『こほろぎ嬢』下北沢リターンズ〜エンテツ大兄へ

  • 2007.05.12 Saturday
  • 07:22
 右上半身が、きしむように痛い。大きく呼吸するだけで、肩甲骨、鎖骨、肋骨が痛む。自転車で転んだのだ。深夜、酔っぱらって雨中走行し、気がついたら歩道にしたたか打ち付けられていた。短い時間、気を失っていたかもしれない。女性に「大丈夫ですか?」と声をかけられ、やっとの思いで立ち上がったが、なんとか自転車にまたがると、今度はチェーンが外れて、ペダルが空回りする。雨の中、自転車を引っ張って帰ってきた。
 しかし、酔っていたので、確かな記憶がない。特に、転倒する以前のことが五里霧中で、酔った頬に冷たい雨が気持ちよく、調子に乗ってスピードを上げたことだけは覚えている。転んだ後の記憶も、すべてフラッシュバックで、早朝気がついたら、自室の床に倒れ、下着姿で寝ていた。
 部屋に温かいモヤが籠っていると思ったら、ミニキッチンの電気コンロに鍋がかかったまま、水分がすべて蒸発して空焚きになっている。蕎麦でも茹でようとしたらしい。われながらマメであるが、鍋底は真っ赤で、とても持てない熱さだし、蓋は変色していた。コンロの周囲も過熱して、下手をすると火事を起こすところだった。
 全身の痛みと二日酔いで、丸一日寝込んだが、その翌日、きしむ身体を引きずりながら現場検証(?)に、歩いて出かけた。中野から新宿・十二社に向かう、おそらくは中野坂上付近だろう。ところが、フラッシュバックする転倒箇所の状景と、合致する場所がない。濡れた路面から見上げた、街道沿いの歩道の工事現場のような景色は、どこに行ったのだ?
 身体の打撲が、右半身に集中しているところから、何かと衝突したのではなく、急ブレーキをかけて、雨でスリップし、自転車ごと、右肩あたりから路面に叩きつけられたのだろう。ついでに後頭部もぶつけた。それにしても、いくら探しても該当する場所がないのが不思議だ。わたしは深夜の雨中走行で、いかなる陥穽にはまり込んだのだろう。


<5月4日は、映画『こほろぎ嬢』のパンフレットに、尾崎翠全集の書評(1980年)を収録させていただいた、吉行理恵さんの一周忌だ。追悼する『吉行理恵レクイエム「青い部屋」』(吉行あぐり編。文園社刊。1700円+税)が刊行された。発行日は5月4日。詩人としての出発点である自費出版の詩集「青い部屋」、自伝小説「記憶の中に」、芥川賞受賞作品「小さな貴婦人」、女流文学賞受賞作品「黄色い猫」、最後の作品「靖国通り」、それにエッセイ数編が収められている。巻頭に、母あぐりさんの理恵さんへの手紙、巻末に担当編集者だった小島千加子さんと、姉和子さんの追悼文があるが、異色は詩集「青い部屋」の、兄淳之介氏による「付記」。1963年に書かれたものだ。母、兄、姉の語る理恵さん像が、立体的に浮かび上がってくる。ほとんどマスコミに顔を出さなかった理恵さんの貴重な写真も、多数収録されている。尾崎翠と、とても魂の位置の近いところにいた詩人・作家と思われる>
●文園社
http://www.bunensha.co.jp/sinkan.html

 吉行理恵さんの一周忌に符節を合わせたように、5月5日(土)から、東京・下北沢の映画館「シネマアートン下北沢」で『こほろぎ嬢』のアンコール上映が始まった。「アンコール」というのは、1月の同劇場でのお正月ロードショーで、まずまずの観客が入ったため、GWで再上映ということになったのだ。1日1回、午前11時からのモーニング上映で、期間は5月18日(金)までの2週間である。
 わたしは連休のハザマの1日・深夜に転倒したので、TVが日本全国の行楽の模様を伝えるなか、ひとり痛む身体を抱え、唸っていた。実はこの間に、アンコール上映の件をこのブログでアップしようと思っていたのだが、とても書く気力が浮んでこない。頭がまとまらないのだ。妙な頭痛もする。
 それに、このところ『こほろぎ嬢』の上映に関しては<mixi>の「尾崎翠『こほろぎ嬢』製作上映」コミュや「浜野佐知」コミュを中心に、せっせと広報してきた。お正月ロードショーでは、これらのコミュの方々に本当にお世話になった。
 しかし、その時のロードショーで、知人・友人から<mixi>に至るまで、フルに声をかけた感があり、はたしてこれ以上『こほろぎ嬢』を観てくれる人はいるのか? という弱気に襲われないでもなかった。お金を使った宣伝を打てない以上、今回は<mixi>という親密な閉じられた仮想空間から出て、ブログという開かれた地平に出てみよう、と考えたのだが、バカげた大転倒のおかげでポシャッてしまった。


<シネマアートン下北沢が入っている鈴なり横丁。下北沢の再開発計画によって、存亡の危機に立っている。戦後風の木造二階建てで、二階が小劇場演劇のメッカ「ザ・スズナリ」と、映画館のシネマアートン。一階は飲み屋が連なっているが、一軒だけ角に古本屋「古書ビビビ」がある。再開発計画は区の審議会で承認され、都も道路の事業認可を下ろしているが(この道路によって、鈴なり横丁は消滅する)、下北沢商業者協議会が先頭に立って、計画の見直しを求めている。シネマアートンの岩本支配人も、その有力なメンバーだ。生活者の街として雑多なエネルギーに満ちている下北沢駅周辺(物価も安い)が、役人の机上のプランによって、日本全国どこにでもある小奇麗なだけの駅前に変貌させられて良いわけがない!>
●シネマアートン下北沢
 http://www.cinekita.co.jp/

 5日(土)のアンコール上映初日には、浜野監督の舞台挨拶があり、そこそこの人は入った。お正月には連日劇場に通った監督だけに、今回も意欲満々なのだが、問題は6日(日)から浜野組のピンクの撮影があること。浜野監督は、その後の仕上げ作業も含め、自分の都合の悪い日は、わたしに挨拶の代打ちを務めろと言う。人前で話すのは、まことに苦手なわたしだが、映画『こほろぎ嬢』や尾崎翠についてなら、何とかなるのではないか、と身の程知らずに考えたのが間違いだった。
 浜野組の現場では、わたしは脚本以外に、飯炊きと現場スチールを担当しているので、朝11時に映画館で挨拶をしてから、現場に向かうことになった。その一回目が、6日の日曜日で、わたしはそれなりにプランを考えていったのだが、初日以上に入ったお客さんを前に喋り始めたら、次第にわたしの脳から言葉が蒸発していく!
 自転車の転倒で、頭を打ったせいか。いや、前から喋っているうちに混乱していくのが、わたしのパターンなのだ。どうも、わたしの挨拶のプランが「第七官界彷徨」の蘚の恋愛から、人間中心主義の脱却を見出し、宇宙から見た地上の動物、植物、鉱物の関係を前段として、本論の「こほろぎ嬢」へ入る…などと大風呂敷を広げたのが失敗だったようだ。
 壇上で喋りながら、目の前の、つまらなそうにわたしを見つめている顔や、そっぽを向いている顔に出くわすたびに、しどろもどろになり、ついには本論として想定していた「こほろぎ嬢」の登場人物たちの、現代における存在意義について語ることなど忘れ、早々に舞台を降りてしまった。わたしはせっかく映画を観に来てくれたお客さんたちの気持ちに、水をさしてしまったのではないか。
 この日は、シャープ氏の友人役で出演している怪優、リカヤ・スプナーさんも、彼女連れで来てくれていたのだが、上映後に声をかけられ、初めて気づいた。それぐらい、わたしの視野は狭まっていたのだろう。その後、撮影現場に行って、浜野監督にリカヤさんが来てくれたことを報告すると、自分だったら彼を舞台に上げたのになあ、と残念がっている。アングラなイベントの仕掛け人でもあるリカヤさんなら、見事に観客の皆さんを惹きつけてくれたことだろう。わたしの落ち込みが、さらに深まったことは、いうまでもない。


<映画『こほろぎ嬢』のクランクインは、昨年の5月15日だった。去年の今頃、わたしは浜野監督や技師さんたちと鳥取県倉吉市に先乗りし、準備に努めていたのだ。<mixi>で、あの疾風怒涛の日々を、製作<失格>日誌として、昨年書き始めたのだが、撮影3日目ぐらいでストップしたままだ。スタッフの内紛を含む最大のヤマ場は、あの後、訪れるのだが…。それにしても、吉行和子さんは、妹・理恵さんを亡くして2週間後には、倉吉のロケに参加してくださったのだ。感謝の他ない>
●製作日記に関しては、mixi「尾崎翠『こほろぎ嬢』製作上映>コミュ参照。

 リカヤさん以外に、もうひとり劇場で声をかけてくれた女性がいて、「エンテツさんの友だちです」と自己紹介された。そして、彼女の携帯に入った、エンテツ大兄からのメールを見せてもらった。そこには『こほろぎ嬢』が、また映画館で上映されているとは知らなかった、ヤマザキたちはあまりに宣伝が下手すぎる、自分のブログにも書いてないじゃないか、奴を見かけたら発破をかけてくれ、というような、彼女宛てのメッセージが入っていた。
 これからエンテツさんと落ち合うことになっていると、彼女は去っていったが、「大衆食堂の詩人」と称される大兄は、お正月ロードショーの時に、この劇場に来てくれた。わたしが例によって、シネマアートン下北沢の前で、行き交う人たちを茫然と眺めていると、若者の多い下北沢には珍しく、建設工事の現場監督みたいなジャンパー姿のオヤジが、劇場の前に立った。そして、おもむろに館内に向かう階段を上がっていく。珍しいお客さんだなと思ったわたしはわたしで、母親からもらった「舘岩村婦人消防隊」のハッピを羽織っていたので、他人のファッションについて、とやかく言えたものではない。
 開始時間が近づき、わたしも劇場に入っていくと、そこには遠藤哲夫著『汁かけめし快食學』(ちくま文庫)の元になった奇書、『ぶっかけめしの悦楽』(四谷ラウンド)を編集した堀内恭さんと、エンテツさんご本人が立ち話しているではないか。現場監督風が大兄その人だったのだ。彼もまた「どうして田舎の消防団が、こんなところにいるんだ?」と訝しく思ったとか。
 なお、堀内恭さんは、現在独力で「入谷コピー文庫」を発行し、エンテツ大兄も「野菜炒めの研究」を書き下ろしている。入谷コピー文庫の、わたしが知る近刊は、桂浜吉著『そ・し・て…未亡人読本〜寒椿篇〜』という、かなり怪しげなやつ。亡くなった著名人の奥さんの、回想本の世界を探求している。<向日葵篇><曼珠沙華篇>に続く「未亡人読本」三部作の完結篇だとか。


<シャープ氏とマクロード嬢のエピソードは、鳥取市の仁風閣で撮影された。棺おけに向かって立つ左手の役者が、リカヤ・スプナーさん。国指定重要文化財で、不埒な撮影隊は深夜まで撮影を行った>

 なぜ、すぐにエンテツさんと気づかなかったのか? 大兄とは飲み会で何度か同席したぐらいで、後はネット上の付き合いだが、映画館のような場所では、まったくコンテクストの異なった方々が、交錯して来訪する。普段あまり人と会わない生活を続けているわたしは、どこかで出会った顔に出くわすたびに、記憶をフル動員するのだが、その速度が手動の紙芝居ぐらいに極度に遅い。
 それで、つい失礼してしまうことが少なくないのだが、映画館の前で、エンテツ大兄とお互いに、おかしなオヤジだなと、不審のまなざしを向けていたのだから笑える。
 酔っぱらいで知られる大兄だが、一方で食をめぐるマーケティングやプランニングの冷徹な専門家でもあって、『こほろぎ嬢』上映をめぐるわたしたちのやり方が歯がゆくて仕方がないのだろう。わたしへの檄が、女性の携帯経由、というのがエンテツ大兄らしいのか、らしくないのか分からないが、わたしは深夜の雨中転倒で一度は断念したブログを書くことで、舞台挨拶で落ち込んだ気持ちを立て直そうと決意した。舞台挨拶で、わたしは何を喋ろうとし、何を喋れなかったのか? 
 しかし、浜野組の現場中は無理なので、10日(木)に主演女優・石井あす香さんの地元の松戸市で開かれる上映会の前の、9日にアップしようと予定していた。ところが、撮影の最終日の深夜に帰って、翌朝、わたしは右半身の、うずうずする痛みで目が覚めた。転倒の後遺症が、1週間経って発症したのか? いや、違う。撮影現場のハヤシライスの呪いなのだ。


<転ぶ前に、こんな写真を撮っていたのが、不幸を招き入れたのか。近所の熊野神社の境内の奥には、不気味な狐が4体鎮座している>

 撮影現場で、わたしは監督の作っておいたメニューにしたがって、スタッフと役者の食事を作るのだが、これは日ごろ自分の部屋でやっていることの拡大版なので、特に問題はない。大変なのは、食べた後の食器洗いなのだ。ひとり当たり、ご飯・味噌汁・サラダなどの野菜・メインの肉や魚の皿・それにお茶のコップと、5つのプラスチック食器を使い、それが十人分以上ある。
 なかでも、旦々舎名物のカレー(監督がイン前に作っておく)の粘着したプラスチック容器をきれいにするのが、至難の業。今回は2日目にカレーで、3日目にハヤシライスが登場してきた。そして、わたしが前夜、監督のレシピにしたがって作ったハヤシが、とんでもない難物だったのである。カレー以上に、食器にこびりついて離れない。いきおい洗剤を大量に使うが、この洗剤というのがわたしの大の苦手なのだ。自室では、ほとんど油を使わないので、基本的にタワシで汚れを洗い流しているのだが、洗剤によって見る見るうちに、わたしの指の指紋が消えていく。
 ともかく、ハヤシときたら、いくら洗剤を使っても、相当のチカラを込めてこすり落とさないことには、きれいに落ちないのだ。ガラスや金属だと落ちやすいようだが、あいにく現場の食器はみな安物のプラスチックで、これに見事にこびりつく。スプーンもまた同じ素材で、これがまた窪みにひっついて、離れない。
 タダでさえ右半身の痛むわたしだったが、やむを得ず思い切りチカラを入れることになり、洗い終わったときには眩暈がしたほどだった。そのせいで、だいぶ収まってきた転倒時の痛みが、再びぶり返し、そこでまた1日寝てしまった。にっくきはハヤシライスである。
 しかし、わたしが味噌汁の大根を包丁で切ったりしている後ろで、裸の撮影が行われ、わたしがこびりついたハヤシを削ぎ落とそうと格闘している横に、バスローブ姿の女優さんがお菓子を食べにきたりする光景は、ピンク映画の撮影現場のファミリーな雰囲気を表すものだろう。


<これまた、事後の眼で見ると、不吉を感じさせないでもない。新宿中央公園の外周の蔓の植物。熊野神社は、この公園の一角にある。中央公園は最近、再びブルーシートを張ったキャンプ村の様相を呈してきた>

 そんなこんなで、あっという間に、2週間のアンコール上映のうちの1週目が終わってしまった。今日から、後半の1週間が始まるというのに、わたしのブログはまだ更新できていない。エンテツ大兄の檄がさっぱり効いていないではないか。
 大兄は、<mixi>を一種の仲良しクラブと断じ、強風やら雷やらが渦巻くネットの荒野に、一人立つ気概で、ブログ「ザ大衆食つまみぐい」を連夜執筆されている。どうやら、書いているときは、ほとんど酔っ払っているらしい。最近の「小諸の揚げ羽屋オヤジ追悼」は、島崎藤村の作品にも登場する歴史ある食堂の、昨年亡くなった主人を偲んで、胸を打つものがある。
 しかし、あまりに亡き人への愛情にあふれ、わたしにはいくらか物足りない。時代のブームや、カッコつけたグルメ文化、食をめぐるありきたりの思考方法などに対する、エンテツ大兄の、寸鉄人を刺す批判の、わたしはファンなのだ。酔っぱらうことと、生活や人生について考えること、それを言葉にしていくことのリズムが、八方破れの文体のなかで見事に連動している。
 以前読んだ日記だが、女房に逃げられ、旧知の大兄に仲裁を依頼してきた団塊男に対する辛辣な批判には、大笑いしながらもシミジミとしてしまった。結婚離婚を繰り返し、子供に死なれたこともあるらしい大兄自身の、浮沈の人生が、短い言葉で裏打ちされていた。
 お正月にシネマアートン下北沢に来てくれたときには、限られた時間だったが、初めて大兄と二人で飲んだ。その際にも出た話題だが、花田清輝が1974年に亡くなった後、遺稿集として刊行された『箱の話』(潮出版社)で、最後に花田が取り上げていたのが、江原恵著『包丁文化論』(エナジー叢書)だった。
 あの難しい花田が「大いに親近感をおぼえた」と賞賛している江原恵という人と、エンテツ大兄は一方ならぬ関係にあり、快著『汁かけめし快食學』(ちくま文庫)の第5章でも、かなり詳しく触れているが、これが大兄とわたしの、もうひとつの接点だろうか。花田は、わたしのもっとも敬愛する批評家である。
 飲み屋では、江原恵の晩年の、とても興味深いエピソードをうかがったが、大兄には、ぜひ一冊の本になるぐらい、この江原恵という不思議な人物像と、その成し遂げた仕事について書いてもらいたいと願う。そうとう破天荒な人生を送った人のようだ。


<エンテツ大兄の快著『汁かけめし快食學』(ちくま文庫)。カバーの東洋片岡氏のイラストと、なかの各章の扉絵が笑わせる。大兄の著者は、他に『大衆食堂の研究〜東京ジャンクライフ』(三一書房)など>
●大兄のブログ「ザ大衆食つまみ食い」

http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/

 さて肝心の、シネマアートン下北沢での舞台挨拶だが、わたしは人前で話すことは、すっぱり断念し、このブログで、<何を言いたくて、何を言えなかったか>書くつもりだったが、実はその後、松戸の上映会に出向いた10日を除いて、連日、上映前に挨拶をしているのだ。ただし、方針を変更して、独りよがりな尾崎翠論のようなことはアキラメ、舞台の袖から、上映前に知っておいて悪くない、いささかの情報の提供と、パンフレット(400円)および漫画「こほろぎ嬢」(千円)の紹介に努めている。
 やはり平日のモーニングのお客さんは少なく、パンフなどを買ってもらうことで、少しでもアンコール上映を決めてくれた劇場の売り上げを増やしたい。しかし、それ以上に、わたしはどうやら、人前で喋るコツを、いくらか会得したような気がしないでもないのだ。転機はすぐに訪れ、大失敗の翌月曜日、観客は二人の高齢男性のみで、そのうちのお一人は、わたしの話などにまったく関心を示さず、うるさそうにしている。
 しかし、わたしは、残るたった一人のおじいさんを相手に話しながら、そうだ! いくら多数のお客さんの前でも、こんな風に一人の相手に話すように話せば、頭が散らからないで済むのではないか! 妙にレトリックのようなことは考えず、素直に一人の相手に向かって、伝えたいことを伝える、という方針に切り替え、何とか聞いてもらえる水準に向かいつつある(ように思うのだ)。
 もっとも、そう思っているのは自分だけで、浜野監督のようにハッタリは効かないし、聴く人を意気昂揚させることもないのだが、少なくともこれから映画を観ようとする人たちを、意気阻喪させるようなことは少なくなっていると、わたしは自己診断する。
 これから一週間、浜野監督の登板する13日(日)、14日(月)、最終日の18日(金)を除いて、わたしが舞台の袖から挨拶することになっている。モノは試しで、一度聴きに来てもらいたいものである。


<ああ、懐かしい倉吉の豚クン。昨年10月、この大豚クンはすでに出荷されていて、動物学実験室の子豚クンは未だだった。今頃どうしていることだろう>
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2007/05/07「コナモンと汁かけめしの出合い」にコメントをいただいている、
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  • 2007/05/13 2:55 PM

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