2017/03

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 ブローニュの森の近くに住む友人を訪ねるため、パリ市外に向かうメトロに乗っていたら、長身で初老の黒人男性が乗り込んできた。ブレザーを着込んで、身なりはまともだが、どこかに異様なオーラを携えている。多少よろけるのか、わたしの膝にぶつかりながら、わたしの背後の四人がけの席に座った。多少酔っているのかな、と思ったが、格別おかしいわけではない。まもなく、今度はフランス人の若い男が乗り込んできて、立ったまま車内を睥睨するかのように見下ろしている。
 突然、わたしの背後で吠えるような大声が発せられた。驚いて振り返ると、先ほどの黒人男性が、ちょうど犬が外敵に吠えかかるように歯を剥き出し、若い男を威嚇しているではないか。歯茎まで露出した表情が、ドーベルマンやオランウータンの臨戦態勢に酷似している。辺りの乗客も仰天し、黒人男性の隣に座っていた人などは、立ち上がって隣の車両に移動した。大音声は何度か発せられ、相手の若いフランス男もいささか肝を潰したのだろう、顔を赤らめて目線を逸らし、横を向いた。それに合わせるように、黒人男性は向かいの席の、わたしとちょうど背中合わせになる席に移り、外敵である若い男には背を向けた。



 ここまでの展開について、これはわたしの想像だが、横柄に見下したようなフランス男と、黒人男性の眼がバチッ!っと合ったのではないか。いわゆるガンを飛ばすというやつだ。お互いに目線を離せず、睨みあうような形になり、そこから黒人男性の吠え声が生じたに違いない。チンピラ同士なら、怒声が飛んだり、掴み合ったりするものだが、黒人男性は動物的な大声と表情で思い切り威嚇すると、相手に背中を見せてしまった。それ以上の暴力行為に及ぶつもりはないということだろう。しかし、言葉を一言も発せず、歯茎まで剥き出しにして唸り、吠えるという原始的なリアクションは、常人の範囲を逸している。若い男は、降りる前に、もう一度黒人男性の後頭部辺りを、しばらく睨みつけていたが、これは常人の虚勢というものだろう。
 やれやれ、ようやく車内の緊張感が薄れたと思ったら、まもなく別の駅から、今度は見るからに浮浪者然とした、不健康にデブった大柄の黒人が乗ってきた。年齢は分からないが、やはり初老といった年頃か。手には酒のボトルを提げ、明らかに酔っている。異様なションベン臭い匂いも発し、周囲の乗客は慌てて接触しないように避けるが、本人も行き場がないような不機嫌な表情で車内を見回し、あろうことか、先ほどの黒人男性の座っている四人がけの座席の、通路を挟んだ隣の席に座った。これは奇天烈な両巨頭の激突になるに違いないと睨んで、わたしはこの先の展開に息を呑み、神経を張り巡らして背後の雰囲気を窺った。



 一触即発か? と思うまもなく、いきなりバシン! バシン! と思い切り叩く音が車内を轟き渡った。早速振り向くと、わたしの背後の黒人男性が、向かい側の空いた座席を拳で力いっぱい叩いているではないか。いよいよ正面衝突かと、相手の浮浪者に目を走らせると、これが立ち上がって、なんと黒人男性に向かって酒のボトルを差し出している。そして、その顔に浮かんだ表情の、百年の知己にでも出会ったかのような親しみを込めた破顔には、思わず胸を突かれた。先ほどまで、この世界には居場所が無いといった周囲との隔絶を示していた彼が、言葉を一切話さず動物的リアクションしか示さない男に向かって、最大限のシンパシーを込め、エールを送っているのだ。
 周囲の乗客は、またしても避難し始めたが、わたしにはこの二人の、おそらくは狂人が、周囲の人間に対して暴力行為には及ばないだろうという確信があった。先ほど歯を剥き出して外敵に吠えかかった彼は、酒のボトルを受け取り、一口飲むと、またしても座席をドスン! ドスン! と叩き始める。今度は、懐かしい同類に出会えた歓びの表現であるらしい。なんというニンゲン離れした交歓風景であろう。浮浪者の黒人は、先客の肩から後頭部辺りを、座席の背もたれ越しに見かけただけで、同質の臭いを一瞬にして嗅いだに違いない。ふたつの孤独な魂が、見事に寄り添ったのだ。あるいはこのまま二人で酒を飲んだ挙句、殺し合いになるような結末が待っているかも知れないが、この瞬間、わたしはほとんど感動していた。
 残念ながら、まもなくわたしの降りるべき駅になったが、わたしがメトロを降りてプラットフォームを歩いている間も、さらにメトロが走り出しても、座席を叩く大きな音がバスン! バスン! と構内に響き渡っていたのである。


comment

今ヤマザキさんはヨーロッパなのですよね。私もミラノのネットカフェで過激に論争している為丸さんのクイクイのサイトを見てニヤニヤしていました。やはり産業革命以来の革命の時代と私は思います。ITと人間が凄いことをして世界を変えている…と実感しています。ホリエモンの方向だよね、きっと。そう思います。映画の普遍性はあるけど、なぜ、映画館は経営ができないのかという問題だと思います。

そちら大変そうですけど、映画、頑張ってください。

私は飲み屋の常連状態ですね。ヤマザキさんのファンです。ということでいいですよね!!!

  • 河合民子
  • 2005/03/31 2:09 AM

河合さん、たびたびのご投稿有り難うございます。こちらは招聘元のオーガナイズの問題で混乱を極めています。しかし、<フォーカス オン アジア>という特集なので、アジアの女性監督さんたちと一緒です。アジア人同士の連帯感、のようなものを感じる毎日です。ホテルの電話が高いということで、今はネットカフェにいますが、数は少なく、料金も高い。ドサ回りの旅芸人の心境です。チャンスを捕えて、ブログを更新したいと思っていますが、さてどうなることやら。

  • kuninori55
  • 2005/03/31 12:12 AM

ここの最初の画像は、ハリウッド映画の「バッドマン」のペンギンを思い出しました。これがが原点かもね。そっくりという気がします。私はプリンスが好きで彼らの「バッドマン」は今でもたまに聴きます。プリンスのアルバムには物語があるから好きです。あれもかなり高度のストーリーと思います。

実はここのヤマザキさんの文章に一番感動していました。凄いと思った。そして思い出したのです。ちょっと違うかも知れないけど、世間を拒否しているというのが似ているかと。…パリの黒人たちとは違ってとても穏やかな那覇の、私のテリトリーあたりで回遊していた二人組がいたのですが、この頃、ちっとも見かけないので気になっています。大男とちびのコンビで、二人で話しているのを聞いたことがない。というより、いつでも、ただ二人で連れ立って歩いているだけなのです。彼らは人がたくさんいるところが好きらしく観光客の集る牧志公設市場から平和通りと歩いていました。ただ歩いているだけ。しかし、彼らが来るとすぐに分かるのです。強烈にしみついた彼らのオシッコの臭いというものでした。うっ、となってしまう。それが通路の狭い市場の生鮮を扱っている魚屋のお姐さんたちのところまで、のんびりと回遊するから、何かいたたまれなかったです。みんな知らん振りするだけでしたが。その二人のうちの大男が去年いなくなり、ひとり寂しそうな髭のちびでしたが、最近、ちびの方もいなくなってしまった。汚い彼らもたまにピカピカのジャージー姿になっていたりしていました。誰がやるのだろうと思ったのでした。…誰がやったんだろう、ホントに??? 今ではこういう自由人は3人になってしまった。一人の人は、最近は私のことが分からないみたい。目がうつろという感じです。いつも会ったら笑って挨拶しあっていたのにと寂しい。この人は昔マルコという犬を飼っていたとき、早朝の公園にいたのでした。文庫本なんか読んでいて優しい顔で小奇麗でした。…残念なことだと思います。あと、沖映通りのひがさんという女の人と、自転車に乗っていた元気な人。彼も最近元気がなくて自転車に乗っていないナー。やはり、マルコと散歩している時に会う人でした。彼はきつい顔をしているけど、私の店の様子を気にしてくれるのです。

彼らの住所はどこだろうと、たまに羨ましくなります。なんにもないところにいる、と思う。しかし、短命という印象です。チューブで長命するよりいいかもね!!!

ではヤマザキさん、いってらっしゃい!!!










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