人生に巻き戻しがあったなら
- 2005.10.09 Sunday
- 06:05
ビデオが廃れ、これだけDVD全盛となると「巻き戻し」という言葉も死語になりつつあるかも知れません。この言葉で、わたしの脳裏にいつも鮮やかに甦ってくるのは、キャスリーン・ターナーが、男に拳銃を突きつけ、「ビー・リワインド!」と低い声で脅しているシーンです。
ジョン・ウォーターズの颯爽たる怪作『シリアル・ママ』のワンシーンですが、ターナー・ママはビデオショップでビデオを借りながら、完全に巻き戻さないで返却するお客が許せず、命令に従わない男を射殺してしまうのでした。
同じような、実にクダラナイ理由ばかりで、シリアル・キラー(連続殺人犯)と化したターナー・ママですが、彼女が街頭を疾駆するシーンを、全身のフルサイズで正面から捉えたスローモーションのシーンは忘れられません。中年太りしたママの、たっぷりした脂肪の、たぷたぷと揺れる様子が見事に捉えられていました。ジョン・ウォーターズの悪趣味が、遺憾なく発揮されたシーンですが、たしかキャスリーン・ターナーは、女優になる前に体操選手か何かだったと読んだことがあります(未確認)。恐らくアメリカのどこにでもある家庭の主婦を演じるために、かなり余分の脂肪をつけたのでしょう。
わたしはまったく夢のない性格で、人生が二度あったら、とか、あの頃に戻りたい、とか考えたことはまったくないのですが、たったひとつ、どうしてわたしは、ああなれなかったのだろう、その可能性はまったくなかったのか、と、仄かな悔恨と憧れが交錯する職業があります。空港で、着陸した飛行機の前方で旗を振り、停止位置へと誘導する旗手(と言って、いいのかどうか)の方々の御姿を目にするたびに、わたしの心は俄然、少女マンガ・モードになるのでした。
なぜだか解りません。旗手の方々を、機内のわたしが直接見るわけはありませんから、座席前方のスクリーンか、前の座席背後のモニターを見ているはずですが、遠く遥か彼方から、こちらに向かって旗を振っている御姿に、わたしは思わず涙ぐむほどのノスタルジー、あるいは妙に心のうずくような既視感を覚えるのです。
機体に取り付けられた広角レンズの映像なので、映っている全身も小さく、表情も判りません。まして、雨でも降っていれば、遠くに霞んでしか見えないのですが、そうした悪条件であればあるほど、わたしの胸は締め付けられるようです。
あるいは、海外から帰って来た安堵感で、まず最初に目視する日本人に、思わず感情移入してしまうのでしょうか。それも、飛行機を安全に誘導してくれるお仕事ですから、ミーハーなわたしが憧れて不思議はありません。
しかし、正直なところ、海外から帰国した時の感慨は、また帰って来てしまった、事故もなく…、というのが正直なところで、実際、旗手の皆さんの遥かなお姿に、わたしがちょっぴり胸を焦がすのは、外国から戻った時ばかりでなく、鳥取便のような小さな飛行機の、短時間の飛行の場合でも同じなのです。
恐らくわたしには、あの映像に対する、何か訳の解らない固執が、心の底に根深く焼き付けられてあるのでしょう。いつか写真に撮りたいと、ずっと念じてきたのですが、ご存知のように離陸、着陸の際には電子機器の使用が禁じられています。カメラを取り出そうとしてスチュワーデスと目が合ったり、カメラを手にしたのは良いのですが、あっという間に機体は接近して、シャッターチャンスを逸したりしてきました。
9月の初めに、札幌上映に向かう際、羽田空港の待合席から、たまたまガラス越しに目撃できたのが、これらの写真です。残念ながら、背後からの御姿でありますが、わたしが神々しいものを仰ぎ見るような気持ちで、シャッターを切ったことは言うまでもありません。
ジャンボ機のような巨大な飛行機を誘導する際には、操縦席と向かい合うために、なるほどこのような、トラックに取り付けられた昇降機を利用するのだというメカニズムも諒解できました。
もしも、わたしの人生に巻き戻しがあったなら、空港会社はわたしを旗手として雇ってくれるでしょうか。友人の女装家、キャンディ・ミルキーさんは、生業として羽田空港で積荷の揚げ降ろしをやっているようですが、同じようなユニフォームは着ているものの、残念ながら彼らのお仕事に憧れたことはありません。
*よくよく見ると「旗手」の皆さんが振っているのは、旗ではなかったのですね。あれが、如何なるものであるか、間近に目撃してみたいものです。