2019/06

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 暮れの29日に、プロレス団体「ビッグマウス・ラウド」の後楽園ホール大会を観戦したが、出場した選手たち、名前を挙げれば、懐かしいオールドネームの藤原嘉明や木戸修から、新進気鋭の柴田勝頼(スゴイ名前だ)や村上和成に至るまで、あらゆる選手への声援や拍手よりも、セミ・ファイナルの前に登場し、リング上で怪気炎を上げた「スーパーアドバイザー」前田日明へのマエダ・コールや歓声が、あまりに物凄いのを目の当たりにすると、改めて前田という存在が盛大にふりまいている幻想の大きさに、しみじみと感じ入らざるを得なかった。



 かくいうわたし自身、「ビッグマウス・ラウド」が、前田が関係する団体であり、もしかしたら、久々にナマ前田を目撃することができるかも知れないという、ただその一点で、アオキ君に誘われるまま、後楽園まで足を運んだのである。年下の友人であるアオキ君は、わたしの長年のプロレス・格闘技観戦の、辛らつなコーチであり、ものぐさなわたしに代わって、気が向いたときにチケットを手配してくれる、親切な人であり、時には実に、いや実に、しぶとい論敵でもあるという、なかなか一筋縄ではいかない付き合いをしてきた。
 彼の独身時代には、飲み屋で、さんざんプロレス問題を議論し、電車がなくなるからと店を出た後、路上で立ったまま、それから二時間も、三時間も、延々と議論を続けたこともあったが、何をそんなに話すことがあったのか、今から考えると、不思議な気もする。あれは、前田日明が長州力の顔面を蹴って、骨折させ、新日本プロレスを首になった頃だったろうか。
 アオキ君も、その後、結婚し、子供もできて、以前、身の回りに漂わせていた不穏な空気も、いくらか影を潜めたような気配だが、人はそう簡単に変わるものではないだろう。わたしは、このプロレス・格闘技の先達に、素人流の疑問や意見をぶつけるなかで、まことに我流ではあるが、自分なりの格闘技観といったものを形作ってきたように思う。



 オールラウンドに、プロレス・格闘技を観戦するらしいアオキ君は、わたしの関心に合わせて誘ってくれるのだが、今回のわたしの眼目が、前田日明であったことは言うまでもない。大晦日の国民的行事(?)となった「K−1」や「プライド」に見られるように、総合格闘技全盛の現在、プロレスはいささか時代遅れの感があって、実際、わたしにとっても、いつ以来であるか記憶にないような、久しぶりのプロレス観戦である。そして、わたしが会場で見た試合の光景は「いつか、どこかで、見た」という既視感が、絶えずつきまとって離れない、いかにもプロレス的な、予定調和の世界をうかがわせるものだった。
 もっとも、個人的な好みとして、「いぶし銀」と呼ばれた、職人技のふるい手である木戸修が、トレードマークの、よく整髪された髪と、日焼けした無表情で登場したときには、旧知の懐かしい人と再会したような喜びがあった。どんなに激しいファイトをしても、髪に一糸の乱れもないと評された、伝説の髪型は、さすがに薄くなっていたが、文字通り、いぶし銀のように渋い無表情は、年齢とともに磨きがかかって、映画に出演しても堂々スターたちと渡り合えるのではないだろうか。
 また、プロレスラーも、空前の格闘技ブームを意識せざるを得ず、ファイト・スタイルも、えらく激しいものとなっていたが、わたしは今回初めて見た、「みちのくプロレス」の流れを汲む「KAIENTAI DOJO」(海援隊道場、の意らしい)のKAZMA(かずま)という若々しい選手の一挙手一投足に、思わず胸を熱くしてしまった。シオヤマの言い草ではないが、わたしもまた初老であり、ほとんど幼い子供に見えるような選手が、体を張って相手の強烈な技を受け、さらに肉弾となって突貫していくのを見ると、思わず涙腺がゆるんでしまうのである。
 格闘技の場合は、できるだけ相手の技を受けず、いかに相手を出し抜いて、致命的なダメージを与えるかがポイントとなるが、プロレスラーは相手の技を受けるのが美学であり、受けて受けて受けまくったうえで、それを上回る攻撃に転じようとする。しかし、攻める技のエスカレートに伴なって、まるで鍛えられた肉体の耐久戦、あるいは消耗戦、アオキ君の言葉を借りて言えば「我慢くらべ」のような様相を、最近のプロレスは呈しているのだった。「KAZMA君、くれぐれも怪我をしないようにね」という、切ない母心のような気持ちで、わたしは、時に涙を浮かべながら、この若手選手を見守っていた。



 余談になるが、異種格闘技戦で、他ジャンルの格闘家とプロレスラーが対決し、往々にしてプロレスラーがコロッと負けたりするのは、けっしてプロレスラーが弱いのではなく、相手を出し抜こうとする格闘家と、相手の技を本能的に受けてしまうプロレスラーの、スタイルの差によるところが大きい。もっとも、新日本プロレスの永田裕志選手のように、トップレスラーであるにも関わらず、K−1やプライドの選手を相手に、まるで怪我をしないうちに負けてしまおうとしているとしか思えない戦いぶりを見せられると、すでにわたしの関心が格闘技の方に移っているとはいえ、古くからのプロレス・ファンとしては、なんとも歯噛みしたくなるのである。わたしは、かつて新人時代に、溌溂とした表情で、快活にファイトする永田の、誰よりもファンであった。
 しかし、プロレスは奥が深い。この日のセミ・ファイナルに登場した村上和成は、狂犬のような目つきで登場し、切れたキャラクターを演じているが、わたしには、アントニオ猪木をはじめとする、旧来の「顔でするプロレス」の縮小再生産という気がして、いささかゲンナリしてしまうのだが、それをアオキ君に言うと、彼は「ファンには、とっても好い人だっていうのが、もうバレちゃってるからね」と答えた。プロレス雑誌のインタビューなどを読むと、村上選手が、実は大変気持ちのいい人で、選手間の人望も厚く、またプロレス以外の人脈も広いのだとか。それで、「ビッグマウス・ラウド」の社長も務めているという。
 わたしは、アオキ君の答えを聞いて、今更ながらプロレス・ファンの懐の深さを思い知らされた。格闘技ファンのように、勝ったか負けたか、技術的にどちらが優れているかといった観点だけでなく、またわたしのように、プロレス特有のギミック(演出)に抵抗を覚えるのでもなく、リング上のファイト・スタイルと、リングを降りた私生活や個人的な人格などの両方を視野に入れながら、その間の謎や矛盾を解きほぐし、勝ち負けにこだわらず、余裕を持って愉しむ態度に、わたしは大いに見習わなければならないだろう。



 久しぶりに観戦したプロレスは、いくつかの点で刺激的だったが、それをあっさり圧倒してしまったのが、前田日明の登場であった。わたしがナマで前田を目撃するのは、1999年の、人類最強を謳われたアレキサンダー・カレリンとの引退試合以来だが、さすがの前田も、年を喰って、目尻も下がり、肉付きもよくなって、余裕あるオッサン風の表情や体型となっていた。しかし、沸き起こるマエダ・コールの中で、上機嫌の彼は、新年に対抗戦を行なう、メジャーの新日本プロレスを「弱虫ども」とコキ下ろし、盛んに挑発して、やんやの喝采を浴びた。お得意の「言葉の総合格闘技」は健在である。
 引退して、すでに6〜7年になる前田だが、わたしたちは、いかなる幻想を、彼のうえに仮託してきたのだろう。これには相当の世代差があると思われるが、わたしたちは、猪木プロレスの時代から、前田がその外部に大きな一歩を踏み出し、一大ブームとなった「UWF」や、さらにそれを進化させた「リングス」を経て、総合格闘技が華々しい脚光を浴びるに至るまでの道筋を、前田に導かれながら歩んできた。
 前田が指し示す方向に、わたしたちは、いつも希望を見てきたのだが、最近は「UWFも、実はガチンコ(真剣勝負)でなかった」といった見方が台頭している。しかし、時代の移行期を、不器用ながら手探りで模索し、自らの手で切り拓いてきた前田を、その結果であるところの、現在の観点から裁断するというのは、まったくフェアでない。前田は、未知の領域に向かって、一選手として、自らの肉体で戦いながら、その一方で、戦う選手が、そのことによって喰っていける環境を、いかに作るか、時代を転換させるプロデューサーとして、悪戦苦闘してきたのだ。



 前田の試みは、UWFの衝撃的な解散や、リングスの消滅など、ことごとく失敗したように見えるが、大晦日決戦のプライドの表看板は、前田の弟分の高田伸彦であり、チャンピオンは、リングスが発掘したエメリヤエンコ・フョードル。もう一方のK−1にしても、90年代の初めにリングスと提携し、興行のノウハウを吸収しているので、どちらも源を辿ると、すべて前田日明に行き着く。そして、世界的なリングス・ネットワークを越える構想と、組織化は、どこの団体も、まだ実現していない。
 その前田が、現在、一プロレス団体の「スーパーアドバイザー」に、まるで魔除けの護符でもあるかのように納まっているのは、歴史の皮肉としか言いようがないが、あるいは前田自身に発する「アントニオ猪木なら、何をやってもいいのか!」あたりから始まる「歯に衣を着せない」どころか、タブーを蹂躙するようなストレートな発言や、「リングス」を批判した格闘技雑誌の編集長を、女子トイレに連れ込み、「説教する」といった掟破りの行動など、みずから招いた結果であるかもしれない。
 しかし、わたしたちは、そうした前田の稚気あふれる、破天荒な言動を、心から愛してきたのである。UWFを解散し、同志とも家族とも思ってきた、仲間たちの全員からそっぽを向かれ、たった一人になってしまったときには、公開の女性タレントとの対談の席上で泥酔し、手ばなしで号泣してしまった。このエピソードを、わたしは涙無しには思い出せないが、なぜか孤立の道を選んでしまう前田なのである。
 彼は一方で、強力無比の独学者であり、シュタイナーや道元や武士道などを引用して、対談者を煙に巻いてきたが、第二次UWFを旗揚げして間もなく、わたしは、武道館で、試合前に、前田が「選ばれてあることの恍惚と不安と、ふたつ我にあり」という、太宰治か、あるいは元ネタのヴェルレーヌかのフレーズを、高らかに宣言した時には、衝撃を受けた。そこには、気恥ずかしいような「青春」の匂いがあったが、まさにプロレスから旅立とうとする、格闘的青春が、あそこにはあったのだろう。



 先日、お昼の「ワイドスクランブル」を、何気なく見ていたら、いきなり山本晋也のインタビューに、前田日明が登場したのには、のけぞった。在日について取上げているシリーズの一環のようだったが、前田は大らかに、自分の型破りな家族のこと(前田が15才になったときに、「昔なら元服といって、一人前になったんだから」と、前田一人を残して家を出て行ってしまった親父!)や、前田自身が帰化した経緯などを話していた。在日の爺ちゃんや婆ちゃんたちが、人並み外れた傑物を見ると「あれは在日ではないか」と言い、時には「カール・ルイスも在日だなどと、無茶苦茶なことを言い出す」と笑っていたのには、大いに腹を抱えた。前田は、とびきりユーモラスな語り手でもある。
 わたしは、前田日明を、ずっと望見してきたが、彼こそ、現代の英雄・豪傑のタイプではないだろうか。現代の豪傑は、肉体的な超人ぶりや、精神的なタフネスだけでなく、強靭な言葉を駆使する知性も携えているのである。しかし、彼の周囲の離合集散を見ると、彼自身に、人間関係に対する、何か決定的な欠点があるような気がしないでもないが、英雄・豪傑と付き合う人間たちも大変に違いない。
 わたしたち前田ファンは、遠くから前田を見つめながら、彼の発言に大笑いしたり、喝采したり、そして時に多くの励ましを受けてきた。多少困難なことがあっても、前田が立ち向かっている巨大な困難にくらべたら、何ほどのことがあろうか!
 今回の、ビッグマウス・ラウド後楽園大会には、藤原や木戸も顔をそろえ、さらに驚いたことに、ヒクソン・グレイシーに敗れて、さっさと引退してしまった船木誠勝もまた、この団体のリングで復帰し、プロレスをやるのだという。かつてのUWFのファイターたちが、再び前田を核に集結し始めているようにも見えるが、しかし、はたして、それは前田にとって前進なのだろうか。未曾有のリングス・ネットワークを築いた前田からすれば、ビッグマウス・ラウドは、予定調和的な世界への後退のようにしか見えないのだが、前田には、きっと、彼独特の、わたしには計り知れない、深謀遠慮があるのだろう。
 そうだ、アオキ君に訊いてみよう! 彼なら、必ず、考えるヒントやディープな情報を与えてくれるに違いない。兼好法師ではないが、持つべきものは、その道の先達である。


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