2018/09

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<カメルーンの鶏の雄叫び。撮影中に、飼い主の婦人が「私の鶏を撮るな」とクレームをつけてくる。友好的なカメルーンの人たちだが、外国人の写真撮影に対してはアレルギーがあるようだ。この鶏はわがピンク映画にも写真で特別出演>

4月15日に行われた拙作ピンク『美尻エクスタシー 白昼の穴快楽』のスタッフ試写は、久しぶりに愉快なものだった。あまりにもわたしの好みに偏した映画だったため、「喜んでいるのは、監督のわたしだけ?」という懸念があったのだが、わたしはスクリーンの役者諸氏の芝居を見ながら、笑いが込み上げてくるのを抑えられなかった。なんて素晴らしい役者たちなのだろう。
里見瑤子、淡島小鞠、池島ゆたか、荒木太郎、牧村耕次、そしてゲストスターの国見奈々。彼や彼女のファンとして、すっかり楽しんでしまった。
反省してみれば、わたしは「監督」という意識が希薄であり、むしろ「最初の観客」としてピンク映画や薔薇映画を作っているのではないだろうか。自分の観たいものを自分で作り、それがうまく行くこともあれば無残に失敗することもある。今回は、これこそわたしが観たいものだった(と思う)。

企画の当初から、プロデューサーの浜野監督や配給会社は危ぶんでいた。テーマは、目玉に玉子に金玉、そして尻子玉。人体における玉を探求するというのが謳い文句だ。
シノプシスや台本の末尾に、参考図書として、ジョルジュ・バタイユ「目玉の話」(光文社文庫。中条省平による新訳と、その解説)・水木しげる「河童の三平」と、まったく相互に関係なさそうな、しかしいずれも曰くありげな、その道の大家の2著を上げていたのは、確かに妙なストーリーではあるが、わたしが勝手にでっち上げたものではなく、それなりに根拠があるのだというアピールのためだった。



<銀座のフィギュア用パーツ専門店「天使のすみか」で購入した国産22ミリ径のグラスアイ。目玉のコーナーには、サイズも違えば、色も異なる目玉が豊富に揃っている。>

だいぶ以前に読んだのだが、名訳の誉れ高い『眼球譚』を『目玉の話』と改題して新訳した中条省平氏の「解説」が面白かった。この小説でモティーフとなっている眼球、玉子、睾丸という3つの玉は、フランス語で発音すると非常によく似ている。そのニュアンスを生かすために、「目玉」「玉子」「金玉」という訳語を採用したというのだ。
目玉や玉子はともかく「金玉」が嬉しいではないか。わたしは薔薇映画を撮る際には、ブリーフ一枚の男性同士が股間をすり合わせ、それを足元側から撮影する。すると、4個の睾丸が揉み合う様子が、薄い布越しに見え、わたしはこれを「金玉ごろごろ」カットと称して、これを撮らないことには薔薇映画を撮った気にはならないのだった。(わたしがところ構わず「金玉ごろごろ」と大声を出すので、周囲から顰蹙を買っていることは間違いない)。
今回のピンクの企画を考えている時、不意に甦ってきたのが、3つの玉に関する中条省平氏の「解説」だった。しかし、ピンク映画は女性が主役である。金玉は当てはまらない。何か女性にも適用できる玉は、他にないか? と考えて浮かんできたのが、学生時代からさんざん親しんだ水木しげるのマンガに出てきた「尻子玉」だった。たぶん「河童の三平」なら大丈夫と思って参考図書に上げたのだが、今回改めて確認したわけではない。
第四の玉、尻子玉を設定することで、わたしのレールはほぼ出来上がった。仮題は「尻子玉姫と竿男」。安吾の「夜長姫と耳男」の安直なモジリだが、このモジリには何の意味もない。登場人物は、表題の二人以外にも、目玉嬢とか玉子ドクター、玉丸、金袋など、周辺のモノからネーミングした。
一人意気あがるわたしだったが、しかしプロデューサーと配給会社を説得できる第一稿を作らなければならない。



<人形作家の方がやっている通販で購入したイギリス製26ミリ径のグラスアイ。さすがに精巧なものである。人間の目の玉は、実際これぐらいの大きさらしい。>

実は、この企画を詰めていたのは、バングラデシュのダッカ国際映画祭から帰って、次にアフリカのカメルーンの第一回国際女性映画祭に参加しようとしている時だった。当然、日本を発つ前に第一稿をあげるつもりだったが、例によってズルズル遅れ、出版業界最底辺編集者シオヤマから発注された「ケダモノ名画座」(獣姦マンガ誌のエッセイ)の原稿とともに飛行機に乗る羽目となった。
当初は飛行機のなかで、などと殊勝なことも考えたが、食事の際にワインなど飲めば、できるものではない。結局、中継地のパリでシオヤマにメールで原稿を送り、カメルーンの首都ヤウンデのホテルで深夜起き出し、ピンク映画の第一稿、そして配給会社の意見を受けての第二稿を起こした。
ヤウンデでは地域の無線でネットにつながっていたが、電波が微弱で部屋のなかではキャッチできない。廃屋のような屋上でなんとかつながるのだが、しかし夕方から夜、早朝には恐ろしい病気を媒介する蚊が跳梁跋扈する。わたしは朝方まで書いた原稿を、太陽が充分に出たのを見極め、屋上に行って送稿した。
せっかくパリやカメルーンにいるのに、獣姦マンガ誌のエッセイやピンク映画のシナリオに追われているのは、実に馬鹿げたことだが、おかげでわたしのピンク映画では、里見瑤子さん演じる玉子ドクターは、カメルーンで修行し、光り輝く尻子玉の伝説がアフリカにもあったと主張する。カメルーンこそ、いい迷惑だったかもしれない。



<カメルーンの目玉オヤジ。レストランの庭にひっそり佇んでいた。このオヤジも重要なシーンで数カット特別出演>

今回の撮影では、目玉などの小道具が重要であり、これらについては助監督に任せず、自分で探すことにした。当初のモティーフである「義眼」探しから出発したのだが、これの本物は予算的にも時間的にも手続き的にも無理であることが早々と判明した。入手できるのはフィギュア用の目玉だったが、これも国産と輸入物でサイズや値段、色あいが異なる。
この目玉探索のプロセスが面白かったのでmixiの日記に書いたら、試写に行きたいというマイミクが数人現れた。また、撮影で下北沢のスローコメディファクトリーを借りたので、主宰者の須田泰成さんを紹介してくれた大衆食堂の詩人エンテツ(遠藤哲夫)さんのブログに、試写への誘いを書き込んだ。
その勢いでシオヤマの漫画屋BBSにも書き込んだら、一箱古本市の教祖的オルガナイザーにして編集者&ライターの南陀楼綾繁氏が来てくれるという。マイミクのライター岩崎眞美子さんには、薔薇映画をはじめ、拙作を何本か観てもらっているのだが、小説家の木村紅美さんを誘うと言い出した。
木村紅美さんには昨春、わたしも実行委員の一人として携わった尾崎翠シンポジウムのパネルディスカッションに参加してもらったが、わたしは彼女の小説を電車の中で読みながら、不意に大量の涙がこぼれ落ちて困ってしまったことがあった。『花束』という、尾崎翠の短編と同名の小説の最終章だったが、ああ、この感動は大島弓子さんのマンガで泣く時の感覚に近いと思ったものである。
尾崎翠や大島弓子と、わたしの目玉&金玉映画は、なんと遠い距離にあることだろう。わたしは紅美さんに来て頂けるかもしれないと知って、周章狼狽したが、後の祭りである。



<香港製目玉キット。目玉ドクターのシンボルに使った。2千円弱と安いが、組み立ての説明書が英文しかなく、えらく往生した。英語の説明書しかないことによって本物気分を味わえると、日本語が挟み込まれていて、むかっ腹が立つ>

試写の当日、エンテツさんと京王線の乗換駅で一緒になり、時間も早かったので柴崎駅前の喫茶店でコーヒーを飲んだ。その時、携帯がメールを受信し、mixiからの通知だったのだが、本日は南陀楼氏の誕生日だという。わたしは天を仰いだ。敬愛する女性小説家だけでなく、今日が誕生日の男性批評家まで、わたしの金玉映画に臨席するのだ。いいのかな…。
駅前で南陀楼氏、木村紅美さん、そしてエロ本業界の先達であるフリムン多田氏と合流し、東映ラボ・テックに向かう。途中、紅美さんが、この柴崎こそ、『花束』に登場する予備校の寮があったところだと話してくれる。エンテツさんは隣のつつじヶ丘(かつては「金子」だったとか)に幼時住んだことがあるというし、南陀楼氏は数ヶ月前に生まれて初めて柴崎で降りて、もうここに来ることはないだろうと思ったというし、不思議な縁があるものだ。
「この映画で喜んでいるのは、監督のわたしだけ?」という懸念にもかかわらず、役者諸氏の芝居を見て、すっかり嬉しくなったわたしは、もう誰に何と言われようとかまわないという、開き直った気持ちでエンディング曲を聴いた。そして振り返ると、わたしの真後ろにいたフリムン多田氏が「これはもう笑うしかない」、後ろの方にいたエンテツさんが「尻子玉っていうのがいいね」、南陀楼氏が「バタイユもここまで即物的になると」といって、いずれも笑っている。
眞美子さんは前からわたしのピンクや薔薇を「ツボ」だと言ってくれていたのだが、わたしがビビッテいた紅美さんには「卵を産む少女」という短編があり、卵を入れるカットにドキドキしたと言ってくれたのには、心からホッとした。
翌日には早くも南陀楼氏とエンテツ大兄がブログで感想をアップしてくれた。また、マイミクでは、キネマ怪人カマニア氏が日記で感想を書いてくれた。わたしはピンク大賞などに集うピンク映画マニアとまったくソリが合わず、互いに毛嫌いしているのだが、唯一カマニア氏だけと交流がある。
普段はまったく誉められることのないわたしの映画だが、こんなに盛大に誉められると、ただ茫然とするばかりだ。もちろん、これは相当特殊な観客だろうが、あまりにも嬉しいので、お二人のブログとリンクしておく。

「ナンダロウアヤシゲな日々」
http://d.hatena.ne.jp/kawasusu/20100415
「ザ大衆食つまみ食い」
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2010/04/post-4e13.html

*なお、お二人の文中に、今回の作品で配給会社に「なんでこんなものにカネを出しているかわからん」と言われたというくだりがあるが、これはエンテツさんと駅前の喫茶店で雑談している時の話が、不正確に伝わったものだろう。さすがに、そこまでは言わないね。前日に行われた映倫試写では、配給会社の諸君に「尻子玉って、わけ分からない」「あまりにもバカげたことを大真面目にやっているので、しらけた」「次があるかどうか分からない」などと散々だったが、面白がってくれるスタッフもいた。
しかし、以前ヤマザキ映画について、ピンク映画館の観客のどれだけが理解するか? 百人中ひとりも居ないのでは? と言われた時にはビックリした。もちろんわたしは、潜在的にこうした変な欲望を抱いている人は確実に存在する、と主張したが、わたしがビックリしたのは、劇場で誰も理解しないような映画を作らせ、配給する度量に対してだった。年間2本だから仕方がないと思っているのだろうか。

*リンクついでに、はたしてピンク映画マニアなのかどうか、面識はおろか、名前も知らない人だが、拙作を定点観測していているブログがあって、この機会に紹介しておく。作ったわたしさえ忘れているようなディテールが書き込まれていて、ああ、そんなこともやったなあ、などと感心しながら読むのだが、最近のヤマザキはパワーダウンして、ストーリーを統御することもできないのではないか、などと耳の痛いこともいっぱい書かれてある。直接応答したことはないが、内心感謝していることを記しておきたい。

「真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館」
http://blog.goo.ne.jp/dropoutcowboys/c/a48f37bb0b2b848ac3307171e33d7c67


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