2018/07

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<このチラシを見よ。堂々「無職と平和」を謳っている。「04」とある通り、映画祭第4セクションのテーマだったのだが、出色のキャッチだ>

「平和」という言葉が、これほど新鮮に感じられたのは、いつ以来のことだろう。小学生の頃の安保騒動以来ではないか。すっかり「平和ボケ」しているわたしは、平和という言葉を聞いても、まったくピンと来ない。戦争、というより武器や爆弾を使用して人間を殺戮することには、生理的な嫌悪があるが、そういうことをするのが人間なのだろう、という緩いアキラメもある。
ところが昨年12月にヒロシマ平和映画祭で出くわした、上のチラシには不意打ちを食った。「無職と平和」! 何なんだ、これは? 「戦争と平和」みたいに、無職と平和を対置しているわけではないだろう。いったい無職と平和の間には、どういう関係が有り得るのか? これはマジなのか、とぼけているのか? しかし、仮にも平和を希求する総本山のような広島で、まさか、おとぼけはないだろう。
わたしの頭のなかで、「無職と平和」という言葉がリフレーンする。何か不意に活気付いたわたしは、近くにいた中国新聞の道面(どうめん)雅量記者に、これはどういう意味なのか尋ねた。氏は、福田首相の例の退陣会見で「あなたとは違うんです」と言わせしめた「あなた」らしいが、彼は直接解説めいたことを口にせず、映画祭の公式ガイドブックを読め、そこにかなり的確なエッセイが掲載されている、と言う。
チラシの裏を見ると、浜野佐知監督やわたしが広島入りする1週間前の12月6日には、ルイス・ブニュエルの「忘れられた人々」、若松孝二の「餌食」、富田克也の「国道20号線」、ジャン・ガブリエル・ペリオの「犬と狼のあいだ」(いずれもわたしには未見の映画)が上映された後、深夜に「日常性に噛みつけ! 無職・負け犬・ゾンビたち」 というトークライブも行なわれている。
日常性批判や「負け犬」には驚かないが、「無職」と「ゾンビ」にはシビレタ。まさしくゾンビに職はないし、無報酬で人に「噛み付く」。「日常性に噛みつけ!」というのは、ゾンビとして噛み付けということなのか。しかし、広島でゾンビを語る人物に出会えるとは思わなかった。わたしは今回、ほとんど何の考えもなしに広島にやってきたのだ。


<これが公式ガイドブック。実に3週間にわたる映画祭だったのだ>

映画祭のクロージング・イベントが行なわれる12月11日の前日に広島入りした浜野佐知監督とわたしだったが、この日の朝に浜野組自主制作作品の台本を打ち出し、印刷屋に届けたわたしは、それまでの1週間、自室に引きこもって誰とも会わず、珍しくムキになって台本作りをやっていた。
かつて実現しかかった湯浅芳子と宮本百合子をめぐる企画だが、諸事情で頓挫し、しかしこのテーマに賭ける浜野監督の熱情止み難く、まったく逆の視点から再構成することになった。今回の原作は、宮本百合子の「伸子」である。百合子と最初の夫の荒木茂、そして湯浅芳子の3人の関係に焦点を絞った。撮影の目途はまったく立っていないが、徒手空拳でどこまで出来るか?
それで、ヒロシマ平和映画祭については、どうやら浜野組ピンクが上映されるらしい、マジか? ぐらいにしか考えず、寝不足のまま新幹線に乗り、弁当を食べながらビールを飲んで眠ってしまった。記録係として、写真を撮ればいいだろうぐらいの気持ちだったのだ。
ホテルにチェックインした後、浜野監督と旧知のひろしま女性学研究所の高雄きくえさんと合流する。この人は映画祭の実行委員の一人で、ひろしま平和映画祭の事務局も、この研究所に置かれていた。アットホームな同研究所で鍋料理を頂いたのだが、これまで発行した出版物の中に駒尺喜美さんの著作が数点あった。この研究所の創設者の中村隆子さんが古い知り合いだったらしい。
神楽坂にあったエポナ出版から、駒尺さんの『魔女の論理』が出たのはいつのことだったろう。古い知り合いのモーコさんが編集部にいたのだが、この本や東郷健の『雑民の論理』はわたしを大いに啓発してくれた。自由気ままな東郷さんの本では、エラク苦労したらしいことをモーコさんに聞いたこともあった。
そんな話を高雄さんとしていたら、上映が終った実行委員の人たちがドヤドヤ帰ってきて宴会になった。事務局長の東琢磨氏や実行委員の上村(うえむら)崇氏、それに道面記者などだ。そしてこの上村氏こそ、恐るべし「ゾンビ」の言いだしっぺだったのである。(この時点では、まだ「無職」という概念には出会っていない。高雄さんに頂いた公式ガイドブックを開けば出ていたのだが、わたしはもっぱら広島の日本酒を飲んでいた)。
ホテルまで車で送ってくれた上村氏に、何でゾンビなのか車中で尋ねたら、アントニオ・ネグリは世界の変革主体であるマルチチュードをバンパイアに仮託しているが、消費社会に組み込まれた市民である俺たちはバンパイアではあり得ない、ゾンビなのだ! といきなり難しいことを言い出した。熱弁をふるうあまり、時にハンドルから両手を離して振り回すのには肝を冷やしたが、ホラー好きのわたしはゾンビ論者に出会って、すこぶる愉快だった。
ネグリの著作をまったく読んでいないわたしだが、<変革主体>なるものをバンパイアに重ねるのは、あまりにもカッコよすぎるだろう。「俺たちはゾンビだ!」という上村氏の低音の効いた、シブイ認識に、わたしは深く同意する。


<11日の昼に、広島県女性総合センター・エソール広島で行なわれた浜野監督講演「生涯チャレンジ 映画監督として生きる」での質疑応答>

翌11日には、夜に横川シネマという映画館(広島の次の横川駅下車)で開かれるクロージング・イベントの前に、午後2時から広島県女性総合センター・エソール広島で、浜野監督の講演会が開かれた。この会場で、わたしは例の「無職と平和」のチラシに出会ったのである。
浜野監督は、いつになくノリがいい。前夜呑んだ映画祭実行委員の面々が詰め掛けてくれたのも一因だったろう。この講演会では『百合祭』の20分バージョンを上映したが、ゾンビ上村氏はラストで吉行和子さんが白川和子さんとともに、観客に対し「私たちが昨日の夜、どんなイヤラシイことをしたか、誰も知らないでしょうね」と語りかけるところに泣けたと言っていた。はなはだ感激癖のゾンビなのである。
わたしはむしろ、「無職と平和」、そしてゾンビの方に気を取られていたので、横川に移動した後、グァテマラ風味の広島やきそば(これが実に絶品なのだ)を食べながら上村氏と、そして横川シネマで『やりたい人妻たち』が上映された後の居酒屋では「無職」の提唱元であるらしい「シャリバリ地下大学」の「学長」行友(ゆきとも)太郎氏も交え語り合った。
いかにも怪しげな「地下大学」だが、「学長」といっても上村氏と同世代の三十代ではないだろうか。上村氏もまたシャリバリ地下大学の所属であり、12月6日の「無職と平和−日常性に噛みつけ!」爆音上映会でトークライブを行なったのは、この二人に『国道20号線』の富田克也監督と、脚本の相澤虎之助氏だった。
世間の狭いわたしは知らなかったのだが、行友学長は、東琢磨氏とともに『フードジョッキー』という異色の料理本を、ひろしま女性学研究所から出して評判を呼んでいるらしい。同研究所には、どうも広島のイカレタ知性が集っているようだ。その雰囲気は、次のインターネットラジオを聴くと、よく伝わってくる。
http://puf-puf.radilog.net/article/507474.html

なお、ヒロシマ平和映画祭の2009の公式HPは以下の通り。
http://sites.google.com/site/peanutsff/



<今回の浜野監督トークは、この映画祭らしく(?)ブレ写真で>

『やりたい人妻たち』は、03年に的場ちせ名義で発表された浜野監督作品(新東宝映画)。夫に自分はしたくないセックスを強要された妻が「これはレイプだ」と怒って家出し、やりたい放題するという映画だ。「家庭内レイプ」をテーマにしているが、浜野ピンクらしくカラミも満載。これをヒロシマ平和映画祭で上映するというのは、まったくマジな話だった。
誰でも「まさか?」と思うだけに、公式パンフやHPをみると、次のような但し書きが付いている。
「平和映画祭でピンク映画。でも、だいじょうぶ。」
何が「だいじょうぶ」なのか、まるで分からないが、やけに確信ありげだ。上映後のトークは、企画した高雄さんの司会で進められたが、この会場で浜野監督、さらにドライブがかかって熱弁をふるう。景気のいいことをぶち上げ、高雄さんと共に「エロはピースだ」という平和映画祭らしい(?)結論に向かって爆走した。


<ブレは浜野監督の熱弁の現われでもある>

一方で「無職と平和」、もう一方で「エロはピースだ」と来るのだから、平和の概念も大きく様変わりしている。それがどれぐらい広島市民にとって一般的な諒解、共通の認識になっているかは分からないが、外部にあるわたしたちの足元を揺さぶる、何かしら根源的なパワーを持っていることは間違いない。
年末年始の「派遣村」や「就活」という言葉にシンボリックに現れているように、日本中が「仕事よこせ!」コールで満ち溢れている時に、わざわざ「無職」を持ち出してくるのは、善良な市民感情を逆撫でする暴挙ではないか。
わたしの不十分な理解によれば、就職してまともに働くことは、現状の社会では一種の戦争状態を戦い抜くことであり、平和な生き方とは言えない。また、今日のグローバルな世界においては、日本でせっせと仕事することが、世界のどこかでの戦争や紛争に加担している現実的可能性が高い。この両面において「無職と平和」という概念が掲げられていると、わたしは理解した。
もちろん、現実的な「無職」はたちまちホームレスにつながり、上村氏に自身の経済状態を尋ねると、けっこう朝早くから肉体労働のアルバイトしたり、薄給の大学講師を勤めたり、それなりに一生懸命(?)働いている。誰しも働くことなしに食いつないではいけない。しかし、「平和」もまた弱肉強食の歴史を生き抜いてきた人類にとって、アンビバレンツな希求だろう。
遠く離れたところに別々にあった、この到達不可能に見える二つの概念を、鮮やかに結びつけたところに、今回のヒロシマ平和映画祭の問題提起がある。これは「無職のススメ」ではなく、働くことや飯を食うことの真っ只中に放り込まれた、痛快な謎々だとわたしには思われた。


<浜野監督の右でマイクを持っているのが、広島女性学研究所の高雄きくえさん>

わたしは「無職と平和」という概念のドッキングに出くわし、いろんなことを考えた。まあ、ピンク映画の監督や脚本書きなどという仕事は、本来無職に近いものだが、これは成り行きで落ちこぼれただけで、深い考えがあったわけではない。
わたしが思い浮かべたのは、身近なところで、深沢七郎と水木しげるだった。深沢七郎は晩年近くに「人生滅亡教」を唱え、社会の進歩や発展のためにせっせと働くことの愚を説いた。子供を二人以上産むことは罪悪だといったが、それは二人の男女が二人の子供を生産したら人口は全然減らない。二人で一人生めば、次世代の人口は半減するわけで、これを繰り返すことで人間は理想的に滅亡していく。
わたしは深沢七郎の教えにしたがって人間の再生産をしなかったが、日本の出生率がはなはだしく落ちていることは、深沢的人生滅亡教に近づいているとも言えるだろう。
また、妖怪の巨匠水木しげるには『総員玉砕せよ』という戦争マンガの傑作があるが、その舞台になったニューギニアの土人の生活こそ、水木にとって「平和」を具現したものだった。水木しげるもまた会社で奮励努力することの愚を笑ったが、深沢七郎のラブミー牧場や水木しげるのニューギニアは、縮小していく(逆側の)ユートピアと言うべきものだろう。
もしかしたら、太宰治の「家庭の幸福は諸悪の元(もと)」という言葉も、「無職と平和」の系譜につながるかもしれない。深沢にしろ水木、太宰にしろ、みんな自分勝手な人ばかりで、目の前にいたら迷惑至極だと思うが、「無職と平和」の提唱者たちも、きっと愛されない覚悟で言い出したに違いない。


<横川シネマの客席の後部に置かれていた古い映写機。昔の映像機械って魅力的だ>

実はわたしは目下、バンコクにいる。明日は(というより、数時間後には)バングラデシュの第11回ダッカ国際映画祭に向かう。『こほろぎ嬢』がついに世界デビューを果たすのだ。『第七官界彷徨―尾崎翠を探して』も、最初はアレキサンドリア国際映画祭だったが、尾崎翠原作の映画は世界の映画祭のメインストリームからは遥か遠いところから出発する。
わたしは日本を出国する前に、このヒロシマ平和映画祭のレポートをアップするつもりだったのだが、果たせなかった。出発前日に、ついフラフラと東横線の日吉に出かけ、散髪したり、「ラスタ麺」を食べながらビールを飲んだりしてしまったのだ。昨年春まで、この近くの病院に老母が入院していたので、通いなれた日吉だったが、母が亡くなった後も習慣性で月に1〜2回は出かける。
タイにいるなら、いるで、「無職と平和」に資する観察でも報告できたら良いのだが、初めて来た国の、目を見張る景物に目を丸くしているだけ。マンガ家のユズキカズ君をこの地に連れてくることが出来たらよかったのに、という思いだけが募った。彼は日本の縁側で寝っころがっている少女を描くことから出発し、亜熱帯モンスーンの湿気の多い土地で、瓜を売る少女の描写に至ったマンガ家だった。
とっくに描くことをやめ、無職では喰えないので、実家に帰って魚をさばいているらしい。マニア的読者が少数いて、フランス語版も出ているのだが、廃業したマンガ家というのも、限りなく「無職」に近い存在だ。


<横川シネマの前で、関係者集まっての記念写真>

今回、「無職と平和」との出会いはわたしに愉快な衝撃を与えてくれたが、もうひとつ意外な出会いが広島にあった。10数年前に作った拙作の薔薇族映画『メモリーズ』が、市内の映画館で上映されていたのだ。的場シネマというピンク映画館は、大衆演劇の劇場とピンク映画館、そして薔薇族映画館が、ひとつのビルでセットになっている、まことに珍しいところで、そこでたまたま10年ぐらい前に撮った『メモリーズ』がかかっていた。



<大衆演劇の劇場と、ピンク映画館、薔薇族映画館が同居しているところが素晴らしい>

残念ながら時間がなくて、館内に入り見物することはできなかったが、これは横須賀沖の猿島でロケした、わたしにとっては思い入れのある作品だった。日曜日で親子連れなどが多く、岩場での男同士のカラミの撮影は、崖の上から丸見え。わたしたち撮影隊には「ホモ軍団!」などという聞こえよがしの声と、冷たい視線が投げつけられたのも、良い思い出である。


<右端の上が拙作の「メモリーズ」。10年ぶりに出会った>

ストーリーは、正体不明のパーティに出席している男たちが、そこに自分がいる理由を、それぞれショート・ストーリーとして想起するというもの。他人のストーリーの中では、各自が脇役として出演するので、5人の男が3日間、毎日出演するという、(男優のギャラが女優の半分ぐらいという)薔薇族だからこそ出来る贅沢だった。猿島パート以外では、新宿西口の段ボール村(その後、焼失)でアジ演説をぶつ毛沢東派が出てきたり、女装のキャンディ・ミルキィさんがお尻を出してカラミをやったり、『レザボア・ドッグス』を真似た銀行襲撃があったり、楽しい撮影だったが、はたして一本の映画として成立していたかどうか?


<右へ行けばピンク映画、左に入れば薔薇族映画>

まあ、しかし、今は薔薇族映画の追憶に耽っている時ではない。バンコク市内の渋滞がひどいので、早朝ホテルを出発し、空港に向かわなければならないのだ。しばし仮眠を取ることにしよう。


comment

21時位までにホテルにきていただければ、近くにある中華街(ヤワラー)の屋台にでも行きたいですね。なお、我々のホテルは地下鉄のファランボーン駅出てすぐのホテルです。森田ともども会えるのを楽しみにしております。ぼ〜としながらシンハーをのむのも極上の快感であります。

  • 多田
  • 2010/01/15 1:20 PM

多田さま
バンコクで合流なんて、めったにあるもんじゃないです。森田君も一緒なんですね。楽しみです。ただ、ダッカを発ってバンコク着が夕方頃で、貴兄のホテルも確認したのですが、時間的にキビシイかも知れません。ただ、駅から近くて分かりやすいのはそちらのホテルなので、浜野監督と相談し、今週中にはミクシィメールで連絡します。会えるのを楽しみにしています。

  • kuninori55
  • 2010/01/15 12:57 PM

24日バンコク戻る時間はわかっていますでしょうか?こちらは20日夕方まで、ネットでの返事を確認できます。大体の時間が分かれば、こちらの泊まるホテルあるいは貴兄の泊まるホテルロビーにて待ち合わせできればとおもっております。

  • 多田
  • 2010/01/15 12:30 PM









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