愉快なフェティシズム研究(9)パリの怪人とフェティッシュ・パーティー、そしてユートピア
- 2006.03.01 Wednesday
- 03:49
怪人と称される人々は、どこにでもいるが、パリで出会った「K(カー)フィルム」代表のクラウス氏は、雲を掴むような図体とともに、間断なく喋り続けるエネルギーによって、わたしたちの度肝を抜いた。「わたしたち」の中には、フランス人男性の映画祭関係者や、パリ在住の日本人女性ジャーナリストもいたので、山出しの日本人であるわたしだけが、ビックリしたわけではない。しかし、出会って間もなく、自分の頭から胸、そして股間へと順ぐりに両手で押さえ、「人間は(あるいは、人生は)、脳と、心臓と、股間が、三大要素だ」というようなことを陽気に語るのを見て、わたしは、つい吹き出してしまった。
●Kフィルム主催の第一回「フェティッシュ・フィルム・フェスト」パンフレット。
こうした定義自体は、別に目新しいものではないが、映画のディストリビューター(国際的な流通業者)であるKフィルムの、DVDやビデオの棚を見ると、クラウス氏が自分の信念を、あからさまに商売にしていることが見て取れる。フランツ・ファノンだとかI・R・Aだとかチョムスキーだとか、やけに過激派っぽいタイトルがずらりと並んでいるが、これが「頭」だとすると、「ハート」はチェック・ベーカーなどのジャズや子供向けのコミックが相当するに違いない。そして最後の「股間」が、なんともはや、充実しているのだ。Kフィルムのメイン商品は、実に「股間」なのである。
ピンナップ・ガールとして有名なベティ・ペイジがシリーズで並んでいるかと思うと、SMやボンデージ、フェチ関係のブラックなパッケージが異彩を放ち、タイトルのない怪しいシリーズは、古い時代のアングラ・フィルムで、わが国で言うところのブルーフィルムなのだろう。これが人気があるのだという。
日本でも、かつて70年前後に、W・ライヒの『性と文化の革命』に代表されるような、左翼革命と、ヒッピーのフリーセックスを野合させた風の、理論や実践が、風俗的にも流行ったことがある。クラウス氏は、いまだにその路線を堅持しているかのようだ。
もちろん、Kフィルムの商品棚に顕著にあらわれているように、現代の政治的なテーマは、中東やアフリカ、南米が中心になり、セックスの面でも、かつてのヒッピーの楽天的な乱交から、SMやフェチ、トランス・セクシュアルなどに、大きくシフト・チェンジされているが、構えは変わっていない。
●同パンフレットより。
そのクラウス氏が、99年と00年の2年にわたって、パリで開催したのが「fff=フェティッシュ・フィルム・フェスト」である。わたしは、氏に、このセンセーショナルな映画祭のカタログをもらったが、一回目の99年の表紙など、メタリックな素材をボディに貼り付けた女性が、サイボーグのように立ち、まことにカッコいい。フェチ好きのわたしなど、ワクワクしてしまうが、しかしプログラムを見ると、「フェティッシュ」といっても、靴やレザー、ゴム、髪の毛、ムキ卵(わたしの好み)といった個別のフェチを指すのではないようだ。
性転換を含むトランス・セクシャルを筆頭に、レズビアン&ゲイ、SM,さらにはアングラ・フィルムなど、世の中の「正常な」セックスに背を向けた、あらゆる「変態」の総称として「フェティッシュ」という言葉が使われている。中でもメインは、SMのようで、日本で通用している、フェチの「物神崇拝」といった気配はほとんどない。
わたしは、よく人前で「フェティシズムが好き」なんて言うことがあるが、時と場所を考えなければならないようだ。実際、女性映画祭で知り合った、北欧の女性監督に、ものすごく変な顔をされたことがあるが、「わたしは変態です」と告白しているようなものだったかもしれない。
なぜこの映画祭が2年で終わってしまったか尋ねると、「海外からゲストを呼ぶだけでも、お金がかかるし、映画祭の費用は、自分の会社にとって大きな負担だ」という答が返ってきた。しかし、現在のKフィルムの商品構成を見ると、映画祭で上映した作品や、その延長線上にある作品が主流で、さすが陽気な商売人である。
●第2回「f・f・f」パンフレット。
個人的には、大好きな『キラー・コンドーム』が第一回目の映画祭で上映され、カタログでも大きく写真入りで紹介されていたのが嬉しかった。コンドームが実はエイリアンで、装着した男根を食いちぎってしまうという、ドイツのトンデモ映画なのだが、睾丸の片方を食いちぎられて、逆襲に立ち上がるイタリア系の刑事が、ホモ・セクシュアルなのだ。変種ホラー映画でありながら、むさいオッサン刑事のゲイ映画でもあるという、まあ素晴らしい映画です。
余談ながら、わたしはこの映画の、コンドームの箱型のパンフレットを所有していることが、自慢の種で、中を開けると、コンドームのパッケージに似せて、折りたたまれた本文が出てくる。相当チープな映画だが、『エイリアン』などで著名なH・R・ギーガーが、クリーチャーのデザインをしているのが、売りの一つで、このはなはだ読みにくいパンフにも、ギーガーへのインタビューが載っている。もっとも、そのなかでギーガーは、あまりの予算不足から、自分のプランはまるで生かされなかったとボヤイテいるのだが、そんな台所事情までオープンにしてしまうところが、B級精神のすがすがしさだ。
●『キラーコンドーム』の紹介。「セーフ(?)セックス」という見出しが可笑しい。
●これが日本製のコンドーム型パンフレットだ。建つ三介さんのご希望により追加掲載。箱の表は恐怖に叫ぶ半裸の女の子だが、箱の横のゲイメンにご注目。
●折り畳み式のコンドームのパッケージの表に写真、裏に記事が印刷されている。「世界初!」と銘打ったギーガー・インタビュー(何が世界初なんだか)は、別刷りで入っているが、予算不足を嘆く、世界の巨匠のボヤキが哄笑を誘う。
さて、クラウス氏から「土曜の深夜に、フェティッシュ・パーティーがあるから、来ないか」と誘いがあり、小躍りして出かけていった。一人では不安があるので、パリ在住の剛直なジャーナリスト、田中久美子さんに同行してもらったのだが、まあ、しかし、外観は倉庫のように見える、怪しげな会場に、真夜中に続々集まってきた人々のファッショナブルなこと! レザーやエナメルの黒の衣装で見事に決めたカップルが多く、パリのアンダーグラウンドの社交場といった趣きだ。普段着の革ジャンで出かけていったわたしなどは、貴族に対する平民(奴隷かも…)の気持ちになってしまった。
天井の高い一階では、ダンスと談笑が行われ、そのなかを、裸で自ら拘束したマゾ男や、不気味なレザーで全身を覆った本格派などが、もそもそ徘徊する。地下では、チェーンでつながれたマゾ男が、お尻を鞭で叩かれたり、女王様の靴を舐めたりといったプレイが行われていたが、日本のSMパーティーのような、気合を込めた緊迫感はない。シャンパンを飲みながら、みんなが談笑する中で、日常的に、淡々とプレイが続行される。
クラウス氏によれば、「愛すべきインテリ」の多いパーティーで、参加者に対する強制がないことが特徴だとか。たまたま会場で話すことになった、オランダから来たという縛り師、彼は日本の緊縛にも強く影響され、この後、日本にも行く予定だと語っていたが、この余裕をかました空気は物足りないと、いささか不満げだった。彼の国のパーティーでは、カップルの一方を引きずり出して、激しいプレイを行い、それが喜ばれているという。
同じパリでも、もっとアングラのハードコアなパーティーもあるに違いないが、SMを日常の空気の中で、ゆとりを持って楽しむ(お金持ちの)フランス人の「文化」に触れた思いがした。
●映画祭にあわせて、毎回フェティッシュ・パーティーが開催された。
その後、帰国する前に、クラウス氏とランチを囲んだのだが、わたしは彼が、はたしてコミュニストなのだろうか? という、出会って以来の疑問について、韓国料理のお昼定食を食べながら、考えていた。SMやフェティシズムにのめり込んだ、陽気なコミュニスト、というのも興味深いが、例によってエネルギッシュに喋りまくる彼の顔を見ていたら、ふと一つの言葉が浮んできて、同席し通訳を務めてくれていた、パリ在住の日本女性に聞いてもらった。「あなたは、ユートピアを信じていますか?」
一瞬、場違いな質問に対し、妙な顔をしたクラウス氏だったが、こちらの意図を呑みこんだようにうなずき、「それを信じないでは、この人生は、あまりにも寂しすぎる」、あるいは「悲しすぎる」といった意味の答で、わたしはすっかり、この名言に感じ入ってしまった。
食後、わたしたちは別れを告げたのだが、サンジェルマン・デ・プレの街頭で、この巨躯のユートピアンは、新しく就任したローマ法王の写真に向かって、全身で大きく中指を立て、呵呵大笑しながら、人ごみのなかに去っていった。
●どんな映画なのだろう。幸せな映画なのでしょうか?
<05年4月。『レモンクラブ』(日本出版社)掲載>
●Kフィルム主催の第一回「フェティッシュ・フィルム・フェスト」パンフレット。
こうした定義自体は、別に目新しいものではないが、映画のディストリビューター(国際的な流通業者)であるKフィルムの、DVDやビデオの棚を見ると、クラウス氏が自分の信念を、あからさまに商売にしていることが見て取れる。フランツ・ファノンだとかI・R・Aだとかチョムスキーだとか、やけに過激派っぽいタイトルがずらりと並んでいるが、これが「頭」だとすると、「ハート」はチェック・ベーカーなどのジャズや子供向けのコミックが相当するに違いない。そして最後の「股間」が、なんともはや、充実しているのだ。Kフィルムのメイン商品は、実に「股間」なのである。
ピンナップ・ガールとして有名なベティ・ペイジがシリーズで並んでいるかと思うと、SMやボンデージ、フェチ関係のブラックなパッケージが異彩を放ち、タイトルのない怪しいシリーズは、古い時代のアングラ・フィルムで、わが国で言うところのブルーフィルムなのだろう。これが人気があるのだという。
日本でも、かつて70年前後に、W・ライヒの『性と文化の革命』に代表されるような、左翼革命と、ヒッピーのフリーセックスを野合させた風の、理論や実践が、風俗的にも流行ったことがある。クラウス氏は、いまだにその路線を堅持しているかのようだ。
もちろん、Kフィルムの商品棚に顕著にあらわれているように、現代の政治的なテーマは、中東やアフリカ、南米が中心になり、セックスの面でも、かつてのヒッピーの楽天的な乱交から、SMやフェチ、トランス・セクシュアルなどに、大きくシフト・チェンジされているが、構えは変わっていない。
●同パンフレットより。
そのクラウス氏が、99年と00年の2年にわたって、パリで開催したのが「fff=フェティッシュ・フィルム・フェスト」である。わたしは、氏に、このセンセーショナルな映画祭のカタログをもらったが、一回目の99年の表紙など、メタリックな素材をボディに貼り付けた女性が、サイボーグのように立ち、まことにカッコいい。フェチ好きのわたしなど、ワクワクしてしまうが、しかしプログラムを見ると、「フェティッシュ」といっても、靴やレザー、ゴム、髪の毛、ムキ卵(わたしの好み)といった個別のフェチを指すのではないようだ。
性転換を含むトランス・セクシャルを筆頭に、レズビアン&ゲイ、SM,さらにはアングラ・フィルムなど、世の中の「正常な」セックスに背を向けた、あらゆる「変態」の総称として「フェティッシュ」という言葉が使われている。中でもメインは、SMのようで、日本で通用している、フェチの「物神崇拝」といった気配はほとんどない。
わたしは、よく人前で「フェティシズムが好き」なんて言うことがあるが、時と場所を考えなければならないようだ。実際、女性映画祭で知り合った、北欧の女性監督に、ものすごく変な顔をされたことがあるが、「わたしは変態です」と告白しているようなものだったかもしれない。
なぜこの映画祭が2年で終わってしまったか尋ねると、「海外からゲストを呼ぶだけでも、お金がかかるし、映画祭の費用は、自分の会社にとって大きな負担だ」という答が返ってきた。しかし、現在のKフィルムの商品構成を見ると、映画祭で上映した作品や、その延長線上にある作品が主流で、さすが陽気な商売人である。
●第2回「f・f・f」パンフレット。
個人的には、大好きな『キラー・コンドーム』が第一回目の映画祭で上映され、カタログでも大きく写真入りで紹介されていたのが嬉しかった。コンドームが実はエイリアンで、装着した男根を食いちぎってしまうという、ドイツのトンデモ映画なのだが、睾丸の片方を食いちぎられて、逆襲に立ち上がるイタリア系の刑事が、ホモ・セクシュアルなのだ。変種ホラー映画でありながら、むさいオッサン刑事のゲイ映画でもあるという、まあ素晴らしい映画です。
余談ながら、わたしはこの映画の、コンドームの箱型のパンフレットを所有していることが、自慢の種で、中を開けると、コンドームのパッケージに似せて、折りたたまれた本文が出てくる。相当チープな映画だが、『エイリアン』などで著名なH・R・ギーガーが、クリーチャーのデザインをしているのが、売りの一つで、このはなはだ読みにくいパンフにも、ギーガーへのインタビューが載っている。もっとも、そのなかでギーガーは、あまりの予算不足から、自分のプランはまるで生かされなかったとボヤイテいるのだが、そんな台所事情までオープンにしてしまうところが、B級精神のすがすがしさだ。
●『キラーコンドーム』の紹介。「セーフ(?)セックス」という見出しが可笑しい。
●これが日本製のコンドーム型パンフレットだ。建つ三介さんのご希望により追加掲載。箱の表は恐怖に叫ぶ半裸の女の子だが、箱の横のゲイメンにご注目。
●折り畳み式のコンドームのパッケージの表に写真、裏に記事が印刷されている。「世界初!」と銘打ったギーガー・インタビュー(何が世界初なんだか)は、別刷りで入っているが、予算不足を嘆く、世界の巨匠のボヤキが哄笑を誘う。
さて、クラウス氏から「土曜の深夜に、フェティッシュ・パーティーがあるから、来ないか」と誘いがあり、小躍りして出かけていった。一人では不安があるので、パリ在住の剛直なジャーナリスト、田中久美子さんに同行してもらったのだが、まあ、しかし、外観は倉庫のように見える、怪しげな会場に、真夜中に続々集まってきた人々のファッショナブルなこと! レザーやエナメルの黒の衣装で見事に決めたカップルが多く、パリのアンダーグラウンドの社交場といった趣きだ。普段着の革ジャンで出かけていったわたしなどは、貴族に対する平民(奴隷かも…)の気持ちになってしまった。
天井の高い一階では、ダンスと談笑が行われ、そのなかを、裸で自ら拘束したマゾ男や、不気味なレザーで全身を覆った本格派などが、もそもそ徘徊する。地下では、チェーンでつながれたマゾ男が、お尻を鞭で叩かれたり、女王様の靴を舐めたりといったプレイが行われていたが、日本のSMパーティーのような、気合を込めた緊迫感はない。シャンパンを飲みながら、みんなが談笑する中で、日常的に、淡々とプレイが続行される。
クラウス氏によれば、「愛すべきインテリ」の多いパーティーで、参加者に対する強制がないことが特徴だとか。たまたま会場で話すことになった、オランダから来たという縛り師、彼は日本の緊縛にも強く影響され、この後、日本にも行く予定だと語っていたが、この余裕をかました空気は物足りないと、いささか不満げだった。彼の国のパーティーでは、カップルの一方を引きずり出して、激しいプレイを行い、それが喜ばれているという。
同じパリでも、もっとアングラのハードコアなパーティーもあるに違いないが、SMを日常の空気の中で、ゆとりを持って楽しむ(お金持ちの)フランス人の「文化」に触れた思いがした。
●映画祭にあわせて、毎回フェティッシュ・パーティーが開催された。
その後、帰国する前に、クラウス氏とランチを囲んだのだが、わたしは彼が、はたしてコミュニストなのだろうか? という、出会って以来の疑問について、韓国料理のお昼定食を食べながら、考えていた。SMやフェティシズムにのめり込んだ、陽気なコミュニスト、というのも興味深いが、例によってエネルギッシュに喋りまくる彼の顔を見ていたら、ふと一つの言葉が浮んできて、同席し通訳を務めてくれていた、パリ在住の日本女性に聞いてもらった。「あなたは、ユートピアを信じていますか?」
一瞬、場違いな質問に対し、妙な顔をしたクラウス氏だったが、こちらの意図を呑みこんだようにうなずき、「それを信じないでは、この人生は、あまりにも寂しすぎる」、あるいは「悲しすぎる」といった意味の答で、わたしはすっかり、この名言に感じ入ってしまった。
食後、わたしたちは別れを告げたのだが、サンジェルマン・デ・プレの街頭で、この巨躯のユートピアンは、新しく就任したローマ法王の写真に向かって、全身で大きく中指を立て、呵呵大笑しながら、人ごみのなかに去っていった。
●どんな映画なのだろう。幸せな映画なのでしょうか?
<05年4月。『レモンクラブ』(日本出版社)掲載>
>写真はご自由にお使いください。
有難うございます。早速貼ってみます。
>一昨日は、千葉県の東金市で、『百合祭』の上映と、女性限定の浜野監督ピンク作品上映
あっ地こっ地、引っ張りだこですね。しかも、
>打ち上げで、mamikoさんや「キラーコンドーム」・・女性
と、愉しい歓談・・
おお、なな、なんと、楽しそうな妖しい集まり、
>どんなB級、C級のゲテ・・でも、少数の支持者はいる・・。大いに力づけられました。
そういえば、此処の清輝の記事[鉱物の感情やドストエフスキーのガリバー等]も海外旅行の記事[便器にウン孤が詰まって溢れかけた危機]も少ししか読んでませんが、いい味出てますねー。臭って来ましたよー。こらは写真では観たくないですが・・。
そう言えば内のかみさんがイタリアに留学していた時、ギリシアンヌともルームシェアしていたそうなんですが、彼女らは流さないんですって。困りますね、そんな習慣・・。
僕がウクライナに行った時も、当国随一のキエフ駅の公衆便所は流されざる物達で、溢れんばかりでした。ソ連崩壊の余波ですかねー? それともギリシヤ正教の伝統かな? 社会人類学的研究課題ですね、これは・・。
な訳ないか・・。
ではまた、寄りますね。
喜んで頂けて幸いです。写真はご自由にお使いください。一昨日は、千葉県の東金市で、『百合祭』の上映と、女性限定の浜野監督ピンク作品上映があったのですが、打ち上げで、mamikoさんや「キラーコンドーム」を見たという女性と、愉しい歓談をしました。どんなB級、C級のゲテものでも、少数の支持者はいるものですね。大いに力づけられました。
記事の中に入っていたので、今まで気付きませんでした。
>これが日本製のコンドーム型パンフレットだ。建つ三介さんのご希望により追加掲載。箱の表は恐怖に叫ぶ半裸の女の子だが、箱の横のゲイメンにご注目。
しかも宣伝付きで。THANKS です。
どちらも鮮明な画像で、感動しました!
内のブログ殺風景な字ばっかしなので、
2枚転載してもいいですか?
よろしくお願いしまーす。
「キラーコンドーム」は日本でも公開され、DVDも発売されています。わたしは、たまたま上映で訪問した山形の映画館で観て、そこで例のコンドーム型パンフも買ったのですが、東京で公開されたことは知りませんでした。「ヴァギナデンタータのマヌケヴァージョン」というご指摘は、まるで気づきませんでしたが、まさに的を射たものだと思われます。欲情し、勃起した男だけが食いちぎられるわけで、詳しいところは忘れてしまいましたが、狂信的な女性教団の、テロ実践だったような記憶があります。これに対して、ヘテロ男は悲鳴をあげるだけなのに、ホモセクシュアルが片玉喰われた後に、おもむろに反撃を開始するところが可笑しいです。じっくり見ると、各種差別ネタがゴロゴロしているような気もしますが、わたしは涙が出るほど笑って、ただ感激していました。
貴ブログにも書き込みましたが、派手に取り上げて頂き、有難うございました。貴ブログでの、耐震偽装に関する専門的なアプローチは、いくら勉強しようと思って読んでも、毎度挫折してしまいます。しかし、藤田省三氏や野田正影氏の著作をめぐる、特に死に対する考察には、共感するところ多く、楽しく拝読しています。
「フランスのフェチって、皆そんなに軟弱」なのではなく、あの上流&インテリ&アーチストのパーティーの、個別的な特徴なのではないでしょうか。おそらく部外者を入れない、ハードなアングラパーティーは必ず存在すると思われます。
「キラーコンドーム」のパンフ(?)のデジカメ写真、ご要望に応じて追加することにしましょう。
↓で、たっぷり引用させていただきましたので、
ご報告します。愉快な旅だったようですね。羨ましい限りです。
http://blogs.dion.ne.jp/ivanat/archives/2962860.html
コンドームパンフレット、実物もデジカメで写して、
展示してくださいよ。お願いしまーす。
でも、フランスのフェチって、皆そんなに軟弱なんですか?
それとも、インテリばかりのソフト路線派にのみいえるのでしょうか?
では。