2019/09

01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30

<< >>


 フィリピンのディツィー・カロリーノ監督の『ライフ・オン・ザ・トラックス』は、英語字幕をほとんど読めないわたしにも感銘深い、ドキュメンタリーの秀作であった。大型の長距離列車が走る軌道の上で、食べたり飲んだり遊んだりしている、貧しくも生活力に溢れた人々の日常を描いている。レールの両脇には、バラックのような家がひしめき、その間の空きスペース(?)であるレールの上が、老若男女を問わず実際的な生活の場となっているのだ。なかにはマージャン台のようなものを持ち出して、博打に興じている男たちさえいる有様だ。
 もちろん、時おり列車が警笛を何度も何度も鳴らしながら驀進してくるのだが、人々は顔色ひとつ変えず、レールの上に持ち出した日常用品を平然とかたし、一時的に線路脇に退避するだけ。軌道スレスレのところに調理台を据え、列車が風を切って通り過ぎるのを横目に、涼しい顔で中華鍋で炒め物をしているオヤジの豪胆さには、つくづく舌を巻いた。列車が通り過ぎると、何事もなかったかのように、ゾロゾロと人々はレールの上に這い出し、軌道の上は噎せるような生活臭を取り戻して、中断していたギャンブルもまた再開される。


<上映後にトークするフィリピンのディツィー・カロリーノ監督>

 ディツィー監督が、そんな人々のなかで主人公に選んだのが、アヒルの卵を茹で、路上で売り歩くお気楽な男と、乳がんの手術を受けながら、生活苦に果敢に立ち向かっている妻、それに屈託のなさそうに見える4人の娘たちだ。彼らが住んでいるのは、軌道側から覗き込むと、家の中が全て見渡せるような、ほとんど小屋といってよいバラックで、それも近々立ち退きを迫られている。男はせっせと働かないわけではないが、ニワトリの卵に比べれば相当に巨大なアヒルの卵を売った代金で、時に昼間から酒を飲む。怒った妻に頭をバシバシ叩かれ、カメラに向かって照れ笑いしながら「殴られても俺が怒らないのは、なぜか知ってるか」などと強がって見せるような、チャランポランな性格だ。善良ではあるが、その日暮らしで、計画性などカケラもない(わたしもまた、自らを振り返って、いささか身につまされた)。
 おかげで妻は、差し迫った立ち退きについて家主とやり合ったり、娘たちの将来が少しでも明るくなるように生活設計をしたり、また乳がんを切除した手術跡を見せ、死と隣り合わせにあることを沈痛に語る。おそらく実際の年齢よりは十歳以上も老け込んでいる、彼女の周囲に漂っているのは、救いようのない絶望感で、まあ、しかし、これだけ両極端な夫婦が、よく居たものだ。ディツィー監督によれば、男は当初それほど言葉数の多いタイプではなかったが、カメラが回るにつれて次第に饒舌になっていったという。
 わたしもまた身に覚えがあるのだが、人は人生の中で、一度でいいから、カメラの前で主人公を演じることがあってもいいのではないか。わたしの場合は、10数年も前のことだが、ピンク映画の痴漢モノで、坊さん役に頭を剃ってくれる男優がいないという、それだけの理由で浜野組に出演し、配給会社のジョイパック(現ヒューマックス)の担当プロデューサーに「金(製作費)を払う気になれない」と嘆かれたことがあるが、そして実際にスクリーンに映されたわたしは大根や牛蒡にも劣るものだったが、しかしその一方で変な開き直りのようなものが身についたような気がする。
 アヒルの卵売りの男は、妻に殴られながらも、酔っ払って娘たちに偉そうな口を利き、何かねだられても、お金がないので買ってやることができない。それでもカメラの前で、能天気に振る舞っている。シリアスな社会問題に取り組みながら、際立って喜劇的な存在である彼と、悲劇的なダークサイドである妻の両面を、日常生活の中に見事に両立させて描き出したところに、ディツィー監督の並々ならぬ力量が感じられた。撮影スタッフは、監督と女性カメラマンの二人だけで、長年のコンビだというが、だからこそ妻の発散するやり場のない絶望感を、静かに受け止めることができたのだろう。
 このドキュメンタリーが完成した後、マニラで上映会が行われたが、8百人以上の人が詰め掛けた。男は嬉々としてやってきて舞台挨拶しただけでなく、用意してきたアヒルの茹で卵を、実に3百個以上も売り上げたという。さすがレールの上で日々暮らす逞しさだ。そのお金が彼の酒代ではなく、妻の医療費や、娘たちの教育費に回されたことを祈りたい。あるいは彼は、カメラの前で主人公を演じることで、家族の生活のために前向きに取り組む積極的な心根を抱くに至ったのかもしれない。なお、列車に接触して死亡する事故は、毎年相当数に上るという。


<パネル・ディスカッションでのシンガポール、リー・ウォン監督>

 ディツィー監督作品は、正統的な社会派ドキュメンタリーだが、今回の「フォーカス・オン・アジア」に招かれた作品の中には、シンガポールのリー・ウォン監督の『リン・ポー・ハット』のように、若い世代の、社会的な問題提起とは離れた、一種とぼけたドキュメンタリーもある。主人公の30代の冴えない独身男は、ガードマンとして日々働く一方、映画のエキストラとして出演しているが、役者としての才能はほとんどゼロ。本人も特にスターになりたいという野望もなく、エキストラとして監督に奉仕することで充分満足しているようだ。カメラが彼の生活を追っていくと、わざわざスタジオを借りて自分の写真を撮り、コレクションしたりする、ちょっと一般人とは異なった側面も見せる。
 いつまでも結婚する様子がないので、近親や友人からはホモセクシュアルではないのかと疑われることもあるが、だからといって急いで結婚したいわけじゃない。取り立ててドラマチックなところのない男を、リー・ウォン監督は、TVの製作会社で働きながら1年間追っかけたという。彼が訥弁ながら、熱心にカメラに向かって喋る内容は、英語であるため、わたしには大部分理解できないのだが、最初は冴えない何処にでもいるような男に見えた彼が、次第に無視できない相貌を顕わし始める。普通人の中に生きている異様性が、被写体本人も十分意識しないまま、カメラの前で出たり引っ込んだりしているのだ。
 これもまた瞠目すべきドキュメンタリーだと思ったが、彼の発するオーラには、どこかで見覚えがあった。そこで、リー・ウォン監督と立ち話した際に「日本では彼のような人は、オタクと呼ばれるのだが」と言ったところ、実に監督自身が日本のオタク文化に通暁した、オタクそのものであることが判明した。わたしの単語を並べるだけの覚束ない英語なので、どれほど彼女の真意を理解できたか不明だが、彼女の「神は浅野忠信」であり『リン・ポー・ハット』の主人公は、1年かけて撮影した後、彼女にとって「浅野忠信」になっていたと言う。この作品の醍醐味を、見事に表現していると思った。
 また「オハー」とか、変な発声をするので何のことだろうと面食らったら、これが香取慎吾の「慎吾ママ」による歌であった。シンガポールやマレーシアでのSMAP人気は、相当のものらしいが、リー・ウォン監督はわたしより日本の若者文化に詳しい。さらには、よりにもよって女性監督同士で食事をしている時に「ブッカケ」などと言い出し、わたしも浜野監督も首を捻っていると「BUKKAKE」とスペルを並べる。そこで思い当たったのが、日本のAVの「顔射」というやつで、どうやらそれのことらしい。他の監督は一様に顔をしかめていたが、場を読めないのもオタクの国際的な一面のようだ。
 もちろん彼女にしても、唐突にそんなことを言い出したわけでなく、その前の日だったか、中華レストランで出くわした時に、わたしもまたオタクの末席に連なる者であり、わたしのゲイ・フィルムのテーマは「笑うフェティシズム」である、などと口走ったことが伏線になっている。どうやら「フェティシズム=変態」という理解が国際的にあるようで、クレティーユのパーティーでも、人形のセックスをテーマにしたという北欧の女性監督に、フェティシズムが好きだといったところ、物凄く変な顔をされた。わたしとしては「人形愛=ピュグマリオン・コンプレックス=フェティシズム」というつもりだったのだが、どうやら国際常識を逸脱した発言だったらしい。わたしもまた、リー・ウォン監督と同根なのである。
 その後『百合祭』に興味を抱いたディストリビューター(映画の配給・流通を行う)で、政治とセックスをテーマにしているという、ドイツ生まれの陽気な怪人、クラウス社長が、浜野監督とわたしをランチに招いてくれた際に、彼が持ち出してきたのが、同社がかつてパリで開催した「fff」のパンフレットだった。「fff」とは「フェティッシュ・フィルム・フェスト」の略で、中を見るとトランス・セクシュアル、ゲイ、レズビアン、SMからアンダーグラウンド・フィルムに至るまで、なるほど世間的に怪しい「変態」と呼ばれるジャンルのオン・パレードだった。わたしがイメージしている「物神崇拝」などといった素朴な意味は、ほとんど反映されていない。わたしは今後、発言を大いに慎まなければならないだろう。



 なお、わたしたちの「フォーカス・オン・アジア ヨーロッパツアー」は、今夜パリの東駅から夜行の寝台列車に乗り、ドイツのミュンヘン経由で、オーストリアのインスブルックに向かう。どんな困難が、わたしたちを待ち受けているのだろうか。


comment

くっくっくっくっ!!!!!

  • 河合民子
  • 2005/04/23 11:47 PM

塩チンへ。こっちが海外なのでメールで送稿してるのに、ブログのコメントで連絡してくるというのは、どういう頭の回路なのか? 相変わらず君の行動は読みにくいが、それはともかく発禁を食ったのは『劇画ブッチャー』で、森下社長に発行人の末井さん、編集人のぼくの3人が、東京地検に呼び出された。結果は略式起訴で、罰金10万円。これは個人で払った。末井さんは会社に請求してくれと言ってくれたが、ぼくの立場は社員ではなく、編集の請負なので、当然責任はこちらにあると考えた。版元は白夜書房に一本化される前の「セルフ出版」。
 電話がまた止まってる? 先月末にいったん帰国した際に止まっていた電話代を払ったのだが、早くも次の支払期限が来てたのね。まだパリなので、払えない。電話は止まっても、インターネットは接続されていることを、今回発見した。あ、もしかしたらぼくが帰国してるのに、電話代が払えず、それでファックスではなく、メールで原稿を送ったと思ってるのか? 

  • ヤマザキ
  • 2005/04/22 3:19 PM

あんたが発禁にしたエロ劇画はどっちだっけ?誌名と版元を教えて。ソレと電話代早く払え。

  • 塩山
  • 2005/04/21 2:15 PM

『レモンクラブ』の原稿、もう1回送って。

  • 塩山
  • 2005/04/20 3:30 PM

フィリピンのアヒルの卵売りが凄い…と思っています。自分の日常でまわっているカメラを意識しつつも無視できるという世界は強いと思います。自分への視線は無視して、舞台で卵を売るというのは、失うものはなんにもないという開き直りとも考えられるし、そんなところで生きている人たちの、貧しいかもしれないけれど、強いバネみたいなものが感じられました。

オーストリア報告が楽しみです。…前に旅してオーストリアは「ドイツ」だなと思ったことでした。

  • 河合民子
  • 2005/04/11 11:49 PM









trackback