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 擦淫者=さついんしゃ。なかなか古風な響きではないか。字の如く、こすり合わせ、触覚によってエクスタシーを味わう、変態どものことである。「素股」(すまた)という言葉をご存知だろうか。太腿の間に、勃起した陰茎を差し入れ、腰を使ってピストンして、発射に至る。女性の太腿だけでなく、ゲイの場合は男性の太腿が使用されるが、これも「擦淫」の一種だし、オッパイの間に挟む「パイズリ」もまた、そうだ。男女間でも、ゲイ間でも出現し、けっして特異な現象ではない。



 さんざんピンク映画で、フェチを取り上げてきたわたしだが、なかで、もっとも陽気な印象で覚えているのが、このスリスリ変態だ。例によって、ストーリーはすっかり忘れてしまったが(自分で脚本、書いているのにネ)、主人公を演じたのは、いまや人気監督の荒木太郎くん。女性器への挿入には気が向かない彼は、女性の膝の裏側や、ひじの内側、わきの下、あごの間(!)などに挟んでもらって、せっせと腰を振るのである。額に汗を浮かばせ、懸命にピストンする荒木くんと、感じるはずもないのに、なぜか盛大に喘ぐ女優さん。そこに軽快な音楽を乗せ、わたしはひどく愉しかったが、観客の中にはあまりのバカバカしさに、席を立った人がいたかも知れない。
 挿入によらない絶頂感覚は、わたしのピンク映画のメインテーマであるが、古今東西の変態について網羅的に解説した『性現象事典』(小宮卓著。光風社出版。95年刊)によれば、摩擦によって性的満足を得ることを「フロッターリズム=擦淫症」と呼び、なかなかに普遍的な、性倒錯の一種なのである。美術用語の「フロッタージュ」は、木の板や石、木の葉などに紙を当て、その上から鉛筆でこする技法だが、これが変態の命名に転用された。最初に取り上げたのが、変態研究のパイオニア、ハヴェロック・エリスで、1938年版の『性の心理学』で、次のように解説している。
「フロッタージュなる特異な性倒錯は、男性のみに顕著に見られるもので、着衣の肉体を、とりわけ性器部分だけではないが、これまた着衣の女性の肉体に密着させようとする性衝動で、まったく見知らぬ女性に向かって、この情欲を、公の場で晴らそうとする」
 これは、まさしくニッポンの「痴漢」に他ならないが、現代の痴漢のように、掌や指で撫で回したり、指を強引に潜り込ませたりするわけではない。身体各所の触覚を、フル動員した快感の追求で、なかなか奥ゆかしいが、30年代のヨーロッパでは、これでも十分に刺激的だったのだろう。エリスの記述からは、陰茎をこすり付けて、直接的に快感を得るのではなく、衣服=布を間に挟んで、こすり合わせる、フェティッシュな志向が窺われて、興味深い。



 布へのフェティシズムでは、『絹の叫び・フェティシズムの愛撫』(フランス・スイス・ベルギー合作。95年)という、そのまんまの邦題を付けられた映画があったが、内容もまた、かなり図式的だった記憶がある。この映画が、おそらくモデルにしている、20世紀初頭のパリ警視庁の精神科医、ガシアン・ド・クレランボー(正式には、ガエタン・アンリ=アルフレッド=エドアール=マリー・ガシアン・ド・クレランボー。デカルトにつながる名家だというが、どうして、こんな名前が成立するのか?)については、港千尋『群集論』に詳しいが、リブロポート刊のこの本は、今ではちくま文庫に入っているようだ。わたしは、クレランボーに関する港千尋の考察と写真をネタに、布にくるまった怪物が男を襲う、ホラー風ゲイ・ポルノをデッチ上げたことがあるが、これはまた別の機会に。
 かつては衣服を通して、こすり付けていた擦淫者=フロッタールだったが、現代アメリカにおいては、その間接性がまどろっこしいというわけで、より直接的な「フリクション」(摩擦)から発する「フリクテーター」に様変わりしているとか。もっとも、この事典自体、70年代初めから80年代初めにかけて『SMセレクト』誌に連載されたものをベースにしているので、アップ・ツー・デートの現代というわけではない。
「フロッタールが、古典的洗練さと情緒を重んじ、ゆるやかな擦淫を旨とするのに対し、フリクテーターは、陰茎を両方の足の裏でこすり合わせたり、腕の下を擦淫したり、女性をうつぶせにして、お尻の上部を摩擦したり、喉に挟みつけさせて、射精したりする」
 つまり、わたしがピンク映画で取り上げたのは、古典的なフロッタールではなく、即物的なフリクテーターだったのだ。足の裏で挟んでもらって、キツクこすり合わされ、仰け反って悶える男の図というのは、なかなか楽しい眺めだが、わたしはこれをピンク映画の中で使ったかどうか、イマイチ記憶が鮮明でない。猫の足の裏を「肉球」と呼んで、かなり気色良いらしいことは、『百合祭』の観客の方々には常識となっているが、はたして女性の足の裏は、猫の足の裏の肉球に、優るとも劣らないものであろうか。



 しかし、このフリクテーションに関しては、こすり付けるストローク=陰茎自体のかなりの長さ、が必要である。かつて白夜書房で、わたしが編集していた性風俗情報誌では、男のスタッフが、やたらと裸のモデルになったものだが、そこで「粗チン」と謳われたわたしなどには、ほとんど困難な作業だ。パイズリなどを考えても、すぐに諒解できることだが、挟み込んで、こすり合わせ、そこに摩擦が生じるためには、ある程度の実効距離が要請される。
 だから言うわけではないが、わたしたち男性は、陰茎への局所的な固着を捨て、全身の皮膚感覚を発動した、センシティブな触覚による快感追求を、模索すべき時に来ているのではないか。何の根拠もないが、突撃一本の男根主義を捨てよ! フロッタールの古典へ帰れ! そんな風に揚言してみたい。
 従来、全身で感じるのは女性とされてきたが、男性のコペルニクス的転回によって、男女共同参画の触覚的性愛の展望が、一気に開けると思われるのだが、はたして、どうだろう。

<05年2月。『レモンクラブ』(日本出版社)掲載>


comment

性について、公で話をするのは、緊張してしまふ現代になってしまいました。河合さんに個メールを送ろうかとも思ったのですが、やっぱり書き込みにしました。

私もいろいろあって、性の快楽から程遠い生活です。キリスト愛好者の知人は「子作り以外にセックスをしない」と公言してますが「子作り」のためだけのセックスほどつらいものはありませんでした。今、授乳中なので、乳を吸われるこの快感が私の悦びで、これがずっと続くよう授乳期間を伸ばしたいと思っています。

知人(絶縁されてしまったのですが)の話で恐縮ですが、男性(ヘテロ)でブルマー愛好者で、新しいブルマーを買ってきては夜中公園に行って・・・という悦楽の話を聞かせてくれました。ぐにゃぐにゃして気持ちいいのだそうです。しかも、長時間。発射できないんだけど、いいのかなぁと相談された記憶があります。男性はやはり発射しないといけない義務感があるのですかね。

人のことはともかく、自分のためにもkuninoriさんのピンク映画を見たいです。

  • らら星
  • 2005/11/13 4:59 AM

河合さん、ほそや先生、目下愛知淑徳大学の『百合祭』上映で、名古屋に来ています。河合さんのストレートで力強いご指摘にレスポンスするには、わたしには相当の熟考が必要なようです。フェティシズムの楽しみを強調したいところですが、河合さんのご意見を前にすると、何か自分が粉飾決算してるみたいな気分になってしまうのは、なぜでしょうか。また、ほそや先生の全身と局所の関係も、じっくり考えなければなりません。帰京後は、すぐにピンクの撮影がありますので、お二人へのレスポンスは、若干の猶予をください。いつも感謝しています。

タバーリシチkuninori55!
読解不足失礼しました。

それにしても、フロッタールへの道は遥かなるかな。
たぶん全身フロッタールが鍵で、ちんこだけだと、どうしても蛇の生殺し感がしてきそう。だから、ついつい力をこめてしまう。

ところで、内部に引き起こされた圧迫による反応は女性にも言えていて、いわゆるGスポットは、ある時点で押しつけ圧迫だけでガンガン良くなるそうです。

  • ほそやまこと
  • 2005/11/06 10:31 PM

私は普通の性愛者でした。「擦る」とそれだけの皮膚感覚は性愛としてはさびしいものだと思います。男女の性愛の絶頂感は、「粘膜」と「粘液」の交じり合いの興奮と感じていました。その媒介としての「擦る」という行為がある。これを思ったのは、閉経後です。あの絶頂感がなくて、閉経してつまらんなーと思った。そしたら、男ともできなくなった。そして、今でも、やってません。…これは何でしょう???

ひとりでそれなりにも、…ありますが、空しいのですね。偏見があるのかなー、とか考えています。

射精というのは、また、違うのでしょうか?

  • 河合民子
  • 2005/11/06 2:17 AM

ほそや先生、こんにちは。
「ちんこの内部に引き起こされた圧迫の変動が重要」というのは、初めて知りました。なるほど、皮膚感覚と、射精を促す感覚の成立は、それぞれ違うわけですね。ご教示有り難うございます。これによって、わたしが笑止千万にも提唱した「皮膚感覚へ帰れ!」説は、補強されたようにも思うのです。
というのは、説明が不十分でしたが、わたしは「いわゆるちんこへの摩擦と擦り擦り皮膚感覚」を、そのまま重ねているわけではなく、前者を「フリクテーター」、後者を「フロッタール」に振り分けました。その上で、前者の「男根主義」(今では「射精第一主義」と言い換えても好い)を、共同作業による全身的な「触覚的な性愛」主義へ転換する道はないか? と提案したつもりなのです。それは、しかし、今回のほそや先生のご指摘によって、「射精からの解放」を意味するものでなければならず、なかなか困難な道であることが再認識されました。
改めてご教示、有り難うございました。

皮膚感覚について。

kuninori55説だと、いわゆるちんこへの摩擦と擦り擦り皮膚感覚が重ねられているようだけど、ちょっと違うかなあ。

擦り擦り撫で撫ででは、皮膚と外界との感触がメイン。それに比して、シコシコでは、ちんこの内部に引き起こされた圧迫の変動が重要。

だからこそ、肩凝り用基本バイブをちんこに充てていると、シコシコ同様に射精に至ります。

しかし、皮膚表面での擦り擦り撫で撫での皮膚感覚は、たゆたうような快感が続くけど、射精にはなかなか至らない。

その時点で、往々にして射精の快感に魅入られて、力をこめてしまう。あはれ、われは凡夫なり。

  • ほそやまこと
  • 2005/11/03 1:40 AM

らら星さま
 固有名詞に関しては、まったく気にしないでください。わたしは固有名詞が嫌いで、別の名前で呼ばれたら喜んでしまいます。つげ義春のマンガで「峠の犬」という作品があり、別の場所で他の名前で呼ばれながら、平然と何ヶ所かで、同時に生活している犬が描かれていました。拙作のピンク映画でも、固有名詞を極力捨て、役名を「ビッグバッドママ」とか「不幸なストリッパー」とか付けるので、役者諸氏には、はなはだ不評です。
「不思議の国ララ」! 確かにそうでした。ここでも、わたしは気づかず、間が抜けていました。この少女小説、結末がなんとも不思議で、尾崎翠があえて定型破りをした理由を、時に考えます。わたしは、尾崎翠=大島弓子、説なのですが、研究者の方には、=坂田靖子、説などもあって、少女マンガとの類縁性は高いと思います。

す、すいません!!kuninoriさんの名前をakinoriさんと書いてしまいまして。お詫びして訂正いたします。消去方法がわからず申し訳ありません!!

  • らら星
  • 2005/10/27 8:52 PM

akinori55様
私も花田の出会い ほんとうに嬉しいです。HNを地道に「クラヴェリナ」にしていた甲斐がありました。多くの花田好きの方は、ちょっと私には難しくて、とてもついていけない〜かんじなのですが、kuninori55さんは懇切丁寧に書いて下すっているので、少しづつ、私も歩んでいこうという気持ちになります。どうぞ、これからもよろしくお願いします。

確かにフィルムとビデオでは天地の差ですよね。フィルムは私も未見ですが、興味あります。アウトサイダー好きとしても、見逃せない領域です!?ピンク映画館のもたらす雰囲気が時代と共になくなってしまうのは、寂しい限りです。また、文化の危機感を感じます。
今の子ども達はAVがお手本になっているようですよね。AVは常に男根主義でかつ男性の視点でしか写されていません。行き過ぎた「陵辱」シーンもほんとにひどいものです。う〜まとまりまらなくて、すみません。

尾崎翠も今読書中です。「不思議の国のララ」なるタイトルを見つけて、びっくりしました。らら星は適当につけた名前ですが、「らら」がシンクロしていて嬉しいです。

  • らら星
  • 2005/10/27 3:37 PM

らら星さま
<mixi>では有り難うございました。キヨテル毎日引用、なんて、ひどく個人的なコミュニティに参加して頂いたお二人が、どちらも花田のエッセイに由来するハンドルネームをお使いであると知った時には、とても幸せな気持ちになりました。(らら星さんの場合は、もうひとつのHNの方ですね)。
日常生活の中で、花田の読者に出会うなんていうことは、いまや奇跡に等しく、その奇跡のひとつが、鳥取の尾崎翠フォーラムの土井淑平代表との出会いだったのですが、このブログの第一回目に書いたように、すでに決裂してしまったのは、わたしの行動方式に、多く問題があったのだろうと思います。
らら星さんご指摘のAVに関しては、90年代だったか、その成立初期に、ピンク映画業界にも声がかかり、何本か関わったことがありましたが、フィルムとビデオの違いは決定的で、あっという間に駆逐されてしまいました。ビデオカメラとビデオテープで、えんえんと撮るドキュメンタリーのスタイルは、フィルムで自己形成した世代には無理です。
AV批評に命を賭けているような、かつての知人もいて、そういう人のブログを読むと、山のようなクズの中に、極めてすぐれた少数の作家、作品があると言いますが、そんな宝探しをする根性は、わたしにはありません。
ですから、AVの現状について、まったく無知なのですが、エロメディアに関して、一般の方は、AVもピンク映画もロマンポルノも、ひとくくりにされているのではないでしょうか。ここには決定的な相違があって、ピンク映画は60年代に勃興した日本映画界のアウトサイダーで、目下衰退の一途を辿っています。
ロマンポルノは、邦画五社の一角だった日活が、経営危機に際して方向転換した、一応メジャーによるポルノ映画で、20年弱で終焉しています。一般名詞のように使われる「ロマンポルノ」は、日活の登録商標です。
一方、AVは、レンタルビデオ屋とともに登場した新ジャンルで、機動性のあるビデオカメラと、そのドキュメンタリー性によって、エロメディアをあっという間に席巻しました。わたしたち、ピンク映画のフィルム勢が、映画館の上映と映倫の自主規制を、AVとの違いとしてあげると、貧乏くさいオールドファッションが、変なプライドで、新興勢力を差別しようとしているように聞えますが、実際、活きのいい、現代のセクシュアリティは、AVの側にあるのだろうと思います。
全国のピンク映画館は、すでに100館を切っているそうで、お客のほとんども老人であり、わたしたちはいよいよ、自滅の歌を歌っているに違いありません。

こちらにもお邪魔します。
稲垣足穂を思い出しました。
私もしばらくの間、AV鑑賞にお世話になったのですが(!?)
ほんとにひどいものもありました。不快感だらけで、今でも
あの女優はどうしているのだろう。と心配してしまうものもありました。一般のビデオ屋で選んだからでしょうかね?
一方的な「男根主義」文化の刷り込み装置としての影響が気になりますね。「暴力」の影響とかも。
やはり、多様な性のあり方があるはずですし、そのことを鍛えたり開花していく力が私たちに必要だと思います。

  • らら星
  • 2005/10/26 10:05 AM

詩はまったく自信がないし、口語で「読む」となるとビビります。頭の中で、少し騒がしかったら、…成功か?くらいだね。

ヤマザキさんちの、古老とオバアサンもお大切に。年とっている人たちほど大切な人類はいないな、と私は考えています。私もいずれ、ということもありますけどね。

では、いってらっしゃい!!!

  • 河合民子
  • 2005/10/26 2:26 AM

お母さんの着物を着てお姫様になり、チャンバラやって、お仕置きに、柱に縛りつけられる。河合さんの仰る幼いエロティシズムが、とてもよく伝わってきます。最近、柱に子供を縛るような、開放的な叱り方をする親は、少ないのではないのでしょうか。かつてあった時代への、追想を誘います。
イギリス方式の、お尻を叩くお仕置きから、独特の性感(マゾヒズム系)が育ったという話を、何かで読んだことがありました。コミュニティに共有された、お仕置きの様式性といったものが、必要なのかもしれません。
「男根主義」は男にとっても、重荷というか、負担になっているケースが少なくないようです。性風俗の取材をしていた頃に聞いた話では、お客のかなりの割合が、してもらう、受け身の立場を求めているようでした。家庭や恋人との前では能動を演じ、風俗では受動を求める、ダブルスタンダード。最近は「ダメ連」(ダメ男でいいじゃないか)などもできて、素直な男も増えたようですが、あっさりダメの旗を掲げることには、わたしはどうも賛同できないところがあります。
布フェチをリアルに感じたのは、女装の友人たちでした。「彼女」たちが、無意識のうちに、掌で洋服の上から下着を撫でているのは、下着の感触を確かめているのだそうです。わたしは、現実の女装はしませんが(取材でやったら、鏡にいきなり、色気のないオバサン顔が出現し、正視できませんでした)、自分のセクシュアリティの型としては、女装が一番近いと思っています。
同人誌やコピーをお送り頂き、有り難うございました。河合さんのエネルギッシュな探求が、放射状に多方向に向かっていることに、いつも感嘆しながら、喜ばしい啓発を受けています。
詩「山羊を連れて」は、分からない沖縄の言葉がいっぱいあるものの、とても官能的な印象を受けました。口語の響きが伝わってきて、これは声に出して読む詩なのでしょうか?

> センシティブな触覚による快感追求を……
大賛成です。ポリネシアンセックスとか. . . 。というか、実際には、そういう男性って案外多いんじゃないかと思うの。数少ない経験ですけれど、ローション使ってマッサージしてあげると喜ぶ人、かなりの割合ですし、キスだって上手にできたら、それだけでみたいな。^^ ──男性も、もっと受け身になること、覚えたらいいのにって、いつも思います。 きっと、コペルニクス的転回は、女性の側にも必要、ということですね。がんばろー!

  • Yummy
  • 2005/10/25 11:00 PM

きのうの夜中にきて、「おもしろい!!!」と感動し何か書こうと思ったんだけど、もう酔ってましたんで「あしただ」とまたしても、…来てしまいました。

布フェチは男と女では事情が違う(当たりまえとも思うけど)と、読みました。IMAGOという雑誌だった。こういう感触は個人的にも分かるような気がします。

大昔のことを思い出していました。確か小学校へ入るか入らないかくらいの年ごろのこと。終戦後10年余りがたった頃の那覇の大歓楽街の桜坂に住んでいて、一階が「キューバ」という名の母の店で、二階が住宅でした。そしてすぐの5件隣に東映のチャンバラ映画の封切館があって変わるたびに見に行っていて、チャンバラ狂っていた時でもあったのです。普段はあまり大騒ぎして遊んだ記憶はないのですが、その日のことは強烈です。なぜか誰も大人のいない昼下がりに、近所の子どもたちが大勢集まってウチの二階がチャンバラの劇場と化してしまっていた。大乱闘という騒ぎだった。私は母の着物を引き摺ってお姫様をしていて、捕まって柱に縛られてしまったのです。その時の母の着物の感触と、縛られている私というのが、妙に艶かしい記憶として残っています。フェチとはちょっと距離があるけれど、エロティシズムだな、と秘密の日を思い出しています。あれからきっととても怒られたと思うのですが、これはまったく覚えていない。

布フェチに近いのだけど、私の長男はボロボロのタオルをいつも大切に持っていて、次男は別珍が好きだった。彼らの指がそれを触って安心しているという感じでした。私のセーター好きもそれかもと思っています。セーターを触ると買ってしまう、ほとんど着るチャンスは那覇ではないのですが。

触る性愛ってオヤジくさいよね!!!女には男根主義が羨ましい。どんなに強烈なのか、とかずっと考えています。…でも今では触られた記憶も遠い昔のようです。

…ああ、また、しゃべりすぎだ。

  • 河合民子
  • 2005/10/25 10:51 PM









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