2017/04

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 1〜2年のサイクルで、周期的に頭髪をすっぱり剃り落としたくなるが、それが、ほとんど例外なく、木枯らしの吹き始めた冬の季節に限られているのは、いったい、なぜだろうか? 髪の生え際が後退し、だいぶ薄くなったとはいえ、毛髪というガードを消失して、大気にむくつけく露出した頭蓋には、寒気が容赦なく沁み込んで来る。
 見てくれもあって、帽子をかぶることが多いが、しかし、わたしは深夜、新宿駅から歩いて帰ってくる途中、中央公園を横切りながら、不意と、かぶっている帽子を脱ぎ、樹木のあいだを渡ってくる寒風に、坊主頭をさらして、「アタマ呼吸! アタマ呼吸!」と呪文を唱えてみたい衝動を抑えられないのだ。わたしにとって、頭髪を剃ることは、停滞した頭の内部に寒風を吹き込み、何とか脳細胞をリフレッシュしようとする、儚い試みなのだろうか。



 ワンルームの自室に閉じこもり、いくら非社交的な生活に終始しているとはいえ、『百合祭』や『第七官界彷徨・尾崎翠を探して』の上映など、公的な行事に参加する機会も少なくない。そんな折に、頭ツルツル坊主では、いささか異様に見えるらしく、浜野監督などは露骨に嫌な顔をする。そうした周囲の忌避的な気配を察しながら、それでもハサミをバッサリ入れて髪を切り落とすのは、さすがに相当酔って、弾みがついている時のことが多く、一度などは、その勢いのあまり、つい眉毛まで剃り落としてしまった。
 頭を剃ること自体は、何度も繰返しているので、自分でも鏡のなかで見慣れた光景であるのだが、さすがに両眉が消え失せた時だけは、鏡に目を走らせるたびに、「うわっ!」と思わず内心で声をあげたほど、見慣れない表情が、そこに現出した。化粧をする女性にとっては、眉のない自分と向かい合うことは、珍しくないかもしれないが、男の場合、相当に異様なのである。
 かつて読んだ梶原一騎原作のマンガ『空手バカ一代』で、大山倍達が、山の中で孤独に修行中、人里が恋しくなって、フラフラ降りて行ったりしないよう、片側の眉を剃り落とし、自らを戒めた、というようなエピソードがあった。また、深作欣二監督の『仁義なき闘い』の「頂上作戦」だったか、どちらかといえばベビーフェイスの梅宮辰夫が、両眉を剃り落として、ヤクザの迫力を、精一杯醸し出そうとしていた。どちらも、眉を剃ることによって、人外の境に出るといった含意があったのだろう。



 男のミュージシャンが化粧することが、当たり前になっている現代においては、眉を剃り落とすこと自体、そんな大それたものではなく、おそらく目慣れの問題にちがいない。しかし、わたしが周期的に髪を剃ったり、時に眉を落したりする背景には、自分の生来の、生地の顔に対して、どこか馴染めない感情を、わたしが潜在的に抱いている可能性はないだろうか。花田清輝は、「仮面の表情」というエッセイで、次のように書いている。

「いつもなにかをせせら笑っているような、図々しい、不敵な顔の背後に、内気で、小心な、弱々しい顔の隠れていることもあれば、始終、生き甲斐を感じているような、希望にみちた、快活な顔の内部に、幻滅に悩んでいる、いたましい、あわれな顔の潜んでいることもある。どちらが、ほんとうの顔で、どちらが仮面なのであろう。むろん、見馴れた顔が仮面であり、その仮面の落ちた瞬間、あらわれてくる顔のほうが、ほんとうの顔であるなら問題はないが、あるいはその新しい顔もまた、たいして変りばえのしない、新しい仮面であるかもしれないのだ。もうひとつ仮面を! 第二の仮面を! ニイチェ風にいうならば、人間の顔は、一切仮面であり、わたしたちは着物をきたり、ぬいだりするように、次々に、仮面をつけたり、はずしたりして、生きつづけており、したがって、もしもわたしが、あなたのほんとうの顔をとらえようと考えるなら、嫌でもわたしは、あなたの仮面を手がかりにするほかはない。」
(1949年発表。『アヴァンギャルド芸術』1954年未来社刊所収)

 わたしもまた「着物をきたり、ぬいだりするように」、髪を伸ばしたり、剃ったりしているようだが、しかし、その程度では「仮面」とも「ほんとうの顔」とも、はるかに遠い、ちょっとしたバリエーションに過ぎない。わたしが、花田のこのエッセイを思い出したのは、両眉のない自分の表情が、どこか能面のように見えたせいかもしれないが、それでは髪だけでなく、両の眉まで落した顔が、わたしにとって、ちょっとした仮面といえるだろうか。
 いや、世の中にはドラスティックな変化を、敢然として行なう一群の人たちがいて、整形手術で、文字通り顔面を変化させてしまう。いわば「肉付きの仮面」だ。この手のドキュメント番組にぶつかると、つい最後まで見てしまうのだが、彼女たちのなかの少なくない人たちが、二度、三度と手術を繰返すのは、花田の言うところの「もうひとつの仮面を! 第二の仮面を!」というモードに入っているためだろう。
 人はなぜ、仮面をかぶるのか? 花田は、次のような例をあげている。

「きびしく表情の限定された、はっきりした輪郭をもった仮面をかぶることによって、あなたのたえず動揺する顔を―ささやかな刺激にもすぐ反応を示し、たちまち表情を変えてしまう、あなたの敏感な顔を、人眼にふれさせたくないと思っているためであろうか。それともあなたの顔の特徴を際立たせることによって、人眼をひこうと試みているためであろうか。あるいはまた、あなた自身の顔に飽きあきして、あなた以外のものの顔をもちたいと望んでいるためであろうか。いずれにせよわたしは、あなたのほんとうの顔を、みたことがない。」(同上)

 仮面の動機として、最初が防御、つぎが顕示とすれば、最後が倦怠で、おそらくわたしに根深くあるのは、最後のモティーフだろう。日常見飽きた、もっともらしい自分の「仮面」を脱ぎ捨て、見慣れない、ちょっぴり異様な「仮面」にチェンジしてみたいという、内から聞えてくる囁き。



 そういえば、わたしが頭を剃るようになったのは、エロ本の編集をしていた頃で、『元気マガジン』(白夜書房)という風俗情報誌を創刊した時には、創刊記念に、スタジオを借りて、男のスタッフをメインにヌード撮影し、3周年記念には、女装会館「エリザベス」に出向いて、男のスタッフ全員で女装した。
 創刊号の、男のスタッフは全裸、女のスタッフは水着かホットパンツという記念写真は、しかし、何でエロ本なのに男のスタッフがヌードになるのか、今から考えると、はなはだバカげている。当時の白夜書房は、爆発的に売れた『写真時代』などでも、編集部員が裸のモデルを務めるのが常態であり、外注編集であるわたしの風俗情報誌でも、カメラマンとともに風俗店に取材に行ったライターは、わたしも含め、「風俗ギャル」のお仕事を説明するため、裸の彼女たちと一緒に、自分も裸になって写真を撮った。そんな背景から、スタッフヌードを思いついたのだろうが、見せられた読者は、エライ目ざわりだったにちがいない。
 3周年の女装の方は、編集長のわたしが、渡辺恒夫氏の『脱男性の時代−アンドロジナスの文明学』(勁草書房刊)などを読んで、心密かに憧れていたためだろうが、島本舐めダルマ親方や、ラッシャー三好くんの「ヒゲ女装」といった珍品に笑ったり、発行人の末井昭さんの赤いドレスを着込んだ、堂々たるマダム振りに呆気にとられるなど、話題は少なくなかったものの、肝心のわたしは目の前の鏡に現出した、あまりに身もフタもない、ありふれたオバサン顔に、すっかりゲンナリして、二度と女装する気持ちを失った。まあ、男のスタッフ全員が、女装した写真をカラーで見せらたエロ本読者は、その後の購読意欲を失ったことだろう。
 そのせいか、間もなくやって来た廃刊号の表紙の写真では、ヌードモデルの悩ましい肢体の手前に、わたしの丸坊主の頭のてっぺんが写っていて、そこに口紅で赤く「Bye-bye!」と書いた。ささやかな惜別のつもりだったが、エロ本編集長としてはあまりにも無責任だったかもしれない。
 自分の女装には懲りごりしたが、その後、誘われて女装専門誌『クロス・ドレッシング』(光彩書房)の創刊に携わり、キャンディ・ミルキイさんをはじめとする、業界の面々と知り合った。創刊号のグラビアでは、女装会館「エリザベス」の美人たちの一人として、三橋順子さんが登場していたが、現在のように、女装家として活発に評論、研究活動を展開する以前のことで、わたしのインタビューに対しても、非常に寡黙だったのを覚えている。なお、この創刊号は、記録的な返品を招き、三号雑誌まで届かず、二号で早々と廃刊した。



 女ジェンダーを装いながら、女の領域に、じりじりと接近する女装が、おそらくセクシュアリティの型としては、わたしにもっとも近いことを自覚しながらも、わたしが再び女装する気になれなかったのは、よほど自分の散文的な「オバサン顔」が身に沁みていたのだろうが、ここで本格的な女装を体験していれば、「仮面」と「ほんとうの顔」をめぐる、花田的な弁証法を、身をもって味わうことになったろう。
 そうなのだ。花田の仮面論は、「ほんとうの顔」を導き出すためのものであった。

「仮説が、科学的発見のための不可欠の前提であるように、仮面が、わたしに、あなたのほんとうの顔を発見させないとはかぎらない。思うに、あなたが、仮面を一刻も手ばなそうとしないのは、あなたもまた、わたしと同様、あなたのほんとうの顔を知らず、仮面を駆使することによって、あなた自身の顔のいかなるものであるかを、ひたすら探求しているためではあるまいか」(同上)

 わたしが、自分の「ほんとうの顔」を探求するべく、頭を剃ったり、眉を落したりしているかといえば、はなはだ疑問であり、正直なところ、身にまといついている余分なもの、余計なものを、すっぱり削ぎ落としたい衝動の方が、強いかもしれない。
 今年の夏、頭を剃る代わりに、腋の下を剃ってみたら、非常に風通しがよいことに気づいた。引き続き、サウナの洗い場で、鏡に向かって腕を上げ、腋毛を剃っていたら、隣のオヤジにギョッとした顔で見られたが、陰毛を剃るよりはましだろう。陰毛もまた、特に必要とするものではないが、お風呂代わりにサウナに通っている以上、特殊なマニアに思われる可能性がある。やめておいた方が、無難だ。
 わたしが、自分の顔に、すっかり飽きあきしていることは間違いないが、これが仮の顔であり、「ほんとうの顔」が別にある、というようなロマンチックな思いに駆られたことは、残念ながら一度もない。剃髪、剃毛は、あまりにも日常的な自分の顔にウンザリし、ちょっぴり異様なもの、非日常的なものを導入し、マーキングする行為といった方が、近いかもしれない。だいたい、「ほんとうの顔」なんて存在するのだろうか?



 花田は『復興期の精神』の巻頭に置かれた「女の論理―ダンテ―」を、次のように書き始めている。

「三十歳になるまで女のほんとうの顔を描きだすことはできない、といったのは、たしかバルザックであり、この言葉はしばしば人びとによって引用され、長い間、うごかしがたい真実を語っているように思われてきたのだが、はたしてこれは今後なお生きつづける値うちのある言葉であろうか。人間の半分以上をしめている女のほんとうの顔がかけないで、男のほんとうの顔がかける筈はない。バルザックはこの言葉によって三十歳になるまで小説をかくなと忠告しているのであろうか。それとも男の正体は簡単につかまえることができるが、女の内奥の秘密をあばくためには多くの経験が必要であり、若さのうむさまざまな慾望が、作家の対象をみる眼をくもらすという点を強調しているのであろうか。おそらく多くの人びとは、そういう意味にこの言葉をとり、至極もっともだと同感するのであろう。まことにおめでたい。」
(1941年発表。『復興期の精神』1946年我観社刊所収)

 なぜなら「男のほんとうの顔」が書けるぐらいなら「女のほんとうの顔」だって書けるはずだ、と花田は続けるのだが、バルザックの言葉には、小説家のほとんどが男であった時代背景が反映しているにちがいない。男の作家にとって、自分と同性の「男のほんとうの顔」は書けるような気がするが、他者である女の顔が、そう簡単に書けないのは自明のことだ。ジェンダーなんて概念のなかった当時のことだが、花田は、しかし、ここで男女の性差や、「ほんとうの顔」という、問題設定自体に疑問を投げかける。

「なぜかれは、女のほんとうの顔、といい、男のほんとうの顔―或いはまた、人間のほんとうの顔といわなかったのであろうか。そこにバルザックの決定的な古さがあるように思われる。男が男であり、女が女であるというような形式論理的な考え方は、今日においては、もはや捨て去られるべきではあるまいか。いや、古いといえば女のほんとうの顔、男のほんとうの顔、総じて人間のほんとうの顔を描き出そうと努めることそれ自体が、すでに古いのではなかろうか。」(同上)



 かつて若者の間で「自分探し」とか「アイデンティティ」といった言葉が流行り、今でも息長く使われているようだが、この「自分探し」こそ、ここで言われている「ほんとうの顔」への希求に他ならない。しかし、60年以上も前の、戦時中の1941年に、花田はすでに「ほんとうの顔」を探求すること自体「古い」と断言しているのである。いや、「ほんとうの顔」というモティーフ自体が古いのではなく、アプローチの方法に問題があると言っているようだ。

「とはいえ、それはいささか性急な結論であるかにみえる。人間のほんとうの顔に対する探求が古くなったわけではなく、それはそれとして相変わらず興味があるが、ただその描きだし方に問題があるのであり、現在ではバルザック風の具体的な定着の仕方が、それとは反対の抽象的な定着の仕方に、次第に席を譲りつつあるにとどまるとみるほうが、いっそう穏当なのではあるまいか。一言にしていえば、それは人間中心の思考方法が徐々に克服されつつある過程の必然的な表現であり、人間に対する愛情や嫌悪が、些細な問題として後景に押しやられ、人間以上の観念に対する熱烈な関心が、漸次人びとの間に高まりつつある証拠であるらしく思われる。ベアトリーチェに対するダンテの関心は、フィレンツェの女としてではなく、むしろ神学の化身としてであった。はたしてかれは、女のほんとうの顔を描きだすことができなかったであろうか。」(同上)

 ここから花田は、「女のほんとうの顔」を知るために、「女の心理や女の生理から出発」するのではなく、「女の論理」を明らかにすべく探求を始めるのだが、修辞(レトリック)と論理(ロジック)をめぐって、「女の顔」と「イエスの顔」を結びつける、花田の痛快な離れ業は、華麗なレトリックを謳われた花田にとって、レトリックがいかなるものであるか、自ら語り、かつ実践して見せたものといえよう。
 それは一方で、かなりハッタリくさくもあるのだが、言葉のサーカスを目の当たりにするような醍醐味が、そこにはある。それでは、花田は、バルザックに対抗し、「女の論理」を探求することで「女のほんとうの顔」を描くことができたのか? このエッセイの末尾は、「いささか顧みて内心忸怩たるものがある。すなわち、冒頭に掲げたバルザックの言葉を若干訂正し、以って結語としよう。三十歳をすぎても女のほんとうの顔を描きだすことはできない。」という、まことにトボケタものであった。
 また「人間中心の思考方法」の克服も、花田の終生のスローガンのひとつだったが、人間は失恋や片恋ばかりで、蘚だけが恋愛を成就する、奇妙な物語を描いた尾崎翠が「相当、ながいあいだわたしのミューズでした」(「ブラームスはお好き」1960年)というのも、充分にうなずけるところだろう。
 花田は、22歳の時に、「7」という数字に取り憑かれたドイツ青年を描いた「七」という初めての小説で、週刊誌の懸賞金を獲得したが、同じ1931年、尾崎翠は「第七官界彷徨」を発表し、こちらも、日常的な感覚を越えた「7」という世界への希求を描いている。どちらも「人間以上の観念に対する熱烈な関心」を持った主人公たちだ。論理的な花田と、感覚的な翠という、一見対照的な二人だが、どこか双生児のように似ていることも確かなのだ。
 そういえば「第七官界彷徨」の小野町子もまた、従兄弟の三五郎によって、長くて赤い髪をばっさり切られたが、町子の場合は、すでに赤い髪自体が、一般の規格から外れていた。わたしの場合は、頭を剃って丸坊主にしたうえ、両方の眉まで剃って、ようやく規格の外に出ることができるぐらいだろう。しかし、眉まで落すと、いくらか残っている社会生活をいとなむ上で、いささか支障が出るらしく、なかなか思い切れないのが実情であり、無念でもある。



 しかし、わたしは、花田の言う「仮面」を、あまりにも字義通りに受け止め、顔貌を変容させることにばかり気が向きすぎているようだが、花田の「仮面」が、頭を剃ったり、ひいては顔面の整形手術を受けるような形而下のものではなく、形而上の精神的なものであることは言うまでもない。「自分のほんとうの顔」を探り出すための、花田の処方箋は、例えば次のようなものだった。

「しかし、はたしてわたしたちのほんとうの顔は、みずからの内部をのぞきこむことによってあきらかになるであろうか。むしろ、それは、わたしたちが、おのれ以外のものに変貌しようと努め、おのれ以外のものでありながら、しかもおのれ自身でありつづけることによって―つまるところ、確固とした表情をもつ仮面をかぶることによって、かえって、はっきりするのではなかろうか。思いきって大袈裟な表情をした仮面なら、なんでもいい。わたしは、あなたが、たとえ滑稽にみえようと、曖昧な表情をした能面などではない、固定した顔つきの仮面をかぶりつづけられることに、まったく賛成である。」(「仮面の表情」)

 どうせ仮面をつけるなら、自分とはもっとも遠い、やたら大袈裟な仮面を! 日本的な能面よりは、ギリシアの喜劇用の仮面を! それによって、ほんとうの自分の顔が浮かび上がってくる! 
 これは、戦時下の日本にあって、西欧のルネッサンスを相手に、丁々発止の格闘を行なった『復興期の精神』という著作のネライを解説しているようにも聞えるが、当時、皇国少年だった吉本隆明のような、ある意味ナイーブな批判者たちに、その企図が読み取られることはなかった。
 しかし、乾坤一擲、思いきって「おのれ以外のものに変貌」しようとすることが、同時に「おのれ自身」でもあり続ける、花田式のパラドックスは、わたしたちに多くの示唆を与えているように思われる。現代の「自分探し」をする青年たちへの、わたしの不満は、自分により近い、似たような仮面を、とっ替えひっ替えしているように見えることだ。身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ、という昔ながらの言葉もあるではないか。(ちょっと、ニュアンスが違うかな?)
 などと、ジジイ風に、若い世代への不平を鳴らすわたしの仮面が、せいぜい丸坊主に頭を剃ることぐらいなのだから、情けないこと、おびただしい。も少し、派手な仮面はないものか、などと考えながら、サウナの洗い場で、全頭を剃り上げ、次に何気なく眉の端あたりに剃刀を当てていたら、手が滑って右の眉毛の、三分の一ぐらいを剃り落としてしまった。あら、どうしよう…。


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