親の家に火をつける前に〜『こほろぎ嬢』山陰中央新報への寄稿
- 2006.10.15 Sunday
- 01:19
目下『こほろぎ嬢』の鳥取県4市町・先行ロードショーで鳥取にいます。今日10月14日と明日15日は鳥取市、その後、尾崎翠の生地である岩美町、ロケのメインだった倉吉市、そこから大山の米子市を経て、再び鳥取市に戻ってくる、連続9日間のツアーです。
『こほろぎ嬢』製作からすっかり拙ブログの更新が滞ってしまいましたが、mixiの個人的な感想とは異なって、ここではまとまったことを考えてみたいと思っています。まだその余裕はありませんが、今回の連続上映のパブリシティで、山陰中央新報に記事を寄稿させて頂きました。その全文をここで再録します。なお、同紙の見出しは「映画『こほろぎ嬢』完成 静かで成就せぬ恋描く 尾崎翠原作 鳥取県内各地で撮影」というものでした。
なお、この鳥取連続上映の直後、10月26日(木)に、東京国際女性映画祭で『こほろぎ嬢』が上映されます。会場は表参道の東京ウィメンズプラザ、午後3時からで、吉行和子さんをはじめ役者さんたちの舞台挨拶がありますので、ぜひお出でください。実を言うと、直前まで鳥取上映に来ているため、東京でチケットを販売することが出来ないと浜野監督が悲観していますので、以下に申し込んで頂ければ幸いです。
http://www.h3.dion.ne.jp/~tantan-s/
*鳥取砂丘の「馬の背」で撮影中。
<以下は『山陰中央新報』掲載記事より>
今年の五月、私たちは「漂流する撮影隊」でした。映画『こほろぎ嬢』は鳥取県の中部・倉吉市でクランクインし、西部・米子市を経由しながら、東部・若桜町に移動。そこから八年前に『第七官界彷徨‐尾崎翠を探して』で合宿した岩美町に帰還(?)し、鳥取市内や浦富海岸の撮影に、せっせと通ったのです。
脚本の私は、現場では制作を担当したのですが、経費を切り詰めるため、機材車などの運転をボランティアに頼りました。そのため、数台のトラックを明日どうやって動かすか、次のロケ地にスタッフをどう運ぶか、綱渡りの毎日でした。鳥取県の支援事業として一千万円の助成を受けましたが、映画製作には莫大な資金が必要で、フィルム代や現像費だけでも、それぐらいはかかります。
私たちが漂流したあげく難破しないですんだのは、県や各市・町の優秀な職員の方々の強力なバックアップと、現地ボランティアのおかげです。その意味では一千万に数倍する支援を、鳥取の皆さんから受けました。
*駱駝屋さんのご好意で、悩める駱駝のイメージシーンをビデオ撮影。
個人的にも念願だった尾崎翠の「こほろぎ嬢」映画化ですが、いよいよ鳥取での先行上映を目前に、それでも私は「翠は本当に一八九六年、明治二十九年生まれの作家なのだろうか? 本当は現代作家で、鳥取のどこかで暮らしながら、騒然した世情を遠く眺め、微笑しているのではないか」という疑問を抑えることができません。
劇中の恋のセリフを朗読することで、恋心が生じ、目の前に存在しない相手を思いながら山野を歩行する少女、現実に恋愛してしまっては恋の詩が書けないと、優しい気持で少女を遠ざける引きこもり詩人、自分の心の中に男女二人の詩人が同居し、二人が愛し合ってラブレターまで交換するイギリスの神秘派作家など、この映画に登場する人物たちは、みんな世間離れしています。彼らの恋は、とても静かで、成就することがありません。
現今の日本では、泣いたり笑ったり、大声で叫んだりする恋愛映画が大流行ですが、そんな騒々しい恋を、みんな望んでいるのでしょうか。翠の登場人物たちは、心に沁みる思いの純粋さを大切にする一方で、ビンの中のおたまじゃくしと心を通わせたり、可愛らしい豚の目で人間世界を眺めたりします。翠の世界では、おたまじゃくしもまた片恋(翠のキーワードのひとつ)しているのでした。
*国指定重要文化財の仁風閣での撮影は深夜にわたった。
実は今回の映画は、ファンに人気の高い「こほろぎ嬢」だけでなく「歩行」「地下室アントンの一夜」の三つの短編をつないでいます。いずれも代表作『第七官界彷徨』を書き上げた直後、筆を絶つまでの二年間に書かれた、翠の創造的な到達点といって良いでしょう。
そこには感情移入しやすい起承転結のドラマがあるわけではありません。しかし、登場人物たちは、突飛でユーモラスな感想を交わしながら、次のような思想を体現していると思われます。人間は決して宇宙の中心ではない、動物も植物も無機物も、みんな同等に存在している、人間は必然的に孤独だが、孤独な人間同士が心を通わせることはできる、その場所は、目の前の現実だけでなく、人間の心の中のもうひとつの現実でも可能だ。
これはまさしく現代のテーマではないでしょうか。恋が叶わないからといってストーカーになったりせず、ユーモアを持って動物や宇宙の視点から自分の心を眺めている彼らを見ると、すぐにせっぱ詰まって暴力に走ったり、親の家に放火したりする現代の青少年にこそ、尾崎翠の小説を読んでもらいたい、映画『こほろぎ嬢』を観てもらいたい、と心から念じるものです。
<『山陰中央新報』10月12日掲載>
『こほろぎ嬢』製作からすっかり拙ブログの更新が滞ってしまいましたが、mixiの個人的な感想とは異なって、ここではまとまったことを考えてみたいと思っています。まだその余裕はありませんが、今回の連続上映のパブリシティで、山陰中央新報に記事を寄稿させて頂きました。その全文をここで再録します。なお、同紙の見出しは「映画『こほろぎ嬢』完成 静かで成就せぬ恋描く 尾崎翠原作 鳥取県内各地で撮影」というものでした。
なお、この鳥取連続上映の直後、10月26日(木)に、東京国際女性映画祭で『こほろぎ嬢』が上映されます。会場は表参道の東京ウィメンズプラザ、午後3時からで、吉行和子さんをはじめ役者さんたちの舞台挨拶がありますので、ぜひお出でください。実を言うと、直前まで鳥取上映に来ているため、東京でチケットを販売することが出来ないと浜野監督が悲観していますので、以下に申し込んで頂ければ幸いです。
http://www.h3.dion.ne.jp/~tantan-s/
*鳥取砂丘の「馬の背」で撮影中。
<以下は『山陰中央新報』掲載記事より>
今年の五月、私たちは「漂流する撮影隊」でした。映画『こほろぎ嬢』は鳥取県の中部・倉吉市でクランクインし、西部・米子市を経由しながら、東部・若桜町に移動。そこから八年前に『第七官界彷徨‐尾崎翠を探して』で合宿した岩美町に帰還(?)し、鳥取市内や浦富海岸の撮影に、せっせと通ったのです。
脚本の私は、現場では制作を担当したのですが、経費を切り詰めるため、機材車などの運転をボランティアに頼りました。そのため、数台のトラックを明日どうやって動かすか、次のロケ地にスタッフをどう運ぶか、綱渡りの毎日でした。鳥取県の支援事業として一千万円の助成を受けましたが、映画製作には莫大な資金が必要で、フィルム代や現像費だけでも、それぐらいはかかります。
私たちが漂流したあげく難破しないですんだのは、県や各市・町の優秀な職員の方々の強力なバックアップと、現地ボランティアのおかげです。その意味では一千万に数倍する支援を、鳥取の皆さんから受けました。
*駱駝屋さんのご好意で、悩める駱駝のイメージシーンをビデオ撮影。
個人的にも念願だった尾崎翠の「こほろぎ嬢」映画化ですが、いよいよ鳥取での先行上映を目前に、それでも私は「翠は本当に一八九六年、明治二十九年生まれの作家なのだろうか? 本当は現代作家で、鳥取のどこかで暮らしながら、騒然した世情を遠く眺め、微笑しているのではないか」という疑問を抑えることができません。
劇中の恋のセリフを朗読することで、恋心が生じ、目の前に存在しない相手を思いながら山野を歩行する少女、現実に恋愛してしまっては恋の詩が書けないと、優しい気持で少女を遠ざける引きこもり詩人、自分の心の中に男女二人の詩人が同居し、二人が愛し合ってラブレターまで交換するイギリスの神秘派作家など、この映画に登場する人物たちは、みんな世間離れしています。彼らの恋は、とても静かで、成就することがありません。
現今の日本では、泣いたり笑ったり、大声で叫んだりする恋愛映画が大流行ですが、そんな騒々しい恋を、みんな望んでいるのでしょうか。翠の登場人物たちは、心に沁みる思いの純粋さを大切にする一方で、ビンの中のおたまじゃくしと心を通わせたり、可愛らしい豚の目で人間世界を眺めたりします。翠の世界では、おたまじゃくしもまた片恋(翠のキーワードのひとつ)しているのでした。
*国指定重要文化財の仁風閣での撮影は深夜にわたった。
実は今回の映画は、ファンに人気の高い「こほろぎ嬢」だけでなく「歩行」「地下室アントンの一夜」の三つの短編をつないでいます。いずれも代表作『第七官界彷徨』を書き上げた直後、筆を絶つまでの二年間に書かれた、翠の創造的な到達点といって良いでしょう。
そこには感情移入しやすい起承転結のドラマがあるわけではありません。しかし、登場人物たちは、突飛でユーモラスな感想を交わしながら、次のような思想を体現していると思われます。人間は決して宇宙の中心ではない、動物も植物も無機物も、みんな同等に存在している、人間は必然的に孤独だが、孤独な人間同士が心を通わせることはできる、その場所は、目の前の現実だけでなく、人間の心の中のもうひとつの現実でも可能だ。
これはまさしく現代のテーマではないでしょうか。恋が叶わないからといってストーカーになったりせず、ユーモアを持って動物や宇宙の視点から自分の心を眺めている彼らを見ると、すぐにせっぱ詰まって暴力に走ったり、親の家に放火したりする現代の青少年にこそ、尾崎翠の小説を読んでもらいたい、映画『こほろぎ嬢』を観てもらいたい、と心から念じるものです。
<『山陰中央新報』10月12日掲載>
>漂流したあげく難破しないですんだのは、県や各市・町の優秀な職員の方々の強力なバックアップと、現地ボランティアのおかげです。その意味では一千万に数倍する支援
以前は葬式や・結婚式、引越しも友人同士(心ばかりの食事程度)で助け合っていましたが、最近は業者に頼むまでに『堕落』してしまいました。その方が気を遣わない、人間関係の希薄さ・・。
撮影現場で出会ったお顔と、上映会場でお会いするのはなんとも嬉しいものです。今日から倉吉・米子ですが、土曜&日曜と鳥取市に戻ってきます。そこで若桜の皆さんともお会いしたいものですね。
私たちが漂流したあげく難破しないですんだのは、県や各市・町の優秀な職員の方々の強力なバックアップと、現地ボランティアのおかげです。その意味では一千万に数倍する支援を、鳥取の皆さんから受けました。
山崎さんの上記のお言葉に頭が下がるばかりです。
これからも身の丈にあった支援協力を鳥取県民は惜しまないでしょう。
金銭に換えがたい 人の暖かさ 大事ですね。
遠慮することなくどしどし協力支援を鳥取県に発信してください。