男性小用考
- 2005.03.21 Monday
- 07:57
女性映画祭の会場になっている、クレティーユ市の文化センターのトイレで小用を足しながら、「これもまたひとつの解決法であるな」と感じ入った。いわゆる「朝顔」のデザインがとてもコンパクトで、壁に据えられた位置が、いやに高いのだ。最初は、わたしが短足の日本人のせいで高く感じるのかと思ったぐらい、位置が高く、普段なら下向きにする放射角度を、ほとんど水平にする必要があったのだが、考えてみればフランス人はアメリカ人ほど長身の人は多くない。この「朝顔」の設計は、小用に伴うところの飛沫対策に他ならないと、わたしは確信した。
以前、バイブなどのセクシーグッズを女性向けに販売する「ラブピースクラブ」のメルマガで、代表の北原みのりさんが「自分は一応、小さな会社の社長ではあるが、トイレの掃除もしている。しかし、男子のトイレはどうしてこんなに汚れるのか」と嘆いているのを読み、我が意を得たり! と思った。わたしにとって小用の合理的な方法は、生活の中で決して小さくないテーマのひとつであり、男性の立ちションはすべからく廃止すべし、というのがわたしの辿り着いた結論なのである。
●ラブピースクラブのHP
http://www.lovepiececlub.com/
わたしの自室のトイレは、小さな浴槽と並んだユニットバスなのだが、立って小用を足した後、しゃがんで便器の外縁や周囲をじっーと観察すると、相当の細かい飛沫が飛び散っていることに気づく。また、海水浴場の砂浜に設けられた公衆トイレで、水泳パンツ姿でオシッコしたところ、脛から足首辺りに飛沫がかかるのを感じた。それは放射されたオシッコが拡散した一部のようでもあり、便器からの撥ね返りのようでもある。男性の多くはズボンをはいているので、こうした飛沫の拡散や撥ね返りに気づかないでいるが、初夏から秋口まで基本的に短パンで過ごすわたしには、敏感にならざるを得ないテーマなのだ。
なぜ、オシッコの飛沫は拡散するのか? 高所から立ちションしてみれば分かることだが、飛距離が長くなればなるほど放射角は広がり拡散する。わたしがクレティーユの「朝顔」に感服したのは、位置を上げることで飛距離を最小にし、拡散を防いでいることだ。さらに、飛距離が短くなれば、撥ね返りのコントロールも容易になるし、放射口と間近なだけに、いきみ方も慎重にならざるを得ない。なかなか優れたデザイン思想であると思った。
しかし、それはあくまで改善策であって、根本的な解決にはならない。わたしはスタンディング・ポジションによる男性小用を廃止し、洋式トイレにおいては大小ともに座ってすることを提案したい。可能な範囲でわたしはこれを実践しているが、ズボンを下ろすなど多少の手間はかかるものの、ポーズとしても楽である。和式トイレとなると、わたしも躊躇う、というか実際に実行したことはないが、まあ東京で生活している分には和洋併設が多いので、洋式を選択すれば良いことだ。
パリだからといって、優れたデザインの「朝顔」があるのではなく、クレティ−ユの住宅街の映画館で出くわしたトイレには、茫然とした。男子用に大小の区別が無く、ボックスに入った足元には、水路のようなものが走り、その中に両足を載せるレンガ一枚ずつぐらいの足場がある。どうやら大も小も、この水路に向かってするのだろうが、ズボンをはいた男性がしゃがんで小用を足すことは考えられず、しかし足場に乗ると前方があまりに狭い。やむを得ず、水路の手前に立ち、足場を避けながら水路に向かって放射することになるが、完全に足場を濡らさないで済ますことはできない。大をするにしても、和式以上に太腿の筋肉が必要とされるのではないか。
恐る恐る小用を足した後、水を流したら、物凄い勢いで噴出してきて、怒涛のような水流が足場さえも洗うような景観を呈したのには、またまた唖然となった。今回、浜野監督の通訳を務めてくれている翻訳家の児玉しおりさんによれば、このタイプは「トルコ式」トイレと呼ばれ、フランスの古い建物には残っている場合があるそうだ。なぜ、かつてフランスにおいてトルコ式のトイレが採用されたのか謎だが、それを探求するのはわたしの仕事ではない。
2月に沖縄県女性総合センター「てぃるる」で『百合祭』の上映があった際に、スタッフと親しいカウンセラーの女性に聞いたことだが、ある介護されている男性老人がいた。歩くのも不自由になり、立ってオシッコする際にも補助者が必要なのだが、うまく行かないで下着などを濡らしてしまうことが多い。それで、オシッコも洋式トイレで座ってするよう、介護スタッフが勧めたが、彼は「しゃがんで小便するのは女のやることだ」と頑強に拒否し、あくまで立ってすることに固執したという。そのせいでもないだろうが、状況が好転して自宅に帰れるようになっても、今度は老妻が引き取ることを拒み、哀れ、老人は行き場を失ってしまったそうだ。
「男性小用は、しゃがんですべし」などと言うと、またヤマザキが女性受けしそうなことをお調子こいて口走っていると、苦々しく思う識者もあるかも知れない。しかし、わたしの提案は、沖縄の男性老人のような悲劇を生まないためにも、有効であると思われるのだが、果たしてどうか。
以前、バイブなどのセクシーグッズを女性向けに販売する「ラブピースクラブ」のメルマガで、代表の北原みのりさんが「自分は一応、小さな会社の社長ではあるが、トイレの掃除もしている。しかし、男子のトイレはどうしてこんなに汚れるのか」と嘆いているのを読み、我が意を得たり! と思った。わたしにとって小用の合理的な方法は、生活の中で決して小さくないテーマのひとつであり、男性の立ちションはすべからく廃止すべし、というのがわたしの辿り着いた結論なのである。
●ラブピースクラブのHP
http://www.lovepiececlub.com/
わたしの自室のトイレは、小さな浴槽と並んだユニットバスなのだが、立って小用を足した後、しゃがんで便器の外縁や周囲をじっーと観察すると、相当の細かい飛沫が飛び散っていることに気づく。また、海水浴場の砂浜に設けられた公衆トイレで、水泳パンツ姿でオシッコしたところ、脛から足首辺りに飛沫がかかるのを感じた。それは放射されたオシッコが拡散した一部のようでもあり、便器からの撥ね返りのようでもある。男性の多くはズボンをはいているので、こうした飛沫の拡散や撥ね返りに気づかないでいるが、初夏から秋口まで基本的に短パンで過ごすわたしには、敏感にならざるを得ないテーマなのだ。
なぜ、オシッコの飛沫は拡散するのか? 高所から立ちションしてみれば分かることだが、飛距離が長くなればなるほど放射角は広がり拡散する。わたしがクレティーユの「朝顔」に感服したのは、位置を上げることで飛距離を最小にし、拡散を防いでいることだ。さらに、飛距離が短くなれば、撥ね返りのコントロールも容易になるし、放射口と間近なだけに、いきみ方も慎重にならざるを得ない。なかなか優れたデザイン思想であると思った。
しかし、それはあくまで改善策であって、根本的な解決にはならない。わたしはスタンディング・ポジションによる男性小用を廃止し、洋式トイレにおいては大小ともに座ってすることを提案したい。可能な範囲でわたしはこれを実践しているが、ズボンを下ろすなど多少の手間はかかるものの、ポーズとしても楽である。和式トイレとなると、わたしも躊躇う、というか実際に実行したことはないが、まあ東京で生活している分には和洋併設が多いので、洋式を選択すれば良いことだ。
パリだからといって、優れたデザインの「朝顔」があるのではなく、クレティ−ユの住宅街の映画館で出くわしたトイレには、茫然とした。男子用に大小の区別が無く、ボックスに入った足元には、水路のようなものが走り、その中に両足を載せるレンガ一枚ずつぐらいの足場がある。どうやら大も小も、この水路に向かってするのだろうが、ズボンをはいた男性がしゃがんで小用を足すことは考えられず、しかし足場に乗ると前方があまりに狭い。やむを得ず、水路の手前に立ち、足場を避けながら水路に向かって放射することになるが、完全に足場を濡らさないで済ますことはできない。大をするにしても、和式以上に太腿の筋肉が必要とされるのではないか。
恐る恐る小用を足した後、水を流したら、物凄い勢いで噴出してきて、怒涛のような水流が足場さえも洗うような景観を呈したのには、またまた唖然となった。今回、浜野監督の通訳を務めてくれている翻訳家の児玉しおりさんによれば、このタイプは「トルコ式」トイレと呼ばれ、フランスの古い建物には残っている場合があるそうだ。なぜ、かつてフランスにおいてトルコ式のトイレが採用されたのか謎だが、それを探求するのはわたしの仕事ではない。
2月に沖縄県女性総合センター「てぃるる」で『百合祭』の上映があった際に、スタッフと親しいカウンセラーの女性に聞いたことだが、ある介護されている男性老人がいた。歩くのも不自由になり、立ってオシッコする際にも補助者が必要なのだが、うまく行かないで下着などを濡らしてしまうことが多い。それで、オシッコも洋式トイレで座ってするよう、介護スタッフが勧めたが、彼は「しゃがんで小便するのは女のやることだ」と頑強に拒否し、あくまで立ってすることに固執したという。そのせいでもないだろうが、状況が好転して自宅に帰れるようになっても、今度は老妻が引き取ることを拒み、哀れ、老人は行き場を失ってしまったそうだ。
「男性小用は、しゃがんですべし」などと言うと、またヤマザキが女性受けしそうなことをお調子こいて口走っていると、苦々しく思う識者もあるかも知れない。しかし、わたしの提案は、沖縄の男性老人のような悲劇を生まないためにも、有効であると思われるのだが、果たしてどうか。
私は、男性も、もっと美意識を持つべきだと考えているからです。
美意識とは、ものごとを美しく、綺麗に、清潔に取り組むことであり、現代に、はこびっているあらゆる問題を改善してゆくことができると思うからです。
私の拙い詞書きでは、駄文になってしまうと思いますので、ここでは一つ一つ具体的に述べることは、遠慮させていただきますが、多くの男性の意識改善を願う私としては、ションベンのしかたひとつから、“気づき”を与えられるキッカケになるのでは‥?と気づかせていただいたようで、ありがたく感じております。
ありがとうございます。
小用便器を強制的に排除していくのではなく、自分から座って小便をするチンコ社会を願っています!?
マチズムにがんじがらめのアメリカ女性は、我らが開放路線とは縁なき衆生。
経路と使用器官は同一なれど、確かに射精は硬直路線。まさに対極的なり。その後のリラクゼーションプロセスの方にこそ共通性はあるやも。げに、射精と放尿は両立せず。
世の殿方は、立ちションに開放感を主張しますが、立ちションでは、全身は緊張し、尿道だけ緩むわけで、ピンポイントの開放感に止まります。
直立という人類の無理な姿勢をやめて、全身の筋肉を緩めた格好での放尿こそ、開放感あるのです。
それなら、仰向けや腹ばいで寝たり、または膝で四つんばいになっておこなうのが、本当はもっともよろしからむ(性交の体位と同じヴァリエーション)。
しかしあれこれ実用性も考えると、常習するには、座尿くらいが妥当なところ。
今回の立ちションに関しては、わたしは純然たる衛生的ならびに掃除的関心ですので、女性の立ちションは男より以上に飛び散るのではないかと心配します。しかし、もしかしたら女性の側に立ちションしてみたいという野望があるのではないかと思わないでもありません。便器との関係において、立ちションには実際的効用は存在しない、というのがわたしの立場ですが、異論があればお聞かせください。
黒と白って凄い効果ですね。びっくり。お洒落なトイレ、これがフランスですね。
外国へ行くと、とにかく、トイレは悩みます。ここに文化があるかもね。ここで個と全という哲学的命題も思ったものです。貧困というものの姿もね。えいっ、ですよね。トイレは凄いのだ。