は、なんと一人で「30万円分」のチケットを売ったというのだ。浜野組の映画は、全国に散在するこういう人たちによって支えられていることを、改めて実感した。
 


 映画祭のポスター兼パンフレットの上半分。裏面のゲスト紹介のところで、わたしが写真入りで「脚本家でゲイ・ピンク映画の監督でもある」と明記されたのには、さすがに参った。確かに、増永氏に要請されて、デジカメ片手撮りの自写像や履歴を送ったのはわたしだが、地方の公共機関が主催する映画祭で、いいのかな。
 わたしはつい、期待に応えなくてはいけないような気がして、トークのなかで「変な恋愛」がテーマのこの映画で、隣の女学生と町子の関係も、言葉を介在させない、女の子同士の奥ゆかしい恋愛として描かれている、というような話をした。リアクションは、まったくなかった。
 ところが、浜野監督がサイン会をしている間、わたしが記録の写真など撮っていると、一人のスーツ姿の男性が話しかけてきて、なんとこの人は町会議員だった。彼が言うには、映画として分かりにくいところもあったが、それ以上に忘れられた女性の芸術家を掘り起こし、世の中にアピールしたことは素晴らしい! と盛大に褒めてくれた。こういう町会議員氏が存在することは、増永氏にとっても貴重なことだろう。
●福岡県新宮町役場
http://www.town.shingu.fukuoka.jp/



 福岡映画サークル協議会のメンバーと、浜野監督。浜野組の『第七官界彷徨−尾崎翠を探して』にしろ『百合祭』にしろ、九州上映に関しては、その入り口の福岡県でストップし、そこからまったく南下していないことは、特筆に価する。上映の話は、一番早い段階から何度も持ち込まれたが、その度に「男女をめぐる風土に合わない」というような理由で、ポシャッタ。その代わり、福岡県では、両方とも何度か上映されている(沖縄は別で、『百合祭』が那覇で二度上映された)。
 福岡の両作品の上映に関わってくれたのが、福岡映画サークル協議会で、前日の交流パーティーや、この日の上映にも、メンバーが福岡市からバスに乗って駆けつけてくれた。映画の制作にしろ上映にしろ、多くの人数やお金が必要であり、この労苦を共にすると、決裂するか同志的共感が芽生えるか、どちらかだ。そして共感があると、関係が長続きすることが多い。
 日本国内に限らず、映画祭や上映会で、以前出会った友人たちと再会する愉しみは格別のものがある。わたしは前回の福岡での上映会の後、彼らのHPに半ばケンカを売るような書き込みをしてヒンシュクを買ったようだが、親しみを込めてケンカを売るのは、わたしたちの世代にしか通用しない作法だろう。
●福岡映画サークル協議会
http://homepage2.nifty.com/fukuokaeisa/index1.html



 蛇足。福岡空港の荷物検査を終わって中に入り、5番搭乗口の脇にある喫茶カウンターの「ごぼう天うどん」420円が、異様に美味かった。麺には、しっかりと腰があり、田舎くさい厚切りのごぼうも好き。なお、空港でインターネットなどしていたら、「しんぐうシネマサミット」に参加したというカップルに浜野監督が話しかけられ、記念写真を求められたのにはビックリした。
 山口県から来て、空港にはみやげ物を買いに来たそうだが、福岡県の新宮町というあまり知られていない町に、こうして県外からも映画ファンがやってくることは、関係者諸氏にとって心強いことだろう。増永氏よ、来年も色っぽい映画祭を、よろしく頼むね。


comment









trackback