愉快なフェティシズム研究(10)〜でぶフェチ映画の試み

  • 2006.12.08 Friday
  • 03:35
<前編>『でぶ大全』をめぐって

 不満である。これでいいのか『でぶ大全』。二千八百円も支払い、わたしは、まったく納得できない。「人類が愛してきた魅惑のでぶの歴史」というキャッチに踊らされ、いそいそと本屋に向かったわたしだったのだ。(作品社刊)
 実は、来月撮影するピンク映画で「でぶ女の魅惑」をエピソードに加えようと目論んでいる。といっても、わたしたちの業界に、フェリーニの映画みたいな巨女や、超でぶの女優さんがいるわけではない。わたしは、佐倉萌(さくら・もえ)さんという丸っこい体型をした女優さんが、以前から気になっていたのだが、彼女は監督としても作品を発表している。でぶフェチ映画に出てくれるだろうか?



 喫茶店で、実際にお会いし、わたしが最初に発した言葉「それほど太っていませんね」は、女優さんに対して失礼だったかもしれない。それに対して彼女は「いや、太っていますよ」。何というお互いの挨拶だろう。萌さんによれば、太ったり痩せたりの振幅が大きく、また望月六郎監督の一般映画では、監督の要望で10キロ太って見せたとか。まさかピンク映画で太ってほしいともいえず、目下想定している萌さんの役柄が、でぶフェチ役の荒木太郎君(彼も監督だ)と絡み、水着姿で女子プロレスの技をかけたり、白い襦袢で、ふくよかなお腹に短刀を当て、切腹の真似事などをすることを伝えた。
 話がひたすら、でぶ方面だったので、萌さんは不快だったかもしれない。以前、アンドロイド役を、整形手術を重ねた女優さんにお願いしたときも、周囲は危惧したが、当初の企画段階から話し合ったので、実にハマリ役となった。今回の萌さんも、快くでぶ女役を引き受けてくれた。
『でぶ大全』は、資料にもなると踏んで買ったのだが、読んでいて、どうもモドカシイ。確かに「でぶの歴史」「でぶへの偏見」「巨乳と巨尻の魅力」「でぶの復権」という構成は、そそられるのだが、ひとつひとつがワンエピソードで終わっている。それに、でぶ女より、でぶ男のほうが多く取り上げられているのも、わたしには不満が残った。でぶ男には、全く性的魅力を感じないのだ。
 また、でぶ女を取り上げても、例えば「怪物のような巨体だが、才気があった=でぶ好きのアンリ四世の愛人アンリエット」の場合、次のように記述されている。
「でぶ女のマリー(正式の妻)だけでなく、さらに太ったアンリエットを抱きかかえなくてはならなかったアンリは、次第に愛妾の策謀に気がつき始め(暗殺に加担したという説もある)、心中穏やかではなかったが、余人には理解できない、でぶのアンリエットの抗いがたい魅力にとらわれ、なかなか離れられずにいた」
 この「抗いがたい魅力」が何であるか、わたしの最も知りたいポイントなのだが、当時の作家の回想録から「ぶくぶくに太り、怪物のように巨体を揺らしていた。とはいえ、彼女には才気があった」と引用してるだけ。不満だ。これでは「才気」が、でぶの免罪符のようではないか。



 著者のロミとジャン・フェクサスは、訳者の長い解説によると、さまざまの職業を経てきた、年季の入ったコレクターであるらしい。なるほど、新聞の切抜きを集めたような印象は、そこから来ているようだ。フェチ的な観点を望むこと自体、間違っている。
 これまで、二人の著書として『悪食大全』『おなら大全』『うんち大全』などがあり、今回のタイトルも、この流れで付いたとか。原題は「胴回り(ウェストサイズ)―肥満小史」で、なるほどこれなら納得できる。「大全」などと、大きく打って出るから、こちらも期待してしまうのだ。
 それでも、いくつか心惹かれるエピソードはあって、ルイ十四世の弟と結婚したシャルロット=エリザベートは、なかなか個性的だ。
「粗野な兵卒のように、しこたま酒を飲みながらも、さして乱れず、食人鬼さながらに喰らい、太るいっぽうの体を揺すりながら、がさつな声で話したかと思うと、しばしば呵呵大笑した」
 しかし、国王の夫である夫にはそれが魅力的だったらしい。公然たる「男色趣味」があったが「たおやかな妖精のような女に小声で囁かれたり、そっと触れられたりするよりも、荒々しく抱きしめられるほうが好きだったのである。かくして二人の間に、娘一人、息子二人が生まれたのだった」。
 男色家に子供を作らせたのは、巨大で粗暴な、でぶ女の威力だったのだ。このシャルロットの手紙が、なかなか好い。
「確かに私の胴回りは恐ろしいほどですし、体型はゲームで使うサイコロそっくり」「部屋をふたつ横切るだけで、水牛のように息が切れてしまいます」「家みたいに太ってしまった今、もし何かの具合で転んだりしたら、私はもう起き上がれないでしょう」
 家みたいに太った女! わたしのピンク映画に出演してくれる、そんな女はいないものか?
<05年11月。『レモンクラブ』(日本出版社)掲載>



<後編>ピンクの撮影現場から

 今年2本目のピンク映画の撮影が終わったところである。年間2本で、撮影は計6日。これでは、編集の塩チンが、原稿催促の電話をかけてきて「どうやって年を越すんだ? 窃盗とかやってんじゃないだろうな。その度胸もないだろうけど」と、イヤミを言うのも当然だろう。昨年までにしたって、せいぜい年間3〜4本だったが、イカレタ欲望を抱えた男女が登場する、わたしのピンクやゲイ・ピンクが、一般の観客にはきわめて不評であり、それがわたしへの発注減につながっているようだ。
 にもかかわらず、わたしは懲りもせずに、今回も、前号で触れたデブフェチやら掃除機マニアやら、室内の床(ゆか)になって、女を見上げたい男などを、続々登場させて、嬉々としている。仕上げが済んだ今になって、これらの登場人物に自らを投影できる観客が、一体どれぐらいいるものだろうと、いささか不安に駆られている次第だ。この先、わたしを待っているのは、はたして、いかなる暗澹とした職業生活だろうか。
 しかし、デブフェチの撮影は楽しかった。佐倉萌さんの柔らかなお腹に、思い切り顔を埋め、肉で鼻や口をふさいで、窒息死を試みる荒木太郎くんの果敢な演技は、必死であればあるほどバカらしく、実に愉しいシーンとなった。実際、撮影時に、わたしがなかなかカットをかけないので、荒木君は萌さんのお腹の肉のなかで、頭が真っ白になったという。
 柳下毅一郎氏の『興行師たちの映画史』(青土社刊)によれば、ドリス・ウィッシュマンという、アメリカのセックス映画草創期の女流監督作品に、巨乳で窒息死させるストリッパーが登場するらしいが、巨腹で窒息死させるというアイディアは、どうだろうか。



 ホテル住まいの掃除機マニアを演じたのは、吉岡睦雄君だが、掃除機オナニーを披露した、メイド役の佐々木基子さんとのコンビネーションは、素晴らしいものだった。実は、二人のシーンは最終日のラストの撮影で、深夜12時を過ぎると、スタジオ料金が割り増しになるという、切羽詰った状況で行われたのだが、掃除機をかける女の後を、男がついて回って、掃除機の性的魅力について講釈し、その後、女に襲いかかるものの、軽く組み伏せられ、結局お金を出して、掃除機オナニーを見せてもらうという、都合6分を越えるシーンを、長回しの3カットで撮ってしまったのだ。1時間分の割増料金は払う羽目となったが、このコンビでなければ、もう2〜3時間はかかったことだろう。
 フェティッシュというと、普通ハイヒールやミニスカなどが代表的だが、掃除機のような家電製品に、性的に執着する男は、どれぐらい存在するか? 助監督の話によれば、男友達と喋っていると、必ず一人ぐらいは、掃除機にペニスを吸引させたことがあるという。フェティッシュというよりは、オナニーグッズとして使われているわけだが、それでは実際にどれほど効用があるかといえば、ほとんど好奇心から突っ込んでみただけ、というのが実情らしい。多くは、自らの浅はかな思い付きを後悔し、二度とやらないに違いない。
 ただ、わたしが以前読んだ怪しげな理論によれば、男性の射精の快感は、尿道を通過する際の精液のスピードに比例するといい、口内発射の際に女性が強く吸引することで、快感を倍増させることができるのだそうだ。そのバキューム理論に従えば、オナニーをして、まさに発射! という瞬間、掃除機のホースに突っ込んで、スイッチを入れたら、これは凄いことになりはしないか? もっとも、掃除機の説明書には、水を吸い込むな、と書いてあることが多く、故障の原因になるかもしれない。
 今回の撮影では、基子さんが掃除機を相手に、ホースの蛇腹を股間に擦り付けたりした後、吸入口を外陰部に押し付け、スイッチを入れて、轟音とともにエクスタシーに達する。吸引される感覚に関しては、女性の場合どうなのか、もしバキューム体験されている方があったら、ご教示ください。



 メカニックなものに対するフェティシズムは、女性と男性のヘテロ間よりも、男性と男性の、ゲイの間にこそ多く発見されるもので、わたしは『ザ・ニュー・ジョイ・オブ・ゲイ・セックス』(1993年白夜書房刊)の「フェティシズム」の項の、次の記述を、何度愛読したことだろう。
 「たとえば、男性との最初の性的接触をスポーツを通じて経験した人は、フットボールのヘルメットやサポーターに欲情するようになったかもしれないし、あるいは電話配線の工事人や建設現場で働く人をずっと見つめているような人は、安全帽や工具を吊るした作業ベルトにエロティックな興奮を覚えるのかもしれません」
 わたしは自分が、かつて少年の頃、電信柱に登って工事している人の、腰に巻かれたベルトからぶら下がった、ピカピカ光る工具類を「ずっと見つめて」いたような気がしてならない。そこに、今回の掃除機マニアの遠因があるような、そんな気もするのだが。
<05年12月。『レモンクラブ』(日本出版社)掲載>

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