2019/06

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 尾崎翠作品の映画化第二作『こほろぎ嬢』(浜野佐知監督)の制作発表が、3月27日、鳥取県庁内の記者クラブで行なわれた。鳥取県が、映画制作費の一部として一千万円を助成し、この日の記者会見も、県の文化観光局が司会進行するだけに、県内で流通しているほとんどの新聞社やTV局が詰めかけた。



 出席したのは、プロデユーサー兼任の浜野佐知監督、尾崎翠の著作権者代表の早川洋子さんと松本敏行さん(翠の姪と甥に当たる)、尾崎翠の生地である岩美町の榎本武利町長、今回の映画化を強力にバックアップしている倉吉市の尾崎翠研究会・渡辺法子代表、鳥取市の尾崎翠フォーラム・土井淑平代表、とっとりフィルムコミッションの清水増夫代表など、県内の尾崎翠関連の主要メンバーが勢ぞろいした。
 洋画家である渡辺法子さんは、今回の映画化にあわせ、尾崎翠の短編3作品をマンガ化し、販売して映画制作費のカンパに当てるが、その本も、この日、披露された。
 また、直前になって、榎本町長の発案で、岩美町が制作した型破りの尾崎翠ポスターを、記者会見場に飾ることになり、今回の映画のポスターも担当するデザイナーの横山味地子さんが、翠ポスターを持って駆けつけてくれた。そして、わたしもまた脚本担当として、末席に参加したのである。
 末席と言いながら、実はわたしには期するところがあり、この日の記者会見に向けて、頭の白髪を染め、ジャケットを買い込み……当初、意気込んだわたしは、久しぶりに新宿の伊勢丹に向かったのだが、気に入ったジャケットとなると、ほぼわたしの1か月分の生活費に相当することが判明。やむなくジーンズショップで、ほぼ20分の1の値段の、それでも気に入ったデザインのジャンパーを買ったのだが、浜野監督に「えらく地味な作業着」と酷評されて、ガックシ……と、なんだか外見だけに終始しているようだが、記者会見用の配布資料を、前夜遅くまでかかって、A4版4枚にまとめた。わたしには、今回の映画化に際し、喋りたいことが山ほどあったのである。


<右端の浜野監督から、左に早川洋子さん、松本敏行さん、渡辺法子さん>

 記者会見が始まり、それぞれの立場からの挨拶があった後、記者との一問一答になった。その最初に「この映画は、どういう内容になるのか?」という質問が飛び、そこで浜野監督がわたしに振って、わたしが脚本の立場から答えた。翠が筆をおく直前の短編3本「歩行」「地下室アントンの一夜」「こほろぎ嬢」を、なぜ一本の映画として企画したのか、前作の『第七官界彷徨・尾崎翠を探して』とは、どういう関係に当るか、といったことを話したのだが、浜野監督が「それでは分からない」と言い出し、記者諸氏もはなはだ納得のいかない顔をしている。
 小野町子の人生を時系列でたどると、まず田舎の少女時代の「歩行」が出発点で「地下室アントンの一夜」に続き、その後、上京して「第七官界彷徨」の経験をする。そして、かなりの時間が経過した後、詩人あるいは売れない小説家となった町子が「こほろぎ嬢」として登場する……というのが、今回の仮説であり、尾崎翠の作品に「こほろぎ嬢」の来歴が明示されているわけではないが、おばあさんの家の屋根部屋に住んでいる少女時代の町子と、10数年経って東京の借家の二階に住んでいる「こほろぎ嬢」を併せて描いたのが、今回の映画化の眼目であるのだが……
 しかし、どうやら記者諸氏が知りたいのは、端的にストーリー、つまりは筋書きであるらしかった。筋? この映画で、筋がどれほどの意味を持つだろう? 幸田当八に「片恋」している、小野町子という少女が、お萩を持って、もの思いに耽りながら、砂丘や野原を歩き、最初に動物科学者の松木氏宅、次に松木氏と対立している貧乏詩人の土田九作を訪ねるが、九作を訪問する時には、お萩に「季節はずれのおたまじゃくし」の入ったビンが加わっていた。この小野町子が成人し、屋根部屋に住む詩人あるいは小説家となって、スコットランドの男女の詩人に「恋」をするが、互いにラブレターをやり取りした二人は、実は一人の詩人のドッペルゲンガーで……こんな風なことをいくら並べても、映画の説明にはならないだろう。
 事実、記者席から浜野監督に「自分たちは、限られた紙面に紹介しなければならないのだ」「どうしてストーリーを、5行ぐらいで説明できないのだ」といったクレームが飛んだらしい。現場と即興に強い浜野監督は、何か要領よくまとめていたようだが、わたしは虚を突かれた思いだった。5行で説明できるストーリー! 尾崎翠の小説を、5行で説明しろというのか? たしかに映画の紹介には、これは欠かせない。しかし…


<ジョークを飛ばす榎本町長と、吹き出す浜野監督>

「女の子が、お萩を持って歩いているだけのように見えるが、そこには目の前の現実とは別の、もう一つの心の現実があって…」といった説明を、わたしがしたところ、苛立ったらしい記者の中から「それは哲学的なことなのか?」という声が上がった。わたしは「そう。スピリチュアルな世界の出来事である」と大真面目に答えたのだが、浜野監督によると、その問いは、どこか嘲笑を含んだ質問だったらしい。真面目に答えたわたしが、バカだった。
 次第に、わたしは、記者諸氏の相手にされなくなり、とどめは「どうして主人公は『こほろぎ嬢』と呼ばれているのか?」という質問に対し、「それは誰にも分らない」と真顔で答えた時だった。記者席には「もう呆れ果てた」といった雰囲気が漂い、もっぱら質問は浜野監督に集中する。わたしにしても、思いつきで発言したわけではなく、それに続いて、実際的な生活者である「産婆学の暗記者」が、産婆さんになった暁には、気づかずに踏みつけてしまいそうな、こおろぎのことばかりが「こほろぎ嬢」には気にかかる、きわめて非実際的な「こほろぎ嬢」の性格と生活について説明しようとしたのだが、もはや誰もわたしの、そんな長口上を聞くような雰囲気ではなかった。
 非実際的、非実用的なのは、こほろぎ嬢ではなくて、実は、このわたしではないのか? また、記者諸氏が、わたしの製作した配布資料に目を通したうえで、質問してくれるものだと思い込んでいたのだが、「あんな長たらしいもの、誰も読まない」(浜野監督)というのが、現実だった。


<右端が、尾崎翠フォーラムの土井淑平代表。背後で、県の遠藤氏が持っているのが、岩美町のポスターだ。何パターンかあるが、横山味地子さんによるド迫力の異色作>

 わたしはすっかり落胆して、隣に座っていた翠フォーラムの土井代表に「ストーリーを説明するのが、こんなに難しいとは思わなかった」と、ぼやいたら、「翠の作品を読んでいない人に説明するのは、特に難しい」と言ってくれた。これほど優しい人を、わたしは今回の映画化をめぐって非難してきたのだから、まことに呆れた話である。また、ストーリーを一言で説明できないのは、わたしが作品世界の内部に入り込むだけで、それを外側から把握する力に欠けているためではないか。わたしは根幹から、自分の能力を疑わないわけにはいかなかった。
 しかも、恐ろしいことに、そんな非実際的なわたしが、5月から始まる鳥取ロケでは、制作を担当することになっているのだ。これは、わたしが浜野監督とともに鳥取の方々と折衝してきたため、ロケ隊と現地をつなぐ役割を期待されているのだが、制作といえば、お金を扱い、スケジュールに合わせて撮影が円滑に進行するよう、あらゆる現実的な局面の手配しなければならない。これがわたしに、はたして可能なのだろうか?
 実は、この日の記者会見で、わたしにはもうひとつ語りたいことがあった。配布資料にも書いたことだが、昨年、尾崎翠の恋人とされる高橋丈雄の手紙が、米子市で発見され、二人の関係について新事実が明らかになった。わたしはこの手紙についても、ぜひ一席弁じたいと、そのコピーも準備してきたのだが、記者会見がどんどん進行する中で、誰もそんなことに興味を示すようには思えず、心中はなはだ無念ながら、断念したのだった。


<「日本海新聞」の紙面>
 
 それでも、記者会見の模様は、この日の夕方と翌朝、各TV局で地元のニュースとして流され、新聞各紙も大きく取り上げてくれた。地元で圧倒的なシェアを誇る日本海新聞が、うまく内容紹介しているのには感心し、朝日新聞がカラーで懇切に伝えてくれたのには感嘆したが、なぜか毎日新聞と読売新聞ではボツになっている。浜野監督は「ストーリーを説明できない脚本家のせいだ」とわたしを非難し、榎本町長に付き添ってきた岩美町役場のカワカミ課長も、毎日新聞の若い女性記者が、わたしが発言するたびに、隣の記者と目配せして笑っていたと言う。
「記者相手には、キャッチフレーズになるようなことを、短く簡潔に言わなきゃダメでっせ。だらだら長く喋っていると、どんどん言い訳みたいになるから」というのが、カワカミ課長の意見で、さすが「ばばちゃん料理」を岩美名物として売り出し、それまで網にかかってもゴミのように捨てられていた深海魚を、人気メニューに育て上げた切れ者である。つくづく、わたしは落ち込まざるを得なかった。
 こうしてわたしの記者会見は、はかなく終わったが、わたしの言動に見られる現実的な不適応に、今風の病名をつければ、アスペルガー症候群とでもなるのだろうが、「自分が自分について考えるのは、原理的に誤りを含む」ので、あまり自分については深く考えない、というのが、わたしの方針なのだ。シリアスな反省また反省を強いられた記者会見であったが、わたしは、その一方で、内心「ふん。一か月分の生活費を投じて、ジャケットなんか買わなくてよかったよ」と呟いていた。イソップの主人公みたいな、独りよがりの負け惜しみである。
 ここでわたしは、誰にも読まれなかった、わたしの可哀想な「配布資料」をアップしておこうと思う。ここでもまた、読まれない可能性のほうが高いのであるが。


<「朝日新聞」の鳥取面>


「人間の肉眼といふものは、宇宙の中に数かぎりなく在るいろんな眼のうちの、わずか一つの眼にすぎないぢゃないか。」(「地下室アントンの一夜」より)

☆いま再びの尾崎翠作品映画化☆
 私たちは、98年に『第七官界彷徨‐尾崎翠を探して』(浜野佐知監督)を製作しました。東京国際女性映画祭に出品した後、岩波ホールでロードショー公開し、国内の女性センターや世界各地の映画祭、大学などで上映してきました。この作品は、翠の代表作である「第七官界彷徨」と、その当時は謎とされていた翠の後半生を、モザイクのように描いたものですが、翠の心髄である、シュールなまでの奇想と、比類のないユーモアの精神は、国境や人種を越えて伝わることが実証されました。また、この映画をきっかけに、地元鳥取でも、翠を世界に向けて発信する「尾崎翠フォーラム」が発足し、今年で6回を迎えようとしています。
 前作の製作当時は、県内でも尾崎翠を知る人が少なく、また誤った不幸伝説が流布していたため、実人生にスポットを当てる必要がありました。この映画によって、困難な時代を生きた、等身大の尾崎翠像が定着したものと自負しています。しかし、尾崎翠に、啓蒙や解説が必要な時期は、すでに過ぎました。私たちは、翠の作品世界そのものと向かい合い、「歩行」「地下室アントンの一夜」「こほろぎ嬢」という、翠が筆をおく直前に執筆した、最後の短編小説3作を、併せて映画化します。
 これらの作品は、長い間、方法的な模索を重ねてきた翠が、「第七官界彷徨」で独自の世界を築き上げ、精神的にも技法的にも、ピークの時期に書かれました。それぞれ独立した短編小説ですが、登場人物も共通し、愛すべき人間心理の分裂を描いた、連作とも言うべき作品です。ここで翠は、目の前の具体的な現実とは異なる、人の心の中の、もう一つ別な現実の可能性や、普通、人間の男女の間に成立すると思われている「恋愛」の概念を拡大させ、宇宙の目から、地上の人間や動物、植物、鉱物の関わり合いを、ユーモラスに見つめています。なかでも、一人の人間の中の男性と女性の分裂を描いた、ウィリアム・シャープとフィオナ・マクロードのエピソード(「こほろぎ嬢」)は、今日のジェンダーやセクシュアリティの問題を予見した、あまりにも先駆的な問題提起でした。
 私たちが今回取り組むのは、翠の奇想とユーモアに支えられた「不思議の国の恋愛映画」です。なお、「地下室アントンの一夜」は、翠にとって最後の小説となりました。

☆日本で最初の女性映画批評家でもあった翠☆
 尾崎翠は不思議な作家です。今から80年近くも前の、1930年前後に代表作の多くが書かれましたが、その作品世界は、とても懐かしい匂いがするのに、その一方で、とても実験的です。懐かしさは、翠が育ち、愛した鳥取の海や山の、風、空気、暮らしぶりなどが流れ込んでいるため、実験的なのは、彼女が知的に探求した、西欧の文学や映画、思潮を反映しているためだと思われます。
 20世紀初頭から30年ごろにかけて、欧米ではモダニズムの芸術運動が盛んになり、日本にも流入しました。尾崎翠は、なかでも表現主義に大きな影響を受けましたが、実験的な作品が往々にして、古びるのが早いのに対し、翠の作品は世紀を越えても、瑞々しく、新鮮です。むしろ、国内外の研究者の熱い注目を見ても、どんどん新しくなっている感があります。なぜでしょうか?
 鳥取というローカルな風土性と、国境を越えて先端的な実験精神という、一見、相反する要素が、絶妙にミックスしているためだと思われます。ひと付き合いの上手でなかった尾崎翠は、少数の理解者しか存在しないなかで、図書館と映画館という、当時の先端的な「幻想の殿堂」に耽溺し、日本で最初の本格的な女性の映画批評家とも言われています。翠の映画論は、即芸術論、文学論であり、その中で磨き上げた、言葉の錬金術を駆使し、現代にまで届く、魅惑的で、とても風変わりな作品世界を作り上げました。
 大学の卒業論文や、大学院の修士論文、博士論文で、翠研究に取り組む、若手の女性研究者が急増していますが、尾崎翠は、まだまだ謎を秘めています。昨年、かつて米子商工会議所の専務理事を務められた坂本義男さんのお宅に、尾崎翠の恋人とされる高橋丈雄の書簡が残されていることが分かりました。高橋の文学的盟友でもあった坂本さんは、すでに亡くなっていましたが、米子商工会議所のお世話で、息子さんの坂本義文さんに、高橋の書簡のコピーを頂くことができました。それによると、尾崎翠と高橋丈雄の恋愛事件と呼ばれるものは、当時から誤解されていたようですが、男女的な関わりからは程遠い、芸術家同士の間に生じた、短時日のアクシデントに近い出来事であったようです。これを通俗的な男女間の交渉として描いた筑摩書房版の『定本・尾崎翠全集』の解説は、全面的に書き直されなければなりません。なお、この書簡から、高橋には翠との事件を小説化した「月光詩篇」という作品があることが明らかになり、現在研究者の手で分析が進められています。

☆鳥取の地が持つ大いなる力☆
 かつての「愛すべきマイナー・ポエット」から、世界に通じる、モダンで果敢な言語の探求者へと、尾崎翠のイメージが転換するにつれ、その原風景である鳥取の海や山、そして終生のモチーフであった空気や風や雲の持つ、大いなる力が見逃されているきらいが無いでもありません。尾崎翠は十代の頃から、日本海や中国山脈を深く見つめ、歌ってきました。また、潔く筆をおいた後も、鳥取の自然への愛着を、友人や甥への手紙に書き送っています。私たちは、今回の映画化にあたって、風土が翠作品に与えたイマジネーションの源泉を描くことを、重要なテーマのひとつとしました。
 幸い、独自の文化行政を積極的に推進している鳥取県が、この映画に一千万円を助成すると同時に、支援事業として取り組んでくれます。また、前作でも長期ロケした尾崎翠の生地、岩美町をはじめ、倉吉市、鳥取市、米子市、若桜町など、県内の各自治体が力強くバックアップしてくれます。市民レベルでも、倉吉市の尾崎翠研究会や、鳥取市の尾崎翠フォーラム、とっとりフィルムコミッションなど、多くのグループが協力を約束してくれました。私たちは、再び鳥取の地に立ち返り、風土と自然の力を背景に、翠の作品世界の精髄を映画化して、日本および世界に問いたいと考えます。
なお、撮影はこの5月中旬から6月にかけて行い、9月に完成予定。10月には、鳥取全県で先行ロードショーを行ないます。

☆浜野佐知監督と映画『第七官界彷徨‐尾崎翠を探して』の旅☆
『第七官界彷徨‐尾崎翠を探して』は、翠役に、日本を代表する舞台女優、白石加代子、親友役に吉行和子、恋人役に原田大二郎などをキャスティングし、鳥取県の文化振興課と岩美町役場の協力と支援のもとに、ロケが行われました。
 出来上がった作品は、県内5ヶ所で先行上映した後、東京国際女性映画祭やあいち国際女性映画祭に出品し、東京の岩波ホールでロードショー公開されました。知られざる女性芸術家に光を当てた作品として、国際的な女性映画祭でも注目され、パリのクレティーユ、韓国のソウル、ドイツのドルトムント、エジプトのアレキサンドリアなどの映画祭に招待されました。また、ニューヨークのジャパン・ソサエティや、ニューヨーク州立大学、コロラド大学、ピッツバーグ大学、パリの日本文化センターなどでも上映が行われ、翠の潔い生き方や不思議な作品世界が、世界の女性たちの熱い共感を集めました。また、鳥取県内の美しい自然には、世界の人たちが目を見張り、パリのある女性観客は、翠の故郷を見たくて、鳥取を訪問したことを話してくれました。
 浜野佐知監督は、01年に、老年の性愛をテーマにした『百合祭』を発表し、この作品も世界21カ国、36都市で上映されるなど、日本の映画監督としては異例の国際派としての地歩を築いています。詳しくは、昨年出版された『女が映画を作るとき』(浜野佐知著・平凡社新書)をご覧下さい。

☆海外の観客はこう観た〜パリのアンケートより☆
 2000年12月に、パリの日本文化会館で「日仏女性研究シンポジウム『権力と女性表象』−日本の女性たちが発言する」が開かれました。その映画の夕べで『第七官界彷徨・尾崎翠を探して』が上映され、圧倒的な好評を得ました。専門職を持ったフェミニストの多い、いわば「うるさ型」の観客が多数を占めていたのですが、アンケートには熱い共感が記されていたのです。その一例を挙げると、

「美しい物語と映像。理由は今分からないが、ヴァージニア・ウルフを思い出した」(女優・60歳)、
「女性的な感性で創られた作品を観るのは楽しい。この映画を観てカミーユ・クローデルのことを考えた」(教師・47歳)、
「今は大学でフランスの詩を勉強していますが『第七官界彷徨』という、この鳥肌が立つほど官能的なタイトルを付けた詩人が、日本にいたことに驚きました」(学生・25歳)、
「非常に深く掘り下げた映画。女性の感受性のみならず、男性の感受性がより明瞭に表現されているのが良い」(看護婦・53歳)、
「詩的で美しい映画。主体と無意識、女性アーティストの仕事についての考察など、現代的な問題を浮き彫りにしている。特に感心したのは、この映画の絵画性(風景に満ち溢れた色彩、静物画のような細部の大写し)」(記録映画製作者・49歳)、
「戦前に女性が書くということは相当なプレッシャーがあったと思われる。その時代を生きた女性文学者たちの生き様に感動」(学生・37歳)
=以上、翻訳は日仏女性研究学会の協力=

 いずれも国境を越えて、尾崎翠の作品や生き方に共鳴していることが分かります。日本の各地の女性センターで上映した際にも、似た声や思いが返って来ました。尾崎翠が世代、国籍、人種の別に関わらず、特に女性の心の奥底の感覚に共振を起こす作家であることが証明されていると思います。

<小野町子>役と<幸田当八>役を県内オーディションします!
 主人公の「小野町子」(少女時代)役と、その「片恋」の相手である「幸田当八」役を、県内で募集します。「小野町子」は、祖母とともに暮らしている少女(15歳から20歳ぐらいまで)、「幸田当八」は「分裂心理」の研究者で(25歳から30歳ぐらいまで)全国を旅しています。
 自薦他薦を問わず、写真を添えてお申し込みください。締め切りは4月15日。宛て先は、下記の『こほろぎ嬢』製作上映委員会(株式会社旦々舎内)。

<製作上映協力券>を発売します!
 製作上映協力券とは、映画製作費の一部となるチケットのことです。1枚1,500円で、その内訳は、前売りチケット代1,200円+製作上映カンパ300円です。このチケットで、10月に行なう鳥取全県での先行ロードショーに入場できます(チケット一枚が、お一人様分の入場券となります)。
 また、特典として、100枚以上ご購入頂いた方(個人、団体問わずに)には、映画のエンディング・タイトルにお名前を入れさせていただきます。
 資金面で苦しい自主製作映画ですので、皆様のご協力をよろしくお願いします。

<撮影現場のボランティア>を募集します!
 撮影・照明・美術・演出・制作・車両・メイク・着付け、など撮影現場全般にわたって、ボランティアを募集します。希望の職種明記の上、製作上映委員会にご連絡ください。締め切りは4月末日です。

■お問い合わせ:『こほろぎ嬢』製作上映委員会(株式会社旦々舎内)
http://www.h3.dion.ne.jp/~tantan-s/


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今晩は、
>藤田省三氏の尾崎翠に関するご指摘は、なんという文献に載っているのでしょうか

僕の読んだのも、ずばり、その『世界』4月号ですよ。小さな記述ですが、何回も読み返しています。

>単行本に収録されているのでしょうか

僕の知る限り、まだ単行本に入っていませんね。岩波さんにメールで投書しましたけど、「ブックレットにならないの?」と、返事はないです。


>『世界』の2003年4月号の目次に「●語る藤田省三 ―― ある研究会の記録から (2) 尾崎翠を読む 

この読書会は、本堂さんらが大学卒業後しばらくして、藤田氏の下で行われた私的な小さな学習会だったそうですが、その内容の高さには驚かされます。その内容(一部は「みすず」の藤田全集にも入ったそうです)が、多分、世界の編集者に伝わり、連載の運びになったんだと想像しています。

それを通じて、僕も花田清輝・尾崎翠ら(僕のブログの初期に列挙した名前の多く)を初めて知ったので、大したことは何も言えませんが、あっちこっち読む切欠になったことは言えます。名前程度は知っていた鴎外・中野重治らが何を目指していたのか、等も、藤田省三の『読み』に学びつつ日々重ねている次第です。

  • 2006/04/08 1:20 AM

建つ三介さま
 自分の監督するピンク・ゲイフィルムの撮影で、昨日の朝まで山梨に行ってました。書いているほど「落ち込んで」いるわけではなく、山里の旧家民宿で、男同士のエロを愉しく探求してきました。
 しかし、今回も長い拙文を読み通して頂いたようで、その圧倒的な我慢強さ(?)に、心から敬服します。たしかにオーディションに関しては時間がなさ過ぎますが、鳥取県議会の議決を経て発表という段取りだったので、こんな短時日になってしまいました。もちろんオーディションに全てゆだねるのではなく、昨日の夜もキャスティング関係で、監督とともに、新宿で行なわれた演劇の舞台を見てきました。収穫有り、です。
 藤田省三氏の尾崎翠に関するご指摘は、なんという文献に載っているのでしょうか。このブログの本体である、翠のHPの参考文献目録にも未掲載ですので、ご教示頂ければ幸いです。
 検索すると『世界』の2003年4月号の目次に「●語る藤田省三 ―― ある研究会の記録から (2) 尾崎翠を読む 述・藤田省三、記録・本堂 明(近代文学研究)」というのが見つかりましたが、内容は分りません。これは単行本に収録されているのでしょうか。
 藤田氏の「翠は世界史的課題に応答した」という言葉に惹かれます。そうなんだ、「応答」なんだ! とうなずく気持ちが、わたしにはありますが、その理由は自分でも明確ではありません。

今晩は、遂に製作に向けて本格化ですね。

>翠の小説を、5行で説明しろ・・? たしかに映画の紹介には・・欠かせない。しかし…

はあ、この記者会見の場面、まるで“Star trec Deep Space 9”の一場面みたい。バッシュという遺構品盗掘のネーチャンが、オークションでついつい考古学上の説明をしてしまい、生粋の宇宙商売人・フェレンギ星人、クワークにたしなめられるシーン。「大学の講義じゃないんだから、くどい説明はダメ・・」。

もう1つ。昔の記者は、もっと勉強して会見に臨んだって某運動団体の活動家は言ってました(「糾弾」が怖かったという緊張感の所為かもしれませんけど・・)、今は昔のことなんですかね? つまり運動団体が堕落して、マスコミも垂れ流しの「記者クラブ」発表に慣れすぎて、ジャーナリズムは衰退し、社会は「切れ」の無い情報しか受けられなくなった・・。そんなことを考えさせる1コマでもありますね。

>主人公の「小野町子」(少女時代)役と、その「片恋」の相手である「幸田当八」役を・・募集

へえ、今から募集、その後オーデションや稽古等で間に合うんですか? 9月完成っていっているのに・・。
上のようなわけで、落ち込む必要も大してないでしょうけど、まあ、それならなおさら、そんな暇は無いですね。

>海外の観客・・『第七官界彷徨・尾崎翠を探して』・・専門職を持ったフェミニストの多い、いわば「うるさ型」の・・多数・・が、・・熱い共感

いいじゃないですか、「誇らしく」なっちゃう、同じ日本人云々じゃなくて、自分の感覚が「うるさ型」とpetit共感しているなんて・・。

藤田省三氏が「彼女は世界史的課題に応答した」と言っていたのが、思い出されます。案外、日本や世界の各地に、この翠のような感覚をもった、つまり「原始」−「古代」−「近代」を串し抜く「凄さ」「面白さ」が封印されているのかな、って気がしてきました。これらの映画がきっかけになって、あっちこっちで噴火したら、目が廻るでしょうけど、楽しそう・・。










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