元・創樹社編集長、玉井五一氏とシネマアートン下北沢の夜

  • 2007.01.10 Wednesday
  • 05:01
 目下『こほろぎ嬢』のお正月ロードショーを行なっている下北沢の映画館「シネマアートン下北沢」の前で、途方にくれたような視線を通行人に投げかけている初老の男を見かけたら、それは間違いなくわたしだ。下北沢の駅前は人で溢れかえっているのに、この鈴なり横町界隈はどうしてこんなに閑散としているのだろう、あの駅前の騒然たる群衆が、この映画館に怒涛のごとく押し寄せてこないのは何故なのか?
 いや『こほろぎ嬢』にお客さんが来ていないわけではないのだ。ゲストのトークがある日は、けっこう込み合い、特に吉行和子さん(松木夫人役)と大方斐紗子さん(祖母役)の夜(7日)は超満員で、補助席までほとんど埋まってしまった。また、音楽監督の吉岡しげ美さんの夜(8日)には、なんとあの歌舞伎町でタイガーマスク(多分)の仮面をつけ、自転車に乗って新聞配達をしている(一部での)有名人が現われ、浜野監督と吉岡さんの掛け合い漫才のようなトークに花を添えた。
 4日と6日の石井あす香さん(小野町子役)の舞台挨拶&トークでもそうだったが、こういう日は観客と、ゲストや浜野監督との間に親密な空気が流れ、質疑応答も活発に行なわれることが多い。脚本のわたしも記録用のデジカメを撮りながら、しみじみ幸せな気分に浸ることになる。
 ところが問題は、トークイベントの無い平日なのだ。午後1時半の回、3時半の回、そして5時半の回と、回を追うごとに観客が漸減し、特に最後の5時半の回など、時には2人、さらには1人というドラスティックな事態が目の前で現出し、わたしは目を見開いたまま、頭がクラクラとなった。



 全国的に、夜、映画を観るひとが激減しているらしいが、実はまさに平日の夜である1月11日(木)の5時半の回に、わたしの企画したトークイベントがあるのだ。79年に刊行された最初の創樹社版「尾崎翠全集」の玉井五一編集長と、故・藤田省三氏とともに全集発刊を提案した元・岩波書店校閲部の田中禎孝氏をお呼びしている。野中ユリ装釘のこの美しい全集は、わたしにとって一種特別な書籍であり、玉井氏は伝説的な編集者といっていいだろう。
 しかし、追加のイベントなので、劇場が配っているトークショー案内には載っていないうえ、「mixi」で告知したところ、5時半の上映開始という、仕事を持つ社会人には絶対無理な時間設定が問題だという指摘を受けた。確かに中途半端な時間であるが、劇場側も映画上映後の深夜に貸し館を行なっているという止むを得ない事情があり、お互いに厳しい環境のなかで悪戦苦闘していることが分かっているので、無理も言えないのだ。
 一昨日、ピンク映画の監督仲間である国沢☆実くんが観に来てくれ、雑談をした。彼によれば、知り合いの監督の舞台挨拶に行ったら、壇上に並んでいるゲストの数が、客席の観客の数より多かったという。わたしは戦々恐々とならざるを得なかった。幸い『こほろぎ嬢』の場合、土・日曜の役者さんや吉岡さんがゲストの日は大いに賑わっているが、わたしの企画した、ある意味では渋い、それもただでさえ観客の少ない平日の5時半の回は、果して大丈夫なのか? 玉井さんと田中さんとわたしと3人で、映画を観るような羽目に陥るようなことは、まさかあるまいと思いたいが、しかし絶対ないと言えるか?
 しかも、期日は明日と迫っている。こうなったら、このブログを読んでくれる方がどれぐらい存在するか知らないが、その方々の義侠心に訴える他はない。なんとか時間を按配して、1月11日木曜日、午後5時半、小田急線・井の頭線の下北沢駅下車、鈴なり横町のシネマアートン下北沢にご来館ください。
 と言っても、前売り券1500円(わたしに連絡頂ければ販売します)当日券1800円を出してもらう以上、何かセールスポイントが必要だろう。



★ポイント1
 いまや尾崎翠全集と言えば、筑摩書房の『定本尾崎翠全集』上下巻(98年刊)が当たり前になったが、これの前身が創樹社版『尾崎翠全集』(79年刊)だ。編者が同じ稲垣眞美氏で、創樹社版をベースに、さらに充実させたのが筑摩書房版となっているかといえば、まったくそうではない。これは稲垣氏による尾崎翠の私物化の現われ以外の何ものでもなく、確かに筑摩版には未収録作品を多く加えているのだが、尾崎翠の作品かどうか怪しいものが混じり込んでいる。また、長たらしい稲垣氏の解説には捏造があり、なかでも「恋びとなるもの」高橋丈雄とのくだりなど、妄想としか言いようがない。第一、初出の雑誌との異同などを記した「校異・解題」が、最初の創樹社版のほうが詳しく、筑摩版ではほとんど手を付けられていないのは「定本全集」としては致命的な欠陥ではないか。
 というようなことは、これまでにも繰り返し書いてきたので、もう飽きたと言う人もあるだろう。しかし、今や稲垣ストーカーと化した(南陀楼綾繁氏評)らしいわたしは置いといて、最初の全集の発刊に踏み切った玉井五一編集長と、岩波書店の校閲に在籍しながら翠全集の「校異・解題」を担当しただけでなく、作品の発掘収集にも努められた田中禎孝氏のお話を伺うことには、歴史的な意味があるのではないだろうか。
 当時、未知の天才であった尾崎翠の最初の全集が、どのように立ち上がってきたのか、それはどのような波紋を読書界に投げかけたのか、その後どのような変遷を辿ったのか。
 貸し館の関係で、多少時間を早めに切り上げざるを得ないので、その後、場所を居酒屋に移してお話しするつもり。玉井編集長は、新日本文学会で花田清輝など戦後文学の巨星たちと親しく仕事をし、文芸出版社創樹社を起こしてからは深沢七郎、富士正晴、そして花田清輝の名著『冒険と日和見』などを次々に送り出した。
 つい先日も、玉井氏の関係している「本郷クラブ」で、作家、小沢信男氏の「わたしの点鬼簿『通り過ぎた人々』」という「講話」を聴いたばかり。玉井氏と小沢氏は新日本文学会の僚友だが、小沢氏が講談社文芸文庫の花田清輝シリーズに書いた解説の、融通無碍な名文にシビレテいるわたしには、至福の時間であった。なお居酒屋の飲み代は割り勘です。



★ポイント2
 言うまでも無く、今回の眼目である映画『こほろぎ嬢』を観ること。見どころを、脚本のわたしがキャッチフレーズ風に言えば、次のようになるのではないか。
 百年早かった天才、尾崎翠が、筆を折る直前に到達した、孤独で可笑しな文学世界のエッセンス「歩行」「こほろぎ嬢」「地下室アントンの一夜」の、3本の短編を映像化した。そこでは風変わりな変人たちが、ひとりぼっちでモノローグを呟いたり、永遠に実ることのない「片恋」に熱を上げたり、オタマジャクシや豚と心を通わせたり、時には妙チクリンな議論を熱っぽく戦わせたりしている。
 いずれも現代の引きこもりに似た人物どもで、まったく世の中の役に立つ気配はないが、これらの徹底して実用性に欠けた連中の愛おしさ、掛け替えのなさはどうだろう。親の家に火をつけたり、妹の身体を分断したりする前に、尾崎翠の反・現実=愉快で爽やかな「地下室アントン」への訪問を、ぜひともお奨めしたい。精神分析をもじった翠の「分裂心理学」によれば、人間も動物も植物もさまざまに分裂し、二つの心の間を行ったり来たりしている。それが当たり前の、懐かしい常態なのだ。
 また、鳥取の景観の美しさ、ロケセットに使った古建築の存在感、吉岡しげ美の音楽の透徹したリリシズムなど、見どころ聴きどころには事欠かない。人によっては取っ付きにくい尾崎翠の文学世界だが、映像化することによって、変な論理に裏打ちされた独特の可笑しさが際立ったように思われる。



★ポイント3
 シネマアートン下北沢を評して「カルチェラタンの映画館みたいね」と言ったのは、日仏女性研究学会の伊吹弘子さんだったが、まさに言い得て妙。席数41のミニシアターだが、木の階段を上がり、民家の廊下風な処を通って、映写会場に入る。狭い廊下の先には沢山の映画のチラシが並び、今回は『こほろぎ嬢』のパンフや関連書籍、それに鳥取関係の観光資料なども揃っている。さらにその先にはカフェ・スペースがあり、コーヒーやビール、それに軽食なども頼める。トイレは女性スタッフの手によって、常に清潔に保たれている。
 浜野監督の口癖ではないが、このような映画館を持つことは、映画ファンの永遠の夢なのではないだろうか。まだこの映画館を未体験の方には、ぜひこの機会に訪れて頂きたい。番組もはなはだ個性的で、癖になります。
 とまあ、いろんなことを書き連ねたが、これも明日の夕方5時半に、少しでも多くの方に参集して頂きたい一心でのこと。後は観念して、天命を待つことにしよう。
コメント
阿部正大さま
コメント有り難うございました。
阿部正路先生は創樹社からもご著書を出されていたのですね。わたしが「先生」とお呼びするのは、かつて国学院の不勉強な学生だったせいです。
学科が違ったので直接講義を受ける機会はありませんでしたが、文学科の友達から阿部先生のお名前はよく聞きました。大学紛争の時代でしたが、学生たちに慕われている先生なんだなと思いました。
玉井さんとは最近も電話でお話ししましたが、何かお伝えすることはありますか?
  • ヤマザキ
  • 2011/08/30 12:44 PM
初めまして。玉井さんのお名前を検索中に、こちらのブログに
  • 阿部正大(阿部正路・次男)
  • 2011/08/30 1:04 AM
sizuhoさま
 ご連絡有り難うございました。京都で文芸誌、さらには梶原さんのお友達とは嬉しいことです。メールを差し上げますので、よろしくお願いします。
山崎邦紀さま
実はお手紙したいのですが、ご住所がわからないので、ブロブのコメント欄で失礼します。私は京都で「アピエ」という文芸誌を発行しています。11号目の特集を尾崎翠にする企画を立てました。厚かましいのですが、山崎さんに寄稿していただけないかと願い、ご連絡しました。映画「第七官界彷徨」のパンフや「尾崎翠フォーラムin鳥取2006」などを読み、ぜひ書いていただけないかと。トロントの梶原由佳さんには浜野佐知監督と山崎さんを紹介!していただきました。ご一報くださると幸いです。どうかよろしく。
  • sizuho
  • 2007/01/14 5:53 PM
建つ三介さま
 ご助力有難うございました。観客は残念ながら少数でしたが、詩人、小説家、女優、ライター、研究者、映画監督といった専門家が来てくれた上、全員が居酒屋でへ移動という珍しいことになりました。そして何より、30年近く前の創樹社版尾崎翠全集の成り立ちについて、正確な事実が判明し、収穫があったと思います。詳しくはブログで報告しますが、田中禎孝氏はこれまで岩波書店の校閲部としてきましたが、編集者でもあり、藤田省三氏の日本思想体系の「吉田松陰」を担当したのだそうです。田中氏も玉井氏も相当の年齢ながら、頭脳明晰、気力横溢で、嬉しい一夜でした。
 三介さんには発破をかけられましたが、人を集めるというのは難しいですね。特に興業となると困難を増す。しかし、困難な時に頼りになるのは女のひとだということを、しみじみ思いました。
へへh。こういうのを大阪弁で、
『イラち』っていうですよ、ネ。
こんばんは。kuninoriさん。
ダンさんがぼんちやと、まわりの「いらち」が
せかす、せかす。おちおち、昼寝もしてられへん。
ということで『哲学』者は中々評価せま仙。
上岡龍太郎さんの様な、マシンガンの様な喋りが
持て囃される。落語家には結構辛い土壌ですね、
きっと・・。

ではまた。
  • ivanat
  • 2007/01/11 6:19 PM
三介さま
 歯がゆがっていらっしゃることが、びんびん伝わってきて、なんとも恐縮です。しかし、「途方にくれた」というのを疑義どおり受けとられると、ちょっと困るので「mixi」の友人たちが動いてくれています。
 また、ご指摘の新聞関係は、鳥取県東京事務所が働きかけ、記者には浜野監督が連絡しました。情報誌関係にはほとんど掲載されていますが、しかし映画評ではなく、告知だけというのが弱そうです。
 三介さんは関西の方のようですが、下北沢は新宿や渋谷から10分ぐらいの若者の街です。しかし、あっという間に人気ブログで宣伝して頂いた三介さんの実践的な行動力には目を瞠りました。有り難うございます。
 あちらに書かれたように、決して「物書き」の通弊として座して待っているわけではないのですが、確かにグイグイという行動力には欠けているようです。反省しました。
 三介さんが推奨する藤田省三氏と、今日のゲストの一人、田中禎孝氏(元・岩波書店校閲部)は親しかったようですので、今夜は藤田氏のエピソードなども聞いて見たいと思っています。
 今夜の結果は明日にでもご報告できるでしょう。ともかくご尽力に感謝。
kuninoriさん。お早うございます。
スパイラルドラゴンさんに頼んでブログ・コメント欄で宣伝してもらいましたからね。
http://blogs.dion.ne.jp/spiraldragon/archives/4860646.html?reload=2007-01-11T07:37:39
わがまま聞いて下さって。なんたってDION「学問」部門1位の
人気ブログですからね。多くの人に読んでもらえます。
御礼言っておいて下さいよ。kuninoriさんからも。
盛況間違いなし!
かな? 多分。きっと。
では。
kuninoriさん。今晩は。
何してるんですか、もうじれったいというか、
こんな直前になって。
>席数41のミニシアターだが、木の階段を上がり、民家の廊下風な処を通って、映写会場に入る。
もっと宣伝しておかないんdス。
ところで下北沢って?東京都ですか?地理には疎くて・・。
あっちこっちにTB貼ってブログで宣伝すっればいいんじゃないですか?
尾崎翠ってほとんど誰も知らないんでしょうか?
41人位直ぐ埋まりそうな気もするんですがね。
東京なら人が多いんですから。どこかの大学の映画サークルとか、女性団体とか、の掲示板とかブログとか、に万万張ってみられたら如何ですか? 或いは古本屋さんのブログとかも効果的かも・・。
適当に検索すれば直ぐ出ると思いますよ〜。
フットワークが悪すぎます。新聞社とかにも催事の案内、
出してないんでしょ? そのぶんだと・・。

>途方にくれたような視線を通行人に投げかけている
ほんとにそれ「だけ」?
鳥取の協力した人たちは嘆いてますよ、これ読んで・・。
宣伝下手過ぎ〜って。ああ、じれったい。

では。
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原作作家の尾崎翠 昭和初期の幻の作家尾崎翠の短編3作を連作として映画化。 心理学者に片思いした少女が詩人になり恋をする幻想的な物語。 尾崎翠の出生地・鳥取でオールロケを敢行。 <ストーリー> 祖母
  • ショウビズ インフォメーション
  • 2007/01/22 8:30 PM

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