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「この結果に興奮した彼は、行きつけの八百屋に行き、野菜のなかで一番ぼんやりとして無感覚そうに見えるニンジンとカブを一袋買ってきた。ところがニンジンもカブも、非常に敏感であることがわかった。」

 これだけ読むと、何のことだか分らない、だけでなく、新種の野菜ポルノでも始まるような気配だが、『植物の神秘生活』(ピーター・トムプキンズ+クリストファー・バード著。新井昭廣訳。1987年工作社刊)という、奇態な本の一節である。3800円もする、分厚い本を、窮乏せるわたしが、なぜアマゾンで購入し、到着するやいなや、飛びつくようにページをめくったかと言えば、発端はソーシャル・ネットワーキングサイト「mixi」にあった。
 昨年、10月15日の当ブログでも書いたように、わたしは「mixi」で「清輝・断簡零墨、片言隻句」という、いささか大時代的な名称の「コミュニティ」を作り、当初は一日も欠かさず、正月以降の最近は、飛び飛びになりながらも、花田清輝のフレーズを、思いつくままに拾い出してきて、せっせと書き込んでいるのだが、11月中旬に、以下のような引用と記事を書いた。

05年11月13日
「どうしてかれらは、生物にだけ意識の存在をみとめ、無生物にはみとめないのであろうか。J・C・ボースの実験によれば、鉱物もまた動物や植物と同様、クロロフォルムに酔い、カフェインに興奮し、毒物をあたえると断末魔の苦しみを示すというではないか。しからば必ずしも大理石――鉱物学的に厳密を期するなら、それぞれの方向を異にする物理的性質をもつ、無数の方解石の集合体にほかならない大理石に、意識がないとは断言できないではないか。」〜「ドンファン論」1949年『人間』。『アヴァンギャルド芸術』1954年未来社刊所収。

 ここで花田がいう「意識がないとは断言できない」大理石とは、モリエール作の『ドンファン』で、ドンファンを夕食に招待し、死に至らしめた「大理石の立像」を指します。花田にとって、モリエールの、大理石男とドンファンの関係の描き方は、大いに不満足でしたが、少なくともモリエールは、石に意識のあることを疑ってはいません。おそらく、石像に、セリフを喋らせているのでしょうから。しかし、世の中には、石に意識なんかあるわけがないという「モリエール以上に常識的な人々」が、どっさりいるので、それに対して花田は、引用箇所のような批判と説得(?)を試みています。
 しかし、J・C・ボースって、いったい、誰なのでしょう。誰も知らないような科学者の実験を持ち出してきて「毒物を与えられた鉱物が断末魔の苦しみを示した」といっても、説得される人があるでしょうか。こうした人を食ったスタイルが、わたしたちファンにはたまらなく可笑しく、多くの人には、どうも信用できない印象を与えるのだと思われます。
 動物・植物・鉱物、という、世界の構成は、花田の好みのようで、安吾論のタイトルにもなっていますが、鉱物が一番エライ! というのが花田式です。




 ここで、わたしが「誰も知らないような科学者」と書いた、J・C・ボースを知っている人が、現実にいたのだ。それも、清輝毎日引用のコミュへの参加者がなく、存続に危機感をいだいたわたしが、最初に「mixi」に招待した、Yummyさんなのである。E・L・カニグズバーグの日本語訳に疑問を唱え、徒手空拳で、権威主義の老舗、岩波書店を動かし、改訳を見事、実現させた人だ。旧知の方ではあるが、これまで、そんな話は、お互いにしたことがなかった。そのYummyさんから、「それはインドの科学者、J・C・ボース卿(Sir. Jagadish Chandra Bose)のことで、かつて工作社から出た『植物の神秘生活』で、言及されている」というお知らせを受けたのだ。自分の無知を棚に上げて、「誰も知らない」とは、また恥の上塗りであり、わたしが慌てて、アマゾンに注文したことは言うまでもない。
 全21章にわたって、植物の宇宙的な生命現象に関する、広範なニューサイエンス的研究を渉猟したこの本で、ジャガディス・チャンドラ・ボースは、丸ごと一章捧げられている大物科学者だった。1848年(1858年のような記述もある)ベンガルに生まれたボースは、インドの大学を卒業した後、イギリスに渡り、クライスト・カレッジやケンブリッジ大学で学び、ロンドン大学で物理学の学士号を取得。当時、インド随一の大学、カルカッタのプレジデンシイ・カレッジの教授になる。
 当初は電波の研究をし、無線の発明者とされるマルコーニより先に、実験に成功していた。ボースの業績は、イギリスでは高く評価されたが、故国インドでは妨害されることが多く、そんな彼を慰めたのは、後にノーベル文学賞を受けた詩人、ラビンドラナート・タゴールだけだったという。そして、1899年、ボースは電波受信用に使っていた金属が「連続的に使うと感度が鈍り、しばらく休ませておくと正常に戻るという奇妙な事実」に気づいた。さあ、ここからが、いよいよ花田のエッセイにつながっていく、ボースの鉱物研究の始まりだ。



 ボースは考えた。金属も、疲れた動物や人間と同じように、疲労から回復する。ということは、「生命のない」金属と「生命のある」有機体との境界線は、実際は、それほどハッキリしたものではなく、それは連続しているのではないか。磁気を帯びた酸化鉄と、動物の筋肉を比較実験すると、両方とも激しい活動によって反応力と回復力が減少し、「その結果生じた疲労は、やさしくマッサージしてやったり、温泉の入った浴槽に入れてやると、取り除くことができたのである」。マッサージや温泉で、疲れを癒す酸化鉄!
 今では、金属疲労といった用語も日常化し、バッテリーが「ヘタル」(疲労困憊する)ので、使用法や充電に配慮するといったこともあるが、それとボースの研究が、関係あるのかどうか、門外漢のわたしには、さっぱり不明だ。しかし、酸でエッチングした金属の表面を磨いて、エッチングの痕跡をきれいに除去しても、酸で処理された部分が特別な反応を示すのは、「酸で侵された部分には、ある種の記憶が残っているせいだ」と考えたところに、ボースの、飛びぬけた独自性がある。記憶するのは、人間だけではない、金属もまた記憶する、というわけだ。
 酸化鉄に限らず、他の金属も動物に似た反応を示し、ボースは1900年のパリ博覧会で開催された国際物理学大会で「無機物と生物に関して電気により産み出される分子現象の共通性について」という発表を行い、一大センセーションを巻き起こした。物理学者は熱狂し、生理学者は冷淡に無視しようとしたという。
 そこで、ボースは生理学者を説得するために、彼らの前で実験を行い、「筋肉と金属の両方が、疲労や刺激剤、活力低下剤、毒薬の影響に対して類似の反応曲線を示す」ことを証明してみせた。それでも、生理学者たちは納得しなかったが、花田が「ドンファン論」で引用している、「毒物で断末魔の苦悶を示す鉱物」とは、おそらくボースの、このあたりの実験なのだろう。



 ボースはこの後、金属と動物の間に、これだけの連続性が見られる以上、植物でも同じような結果が得られるはずだと、植物の研究にのめり込んでいく。冒頭の、八百屋のニンジンとカブのエピソードも、実は、この頃のもので、最初は実験室の隣の庭の、マロニエの葉で実験してみると、葉っぱも金属も、動物の筋肉も、「ほとんど同じ仕方で、さまざまの『打撃』(ブロー)に反応することがわかった」。そこで、興奮したボースは、行きつけの八百屋に走ったわけだが、どうしてニンジンとカブが、「野菜のなかで一番ぼんやりして無感覚そうに」見えたか、そこが日本人のわたしには不思議でならない。どちらも心やさしく、繊細そうではないか。むしろ大根なんかの方が鈍そうに思えるが、いずれも根菜類であるところに、人間の勝手なイメージづけがありそうだ。
 ボースの、植物の生体実験は続き、麻酔薬のクロロフォルムを嗅がせてみると、植物も動物と同じように麻酔にかかって昏睡し、新鮮な空気を送ってやると蘇生する。ボースは、大きな松の木にクロロフォルムを使い(注射したのか?)、麻酔状態のまま「根こぎにして移植」したところ、通常見られる致命的なショック状態に陥らず、松の木は枯れることなく移植に成功した。人間の手術の際の全身麻酔と同じで、昏睡していた松の木は、移植された後に、無事に意識を取り戻したに違いない。
 おそらくボースの論文を、原文か翻訳か知らないが、読了していた花田の書いている通り、カフェインも実際に試してみて、キャベツやトマトが興奮し、寝付けなかったりしたことも、きっとあったのだろう。こうしたボースの実験を見ていると、わたしたち尾崎翠の読者は、いやでも小野二助の研究論文「肥料の熱度による植物の恋情の変化」(肥やしの温度が、植物の発情に与える影響の実験)(「第七官界彷徨」)や、松木博士の「樹につながれた豚の鼻先が、白いパンに向かって伸びる実験」(「地下室アントンの一夜」)などを思い出さないわけにはいかない。
 ボースの実験が、生命の連続性をいうわりに、「打撃」(ブロー)を加えたり、クロロフォルムを嗅がせたり、西洋医学的であるのに対し、尾崎翠の登場人物たちの試みる実験は、被験植物や被験動物と、実験者の間に、亜細亜的な心やさしい共棲感覚が働いているように見える。しかし、ボースの実験を媒介に、花田と尾崎翠をつなぐ前に、花田テーゼのなかで大きな位置を占める鉱物に関して(砂漠論なども、その白眉である)、その位置づけを押さえておきたい。

05年11月15日
「ルネッサンス以来、ヨーロッパでは、生命のあるものを極度に尊重する傾向があり、鉱物よりも植物が、植物よりも動物が――殊に動物のなかでは人間が、一段とすぐれたもののようにみなされてきたようだが、むろんこれは人間的な、あまりにも人間的な物の見方であり、近代の超克は、われわれが、こういう人間中心主義を清算し、無生物にはげしい関心をもち、むしろ、鉱物中心主義に転向しないかぎり、とうてい、実現の見込みはなかろう。ヒュームは二十世紀芸術の特徴を、生命的・有機的なものから、幾何学的・無機的なものへの移行に求めたが、要するに、これは、新しい芸術家の視線が、動物や植物よりも、主として鉱物にむかってそそがれているということだ。鉱物の結晶のするどい幾何学的な直線に、動物や植物の曖昧な曲線よりも、はるかに魅力のあることは否定しがたい。わたしはドン・ファンを、このような鉱物の魅力に憑かれていた、われわれの先駆者の一人だったと考える。」〜「ドンファン論」1949年『人間』。『アヴァンギャルド芸術』1954年未来社刊所収。



 さて、Yummyさんのご教示を受け、慌てて注文した『植物の神秘生活』だったが、実は大枚3800円を支払って(ぼくも、クドイね。実は、20年ほど前の本なので、定価としては安い! 今なら平気で5〜6千円するだろう)購入したのは、インターネットで目次を検索したところ、ボース同様に、もうひとつ気になる名前を見つけたからだった。それが、「ヤコブ・ベーメ」で、以下は、やはり「清輝・断簡零墨、片言隻句」に引用したものだ。(今回の文脈上、一部加筆し、一部カット)

05年11月19日
「学校の書庫の入り口には、ここは幾多の学者の魂のさまよっているところだから脱帽をしてはいられたい、という意味の奇妙な札がかかっていたが、やれやれ、やっと解放されたともおもわないで、死後もなお、書物に執念をのこしているのがアカデミシャンというものであろうか。わたしはそういう魂にあまり敬意を感じなかったので一度も脱帽したことはなかった。しかし、その書庫から、ヤーコブ・ベーメだとかマイスター・エックハルトだとか、ドウンス・スコトウスだとか、一見、なにが書いてあるのだかさっぱりわからないような本を借り出してさかんに読みふけった。
 むろん、わたしは神秘主義に心をひかれていたわけではない。プラーグの大学生のように、ひとりぼっちで、貧乏で、自分の影さえ手ばなさねばならないような窮境にあったわたしは、それらの書物をデータにつかって、一篇の読物をでっちあげ、前途を打開したいと考えたのだ。すべてはわたしの計画通りにはこんだ。作品は週刊誌に発表され、ほぼ一年間のわたしの生活を保証したが、しかし、わたしは、もう二度と、そんなくだらない物語を書こうとはおもわなかった。まさしくプラーグの大学生と同様、わたしもまた、自分の影を悪魔に売りわたしたような気がしたのだ。」〜「読書的自叙伝」初出未詳。『乱世をいかに生きるか』1957年山内書店刊所収。

 博引傍証の花田の文章に登場する、膨大な人名や書名は、最初から分らないものとして読み過ごしていることが多いのですが、「読書的自叙伝」の「ヤーコブ・ベーメ」は、以前から気になっていました。先ほど、アマゾンから本が届き、長年の疑問が氷解したところです。Yummyさん、改めて、有り難う。

 ここで語られている、神秘主義者の難しい書物をデータにつかって「でっちあげた一篇の読物」というのが、1931年『サンデー毎日』懸賞小説の「大衆文芸」入選作の小説『七』だ。花田は「くだらない物語」というが、「七」という数字にとり憑かれたドイツ人研究者、ペーテル・ペーテルゼンの運命を描いて、かなり高踏的なものである。そして、ペーテルの心のなかで「七」が特別な位置を占めるのは、どうやら「中世のあの難解な哲学者、ヤーコブ・ベーメに対する彼の深い研究と愛の故で」あるらしい。
 これのどこが「大衆文芸」だったのか、大正や昭和初期の時代の雰囲気には、今の常識では分りにくく、魅力的なものを感じるが、それでは『植物の神秘生活』では、「ヤコブ・ベーメ」はどのように語られているか。
 ベーメが登場する章の中心人物は、IBMの研究員で、1970年代に、人間と植物の心の交流を、科学的に実験したマルセル・ヴォーゲルだ。彼は、植物とコミュニケーションし「歓喜と充足に満ちあふれた恋人同士のよう」な関係になれたという。そしてヴォーゲルは、次のように考えた。植物と人間が親しく交わるときには、両者のエネルギー交換、いや混合ないし融合さえ生じる。感受性の異常に鋭い人なら、植物の中へ入り込むことだって、できるのではないか?
 そこで、ヴォーゲルが想起したのが、「若い頃インスピレーションを受け、別の次元でものを見ることができるようになったと述べた」「16世紀ドイツの神秘主義者ヤコブ・ベーメ」だった。

「ベーメは、一本の発育盛りの植物を見つめていて突然、自ら意志してその植物に混ざり、その植物の部分となり、植物の生命が『光に向かってもがいている』のを感じることができたと語っている。彼はその植物の無邪気な望みを共有し、『楽しげに伸びて行く葉と喜びを分かち』合うことができたと言う。」(『植物の神秘生活』)



 そして、実際にヴォーゲルは、デビー・サップという「もの静かで控えめな少女」を実験台に、彼女が植物の内部に入り込むことに成功したというのだが、残念ながら、この『植物の神秘生活』は、植物の世界がテーマなので、ベーメに関しては、若き日の神秘体験が紹介されているだけで、例えば花田のペーテル・ペーテルゼンのように、数字の神秘を信奉していたというような話題は出てこない。試みに、『七』の一部を引用しておこう。

「僕等は人生の中で常に何かを求めている。何かを? その何かは、僕等には謎なんだ。それはたった一つの言葉だ。たった一つの数だ。一つの心理だ。(中略)僕は思う。人生の調和(ハルモニア)も、釣合(シンメトリア)も、かかって七という一つの数字に尽きる、と。だがね。僕はもっと確かめたいんだ。もっとはっきり知りたいんだ。」(「七」1931年。ペンネーム小杉雄二。単行本収録は、1959年『泥棒論語』未来社刊)

 花田清輝、22歳。後年の老獪きわまる文体とは異なる、瑞々しい文章が、ここにはあるが、わたしたち、尾崎翠の愛読者が注目するのは、翠が「第七官界彷徨」を発表したのが、奇しくも同じ1931年で、いずれも「七」という数字がキーワードになっているという暗合であり、この不思議なシンクロニシティーについては、以前、映画『尾崎翠を探して・第七官界彷徨』のパンフレットに書いたとおりだ。(拙文「お散歩、漫想家の領土を」。時に、尾崎翠、34歳)。
 しかし、今回、わたしたちは、花田が京都で、孤独のうちに親しんだヤーコブ・ベーメが、伸びゆく植物の内部に入り込み、葉っぱと無邪気な喜びを共有できたと語っていることを知り、ここでもまた、同時期に東京で書かれた「第七官界彷徨」の、次のような愉快な寝起きの問答を、思い起こさないわけにはいかない。

一助「人間が恋愛する以上は、蘚が恋愛しないはずはないね。人類の恋愛は蘚苔類からの遺伝だといつていいくらゐだ。(中略)その証拠には、みろ、人類が昼寝のさめぎわなどに、ふつと蘚の心に還ることがあるだろう。じめじめした沼地に張りついたやうな、身うごきのならないやうな、妙な心理だ。(後略)」
二助「蘚になった夢なら僕なんかしょつちゅうみるね。珍しくないよ。しかし、僕なんかの夢はべつに分裂心理学の法則に当てはまってゐないやうだ」(中略)
一助「その患者は僕に対してただにだまってゐて、隠蔽性分裂の傾向をそつくり備へてゐるんだ。これは、よほど多分に太古の蘚苔類の性情を遺伝されてゐるにちがひない。(後略)」
二助「平気だよ。種がへりしたんだ。僕は動物や人間の種がヘリの方はよく知らないが、なんでも、いつか、何処かで、尻尾をそなへた人間が生まれたといふじゃないか。医者がその尻尾をしらべてみたら、これはまったく狐の尻尾であつて、これは人間が進化論のコオスを逆にいつたんだといふ。じつにうなづけるじゃないか。人間が狐に種がへる以上は、人間の心理が蘚に種がへるのも平気だよ」(尾崎翠「第七官界彷徨」。1931年『文学党員』&『新興芸術研究2』。1933年『第七官界彷徨』啓松堂刊)



 尾崎翠は「『第七官界彷徨』の構図その他」で、この問答を指し、「遠いみなもとをフロイドに発してゐるものです」と書いているが、それは主に、翠が独自に練り上げた「分裂心理学」にかかわる部分である。蘚苔類への同一化や、「種がへり」については、花田と同じように、神秘派「ヤーコブ・ベーメ」を読んでいなかったとは限らないし、ましてJ・C・ボースは、この問答で援用されている進化論の始祖チャールズ・ダーウィンの息子、フランシス・ダーウィンに、クライスト・カレッジで教わっているうえ(あんまり関係ないか)、1929年にヨーロッパに戻った時には、賛辞と非難の渦巻くなか、ロマン・ロランが出たばかりの『ジャン・クリストフ』を、ボースに謹呈している。その献辞は「新世界の顕示者へ」だった。今でこそ、知られていないが、当時は、植物の世界と人間の世界との間に架橋する、異端の科学者として、一部で著名だった可能性もないではない。
 当時の時代の雰囲気を知りたいと思うが、論理で日本的な状況に風穴を開けた、若き日の花田と、感覚で「第七官界」という未知の世界を探索した翠が、一見、好対照に見えながら、人間中心主義からの脱却という点で、そうとう類縁性の高い、精神的なポジションにあったことは、間違いないと思われる。ついでながら、やたら貧乏で、ひどく孤独、という共通項も、二人にはあった。
 花田の「七」の語り手である、日本人の、若くて、友達のいない、男の哲学教師が、大学の書庫の奥で、埃をかぶっていた、ペーテル・ペーテルゼンの著書に出会って、ボンへの留学を思い立ったように、翠の「こほろぎ嬢」の、人間嫌いで、粉薬の中毒患者である女主人公は、古ぼけた図書館の隅で、まことに「影の薄い詩人」である、アイルランドの「ゐりあむ・しやあぷ氏&ふいおな・まくろおど嬢」に出会い、恋をした。この二人は、精神的に恋仲であると同時に、肉体的には同一人物であるが、花田と翠の軌跡は、時に驚くような近似値を示すことがある。
 ペーテル・ペーテルゼンは、ギリシャのピタゴラス学徒についての研究書を一冊書いただけで、その後、何も書けなくなってしまったが、作家としての尾崎翠もまた、「こほろぎ嬢」を含む連作を書いた後、文学の世界から、ふっと姿を消した。若き日の花田は、「七」の、孤独な哲学教師が、誰も読まないペーテルの本に出会って、すっかり魅惑されたのと、まったく同じ式で、翠の「第七官界彷徨」に出会ったのではないだろうか。
 後に花田は、翠の作品の読後感を回想して、次のように書き、翠再評価の狼煙となったが、今回、J・C・ボースからヤーコブ・ベーメと、花田と翠の境界領域をたどってみると、尾崎翠読者には、よく知られた、このフレーズに込められた、花田式の乾燥した「哀しみ」が、これまでよりは、多少は深く、理解できたような気になってくるようである。

05年11月19日
「これは、ここだけの話ですが、今でもわたしは、ときどき、いっそひとおもいに、植物に変形してしまおうかと考えることがあります。そして、そんなとき、きまってわたしの記憶の底からよみがえってくるのは、尾崎翠の『第七官界彷徨』という小説です。十代のおわりに読んだきりですが、そのなかに描かれていた苔の恋愛のくだりなどはすばらしくきれいでした。したがって、かの女は、相当、ながいあいだ、わたしのミューズでしたが、その後、風のたよりにきいたところによると、気がくるってしまったということです。」「ブラームスはお好き」1960年。新鋭文学叢書2『安部公房集』解説。『恥部の思想』1965年講談社間所収。


(なお、「十代のおわり」というのは、実際には「二十代のはじめ」であり、花田の記憶違いですが、年長の「天才」(花田「旧人発見」)女性作家への憧憬、共感としては、「十代のおわり」が、いかにも相応しいように思われます)。


comment

サボテンではない植物って、何だったのでしょうか。ぼくも青梅に住んでいた頃、映画の小道具で使った、種類の違う、小さなサボテンを、五鉢ぐらい育てていた(飼っていた、でもないし、生育していた、とでも言うのでしょうか?)ことがありましたが、結局、みんな枯らしてしまいました。青梅は、やはり都内より寒かったようです。ピンク映画のほうは、今ならストーカーみたいな「サボテンガール」を主役にしたものでしたが、予算の関係上、みんな手のひらに載るチッポケなサボテンだったので、期待したような迫力はまったくありませんでした。
尾崎翠ファンとしては、みよさんの植物と化石(もと植物、というのが可笑しい)の対話を聞かせて欲しいものです。

  • kuninori55
  • 2006/02/07 1:24 PM

とても興味深く読ませていただきました。こういう話を、翠ファンや研究者であつまって、お聞きしたり話したりしたいいです。たまたまなんですが、わたしは最近小さい観葉植物を買ったばかりです。サボテンが欲しいなあと思って鉢をみていたのですが迷うばかりだったので「うちに来たい人〜?」と問いかけたら、「はーい」と手をあげてくれたかんじのサボテンではない鉢がいて、連れて帰りました。かわいい女の子のようです。押入れをゴソゴソ片付けていたら、中学生の時に先生からもらったフズリナ?という植物の化石が出てきて、彼女の隣に置いてみたら、なんだか妙に気があっている雰囲気で、ながめていたらこちらもなんだか楽しいです。植物と化石(もと植物だけど)のカップル!

  • みよ
  • 2006/02/05 2:06 AM









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