2017/07

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スェーデンのマルメで開かれた国際女性映画祭(IFEMA)の後、ラトヴィアでの『こほろぎ嬢』上映の可能性にアプローチした浜野佐知監督とわたしだったが、結論から言えばかなりキビシイ状況のようだ。
アドバイスしてくださったラトヴィア大学の黒沢歩先生、黒沢先生のご著書を浜野監督のもとに送って頂いた版元の新評論、在ラトヴィア日本大使館を紹介してくれた国際交流基金、そして現地で応対してくださった日本大使館の皆さんに、心から感謝します。
ラトヴィアに関する黒沢先生のご著書を、ここで紹介しておきます。

『木漏れ日のラトヴィア』(04年新評論刊)
http://www.shinhyoron.co.jp/cgi-db/s_db/kensakutan.cgi?j1=4-7948-0645-0
『ラトヴィアの蒼い風』(07年新評論刊)
http://www.shinhyoron.co.jp/cgi-db/s_db/kensakutan.cgi?j1=978-4-7948-0720-5



ラトヴィアの首都リーガは、世界遺産の街とか「バルト海の真珠」と呼ばれる美しい街というのが定説だ。しかし、予備知識もなく訪れたわたしを魅了したのは、中世の遺跡が今に生きる旧市街ではなく、100年ほど前、20世紀初頭に建てられた新市街の、なんとも奇妙奇天烈な建築群だった。



なかには、ほとんど打ち捨てられ、廃墟に近づきつつあるように見える建物も少なくないのだが、確かに住んでいる人はある。夜になって観察に行くと、荒廃したように見える最上階あたりにもいくつか灯りはついていた。いずれも馬鹿デカイうえに、ディテールにおいて甚だしく過剰な装飾が施されたこれらの建物に、かつてどんな人たちが住んでいたのか。
わたしはスチルカメラで撮影しながら、百年前に時代の尖端を行く華美な建物に住んでいた裕福な老若男女の歓声が、低い地鳴りのように聞こえてくる気がした。



幸いリーガのネット環境は、事前に危惧したようなことはなく、ホテルの無線LANで無事つながったので、これらの建築物について調べてみた。リーガは帝政ロシアの時代にモスクワ、ペテルブルグに次ぐ第三の都市として栄え、20世紀初頭に「ユーゲント・シュティール」(ドイツ版アール・ヌーヴォ)の建築が盛んに建てられた。それらを設計した代表的な建築家が、映画監督のセルゲイ・エイゼンシュタインの父、ミハイル・エイゼンシュタインなのだという。



ロシア革命が波及し、1910年代にラトヴィアも独立するが、第二次世界大戦の前後に、ヒットラーとスターリンという牋の二大巨頭瓩隆屬剖瓦泙辰橡殤され、甚だしい苦難を舐めることになる。戦後は旧ソ連邦のひとつに組み入れられていたが、91年に独立し、04年にはEUに参加した。しかし、現在は世界不況のあおりをモロに食らって、経済的にひどく困難な状況にあるようだ。旧ソ連邦の治下では、新市街のブルジョワ的な(?)建築群は放擲され、顧みられることはなかったらしい。



最近になって修復も始まっているが、わたしは今、自分が見ているものが何であるか明確に分からないまま、いくらか大げさに言えば、魂が抜かれたような気分になった。何故だろう。これらの建物に住んでいた人たちは今や老いさらばえ、あるいは死に絶えている。建築物は老朽化しながらも、孤独な威容を誇っている。何がわたしを惹きつけるのか。
歩き回ってすっかり疲れたわたしは、ホテルの浴槽に浸かりながら、日本から携帯してきた花田清輝の本を開いた。尾崎翠シンポジウム二日目に、滋味溢れる講演(幸せな授業!)を行った池内紀氏の編集による『日本幻想文学集成 花田清輝』(国書刊行会刊)。その巻頭に置かれていたのが『復興期の精神』のなかの「歌」だった。
「生涯を賭けて、ただひとつの歌を――それは、はたして愚劣なことであろうか」という有名なフレーズで知られる文章だが、わたしはパラパラ目を通しながら、今わたしがリーガで直面している難問を、花田が1940年代に見事に解き明かしてくれているような気がした。



それは以下の部分である。

 いったい、みるということは、いかなることを指すのであろうか。それはあらゆる先入見を排し、それをもつ意味を知ろうとせず、物を物として――いっそう正確にいうならば、運動する物として、よくもなく、わるくもなく、うつくしくもなく、みにくくもなく、虚心にすべてを受けいれることなのであろうか。それが出発点であることに疑問の余地はない。しかし、ゴッホにとっては、それらの物のなかから、殊更に平凡なもの、みすぼらしいもの、孤独なもの、悲しげなもの、虐げられ、息も絶えだえに喘いでいるもの――要するに、森閑とした、物音ひとつしない死の雰囲気につつまれ、身じろぎもしそうもない、さまざまな物を選びだし、これを生によって韻律づけ、突然、呪縛がやぶれでもしたかのように、その仮死状態にあったものの内部に眠っていた生命の焔を、炎々と燃えあがらせることが問題であった。そうしてこれは、自己にたいして苛酷であること――ともすると眼をそらしたくなるものから断じて視線を転じないことと、たしかに密接不離な関係があるのであった。
〜「歌――ジョット・ゴッホ・ゴーガン」



花田ファンの我田引水的な読み方かもしれない。しかしわたしには、死の様相を呈した建築群の底から「仮死状態にあった生命の焔」の片鱗が見えたような気がした。
花田清輝は、いうまでもなく尾崎翠再評価の狼煙を上げた批評家だ。一方、池内氏はカフカの名翻訳者であるが、尾崎翠シンポジウムでは、筑摩の文庫版日本文学全集『尾崎翠』の巻を編んだときの楽しみを語ってくれた。そして、講談社文芸文庫の花田清輝のシリーズでは、見事な花田論を書いている。
その氏が編んだ花田清輝のアンソロジーの巻頭に置かれたエッセイが、ラトヴィアにいるわたしに示唆を与えてくれたとしても、何の不思議もないだろう。尾崎翠…花田清輝…池内紀という幸福な円環がつながった、ような気がした。一人よがりかな?


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ヤマザキさま

どうもすみません。勝手に遊んでしまって。ちょいとひらめいたもので、こういう冗談もおもしろいかなとおもって書いてしまいました。

あの法被は、「伝統衣装」として、どこへでも着ていけそうでありますね。

「泥酔論」は、まだ続きますから、ご無理なさらず、都合のよいときにいらしてください。

  • エンテツ
  • 2009/04/19 6:26 PM

エンテツ大兄
楽しい書き込みに、吹き出してしまいました。わたしの花田式文体を真似た、格好つけた物の言いようが、見事にからかわれているようです。外国人に逢うときに、伝統衣装として村の婦人消防隊のハッピを着ていったりしますが、まさか海外に持参まではしません。もしかしたらパーティー衣装に合うかも。
そう言えば26日(日)の夜に、下北沢で「泥酔論」を展開されるのですね。翌朝、老父と共に南会津に向かうことになっているので、とても泥酔はできませんが、近場なので、あるいはお話を聞きにいくかもしれません。

  • kuninori55
  • 2009/04/19 3:41 PM

わたしは、たしかにこの過剰ともいえる装飾をほどこした建物、しかもこれが住居らしいのにおどろいたのだが、もしや、この写真を撮るヤマザキさんは、あの消防団の法被を着ているのだろうかと想像し、その姿をこれらの写真の中に、いろいろな格好で置いて見た。すると、尾崎翠…花田清輝…池内紀…山崎邦紀という幸福な円環がつながった、ような気がした。一人よがりかな?










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