2018/09

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昨年10月に参加したロンドンのレインダンス・フィルム・フェスティバルで、新進気鋭の高橋康進(やすのぶ)監督に出会いながら、上映日程の都合で観ることができなかった『ロックアウト』を、ようやく観た。2月27日(土)から東京・六本木の「シネマート六本木」で上映されることになり、そのマスコミ試写が行われたのだ。
「世界が愛した才能・北米編」という企画で、「海外映画祭で評価された日本のインディペンデント映画を公開するシリーズ」だという。3月19日(金)まで、「海外映画祭へ殴り込みをかけた2人の若手映画監督」として、三宅伸行監督作品『Lost & Found』と共に、日替わりでレイトショーされる(時間は夜8時より)。

●『ロックアウト』HP
 http://ontheroadfilms.com/lockedout/index.html

●「世界が愛した才能 北米編」公式サイト
http://www.gr-movie.jp/top.html

「シネマート六本木」には、昨年、出色のホラー映画『Rec』の2本立てを観に行ったが、面白い企画をやる映画館ですね。「世界が愛した才能」とは、大きく出たものだけれど、大量宣伝のできないインディペンデント映画としては、これぐらいの心意気が必要なのでしょう。
で、『ロックアウト』の感想だが、実に面白かった。ワクワクした。これは何度か観たい映画だと思った。高橋監督と知り合ったから言うわけではなく、多分映画の好みが似ているのだと思う。そして、観終わった後、いろいろ考えさせるところがいい。一件落着したように見えて、その実、もろもろ後を引くのだ。

映画は、混乱した精神状態の、いかにも危なそうな男が、車をえんえんと運転しているところからスタートする。自分がどうして今、車に乗っているのか、この車でどこに行こうとしているのか、さえ明らかでない。ぼろい食堂に寄って邪慳に扱われると、不意に黒づくめの邪悪な男が出現し、店主の顔を血しぶきが噴き出るほど殴りつける。
これはもちろんイマジネーションの世界で、怪人は彼のどす黒い分身だ。このダークな半身が実に魅力的で、表情などはデヴィット・リンチのキャラを連想させるが、次第にわたしはティム・バートンの『シザーハンズ』を思い起こすようになった。その理由は後述する。

何か些細なことを切っ掛けに暴発しそうな男だが、実は仕事のうえで、そして恋人との関係においても、大きな危機を迎えていたことが明かされる。そのギリギリの精神状況にある男の車に、母親とスーパーに買い物に来た少年が間違って乗り込んできた。子供に何度も「知らない人には注意しなさい」と注意する母親だったが、その子供が出会ったのは、よりにもよって、いちばんヤバイ種類の男だったのである。
さあ、男がいつ切れるか、わたしたちはハラハラしながら少年を見守ることになるのだが、他人を信用するなとシツコク子供に説教する、家族が第一のイヤミな母親に対して、惨劇が起こって欲しいという期待がないわけでもない。緊張をはらんで、男と少年を乗せた車は栃木県内を走り回る。(協力:栃木県フィルムコミッション)

これ以降の展開について、あまり詳しく記すと、「シネマート六本木」で観ようとしている人たちの興を殺いでしまうので、最小限にとどめる。この男がアブナイ理由のひとつは、内面に抱えた、どす黒い、もう一人の自分のせいばかりではなく、本当は人間関係の拙劣さにあるのではないか、とわたしは考えた。
迷子の少年を、結果的に車で引き回し、さらには交番に連れて行ったりすれば、何より自分が疑われるのは自明の理だが、壷にはまったかのように、それをやってしまう。案の定、交番の警官はネチネチ男に絡んでくるが、しかし粘着的な警官よ、いいのか、そんなことをやって? こいつが切れたら血しぶきだよ。
ところが、この男、あんがい素朴なぐらい善良なのである。ぶっきらぼうで言葉足りず、凶暴なヴァイオレンスが暴発する可能性を抑えることはできないように見えるのだが、実際の人間関係の対応を一歩引いて見ると、世慣れてないだけ、あんがいイイ奴なのだ、と言えないこともない。

この映画の惹句は「抑えろ、内なる暴力性」。おそらく高橋監督自身が付けたのだろう。わたしが面白いと思うのは、ふつう平穏な日常の中に、非日常的なヴァイオレンスが浮上してくるものだが、このアブナイ男の場合、「暴力性」がむしろ日常で、さ迷い出た非日常的な彷徨のなかで、自分のなかの優しさや思いがけない親切心が浮かび上がってくるのだね。おそらく「暴力こそが日常性」という認識が、高橋監督にあるのだろう。喉の辺りまで溜まりに溜まって、出口を求めるキツイ衝迫。これは今の日本の、誰のなかにもある。

「知らない人は、みんな敵」(不正確な引用です)と教える母親だって、見方を変えれば激しく暴力的だ。彼に似合わない、きれいな恋人だって、子供を産んだら、同じように教える可能性だってある。映画が一件落着したように見えても、実は何も解決していないのだ。元の場所に戻って行く彼を、ダークな半身が見送る。邪悪で魅惑的なダンスを披露しながら。
彼はどす黒い自分と訣別して、「内なる暴力性」を抑えることに成功したのか? 解釈はさまざまだが、わたしはそうは考えない。恋人が、あの母親と一体化するのを妨げるのは、実はあのダークな半身なのではないか。アイツこそ、彼を彼たらしめている最大のものだと、わたしは考える。その時、彼は呟くべきだ。「棄てろ、内なる日常性」。

わたしはあまりに、母親の排他性を嫌いすぎているだろうか。誰が見たって、優しくてきれいなママなのにね。この映画の中には、幾つもの対立軸がはらまれているが、アブナイ男と子供の母親を分け隔てるのは、孤独という概念だろう。子を思う母親は、孤独ともっとも遠いところにあり、アブナイ男は自分で自分の孤独が自覚できないぐらいに孤独だ。
あんがい、いい奴ではないか、という発見が、わたしに「シザーハンズ」を思わせたのだが(手がハサミになって、人を傷つけるのは彼の責任ではない)、それぐらいわたしは、あのダークな半身の形象に惚れ込んでしまったのだろう。

他にも思いがけないダンスシーンがあって、現身の彼が、ねちっこい警官と揉み合いながら踊る?ダンスは、観客にとっても心踊るシーンだ。これはわたしの独断だが、高橋監督は、臨界点に達した感情を即自的に爆発させるのではなく、鬱屈した感情をギリギリ解放しながら、日常のなかの芸術表現として昇華させる、ある種のセラピーとして、ダンスを提示しているのではないだろうか。まことに映画的な瞬間だと思う。

なお、蛇足ながら、現身の彼と、ダークな半身の彼は、同じ役者が演じているのだろうか。わたしにはまったく別な役者が演じているようにしか見えないのだが。
同じだとすると、あまりにも素晴らしい!





comment

マフラーなどディテールへの着眼、さすがは分析魔フリムン氏です。ぼくとは別方向の観方をしてくれて嬉しいです。「美形」と言うのは、高橋監督のことですね。目下、カメルーンの首都ヤウンデですが、帰国したら伝えておきましょう。

  • 2010/03/07 3:42 PM







































昨日映画みてきました。ひよっとして眠てしまったらどうしようと心配しつつ観始めたのですが、全くの杞憂におわりました。音楽、映像でどのように客を惹きつけるのかよくご存知の監督さんで、冒頭からスンナリ画面に入って行きアキてるヒマがありませんでした。何だか、放りっぱなしにされたままの小さなエピソードや小物にひっぱられたまま、ひきずられウカウカと監督の掌の平で遊ばされている気分でした。あのマフラーなんて、ズーっと気になっていたのですが、実に巧い使い方でした。…ところで、あの社長殺しの件今でも気になったままです。小ネタで引っ張ったりするのがとても巧みなのですが、それもマフラーのようにカタルシスさせるものと、放りっぱなしで我々にゆだねられっぱなしのものと色々で、やるよなこの監督!でした。おまけに美形でなにをかいわんや谷岡ヤスジでした。




  • 多田
  • 2010/03/04 10:38 AM

了解いたしました。楽しみにまちます。

  • 多田
  • 2010/02/19 6:35 PM

多田さま
果たせなかったバンコク・デートに代わる飲み会をしたいのですが、こちらは来週からカメルーン。一緒に飲めるのは帰国してからでしょうか。

エンテツさま
妄想です。監督の妄想と、こちらの妄想がリンクする映画が、確かにあります。

  • kuninori55
  • 2010/02/19 1:12 AM

この文章よりおもしろい映画があるだろうかと思ってしまいましたよ。

六本木なら近いし、たまには映画館に行って映画みてみましょうかね。

  • 多田
  • 2010/02/18 10:12 AM









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