2019/09

01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30

<< >>


 当ブログの更新が滞ったのは、クレティーユ国際女性映画祭が閉幕し「フォーカス・オン・アジア」のヨーロッパ・ツアーが始まって、個人的にネット事情が悪化したためだけではない。同じパリ市内にいるのだが、ツアーの用意した立地条件の良いホテルに移り、ホテルの電話代や近くのインターネット・カフェの料金がバカ高いのは事実である。近くのネット・カフェは15分で1.5ユーロ(220円ぐらい)であり、分単位、秒単位で心急かされ、心置きなく繋いでいることができない。日本の貧乏人は、海外に出ても貧乏人である。しかし、一方でわたしには、帰国後に撮影するピンク映画の第一稿というお仕事があった。パリに来てまで、ピンク映画の脚本をセコセコ作っているわたしとは、一体何であろうか。いや、嘆くまでもなく、これが散文的な生きる現実というものだろう。


<クレティーユに結集したアジアの女性監督たち。手を上げているのが、マレーシアのヤスミン監督。その右が浜野監督>

 さて、今年の第27回クレティーユ国際女性映画祭は、アジア旋風が吹き荒れた。『百合祭』が招かれたメインの特集「フォーカス・オン・アジア」はもちろんだが、コンペティション部門でも、マレーシアのヤスミン・アーマド監督『Sepet』が審査委員グランプリを獲得。また、多くの高校生が選ぶヤング部門で、韓国のリー監督(Eon-hee LEE)による『…ing』が受賞した。
「フォーカス・オン・アジア」は、シンガポールに本拠を置くアジア‐ヨーロッパ財団と、クレティーユの映画祭の共催で、招待されたアジアの10人の監督はクレティーユ終了後、引き続きパリ市内の映画館や文化センターでの上映から始まり、インスブルック、ベルリンへ続くヨーロッパ・ツアーに参加している。しかし、今回初めて企画されたこの意欲的な試みの具体的な運営には問題が多く、わたしたちは目下、多くの困難に直面しているのだが、その一方でアジア人同士の監督たちが心を通わせ、互いに助け合って連帯感さえ生まれているのは皮肉な効果と言うべきだろう。
 ヨーロッパ・ツアーに関しては、後に報告するが、今年のクレティーユのアジア旋風は、わたしには大変エキサイティングなものだった。オープニング上映も香港のヤン・ヤン・マー監督の『バタフライ』であり、パリ在住の、今時の日本には存在しないだろう剛直な硬派ジャーナリスト、田中久美子さんのように、ヤスミン監督のグランプリは政治的な思惑が反映したのではないかと指摘する向きもある。その背景には、アジア‐ヨーロッパ財団が今年の企画に運営資金を提供している事実があるが、わたしはヤスミン監督の『Sepet』は、マレーシアの伝統的な風土性を生かした、欧米の映画文法にはないタイプの作品で、グランプリの価値が充分にあると思った。ちょうど沖縄の高嶺剛監督作品を観た時のようなカルチャー・ショックがあるが、もちろんその徹底性に関しては高嶺作品を上回ることは難しい。
 しかし、おそらく四十代であろうヤスミン監督作品より、わたしが今回、目を奪われたのは、三十歳前後のヤン・ヤン・マー監督や、韓国のリー監督による、飛び切り活きの良い、堂々たる商業映画ぶりであった。マー監督の『バタフライ』は、女子高の美しい女性教師と、野良猫のようにワイルドな少女とのレズビアン関係を描いている。教師は人妻で、幼児もいるが、かつて女子高時代に親友とやはり同性愛の経験があり、この十数年を隔てたふたつのレズビアン・カップルが並行して描かれるのだが、演じる4人の香港の女優さんたちが実に瑞々しい。そしてマー監督は、彼女たちにエロティックなシーンを敢然と行わせるのだ。もちろん日本のピンク映画の半分ほども露出せず、多くは上半身の描写なのだが、惹かれあうもの同士が抱き合うナイーヴな肉体の歓びが奔騰する。少女に惹かれ、結婚の継続に危機を抱いた女教師が、夫とセックスして何とか自分の心を家庭に繋ぎとめようとする、通俗なシーンもあるのだが、マー監督は観客へのサービスに何のためらいもないようだ。


<食事会でおどける香港のヤン・ヤン・マー監督>

 結末において、女教師は夫に「私はレズビアンよ」と一方的に宣言し、幼児を夫に渡して、ライブハウスのシンガーとなった少女と新しい生活に入る。家庭のクビキから解放された女教師の、見るからに伸び伸びとした様子は、実に見事なもので、初老のオッサンであるわたしからすれば「おいおい、結婚して、子供ができたのは、君自身の責任もあるんじゃないかい? そんなに解放されて、この後どうするんだ?」と言いたくもなるが、そんな辛気臭い顧慮を打ち捨て、楽園にでも入るかのように解き放たれているからこそ、映画的に素晴らしいのだ。現実的な葛藤は、現実に任せておけばよい。
 一方、韓国のリー監督の『…ing』は、女子中学生をヒロインにした難病もので、どうやら母親には、少女にいずれ訪れるだろう死の運命は分かっているらしい(英語字幕が充分に読めないので、ディテールは不明)。入院生活が長く、学校でも孤独な少女は、同じマンションに引っ越してきたカメラマンと出会い、心を開くようになる。父親のいない少女には、兄貴のような存在だが、次第に愛し合うようになり、そして予告された死がやってくる。かつて日本にも『愛と死を見つめて』という吉永小百合&浜田光夫の難病青春映画があったが、リー監督は最近の韓国ドラマに多い、あまりにも典型的な状況設定、あまりにもご都合主義的なストーリー展開に沿いながら、少女の心の震えを見事な映像で見せるのだ。もしかしたら、日本の少女マンガの影響もあるのではないかと思ったぐらい、実に繊細な心象風景を描き、日本のオヤジであるわたしは、手もなく泣かされてしまいましたね。
 年齢も近いマー監督とリー監督に共通しているのは、メロドラマになることを恐れず、堂々たる商業映画のなかに自分のスピリットを注入していく果敢さだろう。この世界に何か文句を言おうなどと企むのは、五十代の浜野監督やわたしの世代であって、若い世代には見事な技術を駆使して広い観客の心を捉えようとする女性監督たちが台頭していることを、まざまざと思い知らされた。実はマー監督と同じ香港から、旧知のヤオ・チン監督の『レッツ・ラブ・香港』という、やはりレズビアン作品が「フォーカス・オン・アジア」に招かれている。こちらはインターネットの仮想現実と、リアルな香港社会の貧困との狭間をさ迷う、二人の少女のコミュニケーションの不全が描かれ、一切がっさい肯定的なマー監督作品とは際立った対照を見せている。わたし自身はヤオ・チン監督の蒼ざめた風景に共感しながらも、マー監督やリー監督の敢然とマーケットに切り込むエネルギーに瞠目せざるを得ないのだ。


<スピーチする韓国のリー監督>

 なお、食事の際に聞いた話では、わたしが共通項を感じたマー監督とリー監督は、それぞれ地元においては好対照であり、マー監督は二千万円ぐらいの予算で、役者はほとんどノーギャラ、スタッフは友人たちを動員して製作し、香港の上映でも2週間ぐらいで打ち切られたとか。『カンフー・ハッスル』の国では、レズビアン映画は難しいかもしれない。なお、ヤン・ヤン・マーという、やたらノリのいい名前は、本名のヤン・ユー・マーだったかを、人に覚えられやすいように改めたそうだ。
 一方、韓国のリー監督作品には2億5千万円の資金が投じられ、お母さん役の有名女優のギャラも2千5百万円! まもなく日本の女性小説家の原作をベースに翻案した、次回作品のクランク・インが迫っているというから、上映も好評だったのだろう。国を挙げて映画を押し出している韓国のパワーが、女性監督にも及んでいるすれば、まことに慶賀すべきである。
 フランスで毎年デビューする監督の半数以上は女性であり、フェミニズムへのバックラッシュも重なって、クレティーユ国際女性映画祭の存在意義が議論の的になっていることは、以前から指摘されてきた。アジアにおいても、男性社会の映画界で、女性監督が抑圧されているという図式だけでは、女性監督作品を語れない現実が、今、目の前に在る。当たり前だけど。

※ネットカフェに関しては、その後カルチェラタンに1時間3ユーロ(450円ぐらい)という、学生街にふさわしい店を見つけ、状況はぐっと好転した。フランスはファックスやコピーが少なく、料金もバカ高いが、ネットカフェに関しては、極端に高い店と安い店があるようだ。もっとも、パリまで来てネットカフェに入り浸っているようでは、何しにここまで来たのか?


comment

浜野監督、相変わらずいい顔していますね。この中では姐さま格だね。そろそろわれわれもそういう年齢です。

韓国のリー監督は吉行和子かと思い、一瞬、えっと眺めていました。

元気いっぱいのアジアの監督たちです。感動もの。映画祭のテーマが興味深いです。

  • 河合民子
  • 2005/04/06 11:28 PM









trackback