2019/09

01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30

<< >>




 福岡県糟屋郡新宮町の空だ。別に「風雲急を告げる」と言いたいわけではない。この日の朝、猛烈なスコールが福岡市一帯を襲ったが、映画祭が始まる時間には晴れ上がった。人口2万3千人強の、福岡市に隣接したこの町で「地域発!映画」をキャッチフレーズに「しんぐうシネマサミット」という、個性際立った映画祭が、昨年から開かれている。中上健次ゆかりの和歌山県新宮市ではない。福岡県の新宮町だ。
 第2回目の今回は、7月29日から31日まで、全国7作品(プラス特別上映2作品)を集めて開催された。なかなか癖の強いラインナップだが、04年制作の新作が並ぶなか、地域発のハシリと認められたのか、98年制作の『第七官界彷徨−尾崎翠を探して』も招待され、浜野佐知監督とわたしが参加した。
●しんぐうシネマサミット
http://www.shingu.info/~scs/



 会場となった新宮町のコミュニティセンター「そぴあしんぐう」。実は昨年、新宮町文化振興財団が中心になり、町民総がかりで『千年火』(瀬木直貴監督)という映画を制作した。この町に、重要文化財の千年家と呼ばれる家があって、なんと1200年間、絶やさずに火を燃やし続けているのだとか。地元のシンボル的存在らしいが、この家の人は、旅行などで家を空けることもできないそうだ。この神聖なる火をモチーフに作ったのが『千年火』で、それをきっかけに、昨年「しんぐうシネマサミット」が開催された。この映画には、浜野組でもお馴染みの吉行和子さんが出演。予算のない映画でも、意気に感じて出てくれる女優さんなのだ。
●映画『千年火』オフィシャルサイト
http://www.sen-nen-bi.com/



 今年のラインナップは、北海道=『銀のエンゼル』(鈴井貴之監督)、山形=『スウィングガールズ』(矢口史靖監督)、静岡=『バーバー吉野』(荻上直子監督)、愛知=『1リットルの涙』(岡村力監督)、京都=『ニワトリはハダシだ』(森崎東監督)、鳥取=『第七官界彷徨−尾崎翠を探して』(浜野佐知監督)、沖縄=『風音』(東陽一監督)。
 初日のオープニング・ナイトに『スウィングガールズ』という人気作品を持ってきて、その後に異色作、問題作をさりげなく並べているところが、企画プロデューサー増永研一氏の腕の色っぽいところだろう。氏は『千年火』のプロデューサーの一人でもあり、かつて北九州市の黒埼東宝が、02年から03年にかけて行った「イノヴェーション」シリーズの企画者でもあった。
 浜野監督とわたしは、その後「シネマセラピー」を掲げるデイケアセンターに転進せざるを得なかった黒崎東宝で、地方在住の映画&音楽のプロデューサーという異色の存在に出会った。戦後から続いてきた名門映画館が、シネコンに押され、破れかぶれで打って出た実験的な企画と、その後の展開については、改めて論じたい。 



 沖縄で撮った『風音』の舞台挨拶。右が東陽一監督で、左がドメスティック・バイオレンス男を非情に演じた光石研さん。ナマで見る男優さんは、色っぽいね。東監督が、沖縄戦を背景にした骨のあるトークを展開する一方で、パンフレットや特製Tシャツを買ってくれるよう観客にアピールしているのが可笑しかった。さすがは独立プロ魂! 浜野監督と共通のものがある。
 ただ、この日、徹夜のまま朝方、羽田から飛行機に乗ったわたしは、『風音』上映中に、ほとんど爆睡してしまったのが、なんとも残念かつ申し訳ない。普段、朝になってから眠る生活なので、朝発って、その日に行事があるとキビシイ。おじいさん役の、海風にシワが刻み込まれた顔が素晴らしいと思ったら、芝居にはまったく素人の、沖縄の区長さんだった。この人の表情も、実に色っぽい。眺めているだけで、惚れ惚れする。
●『風音』
http://www.cine.co.jp/fuon/index.htm

 その後に上映された『ニワトリはハダシだ』は無事に観ることができた。森崎東監督の、舞鶴港を舞台にしたユートピア映画。といっても、現代ニッポンとは対極にある、下層生活者の反ユートピアだ。主人公の知的障害を持つ少年は、戦後の北朝鮮への帰還事業で船が爆発沈没し(実話である)奇跡的に助かった祖母の孫という、今、目の前にあるタブーに挑戦する、勇敢きわまりない設定。
 いわく付きの盗難車のナンバープレートを、たまたま目撃した少年が、検察+警察+ヤクザの連合軍に追い掛け回される。陽気にスピーディに進行するのは、誰も立ち止まって考え込んだりしないせいだろう。少年は、数字の記憶に天才的な才能を発揮するが、言葉のコミュニケーションは難しい。父親役の原田芳雄、別れた母親役の倍賞美津子も、反射的に行動した後に、肉体で考えるタイプだ。日本映画の良き伝統を感じたが、時に「も少し、行動する前に考えてみたら?」と登場人物たちにアドバイスしたくもなった。しかし、多分「それじゃ映画じゃない」のだろう。
 感動的なシーンも多いが、ここで展開される美しい家族観、女性観、共同体観に、わたしは、やや馴染めない。こっちがヒネクレテいるのだ。主人公の少年役、浜上竜也は、ディカプリオの『ギルバート・グレイプ』を思わせて、初々しい。
 森崎監督と原田芳雄、肘井美佳さん(養護学校の先生役)の舞台挨拶もあったが、写真撮影禁止で撮れなかった。女優さんがいたせいか。原田は、何を演じても同じに見えて、好きな役者ではなかったが、この映画の自由闊達を観ると、もしかしたら演出する側が同じ「原田芳雄」を求めているのかも…と思った。ナマ原田も、しみじみ色っぽかったな。
●『ニワトリはハダシだ』
http://hadasi.jp/



 最終日の『第七官界彷徨−尾崎翠を探して』の上映&トークの後、浜野監督の著書『女が映画を作るとき』(平凡社新書)を買って、サインに並ぶ人たち。東監督も、パンフやTシャツを買ってくれというだけでなく、サイン会をやれば良かったのではないか。男の監督は、この「もう一押し」に照れてしまうのかも知れない。
 上映後のトークで、浜野監督が語り始めて間もなく「分からなかった!」という男性の大声が場内から飛んだのは、珍しい光景だった。一瞬、緊張が走ったが、この映画に関して「分からない」と評されるのには慣れている浜野監督、慌てず騒がず、この映画ができるまでの苦闘を語った。
 その後、登壇したわたしが、尾崎翠の小説自体が「分かる人」と「分からない人」にはっきり二分されること、「分からない!」という声はむしろ健全であることなどを話したが、果して伝わったかどうか。『ニワトリはハダシだ』のような堂々たる日本映画を観た後で『第七官界彷徨・尾崎翠を探して』を観ると、観客に喧嘩を売っているとしか思えないのも事実だった。
 実は、この前の夜にゲストを交えた交流パーティーが福岡市内で行われ、そこで増永プロデューサーは「地域発」ということは、単なる中央に対する地方ではなく、中央と地方、中心と周縁、自然と人間、文明と野蛮といった、近代的な二項対立の境界、マージナルな領域から発信することではないか、とパーティーにはいくらか場違いな、しかし色っぽい発言を行った。さすが永遠の映画青年だ。わたしは『尾崎翠を探して』もまた、植物と人間、女と男、現実と夢の狭間の、マージナルな境界から立ち上がって来た映画であることを語ったのだ。
 事実、このパーティーにも参加していた、ボランティアスタッフの中年女性が、みんなが『尾崎翠を探して』に背を向けるなか、尾崎翠を読んだこともなければ、この映画のことも何も知らなかったのに、スタッフでビデオを見終わった後、涙が流れて止まらなかったと言う。そして彼女は、なんと一人で「30万円分」のチケットを売ったというのだ。浜野組の映画は、全国に散在するこういう人たちによって支えられていることを、改めて実感した。
 


 映画祭のポスター兼パンフレットの上半分。裏面のゲスト紹介のところで、わたしが写真入りで「脚本家でゲイ・ピンク映画の監督でもある」と明記されたのには、さすがに参った。確かに、増永氏に要請されて、デジカメ片手撮りの自写像や履歴を送ったのはわたしだが、地方の公共機関が主催する映画祭で、いいのかな。
 わたしはつい、期待に応えなくてはいけないような気がして、トークのなかで「変な恋愛」がテーマのこの映画で、隣の女学生と町子の関係も、言葉を介在させない、女の子同士の奥ゆかしい恋愛として描かれている、というような話をした。リアクションは、まったくなかった。
 ところが、浜野監督がサイン会をしている間、わたしが記録の写真など撮っていると、一人のスーツ姿の男性が話しかけてきて、なんとこの人は町会議員だった。彼が言うには、映画として分かりにくいところもあったが、それ以上に忘れられた女性の芸術家を掘り起こし、世の中にアピールしたことは素晴らしい! と盛大に褒めてくれた。こういう町会議員氏が存在することは、増永氏にとっても貴重なことだろう。
●福岡県新宮町役場
http://www.town.shingu.fukuoka.jp/



 福岡映画サークル協議会のメンバーと、浜野監督。浜野組の『第七官界彷徨−尾崎翠を探して』にしろ『百合祭』にしろ、九州上映に関しては、その入り口の福岡県でストップし、そこからまったく南下していないことは、特筆に価する。上映の話は、一番早い段階から何度も持ち込まれたが、その度に「男女をめぐる風土に合わない」というような理由で、ポシャッタ。その代わり、福岡県では、両方とも何度か上映されている(沖縄は別で、『百合祭』が那覇で二度上映された)。
 福岡の両作品の上映に関わってくれたのが、福岡映画サークル協議会で、前日の交流パーティーや、この日の上映にも、メンバーが福岡市からバスに乗って駆けつけてくれた。映画の制作にしろ上映にしろ、多くの人数やお金が必要であり、この労苦を共にすると、決裂するか同志的共感が芽生えるか、どちらかだ。そして共感があると、関係が長続きすることが多い。
 日本国内に限らず、映画祭や上映会で、以前出会った友人たちと再会する愉しみは格別のものがある。わたしは前回の福岡での上映会の後、彼らのHPに半ばケンカを売るような書き込みをしてヒンシュクを買ったようだが、親しみを込めてケンカを売るのは、わたしたちの世代にしか通用しない作法だろう。
●福岡映画サークル協議会
http://homepage2.nifty.com/fukuokaeisa/index1.html



 蛇足。福岡空港の荷物検査を終わって中に入り、5番搭乗口の脇にある喫茶カウンターの「ごぼう天うどん」420円が、異様に美味かった。麺には、しっかりと腰があり、田舎くさい厚切りのごぼうも好き。なお、空港でインターネットなどしていたら、「しんぐうシネマサミット」に参加したというカップルに浜野監督が話しかけられ、記念写真を求められたのにはビックリした。
 山口県から来て、空港にはみやげ物を買いに来たそうだが、福岡県の新宮町というあまり知られていない町に、こうして県外からも映画ファンがやってくることは、関係者諸氏にとって心強いことだろう。増永氏よ、来年も色っぽい映画祭を、よろしく頼むね。


 クレタ人のエピメニデスは言った。「クレタの人はみな嘘つきだ」。さて、彼は嘘を言っているのか、真実を言っているのか? もし彼が正しいことを言ったとすれば、(事実として)クレタ人はみな嘘つきでないことになり、彼の言ったことは正しくない。もし彼が嘘を言ったとすれば、(言葉の内容として)クレタの人はみな嘘つきではないことになり、嘘を言ったという前提と矛盾する。何という堂々めぐりだろう。古代ギリシャから論じられてきたパラドックスの代表的な例だが、真偽の明瞭でないロジックの迷路で、わたしたちは宙吊りになったような感覚を味わう。



 今回のベルリン滞在で、わたしに大きな収穫だったのが、松山文子さん(アバンギャルド・ビデオ・アーチスト)にライフワークとも言うべきドキュメンタリーについて、やや詳しいレクチャーを受けたことと、足立ラーベ加代さん(フンボルト大学日本学科専任講師)に、映画に関する論文3本を読ませて頂いたことだ。第二次大戦中にベルリンに滞在した日本人に関する、松山文子さんの調査は徹底したものであり、どこか心ある版元が公刊してくれないだろうかと考えている。
 一方、足立ラーベ加代さんは、ドイツ語で書いた博士論文『画面外空間の理論と歴史』が出版されるのを待っている段階とか。わたしにドイツ語の論文など読めるわけがないが、日本の大学の紀要や論集に書かれた抜き刷りを頂いた。そうとう難解であることを覚悟したが、これが映画製作の現場(と言っても、最小ユニットですけどね)にいるわたしなどにも、実感を持ってビシビシ迫ってくる、実にエキサイティングな考察なのだ。むしろ内容や表現の評価に向かいがちな評論家などより、わたしたち現場の人間のほうが正しく理解しやすいかも知れない、撮影から上映までを射程に入れた、映画という形式そのものに対するアプローチなのである。
 冒頭の「嘘つきのパラドックス」は、加代さんの論文「パラドックスとしての映画」(『アゴラ』天理大学地域文化研究センター紀要No2。04年12月)から引用したが、加代さんは映画というメディア自体が「きわめて逆説的な表現方法」であると考える。確かにわたしたちは、映画を観終わった後、あれはいったい何であったか考えることがしばしばだが、加代さんによれば「パラドックスを解こうとする人は、条件の不確かさに不審を覚え、思考に行き詰まり、解決の試みの空しさに困惑し、めまいのような浮遊感を覚える」。そういう、わたしに言わせれば醍醐味を感じさせるのが、映画というメディアなのだ。
 この論文では、ゼノンによる「アキレスは亀を追い抜けない」や「飛んでいる矢は止まっている」といったパラドックスを例にあげながら、空間・時間・運動・自己言及・架空性・メタモルフォーゼと、多面的に映画とパラドックスの親密な、しかしなかなか日常的には意識され難い関係が分析されているのだが、「嘘つきのパラドックス」はこの中で「自己言及」性に属する。クレタ人のエピメニデスが、クレタ人自身について語っているように、映画もまた映画について「これは映画である」と宣言するのだ。この時の「映画」とは「フィクション=嘘」であり、わたしたちは「映画の嘘」のパラドックスの中に迷い込んでいく。
 撮影現場で、わたしたちはよく「映画の嘘だから」と称して、小道具の位置や高さをずらしたり、人物の配置を変えたり、物を現場から除外したりするが、これらはもっとも素朴な段階での「嘘」だろう。映画が「現実」でないことは、観客にとっても作り手にとっても自明のことだが、それにも関わらず、観客としてのわたしたちは、映画があたかも一回性を生きる、もうひとつの「現実」であるかのように没入するし、作り手としてのわたしたちは、それがカメラの前で役者が演じた再現に過ぎないことを、観客に意識されないように努める。
 例えば『百合祭』で、宮野理恵さんを演じる吉行和子さんは、プロの女優であり、他の多くの映画に、さまざまの役名で出演している。わたしたちが生きている「現実」のように、代替が効かない一回性によって、宮野理恵さんであるわけはないのだが、観客としてのわたしたちはスクリーンに向かい合う時、いったんそうした前提を棚上げして「吉行和子=宮野理恵」という二重性を積極的に受け入れるのだ。そこに、演じる役者以前の吉行さんを入れれば、三重性といって良いかも知れない。



 この二重性(あるいは三重性)は、しかし「映画の嘘」としてはまだまだ初歩に属する。例の「嘘つきのパラドックス」という、ひねくれた局面は、どのように現出するか? そのひとつの例が、『百合祭』のラスト、横浜港に面し、白川和子さんと並んで立つ吉行和子さんが、カメラに向かい、カメラ目線で語りかける「私たちが昨日の夜、どんなイヤラシイことをしたか、誰も知らないでしょうね」というショットに他ならない。
 加代さんの論文を読む前だったが、みんなで飲みながら雑談している時に、加代さんがわたしに「あのショットで、吉行和子さんは誰に向かって語りかけているのか?」と問いかけてきたことがあった。わたしは「主人公が、観客に向かって直接語りかけることで、ストレートなメッセージを伝える」と、あまりにも平凡かつ当たり前な答をしてしまった。彼女は、わたしたち製作者が、映画というメディアを、どれぐらい自覚的に作っているのか試したのかもしれない。人が悪いな。
 加代さんの3論文を読了した今、わたしは改めて考える。「カメラ目線」とは何か? 言うまでもなく、それは役者がカメラを見ながら、ものを言ったり何かしたりすることだが、本来ドラマの約束事としては、カメラを見てはいけない。なぜなら、上映される時、カメラは存在せず、カメラを見た視線は、すなわち観客を見る視線となって、観客の視線と直接、正面からバッティングすることになるからだ。
 ドキュメンタリーなら、あり得ることだが、ドラマにおいてはフィクションとして第三者的・客観的な進行が必要であり、そこにカメラがあっても、無いかのように、役者は振る舞わなければならない。そうしたなかで不意に「カメラ目線」が出現することは、ドラマのお約束を破って、役者と観客が直接に向かい合うことになる。それは逆に言えば、それまでの客観的な進行が「フィクション=嘘」であったことの、裏返した証明でもあった。加代さんによれば、こうした「自己言及的」な「自らの架空性を露出する」回路が、映画という形式には自ずから組み込まれているというのだ。



 加代さんの別の論文「映画の中の見えない空間−無声映画と現代映画の共通項を捜して−」(『ASPEKT』38〜立教大学ドイツ文学科論集2004)によれば、無声映画時代は、登場人物がカメラを覗き込んだりすることは、結構よくあったようだ。その間の事情が『戦艦ポチョムキン』などの「カメラ位置を強調」したシーンを例にあげながら、次のように述べられている。
「サイレント映画の世界は、今日の映画よりずっと観客の近くにあったようだ。カメラが異常接近することや役者がカメラのレンズを覗くことは、トーキー導入後タブーとなっていった。音声が映画のリアリズムを高めたこと、そして映画の物語性が発達したことから、映画のフィクションと映画館の現実との間の境界を厳しく区分する必要が生じたためだろう」
 何という解りやすく、理解の行き届いた文章だろう。研究者風の難渋でもなく、衒学的にもったいぶるでもなく、考える道具としての日本語が過不足なく採用されている。わたしが間に入って紹介することで、逆に分かり難くしてしまっているのではないか? まあ、しかし、反省ばかりもしていられないので、足立ラーベ論文を直接読みたい方は、天理大学地域文化研究センターなり、立教大学ドイツ文学研究室に問い合わせてくださいな。
 さて、だからこそ掟破りのように「カメラ目線」を用いることが、一定のインパクトを持ち得るのだが、安易に使うと、わたしのピンク映画のようにチープなものとなる。それはドラマの世界に、ドキュメンタリー的な瞬間を持ち込む、毒薬的な手法と言い換えても良いかも知れないが、多用すればドラマは死ぬ。しかし、撮影現場にはカメラがあって観客が無く、映画館には観客があってカメラが無い、という関係性=構造は、まことに興味深い。
 しかし、撮影現場には本当に観客はいないのか? 実はいるのだ。「不在者」として。加代さんは言う。「撮影現場にも映画中にも存在しない観客の視点を中心に物語が構築され、カメラ位置が決定されるのも、映画のパラドックスの代表的な現れ方である」。
 わたしは撮影現場で、カメラのフレームを確認するために、カメラマンに断って(プロにとって、そこは聖域らしいのだ)接眼部を覗き込むことがよくあるのだが、加代さんの論文を読んで、俄然その行為がエキサイティングなものとなった。そこに小さく映し出されているのは、三次元の役者やセットが、レンズを通過して二次元に変換された映像だが、それを見るわたしの視線は、一方でカメラに同化し、もう一方で観客の視線の代理となる。
 浜野監督のようなプロの映画監督たちにとっては、それこそ「腕の見せどころ=創造の場所」として意識されるのだろうが、わたしのように単なる映画ファンが修行時代を経ないで小監督になってしまった場合、「観客としての自分」が見たい映像を無意識のうちに捜すので、加代さんが指摘する「不在の観客」の存在が明瞭に理解されるのだ。監督としてのわたしは「不在の観客」でもある。
 わたしが撮影現場で、役者とは逆側からカメラを覗き込むとき、レンズに投影された世界は(なんだかいろんなラインが縦横に走って見難いのだが)すなわちスクリーンの原初的なミニチュアであり、覗き込んだわたしの眼の奥には、暗がりが深々と広がっていて、そこには無数の観客の眼が潜んでいる。何というダイナミックな瞬間であろう。


 
 映画の画面の前の空間には、観客という「不在者」が存在する、というのは、加代さんによれば、ジャン=ピエール・ウダールという人の理論だそうだが、「映画の全てのショットは、それと向き合う目に見えないリヴァース・ショットに対応している。その不可視の領域はある<不在者>のテリトリーである。実際にリヴァース・ショットが出現するまで、観客はこの不在者を想像することによって、そのポジションを代行する」とウダールは言った。
 リヴァース・ショットというのは、わたしたちが撮影現場で「切り返し」とか「ドンデンに入る」とか呼ぶ、カメラをまったく逆向きに構えることだが、当然そこに展開される景色や人物は想定されている。(現場のセッティングや照明をやり直さなければならないので、3日で撮るピンク映画では、あまりやりたくないことだが、それがまた映画を安っぽくするのだ)。
 しかし、スクリーンが二次元である以上、現実的に画面の前に存在するのは、客席と観客以外にない。映画の最初期、リュミエール兄弟の『列車の到着』に、パリの観客は仰天したというが、こちらに向かって突っ走ってくる列車によって、画面の前に当然あるべき景色と、観客のポジションがごちゃ混ぜになった結果だろう。
 加代さんは言う。「そこは画面前空間という架空の場所と、カメラ位置という失われた現実の場所が交わる地点である」。そうなのだ。『百合祭』のラストで、吉行和子さんはそのような地点に向かって語りかけ、艶冶に微笑んだのだ。その幾重にも重なった構造を、わたしは加代さんの論文を読むことで、初めて体感した。
 加代さんは、映画という逆説的なメディアが、そのパラドキシカルな面を見事に発揮した時こそ、特有の「潜在力」を発揮すると言う。そして同時に、わたしがここまで縷々こだわってきたように、画面の前や外に何があるのかを、綿密に探求するのだ。
 博士論文のタイトルが、すでに『画面外空間の理論と歴史』だが、それを映像の面から論じたのが、前述の「映画の中の見えない空間−無声映画と現代映画の共通項を捜して」であり、また音の面から論じたのが「オフ音というメディア−ドイツと日本の初期トーキー映画を比較して−」(『ASPEKT』37〜立教大学ドイツ文学科論集2003)だ。こちらは画面の外から聞こえてくる音を論じ、ヨーロッパ的な遠近法に基く、空間的なサウンドのパースペクティブと、日本的な感覚的で混沌とした音の世界との対比が指摘されている。
 先にわたしは、撮影現場から上映現場に至るまでを射程に入れた、映画という形式に関する考察、と加代さんの論文の特色を挙げたが、その手段として、無声映画からトーキーへと移り変わる時期に行われた、さまざまな手法的実験について、論点を整理し、現代の映画と通底するもの、断絶したものを論じている。この形式、手法、技術に自らを禁欲する姿勢が、研究を明快で風通しの良いものにしているのだろう。
 わたしは、ベルリンですっかり酔っ払って、加代さんに「足立ラーベ理論をピンク映画で実践する!」などと豪語したが、その背景にはアフレコ(アフター・レコーディング)というピンクの特殊事情があった。今、ほとんどの映画は同時録音で、撮影現場でセリフや背景音を録音するが、ピンクの場合は映像のみ撮影して、現像したフィルムに、スタジオでセリフや音を乗せる。それで、特に「オフ音」については工夫しやすいと思ったのだ。
 ところが、帰国した後に撮影し、先日試写を行ったわたしの新作は、それぞれの部屋の外で(絵には現れない)猫や犬やカラスが鳴き、踏み切りの信号がカンカン鳴って電車が走る、ただもうウルサイだけの映画になってしまった。確かに画面の外の世界を感じさせないわけではないのだが、必然性や計画性にまるで欠けた、貧寒とした雑音の集積に過ぎない。わたしは自分のあまりの非才に、目下、すっかり落ち込んでいるのである。



 目下、サンフランシスコに近い、パロ・アルトという街に来ている。スタンフォード大学の「ヒューマニティ・センター」が主催する学会「FACES AND MASKS OF AGING:IMPLICATIONS FROM THE LIVES OF JAPANESE ELDERLY」の招請を受けた。辞書を引くと「加齢することの素顔と仮面:日本の老年の生から汲み取れるもの」といった意味らしい(もっと相応しい訳をご存知の方は、ご教示ください)。
 この学会で『百合祭』を上映し、浜野監督がスピーチ&質疑応答を行うのだが、監督のみならず、脚本のわたしまで正式に招待され、まことに光栄の至りだ。『百合祭』に関する、わたしの見通しとしては、先月までのヨーロッパ・ツアーをグランド・フィナーレとし、今回のスタンフォード大学の学会で、01年に始まった『百合祭』の長い旅もいよいよ終わるかと思っていたのだが、6月にはソウルのレズビアン・ゲイ映画祭、10月にはイタリアのボローニャの女性映画祭でも上映されることが決まったとか。普通、多くの映画は、製作後1〜2年で賞味期限が切れ、よほどの名作、話題作でない限りフェードアウトしていくものだが、『百合祭』の世界を巡る旅はまだまだ続きそうだ。



 もちろん、カンヌだベルリンだといった世界的に著名な映画祭には無縁なので、ジャーナリズム的には地味な展開ではあるのだが、最近だけでも米ミシガン大学や、日本の城西国際大学のように、アカデミズムからの招請も少なくないところに、映画『百合祭』の不思議なポジションが示されている。日本でもドマイナーなピンク映画の監督が、アメリカの大学の学会でスピーチする日が来るなどとはまったく予期しなかったことだが、製作時には考えもしなかったようなツボが、この世界にはあり、このツボに『百合祭』は見事にハマッタようだ。そのキーワードは「日本の女性監督」「老年女性のセクシュアリティ」「ジェンダーの境界を越える冒険」というのが、私見である。
 世界的に「老年学」が注目される趨勢だが、福祉や介護といった地道な感動ドラマに敢えて背を向け、快楽方面、それも女性主体に焦点を絞ったことが、たまたまこのジャンルにおいて、ある種の先頭ランナーになったようだ。わたしたちにしてみれば、まったく偶然の成り行きであるが、日本映画界のセクシュアリティの専門家であるべきピンク映画のプロ、浜野監督が自らのキャリアを踏まえて「老年」にアプローチしたという意味では、必然でもあった。
 なお、上映が続くレズビアン&ゲイ映画祭に関しては、35ミリのフィルムで撮られた作品が世界的に少なく、それで実際にはミッキーさんを軸に異性愛の描写が長い『百合祭』も、若干の無理を承知で上映している側面もあるようだ。実際、ハンブルグでは観客からそうした批判的な意見が質疑応答で出されたが、正面からレズビアンを描いた商業映画が少ない日本社会の現状を浜野監督が説明し、了解された。しかし、もう一方で、若者世代が中心のレズビアン&ゲイ作品に老年の視点を持ち込みたい、また、コミュニティの内部だけではなく、周辺のヘテロセクシュアルにも働きかけたい、といった意向が働いているケースも少なくないように見える。わたしたちとしては、正面からレズビアンのセクシュアリティをテーマにした作品で、再度レズビアン&ゲイ映画祭に向かい合いたいところだ。



 最近考えるのだが、日本の映画監督が、これだけの国のこれだけの都市に招かれ、観客とディスカッションを重ねた例はあるのだろうか。浜野監督は、案外、知られざる国際派監督ではないかという気がしてくるのだが、日本の映画業界というのは狭く閉じているところがあって「英語もろくに喋れないピンク映画の監督」が、国際交流の日本側窓口になったりすると、ヒステリックに足を引っ張ろうとする向きも出て来る。ハマノ・バッシングに女性映画人が強力に加わっていたりするのを見るのは、実に悲しむべき事態ではあるが、これが現実だ。
 ところで、このパロ・アルトという街は、ITのメッカ、シリコン・バレーにあって、スタンフォード大学もその有力な一翼を担っているとか。わたしはまったくIT産業に無知で、「バレー」という以上、何か渓谷のようなものがあって、その一画に超近代的なビルが立ち並んでいる景観を予期してきたのだが、大学周辺は渓谷とは程遠い平地で、のどかなアメリカの田舎町だ。スーパーの店員も陽気で親切であり、イラクで遂行されている戦争や虐殺とのギャップに当惑するが、コイズミやシンタローを代表的な政治家の顔としている、わたしたちニッポンの愚民にも返って来るテーマだろう。



*ヨーロッパ・ツアーの報告が途中だが、撮影やら何やらで、すっかり停滞してしまった。時系列を尊重しながら、適宜、目の前の事象について触れていきたい。次回は、ベルリンで出会った、映画の原理に関する論文を紹介する。辛気臭い研究ではなく、わくわくするような考察だ。


 オーストリアのインスブルックを、4月11日の朝8時20分に出た列車は、ドイツのミュンヘンを経由して、夕方6時にベルリンに着いた。インスブルックは灰色の雲に覆われ、雪がちらつく冬、ミュンヘンは一転して青空や線路脇に咲き誇る花々が眩しい春、そこから北上しつつ少し季節が戻って、再び寒々しい景色が続く。始発から終点まで、季節の境い目を行きつ戻りつする列車の旅だった。
 ベルリンでわたしたちを迎えてくれたのは、新都心になりつつあるポツダム広場の個性的な映画館「アルゼナル」の企画担当、ステファニーさんと、インスブルックでの上映がなかったため、ベルリンに先行していたシンガポールのタニア・サン監督だ。タニア監督は、今回の「フォーカス・オン・アジア」では7本の短編が招待されたが、小柄で丸っこい体格、人懐っこい笑顔と、よく気がつく親切で、皆に愛されている。どう見ても学生のようにしか見えないのだが、ニューヨーク北の大学で映画、特に編集を学び、シンガポールに帰った後は自分の会社を作って、監督作品だけでなく、プロデューサーとしても活躍している31歳。これを知ると、誰もが絶句するが、実に有能な人なのだ。



「アルゼナル」では「フォーカス・オン・アジア」の全作品を、ナイトショーで連続上映したが、オープニングに選ばれたのが、タニア監督の短編2本と、このブログでも紹介したフィリピンのディツィー監督のドキュメンタリー『ライフ・オン・ザ・トラックス』だった。タニア監督が編集を担当し、女性たちが共同制作したドキュメンタリー『Ah Guai Pua』は、中国からシンガポ−ルに渡ってきて、生活のために悪戦苦闘しながら、80才を迎えた老女に、自らの人生を語らせている。
 現在住んでいる貧しい家に、若い女性映画製作者たちを迎え入れ、しかし語る内容は、この人生において良いことなんかひとつもなかったという、徹底して虚無的なものだった。例によって、英語字幕の一部しかわたしには理解できないのだが、胸襟を開いた老女の、その胸のうちには、ぽっかりと大きな穴が開き、ろくでもない人生の記憶が木魂しつつ、現世の向こうから吹いてくる風が吹き渡っている。
 嘆くわけでも、後悔するわけでも、誰も恨むわけでもなく、淡々と語る老女は、絶対的な孤独と向かい合っているようだが、そこには主観に汚されない、どこにでも転がっている石ころのような人生があるようだった。わたしはカメラの前で語る彼女と、それを実に丁寧な編集で美しい作品に仕上げた女性たちの、両方に感動した。
 タニア監督と初めて遭遇したのは、クレティーユのショッピングセンターのレストラン街だったが、その時彼女は香港のヤオ・チン(游靜)監督と一緒だった。「ハーイ、サチさん!」という、ヤオ・チン監督の明るい声とともに現われた二人と、浜野監督、わたしは、イタリアンの店で料理をシェアしながら食べたが、これが今回のツアーで一貫して続いた「ご飯シェア」的コミュニケーションの始まりだった。



 ヤオ・チン監督とは、02年の香港国際映画祭で初めて出会い、大学で教鞭もとる彼女の、香港郊外の湖畔のほとりの家を、数カ国の女性たちと訪ね、屋上でバーベキューをした。そして、04年のハワイで開催された「ガール・フェスト」でも、映画館の扉を開けて突然出てきた彼女は「ハーイ! サチさん!」と大きな声を上げて、浜野監督と再会を祝し、抱き合ったのだった。その際も、日系のアン・ミサワ監督の運転で一日ドライブを楽しんだり、何かと交流の深いヤオ・チン監督なのである。
 香港でも、ハワイでも、さらに今回のヨーロッパ・ツアーでも、ヤオ・チン監督は『レッツ・ラブ・香港』、浜野監督は『百合祭』で、両者とも、その後の作品が撮れていないという、難しい状況にあるが、二人とも陽気で、意気盛んだ。香港国際映画祭で初めて香港を訪れた時には、超近代的なビルが天を突く、そのど真ん中の広場で、フィリピンからメイドで出稼ぎに来た、もの凄く大勢の女性たちが、週に一回、地べたに座り込み、持ち寄った食べ物を一緒に食べる、まことに前近代的な光景が展開され、その「超近代」と「前近代」の圧倒的な同居に眩暈がする思いだった。



 ヤオ・チン監督は、そうした香港の「現実」に、インターネットの「仮想現実」の世界を重ねあわせ、実験的な手法で二人のレズビアンのコミュニケーションの不能を描いた。かなり難しい作品で、今回わたしが「英語の問題もあって、ぼくにはよく分からないところがあった」と正直に話したところ、ヤオ・チン監督は目をつぶって眠る真似をし、わたしの肩を軽く叩いて「観ながら、スリープしてたんじゃない?」と笑った。図星である。
 ただし、それは香港で最初に観た時であり、今回のクレティーユでは、充分に目を凝らして観通したうえ、上映後にジャッキー・ビュエさんとのトークや観客との質疑応答があったので、ようやくヤオ・チン監督の世界の、とば口に立てたような気がした。もっともそれは、まったく一緒に観た田中久美子さん(パリ在住ジャーナリスト)の解説のおかげなのだが。
 二人のレズビアンの一人は、崩れかかったような映画館の座席で難民のように暮らし、もう一人はインターネットの世界でセクシー・アイドルとして縦横無尽に活躍するが、現実の世界では暗く他人に心を閉ざしている。映画館少女は彼女に惹かれ、アプローチするが、二人の心が交差することはない。ラストシーンで、映画館少女に「首筋が素敵」と言われたネット・アイドルは、首をすくめてセーターを口元まで捲り上げるが、その固く拒絶する孤独の表情が、わたしの胸を強く打った。忘れられないカットである。
 パリの街を歩いている時に、わたしが拙い英語でそれを言うと、いつも陽気なヤオ・チン監督が珍しくマジな表情になり「サンキュー」と言い、そして「あれは私だ」と言った。あらゆる映画監督が、このような思いを、ひとつ胸に抱いているのであろう。端くれであるわたしの場合は、それは街角に立つ変哲もない赤いポストであり、ピンク映画でその思いは誰にも伝わらなかったようだが。



 ヤオ・チン監督は、出くわすたびに、自分の口の前で、掌を口元に向けてパクパク動かし「ご飯食べた?」と言う。日本の中年以上の男なら、両手で飯を掻き込む仕草をするところだが、今回のツアーでは実によくアジアの女性監督たちがレストランに集い、料理をシェアしながら食べた。このシェアしながら食べる光景は、西欧の女性監督たちとの間ではまったく無かったものであり、アジア的コミュニケーションと呼んでも良いのではないだろうか(なお「大衆食堂の詩人」エンテツ氏が探求する「汁かけめし」は、アジアに通有の食事哲学であるようだ)。
 わたしたちは、同じ料理を分け合って食べながら、情報交換し、ヨーロッパ・ツアーの問題点などを出し合って、時にはタニア監督や浜野監督が代表になって、主催者に申し入れたりした。わたしが浜野監督に帯同し、ツアーの様子を写真に撮って世界に伝える(オーバーです)ことは、シンガポールの財団には了解されていたが、パリの現地コーディネーターであるクレティーユ女性映画祭のスタッフには、どう見ても男であるわたしの面倒まで、なぜ見なければならないのか不審らしく、時にはわたしも辛い思いをすることがあった。
 この資金提供した財団と、クレティーユのスタッフとの間に充分なコミュニケーションが無かったことが、参加した女性監督たちにとっても多くの困難を生んだのだが、溜め息をつき「アイム ギブアップ」などと弱気なわたしを励ましてくれるのは、タニア監督やヤオ・チン監督であり、はるかに年上のわたしは、思わず涙ぐみながら、アジア人同士の心がつながる連帯のようなもの、を初めて感じたのであった(なお、わたしの記録写真は、約束通りシンガポールの財団のホームページでも使われているし、クレティーユの報告書でも使われることになっている)。


 フィリピンのディツィー・カロリーノ監督の『ライフ・オン・ザ・トラックス』は、英語字幕をほとんど読めないわたしにも感銘深い、ドキュメンタリーの秀作であった。大型の長距離列車が走る軌道の上で、食べたり飲んだり遊んだりしている、貧しくも生活力に溢れた人々の日常を描いている。レールの両脇には、バラックのような家がひしめき、その間の空きスペース(?)であるレールの上が、老若男女を問わず実際的な生活の場となっているのだ。なかにはマージャン台のようなものを持ち出して、博打に興じている男たちさえいる有様だ。
 もちろん、時おり列車が警笛を何度も何度も鳴らしながら驀進してくるのだが、人々は顔色ひとつ変えず、レールの上に持ち出した日常用品を平然とかたし、一時的に線路脇に退避するだけ。軌道スレスレのところに調理台を据え、列車が風を切って通り過ぎるのを横目に、涼しい顔で中華鍋で炒め物をしているオヤジの豪胆さには、つくづく舌を巻いた。列車が通り過ぎると、何事もなかったかのように、ゾロゾロと人々はレールの上に這い出し、軌道の上は噎せるような生活臭を取り戻して、中断していたギャンブルもまた再開される。


<上映後にトークするフィリピンのディツィー・カロリーノ監督>

 ディツィー監督が、そんな人々のなかで主人公に選んだのが、アヒルの卵を茹で、路上で売り歩くお気楽な男と、乳がんの手術を受けながら、生活苦に果敢に立ち向かっている妻、それに屈託のなさそうに見える4人の娘たちだ。彼らが住んでいるのは、軌道側から覗き込むと、家の中が全て見渡せるような、ほとんど小屋といってよいバラックで、それも近々立ち退きを迫られている。男はせっせと働かないわけではないが、ニワトリの卵に比べれば相当に巨大なアヒルの卵を売った代金で、時に昼間から酒を飲む。怒った妻に頭をバシバシ叩かれ、カメラに向かって照れ笑いしながら「殴られても俺が怒らないのは、なぜか知ってるか」などと強がって見せるような、チャランポランな性格だ。善良ではあるが、その日暮らしで、計画性などカケラもない(わたしもまた、自らを振り返って、いささか身につまされた)。
 おかげで妻は、差し迫った立ち退きについて家主とやり合ったり、娘たちの将来が少しでも明るくなるように生活設計をしたり、また乳がんを切除した手術跡を見せ、死と隣り合わせにあることを沈痛に語る。おそらく実際の年齢よりは十歳以上も老け込んでいる、彼女の周囲に漂っているのは、救いようのない絶望感で、まあ、しかし、これだけ両極端な夫婦が、よく居たものだ。ディツィー監督によれば、男は当初それほど言葉数の多いタイプではなかったが、カメラが回るにつれて次第に饒舌になっていったという。
 わたしもまた身に覚えがあるのだが、人は人生の中で、一度でいいから、カメラの前で主人公を演じることがあってもいいのではないか。わたしの場合は、10数年も前のことだが、ピンク映画の痴漢モノで、坊さん役に頭を剃ってくれる男優がいないという、それだけの理由で浜野組に出演し、配給会社のジョイパック(現ヒューマックス)の担当プロデューサーに「金(製作費)を払う気になれない」と嘆かれたことがあるが、そして実際にスクリーンに映されたわたしは大根や牛蒡にも劣るものだったが、しかしその一方で変な開き直りのようなものが身についたような気がする。
 アヒルの卵売りの男は、妻に殴られながらも、酔っ払って娘たちに偉そうな口を利き、何かねだられても、お金がないので買ってやることができない。それでもカメラの前で、能天気に振る舞っている。シリアスな社会問題に取り組みながら、際立って喜劇的な存在である彼と、悲劇的なダークサイドである妻の両面を、日常生活の中に見事に両立させて描き出したところに、ディツィー監督の並々ならぬ力量が感じられた。撮影スタッフは、監督と女性カメラマンの二人だけで、長年のコンビだというが、だからこそ妻の発散するやり場のない絶望感を、静かに受け止めることができたのだろう。
 このドキュメンタリーが完成した後、マニラで上映会が行われたが、8百人以上の人が詰め掛けた。男は嬉々としてやってきて舞台挨拶しただけでなく、用意してきたアヒルの茹で卵を、実に3百個以上も売り上げたという。さすがレールの上で日々暮らす逞しさだ。そのお金が彼の酒代ではなく、妻の医療費や、娘たちの教育費に回されたことを祈りたい。あるいは彼は、カメラの前で主人公を演じることで、家族の生活のために前向きに取り組む積極的な心根を抱くに至ったのかもしれない。なお、列車に接触して死亡する事故は、毎年相当数に上るという。


<パネル・ディスカッションでのシンガポール、リー・ウォン監督>

 ディツィー監督作品は、正統的な社会派ドキュメンタリーだが、今回の「フォーカス・オン・アジア」に招かれた作品の中には、シンガポールのリー・ウォン監督の『リン・ポー・ハット』のように、若い世代の、社会的な問題提起とは離れた、一種とぼけたドキュメンタリーもある。主人公の30代の冴えない独身男は、ガードマンとして日々働く一方、映画のエキストラとして出演しているが、役者としての才能はほとんどゼロ。本人も特にスターになりたいという野望もなく、エキストラとして監督に奉仕することで充分満足しているようだ。カメラが彼の生活を追っていくと、わざわざスタジオを借りて自分の写真を撮り、コレクションしたりする、ちょっと一般人とは異なった側面も見せる。
 いつまでも結婚する様子がないので、近親や友人からはホモセクシュアルではないのかと疑われることもあるが、だからといって急いで結婚したいわけじゃない。取り立ててドラマチックなところのない男を、リー・ウォン監督は、TVの製作会社で働きながら1年間追っかけたという。彼が訥弁ながら、熱心にカメラに向かって喋る内容は、英語であるため、わたしには大部分理解できないのだが、最初は冴えない何処にでもいるような男に見えた彼が、次第に無視できない相貌を顕わし始める。普通人の中に生きている異様性が、被写体本人も十分意識しないまま、カメラの前で出たり引っ込んだりしているのだ。
 これもまた瞠目すべきドキュメンタリーだと思ったが、彼の発するオーラには、どこかで見覚えがあった。そこで、リー・ウォン監督と立ち話した際に「日本では彼のような人は、オタクと呼ばれるのだが」と言ったところ、実に監督自身が日本のオタク文化に通暁した、オタクそのものであることが判明した。わたしの単語を並べるだけの覚束ない英語なので、どれほど彼女の真意を理解できたか不明だが、彼女の「神は浅野忠信」であり『リン・ポー・ハット』の主人公は、1年かけて撮影した後、彼女にとって「浅野忠信」になっていたと言う。この作品の醍醐味を、見事に表現していると思った。
 また「オハー」とか、変な発声をするので何のことだろうと面食らったら、これが香取慎吾の「慎吾ママ」による歌であった。シンガポールやマレーシアでのSMAP人気は、相当のものらしいが、リー・ウォン監督はわたしより日本の若者文化に詳しい。さらには、よりにもよって女性監督同士で食事をしている時に「ブッカケ」などと言い出し、わたしも浜野監督も首を捻っていると「BUKKAKE」とスペルを並べる。そこで思い当たったのが、日本のAVの「顔射」というやつで、どうやらそれのことらしい。他の監督は一様に顔をしかめていたが、場を読めないのもオタクの国際的な一面のようだ。
 もちろん彼女にしても、唐突にそんなことを言い出したわけでなく、その前の日だったか、中華レストランで出くわした時に、わたしもまたオタクの末席に連なる者であり、わたしのゲイ・フィルムのテーマは「笑うフェティシズム」である、などと口走ったことが伏線になっている。どうやら「フェティシズム=変態」という理解が国際的にあるようで、クレティーユのパーティーでも、人形のセックスをテーマにしたという北欧の女性監督に、フェティシズムが好きだといったところ、物凄く変な顔をされた。わたしとしては「人形愛=ピュグマリオン・コンプレックス=フェティシズム」というつもりだったのだが、どうやら国際常識を逸脱した発言だったらしい。わたしもまた、リー・ウォン監督と同根なのである。
 その後『百合祭』に興味を抱いたディストリビューター(映画の配給・流通を行う)で、政治とセックスをテーマにしているという、ドイツ生まれの陽気な怪人、クラウス社長が、浜野監督とわたしをランチに招いてくれた際に、彼が持ち出してきたのが、同社がかつてパリで開催した「fff」のパンフレットだった。「fff」とは「フェティッシュ・フィルム・フェスト」の略で、中を見るとトランス・セクシュアル、ゲイ、レズビアン、SMからアンダーグラウンド・フィルムに至るまで、なるほど世間的に怪しい「変態」と呼ばれるジャンルのオン・パレードだった。わたしがイメージしている「物神崇拝」などといった素朴な意味は、ほとんど反映されていない。わたしは今後、発言を大いに慎まなければならないだろう。



 なお、わたしたちの「フォーカス・オン・アジア ヨーロッパツアー」は、今夜パリの東駅から夜行の寝台列車に乗り、ドイツのミュンヘン経由で、オーストリアのインスブルックに向かう。どんな困難が、わたしたちを待ち受けているのだろうか。


 当ブログの更新が滞ったのは、クレティーユ国際女性映画祭が閉幕し「フォーカス・オン・アジア」のヨーロッパ・ツアーが始まって、個人的にネット事情が悪化したためだけではない。同じパリ市内にいるのだが、ツアーの用意した立地条件の良いホテルに移り、ホテルの電話代や近くのインターネット・カフェの料金がバカ高いのは事実である。近くのネット・カフェは15分で1.5ユーロ(220円ぐらい)であり、分単位、秒単位で心急かされ、心置きなく繋いでいることができない。日本の貧乏人は、海外に出ても貧乏人である。しかし、一方でわたしには、帰国後に撮影するピンク映画の第一稿というお仕事があった。パリに来てまで、ピンク映画の脚本をセコセコ作っているわたしとは、一体何であろうか。いや、嘆くまでもなく、これが散文的な生きる現実というものだろう。


<クレティーユに結集したアジアの女性監督たち。手を上げているのが、マレーシアのヤスミン監督。その右が浜野監督>

 さて、今年の第27回クレティーユ国際女性映画祭は、アジア旋風が吹き荒れた。『百合祭』が招かれたメインの特集「フォーカス・オン・アジア」はもちろんだが、コンペティション部門でも、マレーシアのヤスミン・アーマド監督『Sepet』が審査委員グランプリを獲得。また、多くの高校生が選ぶヤング部門で、韓国のリー監督(Eon-hee LEE)による『…ing』が受賞した。
「フォーカス・オン・アジア」は、シンガポールに本拠を置くアジア‐ヨーロッパ財団と、クレティーユの映画祭の共催で、招待されたアジアの10人の監督はクレティーユ終了後、引き続きパリ市内の映画館や文化センターでの上映から始まり、インスブルック、ベルリンへ続くヨーロッパ・ツアーに参加している。しかし、今回初めて企画されたこの意欲的な試みの具体的な運営には問題が多く、わたしたちは目下、多くの困難に直面しているのだが、その一方でアジア人同士の監督たちが心を通わせ、互いに助け合って連帯感さえ生まれているのは皮肉な効果と言うべきだろう。
 ヨーロッパ・ツアーに関しては、後に報告するが、今年のクレティーユのアジア旋風は、わたしには大変エキサイティングなものだった。オープニング上映も香港のヤン・ヤン・マー監督の『バタフライ』であり、パリ在住の、今時の日本には存在しないだろう剛直な硬派ジャーナリスト、田中久美子さんのように、ヤスミン監督のグランプリは政治的な思惑が反映したのではないかと指摘する向きもある。その背景には、アジア‐ヨーロッパ財団が今年の企画に運営資金を提供している事実があるが、わたしはヤスミン監督の『Sepet』は、マレーシアの伝統的な風土性を生かした、欧米の映画文法にはないタイプの作品で、グランプリの価値が充分にあると思った。ちょうど沖縄の高嶺剛監督作品を観た時のようなカルチャー・ショックがあるが、もちろんその徹底性に関しては高嶺作品を上回ることは難しい。
 しかし、おそらく四十代であろうヤスミン監督作品より、わたしが今回、目を奪われたのは、三十歳前後のヤン・ヤン・マー監督や、韓国のリー監督による、飛び切り活きの良い、堂々たる商業映画ぶりであった。マー監督の『バタフライ』は、女子高の美しい女性教師と、野良猫のようにワイルドな少女とのレズビアン関係を描いている。教師は人妻で、幼児もいるが、かつて女子高時代に親友とやはり同性愛の経験があり、この十数年を隔てたふたつのレズビアン・カップルが並行して描かれるのだが、演じる4人の香港の女優さんたちが実に瑞々しい。そしてマー監督は、彼女たちにエロティックなシーンを敢然と行わせるのだ。もちろん日本のピンク映画の半分ほども露出せず、多くは上半身の描写なのだが、惹かれあうもの同士が抱き合うナイーヴな肉体の歓びが奔騰する。少女に惹かれ、結婚の継続に危機を抱いた女教師が、夫とセックスして何とか自分の心を家庭に繋ぎとめようとする、通俗なシーンもあるのだが、マー監督は観客へのサービスに何のためらいもないようだ。


<食事会でおどける香港のヤン・ヤン・マー監督>

 結末において、女教師は夫に「私はレズビアンよ」と一方的に宣言し、幼児を夫に渡して、ライブハウスのシンガーとなった少女と新しい生活に入る。家庭のクビキから解放された女教師の、見るからに伸び伸びとした様子は、実に見事なもので、初老のオッサンであるわたしからすれば「おいおい、結婚して、子供ができたのは、君自身の責任もあるんじゃないかい? そんなに解放されて、この後どうするんだ?」と言いたくもなるが、そんな辛気臭い顧慮を打ち捨て、楽園にでも入るかのように解き放たれているからこそ、映画的に素晴らしいのだ。現実的な葛藤は、現実に任せておけばよい。
 一方、韓国のリー監督の『…ing』は、女子中学生をヒロインにした難病もので、どうやら母親には、少女にいずれ訪れるだろう死の運命は分かっているらしい(英語字幕が充分に読めないので、ディテールは不明)。入院生活が長く、学校でも孤独な少女は、同じマンションに引っ越してきたカメラマンと出会い、心を開くようになる。父親のいない少女には、兄貴のような存在だが、次第に愛し合うようになり、そして予告された死がやってくる。かつて日本にも『愛と死を見つめて』という吉永小百合&浜田光夫の難病青春映画があったが、リー監督は最近の韓国ドラマに多い、あまりにも典型的な状況設定、あまりにもご都合主義的なストーリー展開に沿いながら、少女の心の震えを見事な映像で見せるのだ。もしかしたら、日本の少女マンガの影響もあるのではないかと思ったぐらい、実に繊細な心象風景を描き、日本のオヤジであるわたしは、手もなく泣かされてしまいましたね。
 年齢も近いマー監督とリー監督に共通しているのは、メロドラマになることを恐れず、堂々たる商業映画のなかに自分のスピリットを注入していく果敢さだろう。この世界に何か文句を言おうなどと企むのは、五十代の浜野監督やわたしの世代であって、若い世代には見事な技術を駆使して広い観客の心を捉えようとする女性監督たちが台頭していることを、まざまざと思い知らされた。実はマー監督と同じ香港から、旧知のヤオ・チン監督の『レッツ・ラブ・香港』という、やはりレズビアン作品が「フォーカス・オン・アジア」に招かれている。こちらはインターネットの仮想現実と、リアルな香港社会の貧困との狭間をさ迷う、二人の少女のコミュニケーションの不全が描かれ、一切がっさい肯定的なマー監督作品とは際立った対照を見せている。わたし自身はヤオ・チン監督の蒼ざめた風景に共感しながらも、マー監督やリー監督の敢然とマーケットに切り込むエネルギーに瞠目せざるを得ないのだ。


<スピーチする韓国のリー監督>

 なお、食事の際に聞いた話では、わたしが共通項を感じたマー監督とリー監督は、それぞれ地元においては好対照であり、マー監督は二千万円ぐらいの予算で、役者はほとんどノーギャラ、スタッフは友人たちを動員して製作し、香港の上映でも2週間ぐらいで打ち切られたとか。『カンフー・ハッスル』の国では、レズビアン映画は難しいかもしれない。なお、ヤン・ヤン・マーという、やたらノリのいい名前は、本名のヤン・ユー・マーだったかを、人に覚えられやすいように改めたそうだ。
 一方、韓国のリー監督作品には2億5千万円の資金が投じられ、お母さん役の有名女優のギャラも2千5百万円! まもなく日本の女性小説家の原作をベースに翻案した、次回作品のクランク・インが迫っているというから、上映も好評だったのだろう。国を挙げて映画を押し出している韓国のパワーが、女性監督にも及んでいるすれば、まことに慶賀すべきである。
 フランスで毎年デビューする監督の半数以上は女性であり、フェミニズムへのバックラッシュも重なって、クレティーユ国際女性映画祭の存在意義が議論の的になっていることは、以前から指摘されてきた。アジアにおいても、男性社会の映画界で、女性監督が抑圧されているという図式だけでは、女性監督作品を語れない現実が、今、目の前に在る。当たり前だけど。

※ネットカフェに関しては、その後カルチェラタンに1時間3ユーロ(450円ぐらい)という、学生街にふさわしい店を見つけ、状況はぐっと好転した。フランスはファックスやコピーが少なく、料金もバカ高いが、ネットカフェに関しては、極端に高い店と安い店があるようだ。もっとも、パリまで来てネットカフェに入り浸っているようでは、何しにここまで来たのか?


 頭が痛い…重い。疲れか、風邪のぶり返しか? よく考えてみると、2日連続で寝る前に飲んだ、ボルドーの安物ワインが頭の芯あたりに、どよんと滞留しているのだ。以前の経験から「モノプリ」(スーパー)の5ユーロ台のワインで、わたしには充分旨いのだが、今回ワンランク下のスーパー「エド」で3ユーロ(450円ぐらい)前後のを試みに買ってみた。さすがにイマイチであるな、と思いながらラベルを眺めると、これがなんとチリワイン。パリでも、べらぼうに安いテーブルワインはチリ産なのか、道理でどこかで飲んだ味だと思いながら、しかし、いくら経済困窮のわたしでも、パリでチリワインを飲むのはいささか悲しい。次に見つけたのが「モノプリ」の、やはり3ユーロ台のボルドーワインだった。これがまずまずの味で、安くても流石はボルドー! と一人悦に入ったのだが、この頭の澱んだ重さは、やはり安ワインのせいだろう。5ユーロ台のわたしの標準に戻るべき時が来たようだ(それにしたって700円前後ですからね)。



 スーパーの安ワイン談義はともかく、今回『百合祭』が招請された第27回クレティーユ国際女性映画祭が、パリ郊外のクレティーユ市で開催中だ。世界の女性映画祭の先頭ランナーで、パリ在住の映画ジャーナリスト、林瑞絵さんによれば、「今では少なくなってきた“ディレクターの顔が見える映画祭”」。その顔とは、もちろん1979年のスタート時からの主宰者であるジャッキー・ビュエさんだ。70年代のウーマン・リブの時代から活動してきた「筋金入りの闘士」で、フェミニズムおよび「女性と映像表現」を、地球規模で追究してきた。東京国際女性映画祭が「カネボウ国際女性映画週間」だった頃に招かれ、来日もしている。
「クレティーユにお帰り! サヒ!」。ジャッキーさんは浜野監督を抱擁し、温かく迎えてくれた。フランス人が発音する「サチ」は、「サヒ」に聞こえるが、一方、イタリアのトリノでは「ザジ」と盛んに言われたものだ。ジャッキーさんはわたしに向かっても頬を差し出す。日本の社交下手な男の一人として、抱き合ったり頬にキスをしたりするのは全く苦手なわたしだが、ジャッキーさんに対しては、多少てれながらも素直な気持ちでキスができる。「筋金入りの闘士」のジャッキーさんだが、日本の場合その手のタイプがしばしば偏狭の同義語でもあるのに対し、実に人間的な包容力のある、魅力的なリーダーでもあるのだ。
 浜野監督とわたしは『第七官界彷徨‐尾崎翠を探して』(仏題『MIDORI』)で、2000年に参加しているので、この映画祭は今回が二回目の参加になる。しかし、同年の冬にパリの日本文化会館で開かれた日仏女性研究学会主催のシンポジウム「日本女性が発言する」で『MIDORI』が上映された際には、同学会の尽力でジャッキーさんと浜野監督の対談が実現した。また02年には、浜野監督が文化庁の芸術家海外派遣制度でパリに3ヶ月滞在した際にも、クレティーユの映画祭が受け入れ先になってくれた。この年、『百合祭』をコンペ作品に応募していたのだが、こちらは残念ながら落選。ジャッキーさんと個人的に親しいからといって、優先してくれるようなマイナーな映画祭ではないのだ。そんな経緯があったからこそ、今回「お帰り! サチ!」と迎えてくれたのだろう。



 今年のもっとも大きな特集が「フォーカス・オン・アジア」。10人のアジアの女性監督の作品が選ばれ、クレティーユで上映した後、ヨーロッパ3都市でも上映ツアーを行うという目玉企画だが、『百合祭』もこの特集に招かれた。光栄である。なかには02年の香港国際映画祭で出会い、昨年のハワイの「ガール・フェスト」でも一緒になった香港の游靜(YAU CHING)監督や、昨年の東京国際女性映画祭に出品された韓国の「…ING」(Eon-hee LEE監督)といった作品も選ばれている。
 もちろん例年通り、長編劇映画とドキュメンタリーのコンペティションも行われているが、林瑞絵さんや同じくパリ在住の硬派ジャーナリスト、田中久美子さんが「もっともクレティーユらしい企画」というのが、歴史の観点から、スキャンダル、フェミニズム、セックスとタブー、非宗教性、アフガニスタン、といったいくつもの現代的なテーマに、ドキュメンタリー作品とともにアプローチする特集だ。連日行われているが、フランス語がチンプンカンプンなわたしや浜野監督には、内容がまるで分からないのが残念。
 『百合祭』は2回上映されるが、1回はメイン会場のクレティーユ市の文化センター、もう1回は近くの映画館で、一昨日(15日)この映画館での上映が行われた。住宅街の中にあるこじんまりした3スクリーンほどの劇場だが、100席位のところに老若男女が詰め掛け、ほぼ満席状態だった。特筆すべきは観客の年齢差で、1グループの高校生男女が『百合祭』としては、まことにに異色。この映画祭では、例年コンペ作品に対して高校生を審査員にした賞を出しているが、その関係だろう、コンペ外の作品にも中高生ぐらいの姿をよく見かける。フェミニズムへの世界的なバックラッシュが強まるなか、映画祭の貴重な努力と言うべきだろう。
 これまで北アメリカを中心に回ってきた『百合祭』だが、フランスでは03年の第1回ボルドー国際女性映画祭以来、二度目。アンチ・フェミニズムを標榜するこの映画祭は、ボルドー市の有力者を接待するのが精一杯で、集客まで手が回らず、ごく少数の観客にしか観てもらえなかった。その意味では、今回がフランス初上陸といっても過言ではない。



 上映は大いに沸いた。なかでもミッキーカーチスさん演じる「三好さん」が人気で、彼が「柔らかい肉球」状態であるにもかかわらず、臆せず果敢に女性たちにサービスするところなどは大受けだった。上映後、その場でディスカッションが行われ、さらにロビーに場所を移して「ソワレ」(夜会)が開かれ、ドリンクや軽食が振舞われた。この日の通訳は、田中久美子さんの友人である翻訳家の児玉しおりさんだったが、対応に困るぐらい発言が相次いだ。
 高校生グループは、この作品の日本での受け取られ方や、なぜこの映画を撮ろうと思ったかなど、真面目な質問をした。日本では男性が反発することが多いが、この日のフランスの中高年男性は大喜びで「肉球が良かった、自信を持った」と言うお爺さんもいた。浜野監督が「この作品で日本の老齢女性たちに革命を起こしてもらいたいと思った」などと気焔を上げると「あのアパートは、彼にとってハーレム状態にも見える。それは革命ではない」という冷静な批判的な意見が、高齢女性から出されたのも、さすがフランスだ。それに対して、わたしがシナリオの立場から、ラストの逆転について説明したが、正確に伝わったかどうか自信はない。どうも口で説明するのが、わたしは極めて不得手だ。喋っているうちに頭が混乱してくる。
 また、ラストのレズビアン関係が唐突だという批判も、別の女性から出た。その一方で「フランスでもこのテーマはタブー。年をとったらセクシュアリティなど無縁と思われている。この映画を観て勇気をもらった」という高齢女性もいた。別の女性からは「日本の映画は暴力が多いので、こういうテーマの作品は初めて見た。日本女性はおとなしいイメージが強かったが、年をとっても行動する女性たちであることが分かって、とても良かった」という声も上がった。
 浜野監督は、ソワレで熱心に話してくれた中年女性の「あなたはこの映画を作ることによって、観客の頭の中に種を植え付けた」という言葉がもっとも嬉しかったそうだ。賛成、反対いろいろあっても、一堂に会してこうした言葉が飛び交うフランスという国柄には、ほとほと感嘆せざるを得ない。


<上はオープニングの壇上。右がジャッキーさん>