石原郁子・ベルイマン・片目の子猫

  • 2007.12.12 Wednesday
  • 02:08


 新宿中央公園を横切りながら、ほろほろと泣いてしまった。酔っ払った初老のオッサンが、深夜泣きながら公園を歩いているのは不気味なものだろうが、わたしの頭は石原郁子さんの面影で占領されていた。
 マイミクの方が、先日のNHK・ETV特集『愛と生を撮る〜女性監督の今〜」の感想のなかで、この女性監督の隆盛を、今は亡き石原郁子さんだったら、どう見るだろう、というようなことを書かれ、それが不意に胸に迫ってきたのだ。郁子さんが抗がん剤の治療を行っている頃、わたしは今夜のような冬の寒い夜に、やはり中央公園を横切りながら、丸坊主にした頭を寒気に晒して「アタマ呼吸! アタマ呼吸!」と呪文のように唱えた話をメールに書いた。その返信で郁子さんは、目下自分も抗がん剤のせいで頭は坊主だが、いくつもの色のカツラを揃えて楽しんでいると笑ってくれた。わたしは自分の軽率を恥じたが、郁子さんはいつもわたしの綴るつまらないエピソードを可笑しがってくれた。
 石原郁子の優しさ? 笑止千万である。あれは一周忌のことだったろうか。挨拶に立った後輩の男性映画ライターが、石原さんがお姉さんのように「ちゃんとご飯食べてる?」とか心配してくれた話を、訥々と話し、それを聞きながらわたしは次第に腹が立ってきた。いかにも実生活の石原郁子は優しかったろう。周りの人の気持ちを明るくしてくれたことだろう。家庭では優しいお母さんでもあったろう。しかし、それでは石原郁子の文業はどうなる? 彼女は映画批評で異性愛社会に異を唱え、ゲイ小説で現今のジェンダー秩序に叛旗を翻したではないか。そうした彼女の明確な意志をないがしろにして、実生活上の優しさなど語って、どうなる。
 しかし、そう考えるわたしも、思い出すのは『百合祭』の自主ロードショー会場に現れた郁子さんが、上梓したばかりの『女性映画監督の恋』(芳賀書店)のサイン本を進呈してくれたときの、柔らかい微笑なのだ。一周忌に思い出を語ったライター氏にむかっ腹を立てながら、もしその場でわたしに話せといわれたら、どっこいどっこいのことを、もっとしどろもどろに喋っていたに違いない。やみぃさん、あの時はその後、浜野監督もまじえ、夕方まで日比谷公園でやたらビールを飲みましたね。
『こほろぎ嬢』の上映で苦戦しているせいもあるだろうが、近年、もし石原郁子さんが生きていてくれたら、と思うこと、実に頻々。『百合祭』が『女性映画監督の恋』に間に合わなかった、これはこの本のなかで論じたかった映画だ、と残念がってくれた石原さんだが、「吉行和子と白川和子が最後にキスをするなんて、日本映画の一大事件だ」と書いてくれたのは、今でも脳裏に鮮やかに甦ってくる。『こほろぎ嬢』については、どんな風に評してくれたことだろう。

 このところ夜中にNHK・BSをつけたら、ベルイマンの作品を放映していることが続き、すべきことがあるにもかかわらず、ついつい見入ってしまった。どちらも中途からなので、最初の『叫びと囁き』は誰の作品かも分からなかったが、画面に異様な緊迫感がみなぎっている。そして精神の裸形の告白のような、みずからの内面から絞り出すようにして喋るセリフが、凛と屹立しながら、どこか笑えるのだ。みんな大マジなのだが、アバウトな東洋の日本人としては、自己をここまで厳格に追い込み、孤独を表白することに、どれほどの意味や価値があるのだろうと思ってしまう。不思議なものを見るようで、その彼我のギャップが可笑しい。
『叫びと囁き』は、見始めたのがもう中盤だったが、終わり近くに三人の姉妹のなかの、すでに死んでしまった次女が、何故かすすり泣きながら孤独と寒さを訴えるシーンがある。姉も妹も顔面蒼白になって忌避するが、このブルジョアの家に仕えてきた若い女中だけが敢然と受け止める。ベッドの上で大きなおっぱいを出し、授乳するような恰好で生ける死体を抱きしめながら、前方を凝視しているシーンには感動した。
 二本目の『ある結婚の風景』は、比較的最初の方から見たようだったが、画面を見て、これはベルイマンに間違いないと確信する。最小限に省略したキャストで、何年間もの経緯を辿る手法は、ピンク映画でも応用できるのではないか。しかし、それにしても、自分の心のなかの動きを逐一言語化して、詳細に結婚相手に伝えようとする執拗な努力には敬服した。言葉にはまことに厳格なのだが、現実にやってることは案外ルーズで、それを良しとしているところが、これも可笑しい。
 検索してみると、73年と74年の作品で、作風が似通っているのもそのせいだろうが、どちらもアイデンティティをめぐるてんやわんやという印象を受けた。このてんやわんやの感受の仕方は、洋の東西で相当違うだろうが、どこかで共通もしているらしく、わたしのなかでもムズムズするものがあった。

 南会津で植栽の作業をしていたら、片目の子猫(茶のシマ)が現れて、わたしの足元にじゃれ付いてくる。子猫といっても、生後半年は経っているようだが、一方の目が潰れているのが異様だ。あまり可愛くはないが、人間への慣れからして、飼い猫であることは間違いない。わたしの足の甲を、長靴の上から肉球で叩いたりする。捨てられて、冬を目前に新しい飼い主を探しているのか?
 しかし、普段わたしはここに住んでいないし、老親も自分の世話で手一杯だ。構ってやると、却って可哀想になると思い、わたしは「危ないよ、ほらほら」などと言う以外、ほとんど無視した。しかし、片目の猫は鳴きながら、足の周囲にまとわりついてくる。
 そこに、もっと小さい生後3ヶ月ぐらいの黒猫が現れ、こちらをじっと窺っている。可愛らしい猫だが、どうやら片目の猫が気になって仕方ないらしい。しかし、こっちは正真正銘の野良で、わたしと目が合うと慌てて逃げていく。わたしは前日、この2匹を遠目ながら目撃したことを思い出した。特に仲が良さそうでもないが、つかず離れずの距離で、2匹が擦れ違っていた。
 わたしが、ツツジの根から分岐した小さな枝の周りに、三角錐の形に杭を立て、紐で縛ろうとしている時だ。不意に片目の猫が怒ったような声を出し、杭の間を何度も走り抜け、ツツジの枝に猫パンチを食らわせているではないか。わたしはその瞬間、この猫の言いたいことが諒解できたような気がした。
 このツツジも小さい生命なら、自分もまた果敢なく小さい生命であることにおいて同等である。なのに、どうしてツツジは雪囲いし、自分のことは無視して保護しようとしないのか。明らかに矛盾しているぞ。
 それに対するわたしの答は、次のようなものだった。生命には偶然性に左右された運命というものがある。ツツジの枝と片目の君と、小さき生命であることに変わりはないが、それぞれの運命を生きるしかないのだ。残念ながら、わたしは君の手助けはできない。君は君自身の運命を生きたまえ。
 無言の問答だったが、もしこれが大島弓子さんのような人だったら、必ずや片目の猫のための方策を考え出すに違いないと思うと、少なからず忸怩たるものがあった。わたしの言い分は、昔読んだ北方謙三の小説みたいに、いいオッサンが年端のいかない少年にハードボイルドな男の生き方を説くような、まことに陳腐な言い草のような気もした。
 片目の猫は、夕方、わたしが近くの温泉の共同浴場に自転車で出かけるまで、作業していた裏庭に落ち着いていた。翌日見たら、どこにもいない。村役場に出かけた帰り、ちょっと大回りしたら、食堂の近所に似たような毛並みの猫が数匹たむろしていた。きっと兄弟姉妹に違いない、あの猫も孤独でいるわけではないのだと、弁解するように考えながら帰ってきた。
 もしかしたら、いや恐らく、前日に目が合ったとき、あの猫はわたしを訪ねようと考え、実際に翌日やってきたのだが、はかばかしい成果を挙げないまま引き上げていったのだろう。悪かった。



 明日から、徳島に『こほろぎ嬢』上映+吉岡しげ美ミニ・コンサートで行く。ここにも嬉しい奇人変人が多く、大御所ではラジオ・キャスターでフィルムコミッション代表の梅津龍太郎氏、若手ではミニ・オピニオン誌『徳島時代〜空は、青…』の大石征也氏がいる。梅津氏は『百合祭』徳島上映では、吉行和子さんや浜野佐知監督と壇上でトークを展開してくれたが、今回の『こほろぎ嬢』を絶賛しているらしい。一方、大石氏は、浜野監督の著書『女が映画を作るとき』(平凡社新書)の絶妙な書評を創刊号で書いてくれた上、『こほろぎ嬢』撮影時に倉吉まで取材に来てくれた。徳島でたった一人の花田清輝の読者という噂もある。再会が愉しみだ。
コメント
T.N.さま
確かに石原郁子さん、02年の5月27日に亡くなったのですね。当時書いた追悼文を読み直したら、あまりの冗長さに辟易しましたが、その頃の心理状態がまざまざと甦ってきました。
http://www.7th-sense.gr.jp/eiga/eiga1_020912.html
27日に石原さん、29日に矢川澄子さん、6月14日に塚本靖代さんと、映画『第七官界彷徨―尾崎翠を探して』に関わってくれた方々がたて続けに亡くなり、わたしは頭がおかしくなりそうでした。
そう言えば、石原さんが小説の「師匠」と読んでいた栗本薫さんが、一昨日やはりガンで亡くなりましたね。こちらは5月26日でした。
  • kuninori55
  • 2009/05/28 1:31 AM
お邪魔いたします。
石原さんの命日であることを思い出し、グーグルで石原さんのことを検索し、こちらに立ち寄らせていただきました。

映画を通してお知り合いになったのですが、私にとっては、映画評論家としての顔より、母親としての顔のほうが深く記憶に残っています。

今日また、いろいろな思い出し、友人をなくした悲しみが蘇ってしまいました。
  • T.N.
  • 2009/05/27 2:18 PM
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