2019/09

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 渡辺えり子作・演出の『花粉の夜に眠る戀〜オールドリフレイン〜』を、2月12日に本多劇場で観た。前売り5500円、当日5800円とチケットが高い上に、観るのがひどく苦痛だった。料金は、本多劇場あたりでやる以上、当たり前の料金かも知れないが、経済困窮のわたしには、はなはだ驚きだった。しかし、もっと吃驚したのはお芝居の方で、みんなが大声を張り上げ、カーニバルのように大騒ぎする舞台の、どこに尾崎翠がいるのだろうと、訝しく思った。普段から演劇を観つけていない素人のせいかも知れない。パンフレット(上の写真)にエッセイを寄せている林あまりさんのように「年間百本を越える芝居を観る」人は、尾崎翠と渡辺えり子の間に共通の「詩人の魂」を発見している。
 わたしがこの芝居を観るのが苦痛だったのは、渡辺えり子という女優さんがはなはだ苦手なせいもあったろう。竹中直人とか渡辺えり子とか、スクリーンやTVで目撃すると、反射的に目を背けたくなる。二人が競演していた『Shall We ダンス?』など、ほとんど気が狂いそうになった。特に今回の芝居では、渡辺えり子自身が演じている老境の尾崎翠が「女にもならないで」と何度か叫ぶのが、たまらなく、もうたまらなく厭だった。「女になる」とは一体どういうことだろう。アンドロギュノス的なセリフも、ところどころまぶしてあるが、この舞台やナマ・えり子には強固な異性愛しか感じられない。蛇足ではあるが、初めて舞台の彼女を見て、アメリカの短躯の名優、ダニー・デビートに似ていると思った(余計なお世話で申し訳ない)。
 ただ、冒頭の骸骨たちの群舞に出てくる、たった一匹の犬の骸骨が素晴らしかった。骨しかないのだが、尻尾を立てたり、口を開けて吼えたりするのだ。もちろん黒衣が操っているが、デザインも操作技術も目を瞠るものだった。わたしの住むワンルームの入り口付近に、ぜひ一匹欲しいと思った。

 
 
 しかし、だからといって、わたしは尾崎翠作品の舞台化に反対なわけではない。昨年の10月に、自由が丘の「大塚文庫」で見た風琴工房の『風琴文庫』(写真はその際のしおり)には、ほとほと感銘を受けた。こちらはやはり女性である詩森ろば、という人の作・演出なのだが、夢野九作「瓶詰地獄」久生十蘭「昆虫図」桐島華宵「双生児奇譚」、それに尾崎翠「アップルパイの午後」を、大塚文庫という一軒家の、階の違う部屋を巡りながら順次見ていく、という凝った構成だった。
 しかし、特筆すべきは「アップルパイの午後」の最後に登場する「友達」が女性に置き換えられていたことだ。この「読む戯曲」には3人しか登場人物がいないが、2組の兄と妹の間で、カップルが2組成立する。基本的には兄と妹の会話で終始し、最後に登場する兄の「友達」が、自分の妹の気持ちを兄に伝えるのだが、この「使者」が、妹の方の隠された恋人でもあった。(塚本靖代さんに、妹の交換をめぐる論考がある)
 その「使者」が『風琴文庫』では女性であり、妹と彼女は朗らかなレズビアンなのだ。大胆な読み替えだが、わたしはまことに現代的で新鮮な尾崎翠の読解だと思った。原作の兄と妹の、馴れ合ったやり取りがどうも馴染めなかったわたしだが、詩森ろば的大逆転によって、兄のいい気な(家父長の真似事的)押し付けが、一挙に無効になる。その目覚ましく鮮やかな締め括りに、わたしは思わず膝を打ち、快哉を叫んだ。初めて「アップルパイの午後」という作品に出会ったような気さえした。そうか、この手があったのだ! わたしはひどく幸せな気持ちで、大塚文庫という風変わりな建物を後にしたのである。
 なお、『風琴文庫』というタイトルは、ギャラリーである大塚文庫と、詩森ろばが読んだ前記4作品の文庫本をかけているらしい。「文庫本のように演劇を読む」試みだという。この3月には風琴工房の次回公演が、下北沢ザ・スズナリで行われる。『機械と音楽』というタイトルで「ロシアン・アヴァンギャルドの建築家たちの群像劇」だとか。ちなみに料金は前売り3000円、当日3500円だ。(高いぞ、渡辺えり子! しかし、スズナリと本多劇場。それに高くても満杯…。貧乏人のオレは、宇宙堂、ゼッタイ行かない)

●『風琴文庫』のHP
http://windyharp.org/bunko/

●風琴工房のHP
http://windyharp.org/


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