2017/03

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<湯の花温泉手前の湯の岐川の滝。写真の下方が滝だが、雪や氷で分かりにくい。紅葉の時期には絵葉書みたいな撮影ポイントになる>

共同浴場の脱衣場で服を脱ぎ、下着に手をかけた時に、何かふだんと違うぞと思った。変な感じ。あれ、おかしいな。タオルも石鹸も下着の替えもバスタオルも、何もかも持っていない。なんで? 昨日は雪に降り込められて来なかったが、その前の日、南会津に着いたその足で自転車で来たばかりなのに…。
まだ雪は降り続いているので、今日は片道50分弱を歩いてきた。その間に、雑貨屋さんに寄り、200円の入浴券を買って、店のおばさんと雪の話などもした。それなのに、自分がいつも持ってくるお風呂セット一式を入れた袋を忘れてしまったことに、まったく思い及ばなかった。 


<我が最愛の共同浴場、湯端の湯。奥の光りはサッシの窓で、コンクリートの浴槽も含め、実にありふれている。実用一点張り。他に共同浴場は、弘法の湯など3箇所ある>

アルツハイマーが疑われても仕方がないが、脱衣場に至るまでのプロセスが、普段と大きく異なっていた。まず時間帯と雪。普段なら夕方にかけて来るが、雪の中を歩くので、珍しく昼過ぎに家を出ることにした。しかし、玄関先から道路に出るまでの町道が、前夜除雪車が通ったにもかかわらず、もう膝上まで雪が積もっている。そこでスノウダンプを持ち出し、雪かき作業をした。
スノウダンプという優れものをご存知だろうか。スコップの先を大きくしたような形で、そこに両手で操作するための取っ手をつけただけだが、プラスチック製で軽くて雪の上を滑らせやすく、女性や子供でも簡単に雪を運べる。豪雪地帯には全国的に普及しているようだ。


<天井は吹き抜けになっていて、雪や風が吹き込んでくる。風呂場は、わたしが入る男性用以外に、女性用、地元部落の人たち用の3つががある>

雪かたしをしたので、風呂用の道具を忘れた? いや、それだけではない。歩いていくなら雪景色を撮ろうと、珍しくカメラを携帯したのだ。実際には雪が吹き付けてくるので、ノンビリ景色を眺めたり、カメラを取り出す余裕もなかったのだが、いつもと別のものを持ったことも少なからず影響しているに違いない。(これもアルツ的だね)
しかし、50分歩きながら、一度も気づかなかったのは何故だろう。いや、実はわたしはこれを強調したいのだが、一人でいるとどうも頭のなかをいろんな言葉が飛び交って、目の前の現実が疎かになる傾向がある。一人で旅行する時などもそうだが、会話する他人が居ないと、却って頭のなかが饒舌になるようだ。
といっても、ドストエフスキーの主人公のように異様な想念が熱っぽく渦巻くわけではなく、読んでいる本の一節や、自分の最近書いた文章の一節、かつて他人と交わした会話の一節などが、ランダムに次々に横切っていく。つい、そっちに気を取られてしまうのだ。
父がいて、これから温泉に行くと告げていれば、その時に忘れ物に気づいたはずだ。


<サッシの窓を開けると、裏山にお湯の神様を祭った小さな神社が見える。石の階段を上がって直ぐのところ。窓外には風雪で磨り減って表情も分からない石仏が並んでいるが、今は雪の下>

まあ、多分いろんな理由があって、お風呂道具をすっかり忘れてきたのだろうが、脱衣場で下着に手をかけながら、タオルと石鹸ぐらい買いに行くことも考えた。200〜300メートル戻れば、雑貨屋がある。しかし、外は雪だ。防寒対策で厚着もしているので、これをもう一度着るのも面倒。
ひとまずお湯に浸かってから考えることにした。中学生ぐらいの子供が一人いたので、彼にシャンプーを借りることも考えたが、むしろ問題はタオルだろう。濡れたまま服を着ることは出来ない。雪の中をまた50分ぐらいかけて帰るのだ。
妙案、というか、現実的にはこれしかないのだが、着替えるべきTシャツを、お湯で洗って絞り、タオル代わりにするのはどうだ? 実際にやってみると、あまり感触は良くないが、他に思いつかない。体は何度もお湯に浸かればきれいになるだろうし、頭は上がり湯を何度もかければいい。着替えるべきパンツはどうする? あまり意味はないが、裏表逆に穿いてみれば?
1時間ぐらい温泉を楽しんだ後、それほど支障なく共同浴場を出たが、手に持った濡れたTシャツは、途中で凍ってしまった。


<湯端の湯を出たところにある橋から、湯の岐川の上流を望む。合併前は舘岩村といったが、実際に岩の多いところで、川の中に転がる大小の岩に雪が降り積もっている>

この迂闊な事件(?)は昨日のことだが、今日は2日ぶりに昼前から晴れたので、湯の花温泉まで自転車走行を試みることにした。道路にはもちろん雪は残っているが、除雪車が行き来し、車が走るので、雪が溶けて泥濘みたいになっている。そんなところを歩いては行きたくない。
高校までいた会津若松時代に、冬でも自転車に乗ったような記憶があるのだが、はたして雪中走行は可能か。結論としては、非常に危ない。車輪のわだちの下に少しでも舗装道路が顔を出してるようなところは大丈夫だが、雪だけになると、ペダルをこいだ時に後輪がスリップする。自転車が後輪駆動だったことを改めて知らされた。前輪のハンドルも雪に取られことが多く、少しでも片寄った力が両輪に加わらないよう、歩くようにソロリそろりペダルを踏むのがコツのようだ。
湯船の中で、そんなことや、浮かんでくる脈絡のない思念に任せて浴槽を出たり入ったりしていたら、あっという間に2時間近くが過ぎていた。その間、土地の古老が一人入ってきただけ。昨日も少年一人で、いくら昼間とはいえ、我が湯の花温泉の今後は大丈夫か。誰も来ない方が、わたしは嬉しいのだが。
家に帰って自転車を降りたら、足元がふらつく。鏡を覗いたら、目が落ち窪んでいるようだ。長湯しすぎたらしい。


comment

galaxyさま
原稿は出来ましたか?「もう間に合ってる」と言われそうなのは、ぼくも毎回経験することです。
「排泄器官と生殖器官はほとんど共用」というのは絶妙ですね。かつて深沢七郎が「人生滅亡教」で、まさに人生オナラ説を唱えていました。
ぼくもまた頚動脈切断は願い下げですが、須原氏は「武士道」に対する思い入れがあったのでしょうか。
そこはまったく賛成できないのですが、人生の合理的な決断に憑かれている=非合理的な情熱は興味深いと思いました。
衰亡していく自分を、じっと見ているというのも一方法でしょうが、自分がどこら辺まで自分なのか分からないのだから、ここらで幕を引くというのも考え方ですね。
前回のコメントにも書いたのですが、須原氏が考察しているのは男性自殺者ばかりなので、女性のケースについて知りたいと思いました。

  • kuninori55
  • 2009/12/25 3:30 AM

急いで仕上げないといけない原稿があるのに、全然筆が進まない。締め切りが10日ほど経過したので、今大急ぎで書き上げても、「もう間に合いました」とか言われるかもしれないにっちもさっちもゆかない状況で、それで、やけになって言うのですが、人間なんて、どうせ死ぬのですから、そんなに大仰に、頸動脈を切った上に首を括るなんて、何とまあご苦労さんなこと、と思わずにいられません。放っておくと未来永劫生き続ける、なんて言うのだと、ここは頑張って頸動脈でも何でも(でもやはり頸動脈はパス、私は)切らなければなりませんが、早晩、人は必ず死ぬのです。そもそも、人間存在そのものが、そんなに力むほどのことでもありません。人間など、排泄作用で生まれてくるようなものです。実際、排泄器官と生殖器官はほとんど共用されているではありませんか。
 排泄としての人間存在と考えれば、生きてゆくなんて、軽い、軽い。
 さあ、原稿書こ。

  • galaxy
  • 2009/12/24 9:35 PM

galaxyさま
いや、実際昨日、自転車で雪道を走りながら、雪国育ちの勘が戻ってきた、なんていい調子で考えていたら、いつの間にか他のことに気を取られていたらしく、ハンドルを取られ、危うく転倒しそうになりました。目の前の雪道を見ているようで、見てないんですね。車だったら怖いだろうと思います。
小豆温泉、聞いたことがあるので、町のHPで調べたら、合併前の伊南村にありました。ぼくのいる舘岩村の隣村で、同じ南会津郡だったのですが、今ではどちらも南会津町です。
来年はスーパーカブでも買って、足を伸ばそうと思っているので、小豆温泉訪ねてみます。

  • 2009/12/23 12:17 PM

 独りでいると想念が饒舌になるのはありがちなことです。独りでドライブしていて、何度はっとしたことか。
 湯ノ花温泉と言えば京都かと思っていましたが、南会津にもあるのですね。
 だいぶ前、小豆(あずき)温泉というところに行ったことがあります。確か南会津だったようなします。ご存じでしょうか。

  • galaxy
  • 2009/12/23 10:22 AM









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